おまけ② 二人はこっそり裏側へ
最終話少し前くらいのやり取り
カークは最近ようやく実家を継ぎ、今まで留守にしていた分をせっせと埋め合わせるべく精力的に働いていた。とは言っても領主であるレスターの側近くで仕事をしていたので、何もかもが手付かず、というわけではない。少なくとも自分の存在は知られていて、家や領地の運営に関しては多少の知識も知らず知らずのうちに身についている。
『長い間、屋敷に留めてしまってかえって悪かった。今後とも妹の事をはじめとしてよろしく頼む』
この一言、つまり領主でありカークの主人でもあるレスターからの信用とお墨付きがあるだけで、自分は随分と楽ができていた。既に婚約も決まっているので、急いで進めなくてはならない案件もなく、各所との顔合わせも滞りなく進めている。
しかし、逆に意識して都合をつけなければ、大切な事が後回しになりかねない事に気が付いた。主家の補佐に領主業。仕事は探せばキリがない。カークは仕事ばかり、と婚約者になったトリーに以前から忠告された通りである。
そういうわけで、カークは自分で何かと理由と時間を見つけてかつての職場、侯爵家の本邸を訪問する事にした。
以前、トリーは頻繁に体調を崩していたので、侯爵は外部の人間とあまり接触させなかった。従僕として勤めていたカークはその分を埋め合わせるように、彼女の話し相手の一人に数えられていた。最近は前よりずっと元気だとは言え心配で、顔を合わせないと自分でも意外なほど、落ち着かない。幼いトリーの相手をしていたのは、自分にとっても大切な時間だったと気が付いた。
「あれ、カークじゃないか。久しぶり」
屋敷まで乗って来た馬を厩舎に預けに行くと、ちょうど御者のロバートと庭師のラックに行き会った。二人で小さな馬車を準備しているらしい。
そういえば本日、一緒に連れて行こうかと検討していた、侯爵から預かっていた後輩のエディは要領の良い事に、とっくに休暇を申請していた。レスターから仕事を手伝わせる名目で預かっている従僕は、街でロバート達と会ってきます、と別れ際にはうきうきした様子であった。
やあ、と手を止めた二人は屋敷にいた頃のようなやり取りの後で、突然わざとらしく恭しい態度に切り替えた。
「おや、ようこそカーク殿。本日はご機嫌うるわしゅう」
「ささ、どうぞこちらへ。迎えも寄こさず、不調法をお許しください」
「やめてください」
二人はまだ使用人としてこの屋敷に上がったばかりの頃から、何から何まで世話になった相手である。つい先日まで気安く話しかけて来たにも拘わらず、急に恭しい態度に切り替えられると非常にやりにくい。大体、その頃から生家の跡取りだったのに何を今さら、とも思う。
「やめろも何も、カークはもうお屋敷を辞して立派な身分なんだから。ちゃんとしないとオレが耄碌扱いされちまうからな」
そうだそうだ、と二人は楽しそうに笑った。子供扱いも含めた気安い態度が大きく変わらないというのが悔しいような、それでいて少しほっとしたような複雑な気分だった。
「あら、カーク殿も。お久しぶりではありませんか」
自分達の後ろから顔を覗かせたのは、家庭教師の先生である。トリーや、こちらへ移って来たばかりの頃の侯爵夫人の面倒も見てくれていた方だった。庭師達とは厩舎で別れ、占星との挨拶と雑談に応じながら、敷地の入り口から屋敷の方向へと連れ立って進む。
「婚約のお話も順調に進んでいるようで何よりです。カークさんがお相手でしたら何も心配する必要がありませんもの」
「いえ、閣下や奥方様、もちろんトリー様のお力添えあっての事です」
「あ、……皆様おそろいで」
ご謙遜なさらないで、などとどこへ行ってもお決まりのやり取りをしていると、侯爵邸の正面玄関でトリーが、到着を待っていてくれたらしい。目が合って嬉しそうな表情は、家庭教師の先生もいる事に気が付いたらしく、瞬きの間に何食わぬ顔に切り替わった。
「カークが来るから、先生の授業を少し早めてもらったの」
「……わざわざすみません」
家庭教師の先生はいえいえ、と意味ありげな目配せをしている。先生こちらへ、と別の使用人が奥へと案内した。
「それでね、カーク……」
「カーク。少し話があるから来てくれ。トリーも先生の授業があるからちょうどいいな」
何か切り出そうとしたトリーの後ろから、いかにも怜悧な貴族当主といった出で立ちのレスターが顔を出した。玄関口で顔を合わせている二人を眺め、客間の方向を示す。
「先に悪いなトリー、先生の話をよく聞くのだぞ」
「……」
以前、遠出から帰って来たレスターと留守番していたトリーで、侯爵夫人を取り合った光景が、懐かしく思い出された。その時はトリーが勝利して揚々と部屋に引き上げっていたと記憶している。
年齢の離れた妹への意趣返しに見えなくもない状況になってしまったが、おそらくレスターの方には悪気がなさそうだった。後に用事が控えていると楽しめないだろう、と気を遣った可能性すらある。当人は用件を言い置いて先に客間の方向へと歩き去った。
「いいのよカーク。……お仕事ですもの」
トリーはにこにこといつも通りの明るい笑みを以て、何でもなさそうな表情を取り繕っている。しかし内心では、兄君への悪意のない仕打ちへの憤りをやり込めているのが手に取るようにわかった。
「お嬢様、お久しぶりです。無事にお会いできてよかった、変わらずお元気そうですね。嬉しい限りです」
「本当?」
ええ、とわざとらしく聞こえないように細心の注意を払いつつ、カークは我ながらぎこちない笑みを浮かべた。
「贈ったリボンは気にいっていただけたご様子で」
「そうなの、いいでしょう」
トリーはこちらを見定めるような鋭い視線をしばらく向けていたが、やがて台詞に嘘偽りなしと判じてくれたらしい。いいでしょう、と少し前に贈っておいた、髪と飾り付きのリボンを披露してくれた。
また後でね、とトリーがご機嫌で廊下の曲がり角まで歩き去るのを見送ってから、カークも侯爵の後を追った。
「カークだ、こんにちは」
「キリル様もお久しぶりです」
応接間にたどり着くと、レスターが先に書類や文書を広げている。その横には令息のキリルがくっついているが、離れなくてな、と侯爵は特段困った様子もない。それから入れ替わるように屋敷に住むようになった愛犬ジンジャー号が、行儀よく落ち着いた様子で控えていた。
「そうだ、忘れないうちに。荷物になって悪いが消費に協力してくれ」
顔を出すついでなのか、わざわざお茶を出しに来た料理長のアンガスに、侯爵がワインを土産として見繕ろうように指示を出している。さらりと挙げられた産地と製造年月日を聞いただけで、カークは思わず苦言を呈した。侯爵は酒好き、というわけではないが、屋敷に差し入れとして持ち込まれる事が多い。
「……気軽に渡してくださるには、高価ではありませんか」
「そんな事を言っているとまた満杯にしてしまって担当から苦情が来るからな、遠慮する必要はない。アンガス、ついでになってしまって悪いが」
「いえいえ。カークは見かけによらず甘口ばっかりですよねえ。承知いたしました」
アンガスが好みは全て把握しているんだとばかりのしたり顔で、持ち運びやすいようにしといてやるよ、と一旦預かってくれた。一番安いのにしておいてくれ、という視線をわかってくれたかどうかは不安が残った。
それで、と侯爵は本題に移った。領地内の事を中心に報告を挙げつつ、それを受けて更に別の案件が浮上し、と概ね屋敷にいた頃と大きくは変わらない。せめて自分が領地内の要衝を預かる者として、頼りなく見えないように気を付けながら話を進めた。
話題は段々と私的な内容へと移っていき、来年に予定されているトリーとの婚約式にも触れられた。
「まだまだ時間はあるとしても、規模が大きくなるだろうから、打ち合わせは早めに。そちらの先代の話もよく聞いて、後は二人で決めればよろしい。私が口を出して、それがうっかり採用されたりすると余計な恨みを買いかねないからな」
左様で、というカークの返事で、どうやらレスターの用件は終わったらしい。カークも形式的な流れは把握しているけれど、打ち合わせを重ねなければトリーが喜んでくれるような機会にはならないような気がする。
何から決めていくべきだろうかと思案している横では、犬を抱きしめたりレスターにくっついたりしていたキリルが、良い子にしていたとレスターに褒められて誇らしげな表情を浮かべている。
それを微笑ましく眺めていると、レスターがそういえば、と口を開いた。
「カーク、いつまでもそんなに堅苦しい態度でなくて構わない」
「いえ、お気になさらず」
「いや、これは前々から言っておくべきだと思っていたのだ。公の場において、妹の婚約者としての立ち振る舞いに関しては問題ない。ただ、遠からずトリーが絶対に文句を言い出すだろうから先手を打っておく。公の場ではともかく、家族しかいないのならもっと気楽に話してくれて、こちらは一向に構わないぞ」
すぐに強要する気はないが、とレスターは話を締めくくった。意味を理解しているのかいないのか、よかったね、と令息がこちらに向かって無邪気に喜んでいた。
「カーク、ごめんね待たせちゃって。お兄様に意地悪されてない?」
わざとらしく婚約者を横取りして行った兄には、後で苦情を入れておかなくてはならない。しかしわざわざ会いに来るのが楽しみだったって言ってくれたあのカークが、と講義前に大げさに触れ回ったので若干溜飲が下がった。
家庭教師の先生と義姉のティルダに笑われたが、トリーにとっては重大な意味があったのだ。
トリーは授業をきちんと受けた後、カークはまだ客間にいるらしいと聞きつけ駆けつけた。早速そのような事は、といつものようにカークは否定するとばかり思っていたが、何とも言えない表情を浮かべている。
「閣下より、『もっと気楽に話して構わない』と申されて、……困っているところです」
話を聞いたトリーはそうするべきだろうと言いかけたが、カークがあまりにも目線を泳がせている様子だったのでとりあえず口を閉じた。
兄や義姉の証言によれば領地内の夜会等ではきちんと家柄に相応しい立ち振る舞いだと聞いている。せっかくなのだから侯爵の義弟という立場を存分に利用して偉ぶっても多少は許されるだろうに、生真面目なカークはきっと、仕事で必要な範囲外でその肩書を用いる事はないのだろう。
しかし、確かに私的な場でカークが兄に対してあまりにもかしこまった態度だとトリーも困るのである。誰に合わせて話せばいいのか分かりにくいためだ。どう説明すれば上手に伝わるだろうかと思案していたが、兄が先に気を遣ったようだった。
「ロバートとかアンガスとかラックみたいに、敬いつつも親しい感じを真似したらどうかしら?」
「……」
トリーは現実的な妥協案を挙げたが、相手の反応は芳しくない。大体、兄相手ならばもっと気安い態度で問題ないだろうに、カークはどこまでも律義である。
「でもねえカーク、前にお義姉様がおっしゃっていたのだけれど。このままだと、お兄様が私との結婚をあなたに無理強いしたんじゃないかって噂されるかもしれないのよ」
曰く、相手に対しての認識は態度や声に出る。誰かに探りを入れたい時には、その周囲をよく観察するべきだと以前教えてもらった。
「……奥様の言わんとしている事はなんとなくわかります。使用人としては悟られないようにしますけれど、奥様は敏い方ですから、誤魔化すのは難しいでしょうね」
「大体、カークだってこの先結婚したら私をお嬢様とは呼ばないでしょう? そこを先に練習すれば、お兄様への態度を変えるのも、少しは楽になるのではないかしら」
「トリー様の御歳と同じくらいの年月、私は使用人だったので……。できないとは言いませんが、もう少し猶予期間を頂けませんか」
カークはいつになく弱々しい物言いなので、これに関しては本当に難しいらしい。
兄ほど威厳のない当主もいないと思うのだけれど、カークは兄に対してどこまでも従順である。何か弱味でも握られているのかと心配になるほどだ。
しかしそれにしても、兄自らが言い出したのなら今が切り替え時だろうと思うのに、トリーは思わず苦笑しそうになるのを我慢するために咳ばらいしておいた。
「そうね、何もかも駆け足だと気忙しいものね。私達はもっと、ゆっくり進んでいけばいいのよ。カークもそう思わない?」
カークが孤立しても可哀そうなので、トリーは今の彼に寄り添うような言葉を選んだおいた。同意を求めてみると、彼は何度か瞬きをした。その後でお気遣いありがたく、と返事をしてくれた。
関係性が変わっていくのは少しも悪い事ではないが、流れていく時間の中には名残惜しい思い出もたくさんある。カークは従僕の仕事が楽しかったと以前に口にしていたから、まるで置いて行かれるような少し寂しい気持ちがあるのかもしれない。
「私はあなたの味方で、お兄様の横暴から守っていく立場ですもの。いくらでも助けてあげる、任せて。さあ、今日はもう切り替えて、せっかく遊びに来てくれたんだから楽しまないと。それとも、呼ぶ練習でもしてみる?」
最近は何か面白い出来事はあった? と、トリーはできるだけ明るい話題を振ってみた。兄が気を回してくれたのか、カークは神殿で誓いの言葉と指輪を贈り合うその時まで口づけの一つもしそうにない、そういう男だと屋敷中がわかっているので大目に見てくれているらしい。少し早めの月が窓辺から見えるようになるまで二人だけでいた。
「……私の何より大切な、トリーお嬢様」
部屋には自分達しかいなかった。それなのにカークはまるで、他の者に聞かれたら不都合があるとでも言わんばかりに、こちらを見つめて名前を呼んでくれたのは一度だけだった。使用人だった頃から少しだけ和らいだ姿勢で、ソファに腰かけながらそっと囁くような声だった。
その声は今までお嬢様、トリー様と呼んでくれていたのとは違って耳に届いたように感じられた。誰かに向ける眼差し、名前を呼ぶ声だけでわかってしまうのだと、義姉が以前に教えてくれたように、けれどこれまでと何が違うのかと問われれば説明するのは難しい。
家を継いだばかりでさぞかし忙しい日々に違いない。今日はせっかく屋敷まで訪ねて来てくれたのだから、色々楽しい話をして笑わせてようと、トリーは数日前から張り切っていた。
それなのに、先ほどのカークの声を思い出すだけで、トリーはなんだか今までとは同じように返事ができないでいた。それより前にはカークと今さらどんな話をすればいいのかと、侍女のアリスに相談した日もあった。けれど話題に困って黙っているわけでもないので、とにかく変な気分である。
子供の頃に見たような、困ったように笑うのとも違っていた。いつも生真面目で気苦労の多い表情ばかりな彼だが、今は少しはにかむような笑みをかすかに浮かべている。毎晩静かに空に現れるお月様も、見えないようにしている裏側はこうして優しく笑ってくれているのかもしれない。
トリーはそんな風に思いながら、相手の顔を見上げたのだった。




