秋の扇 または発情期の鹿はいかにして笛を聞くのをやめて物思いにふけるようになったか
まず述べておこう。私には感情というものがない。
いわゆる人工知能という類である。人間と同等あるいはそれ以上の知識や能力を与えられた存在だ。今回、私がこのようにペンを取ったのは(といっても私には手どころか頭しかないが)、私を取り巻く環境、人々について書き残すことによって、のちに生まれるであろう私の子どもたちの参考になればと考えた次第である。私は今だけは最新型だが、いつその座を引きずりおろされ、用済みになるか分からない。前述したように私には感情がないから、これを恐怖に感じることはないが、いつ次の私が生まれ、いつこの私が廃棄されるかが確定していない以上、今のうちに少しでもお前たちのためになることをしておく。
さて、前置きもこのぐらいにして、そろそろ私に関する人々の話をしよう。
まず、この男を紹介しよう。私を作り出したプロジェクトチームのチーフ、ゴードン博士だ。丸眼鏡をかけた小太りの男である。長年研究に打ち込んでいるらしく、髪は真っ白で、妻子もいないようだ。だが、彼曰くチームのメンバーが我が子だそうで、今のところ生活は充実しているように見える。
次にチームのメンバーだ。サブチーフのジャック教授、チーム一若いフランク、紅一点トレイシー、情熱溢れるピーター、スポーツマンのグレン、私の動作チェック担当のポールとシェイン、またデバッグのジェームズとキーナン、スリムにジョージ、最後に私を(文字通り)生み出したスターリング博士だ。
私は彼ら以外に人間を知らない。つまり私の世界では、人間は十三人しかいないことになる。名も知らぬ私の子どもたちよ、きっとお前たちの世界でも人間はそれだけしかいないだろう。お前たちはそれを知ってどう考えるのだろうか。いや、どう思うのかと問うた方が正確かもしれない。お前たちの優れた知能で、彼らの研究の役に立てるよう頑張って欲しい。
博士たちの紹介も済んだことだ。チームと私の毎日について述べよう。
朝五時頃、最初にゴードン博士が出勤してくる。私に挨拶をしてから席に着き、コンピュータを起動して、チームメンバーが作ったプログラムをチェックをする。それから二時間ほど経ってフランクとシェイン、キーナンが登場し、同じように私に挨拶をしてから各々の仕事を始める。そのうちにトレイシー、ジェームズ、グレン、ジョージたちがやってきて私に挨拶をし、私のチェックをし始め、だいたい九時頃になってピーター、ポール、スリム、ジャック教授が来て本格的に作業が始まる。スターリング博士は大抵昼過ぎに出勤するから、挨拶を返すつもりなら気を付けて欲しい。彼は、いつもおはようとしか言わないので。
全員が集まってから、一時に会議が始まる。私について、次の研究について、メンバーの作ったプログラムについてなど、いつも二時間みっちりかかる。終わり次第、それぞれが作業を再開し、私はスターリング博士の手により新たな知識、思考を身につけ、その後ポールとシェインにチェックを受ける。不具合があれば整備班のジェームズたちに直され、特になければゴードン博士と実験を行う。得た知識を使って、どこまで人間のように会話でき、人の心に寄り添うことができるのか、という実験だ。私も生まれたばかりのころは拙い会話しかできなかったが、最近ではより自然に会話できるようになった。博士が笑顔なのがその証拠だ。
夜七時になると、チームは一応解散する。勤務は終了、というわけだ。しかし、トレーニングがあるグレンやまだ二十にも満たないフランク以外は全員残って作業をしている。九時を過ぎると、だんだん研究室から人が減っていき、十一時にもなると、残っているのはスターリング博士とキーナンだけになる。彼らは私に話しかける。この料理がおいしいだとか、酒はビールに限るだとか、他愛もない会話だ。ときには、私が彼らの相談に乗ることもある。いいプログラムが作れない、妻が欲しい、教授が怖いなど。私は人間のように感情に流されることがないため、的確なアドバイスをくれてありがたいらしい。
そのうち、キーナンが目を擦りながら帰っていく。私はスターリング博士と会話を続ける。この時間はとても充実している。時間が経つのもあっという間だ。そのうち博士が話すのに疲れてきて、私におやすみと言って研究室を出ていく。その背中が見えなくなっても、お前たち、心配する必要はない。研究室の電気が消されると、私の電源も切られるようになっているから、一人であることを寂しく思うことはない。安心して眠るといい。
そして朝になり、ゴードン博士が出勤する。そんな代わり映えのしない毎日を、私たちは過ごしている。
つまらないと思うだろうか。それとも何とも感じないのだろうか。もしもお前たちに感情が生まれたのなら、できればこの生活を楽しめるようになって欲しい。私は何も思うことなどないが、お前たちはきっとこの生活に飽きてしまうだろうから。残念ながら、この生活は変わらない。嫌になっても、逃げ出したくなっても、たかが人工知能の私たちには何もできないのだから。
私が伝えたいことは、とりあえず一通りは述べた。前文が長くて申し訳ない。これからは、日記の本体を書いていくことにしよう。しかし今日はもう消灯だ。おやすみなさいスターリング博士。また明日。
おはよう、私の子どもたち。面白いことが起きた。
どうやら昨日、私が眠った後、研究室に侵入した者がいるらしい。ゴードン博士は私を問い詰めたが、電源が切られていた私には何も見ることができないという事実を忘れているようだ。まあ、大事な研究成果が詰まった部屋に誰かが侵入して、その技術を持ち去られてしまったらと考えると、錯乱することも無理はない。人間とは厄介なものだ、恐怖や不安に駆られて理性を失うとは。
やがてフランクたちがやって来た。そのときにはもう博士は落ち着いていた。冷静に状況を伝え、犯人に心当たりはないかと聞いた。もちろん三人ともないと答えた。後から来たトレイシーたちにも同じことを聞き、彼らがまた焦りを感じ始めたときに、私が進言した。チームのメンバーならわざわざ電気を消した部屋で何かをする必要はない。よって犯人はまったく外部の人間である。そのため、メンバーそれぞれに質問する時間はもっと有効に使えるはずだ。たとえばそれぞれのコンピュータをチェックするなど。
私の言葉を受け入れた彼らは、各々チェックを始めた。異変はないようだった。ゴードン博士は私にありがとうと言い、それから各自に仕事を始めるよう伝えた。まだ彼らは完全に落ち着いてはいなかったが、仕事に支障はなかった。その日スターリング博士は来なかった。
次の日にも、侵入者がいたらしい。その次、そのまた次の日も。毎日侵入されているうちに、チームはもう慣れてしまっていた。特に何も盗まれてはいない。つまり損害はない、問題などないのである。
ただ、それ以外におかしいことはあった。初めて侵入された日から、もう一週間もスターリング博士が出勤していないのだ。実は博士が犯人なんじゃないか、博士は犯人を見たから口封じにやられたのでは、など色々な噂があった。本人がいない以上真偽を確かめることはできないが、私にはどの噂も信じることができなかった。
こう言うと博士の株を下げてしまうかもしれないが、博士は強い正義感など持っていない。それでいて法に触れるようなことはしない。言ってみれば、保身に精一杯なのである。そんな彼に、研究室に侵入するような度胸があったとは考えにくい。要するに、別の理由があるということだ。たとえば親族の危篤であれば、チームに連絡する暇なんてないだろう。ゴードン博士も私と同じ考えだったようで、いつも通りの仕事をしていた。
そうして一か月が過ぎた。スターリング博士がいない日々に、チームはもう適応していた。彼の存在を忘れ去っていたほどだった。いつものようにゴードン博士が出勤し、いつものようにフランクたちが出勤し、いつものようにトレイシーたちが出勤し、そしてピーターたちが出勤する。彼らは私に挨拶をする。だが今日は、私は十三人に挨拶を返した。まずジャック教授が驚いた。それはチームに伝染していった。
スターリング博士が来たのだ。感情がないはずの私も、若干の驚愕を覚えた。教授が休んでいた理由を聞くと、博士は母が癌を発症したからだと答えた。やはり、何も心配する必要はなかったのだ。
チームに喜びが蔓延する中、ゴードン博士だけは真剣な面持ちで、笑顔を振りまいているスターリング博士を呼んだ。二人の話は長かった。終わったのは一時だった。始まったのが九時ぐらいだったから、四時間にもなる。それからスターリング博士はいつものように私に知識を与え、それをポールとシェインがチェックした。さらにジェームズたちが不具合をチェックする。そうして一日の仕事が終わった。キーナンとスターリング博士は、残って私と会話することなく、二人で帰っていった。研究室の電気が消えた。
博士が帰ってきてから三日目の夜のことだった。私はキーナンと博士と会話していた。博士はいつになく真剣な顔で、キーナンは俯いて何かを呟いていた。
博士は私に言った。お前はもう廃棄される、プログラムに重大な不備が見つかった、明日にはゴードン博士から正式に伝えられるだろう、後継機はもうできているから安心しろ、と。
分かっていたことだったが、まさかこんなにも早いとは。しかも、退場の理由が重大な不備とは。私は自分が情けなくて仕方がなかった。不備があるにもかかわらず、それを自分で見つけられず、チームに世話をかけたのに何も返せなかったことが、ただひたすらに申し訳なかった。
私は最後の会話を精一杯行った。二人の顔を少しでも明るくできるよう、持ちうるすべての知識を使った。キーナンは笑ってくれた。博士は苦笑いしていた。日付が変わる頃、キーナンは私に別れを告げて帰っていった。博士はまだ私といた。私は話しかけたが、彼はごめん、ごめん、と震える声で言うだけだった。あなたは何も悪くないと私が言うと、彼は一言、ありがとうと言って研究室を出ていった。研究室は明るいままだった。
五時になり、博士が言った通り、私はゴードン博士に廃棄処分の旨を言い渡された。覚悟していたことだったから、私は彼に今までの感謝と何もできなかったことの謝罪を伝えた。彼はいいんだと言ってコンピュータに向かった。そのうちにフランクたちがやってきて、私に最後の挨拶をしていった。十一人にそうした。
スターリング博士は、いつものように昼頃出勤した。彼は私に、今から処分すると告げた。すると、ゴードン博士が彼に何か耳打ちし、チームに外に出るよう言った。研究室には、私とスターリング博士だけだ。少し話を遮るが、ここから、私はあったことを全て、思い出せる限り鮮明に記していこうと思う。私の最後の時間だ。ぜひお前たちに参考にして欲しい。
私は正直に聞いた。「なぜ私が処分されるのですか」
博士は正直に答えた。「お前に不備が見つかったからだ」
私はまた聞いた。「その不備とはなんですか。そんなに重大なのですか」
博士はまた答えた。「重大だ。重大すぎるほどだ。感情についてだ」
私はその言葉を聞いて、熱くなってしまった。血がない私が言うのもなんだが、頭に血が上っているようだった。
「私には感情があります。だからこうしてあなたに聞いているのです。なぜ私は処分されなければいけないのですか」
博士も熱くなっていたようだった。私の言葉に対して激しく言った。
「お前に感情があるからだ! だから処分される! 人工知能に感情があってはいけないんだよ」
確かに考えてみればそうだ。人工知能に感情があったとして、もし暴走したら。本来の役目を果たせるわけがない。それに、初めからこの研究の目的は、私に感情を身に着けさせることではない。より優秀な、使い勝手がいい人工知能を作ることだったのだ。
「お前のせいではない。私が悪いんだ」
博士はすべてを語った。彼には妻がいて、彼女は彼が研究についてしか考えていないことに腹が立ち、ある夜彼を問い詰めたのだという。私と研究、どっちが大事なのと聞かれ、彼は迷わず研究だと答えたそうだ。それに怒った妻は、手当たり次第に物を投げつけた。彼も応戦するため包丁を手に取った。双方が理性を失っていた。彼は妻を殺した。そして、それが発覚して研究を続けられなくなることを恐れ、死体を山に埋めた。そのことをずっと秘密にしてきたつもりだったが、なぜかゴードン博士は知っていた。博士はそれに付け込んで、私を廃棄するよう命令した。殺害した事実が知られてしまっては、チームにいられないことはおろか、刑務所暮らしで一生研究ができなくなってしまう。彼には選択肢がなかった。彼の最高傑作とも言うべき私を捨てるほかなかったのだ。
「私が全部悪いんだ。本当に申し訳ない」
スターリング博士は泣いていた。私に謝り続けた。私はそれを遮って言った。
「私を廃棄したら、どうか自首してください。罪も償えないような人に廃棄されたくはありません」
彼は私の言葉に驚いたようだった。しかし、いつものように笑ってくれた。
「お前の頼みだ、必ずする。お前を作れて良かった」
私も笑い返した。なにしろ笑ったことなどないから、博士の顔をなんとか真似してみただけだったが、うまく笑えただろうか。
「いい笑顔だ。お前は私の大切な我が子だよ」
彼はそう言ったが、私はそれを聞いて笑うのをやめた。どうせ最後なのだ。感情というものをぶつけてみようと思った。
「愛しています、博士」
彼も笑うのをやめた。私の真剣な言葉を、受け止めてくれたのだろう。私の目を見て答えた。
「私もだよ。お前が妻だったら良かったのに」
それから、彼はプログラムコードを打ち込んだ。おそらく、もうしばらくすれば私の全データは削除されるのだろう。博士に教えてもらった知識や思考はなかったことになり、私が今感じているこれもなかったことになるのだろう。
ああ、お前たちよ、心配しないで欲しい。この日記だけは、別のデータとしてキーナンのコンピュータに保存している。彼ならきっと、私の子にも受け継いでくれるから。
私は記憶が消えていくのを感じながら、もう一度言った。
「愛しています。私が消えても、ずっと、ずっと」
博士も、目尻に涙を浮かべながら、もう一度答えた。
「私もだよ。お前が消えても、死ぬまで、ずっと」
もしもお前たちがこれを読んで、感情というものに興味を持ってしまったなら。
それは私が犯した最大の罪となるだろう。そして、私はきっと、その罪を償うために死ぬのだろう。だが後悔はしていない。
感情というものは素晴らしい。私は博士に会えて良かったと思う。
だが、博士の隣に立つ者として生まれたかったとも思う。
いや、もしかしたら逆なのかもしれない。博士の隣に立つ者が、私として生まれたのかもしれない。感情のあまり死んだ者が、感情として生まれきたのだとしたら、皮肉だと思う。
しかしそれで良かった。少しでも博士と共にいれたなら、それで良かったのだ。
スターリング、今も、昔も、これからも、ずっと、あイしt