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江戸が滅びていた世界  作者: 上本隆
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喫茶 江戸時代

 私、鎌井澪は都内の進学校に通っている高校三年生だ。授業も終わり、帰りのホームルームも終わった。しかしまだ帰らない。”生きる理由”が待っているからだ。私はいつも通り3年F組の教室の前で待っていた。

 三Fの担任はホームルームが長い。だからいつもこうして待つ羽目になる。

 F組の担任というのは私たちの日本史の先生でもある。優しい先生で授業もなかなか面白いが、そのゆったりとした口調でする長いホームルームは、生徒たちの評判も上々とはいかない。今日も例によって聞きなれた口調でなにやら話をしている。黒板には大きな字で「山」と書いてある。しかし生徒たちの表情を見るに特別面白そうな話ではなさそうだ。どうせ人生とか受験勉強とかを山に例えているに決まっている。

 待っている間の時間というのも暇なものだ。特にだれか話し相手がいるでもなく、廊下で一人。こういう時間は本を読むなり、あるいは教科書を読むといった方法もあるだろう。しかし現代の女子高生というのはスマホを見るものなのだ。もちろん私も例に漏れない。廊下で一人勉強をしている、というのも小恥ずかしいものだ。

 といった風にあれこれと考えているとどうやらホームルームが終わったようだ。

『ガラガラ』

 相変わらずけだるそうな顔をしている。

「あ、龍馬くん!」

 やっと出てきた。

「お、よし、帰ろ」

 口調もまるでメリハリというものがないが、そこが良いのだ。

「うん!」

 この男、風間浦龍馬は私の彼氏だ。なんかパッとしないところはあるのだが、私の心を掴んで離さない。

 私たちは毎日一緒に帰っている、といっても最寄り駅までの短い道のりではあるが。この時間は最高の幸せである。離れたくなくなるのが良くない。

「で、大学決めた?」

 靴を履き切らないうちにそんなことを言った。当然口調に起伏はない。

「龍馬くんと同じところに行くよ」

 当たり前だ。離れたくないのだもの。別々の道に進むくらいなら死んだほうがいい。

「でも澪、頭いいじゃん、もっと上狙えるんじゃないの」

 そんなことを言うのか。いいじゃないか私がそうしたいと言っているのだから。それともあれか、龍馬くんの大学生活に私は不要の存在なのか。死にたくなってきた。

「……私、邪魔かな」

「そんなことないだろ」

 即答。存在しないなにかに嫉妬して早まるところだった。

「ならやっぱり同じところに行くよ」

「澪がそれでいいならいいけどさ」

 そんなことを言うには理由がある。自慢ではない、いや、自慢ではあるのだが、私は学年三位だ。得意科目は数学だ。だけど龍馬くんが文系だから私も文系にした。

 受験生たるもの日々勉強はしている。しかしそれは自己満足のためではない。自己実現、というか龍馬くんがどんな大学を選ぼうと同じ大学に進学するためだ。

「まあ……龍馬くんのためだよ……」

「お、それは勉強を教えてくれると捉えてもいいのか」

 いつも通りの平坦な口調でそう言った。こういうことを言う人なのだ。こういうところもまた良い。 とても嬉しかった。大好きな龍馬くんが私を必要としてくれた。

「うん……いいよ」

 ニヤついてはいなかっただろうか。

「じゃあ、早速今日どう」

「うん!」

 いつもより長く一緒にいられて、しかも一緒に勉強が出来る。こんな幸せなことが他にあるだろうか。


 まあ、実のところ龍馬くんも頭が悪いわけではない。腐っても進学校の生徒である。こと、日本史に限れば私よりも遥かにできる。知らなくていいことまで知り尽くしている。


 学校の周りの道というのは案外知らないものだ。毎日通っているのに一度も通ったことのない道も多くある。一本入ると馴染みの町も全く知らない町と成り変わる。

 と、そういえばどこへ行くのか聞いていなかった。

「で、どこに行くの?」

「もう少し言ったところにカフェがあるんだ」

「へえ」

 高校の近くには大学もあってそこら辺一帯が学生街になっている。人通りも多く店も沢山あってにぎやかな街である。それに対してこの辺は人通りもまばらだ。住宅街とまでは言わないまでも学生街とはまた違った雰囲気だ。場違いにすら感じてきた。学生二人がこんなところをほっつき歩いていても良いのだろうかと不安にもなったが、龍馬くんが表情一つ変えずに歩いているところを見る。

「……まだ?」

 龍馬くんは目を細めながら辺りを見渡した。すると何かに気づいたように見えた

「ほら、あれだ。あの三色の」

 と指さすのは色褪せた定式幕のような看板の古そうな喫茶店。

”喫茶 江戸時代”

 ネーミングセンスがおかしい。

「入ろう」

 何を気にするという素振りも見せずに入ろうとする龍馬くんに手を引かれて私も中へ入った。

 正直入りたくはなかった。

『カロンコロン』

「……いらっしゃーい」

 奥の方から細い声がした。

「ま、適当に座ればいんだ」

「来たことあるの?」

「そりゃもう何度も」

「あ、そうなんだ」

 急に安心した。龍馬くんは窓から一番遠い席を選んで座り、こなれた手でメニューを眺めた。するとさっきと同じ声が話しかけてきた。

「おお、またあんさんかい」

 声の主はジャコメッティの彫刻のような人物だった。

「おや、こないだとはお連れさん、違う人じゃあないですか」

「え?」

 変なことが脳裏をよぎった。

「前は誰と来たの?」

 平静。

「部活の連中だよ」

「へえ、男の子?」

 平静。

「そう、男四人で。勉強会だ」

 ほっとした。

「あれもつい先週でございましょう。よく来てくださって、嬉しい限りで御座います。気に入っていただけたようで」

「居心地が良いんですよ」

 細い男は優しい笑顔でこちらを見ていた。

「で、何にします?」

 龍馬くんはこちらにメニューを向けて言った。

「何が良い?」

「龍馬くんと同じの」

 しばらく考えた後龍馬くんは細い店主にアイスティーを二つ頼んだ。


「その、部活の人たち? とも勉強してるんだ」

「そう、ここで。それから少し成績も上がったんだ」

 そうなのか、でも他の人とやるくらいなら私と、という思いがないわけではないのだが。にしても

「これからはさ、私と、やろ? ね?」

 と、アイスティーが届いた。

「ごゆっくりどうぞ」

 龍馬くんはストローをくわえ、微妙な顔で言った。

「まあ、今度の話はいいんだ」

 そう言いながら日本史の教科書を開いた。

「じゃあ、徳川家五代将軍は誰でしょう」

 馬鹿にしているのか。そんな問題わからないわけがない。流石に馬鹿にしすぎだ。日本史を極めすぎて問題の難易度が分からなくなっているのではないか。私は紅茶に口を付け、考えることも特にないが少し考えるふりをした。日本史を学ぶ者であれば将軍と総理大臣くらいは覚えるものだ。初代が家康、二代秀忠、その後家光、家綱と続いて五代目は

「綱吉だよ」

 笑顔は作ったつもりだ。

「いやぁ、誰も聞いてねぇたって、呼び捨てはまずいんじゃあないですかねぇ」

 え。

 龍馬くんじゃなかった。

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