高崎さん
窓の外では、雨が勢いよく地面を目指して、下降している。
こういう日の高校の校舎内の喧噪は、常より大人しく感じる。
俺は日直の仕事で、HRでクラスの皆が書かされた”冬期講習アンケート”なるものを集めて、職員室の担任のところまで運ぼうとしていた。
廊下では、帰宅しようとしている学生や、部活動へ向かう学生たちとすれ違っていく。
冬休みも目と鼻の先と迫った12月の高校風景。
どこか浮足立ったような学生たちの雰囲気が滲んでいた。
”2-C” の教室前を通りかかったところで、戸が開き、見知った顔がそこから現れたので声を掛けることにした。
―おう
声を掛けると、 ”屋島” は少し驚いたような仕草を見せた後、すぐに親し気な笑顔へと表情を変化させた。
「おー、”谷やん”。なんだい、そのプリントの束は?」
屋島は何をそんなに入れるものがあるのかと思える程の大きさの黒いリュックサックを背負っていた。
その出で立ちから、屋島がこれから帰宅しようとしているのが分かる。
―これは、日直の仕事でな。今から職員室に持っていくんだ
俺がそう言っている傍から、屋島は俺の持っているプリントの上の何枚かをペラペラと捲っていた。
―あまりそういうのは趣味がよくないぞ。一応クラスメイトのプライベートな情報だから
「あっ、そうだね。ごめん」
俺が注意すると、屋島はすかさず謝った。
―あと、引き留めた俺も悪いが、そこ、通行の邪魔になってる
「えっ、あっごめんね。高崎さん」
屋島が戸の前から、ぴょんと小さくジャンプするように廊下側へ離れると、教室から女生徒が申し訳なさそうに出てきた。
その女生徒はこちらに振り向くことなく、スタスタと廊下を歩き去っていく。
何気なくその姿を目で追っていると、隣で屋島がぼそりと呟いた。
「ちょろ崎さんは、歩くのが速いねぇ」
突然、屋島の口から出てきた”ちょろ崎さん”なる単語に引っかかりを覚えた。
―ちょろ崎さん?……なんだそれは。
屋島は、段々と遠くなっていく先ほどの女生徒を指さした。
「あれが、ちょろ崎さん。まあ、といっても本人の前ではそんな呼び方してないんだけどね」
そう言う屋島の顔つきは綻んでいて、あの女生徒を嫌がっているような素振りは無かった。
―どうして、ちょろ崎さんなんて呼び方をしているんだ?
俺が率直に疑問を伝えると、屋島は楽しそうに笑った。
「ああ、いや彼女僕の隣の席でさ。最近よく話すようになったんだけど……」
「彼女ってなんでも信じちゃうんだよ」
―何でも信じる……?
屋島は、コクリと頷く。
「何を言っても疑わないんだよね。例えば僕が冗談で”僕の父親は総理大臣なんだよ”って言ったとするだろう。そしたら、”凄いですね!”って返ってくるんだよ。そんな訳ないのにさ」
屋島は話を続ける。
「今日なんかでもね、”僕は去年まで南極で暮らしてたんだ”って言ったら、”寒くなかったんですか?”って心配されちゃったよ」
屋島とは中学時代から付き合いがあるのでよく分かるが、屋島はこういう馬鹿馬鹿しい冗談をいうのが好きな奴だった。
俺は、話を聞いていて、ちょろ崎さんという女生徒に少し興味が湧いてきた。
―本当に屋島が言った冗談をちょろ崎さんは真に受けてるのか?
屋島は首を即座に縦に振った。
「絶対に信じてると思う。今日なんか質問攻めにされたもの。”南極は日本と比べてどうですか?”とか、”ペンギンには会いましたか?”とか」
―それに屋島は何て答えたんだ?
「普通に答えたよ。”案外、日本の方が寒いよ”とか、”スマホが使えないから不便”とか、”ペンギンは5匹飼ってた”……とか」
俺が呆れ顔を浮かべていると、屋島がそれに気づいたのか、少し慌てたような素振りを見せる。
「だってさ。彼女の反応が新鮮で面白いんだよ。僕が冗談を言う度に、良いリアクションが返ってくるんだ。だから、楽しくて、ついね……」
屋島は俺が彼のことを責めていると感じ受けたみたいだが、実際にはただ呆れていただけだ。
よくもまあ、ペラペラと冗談が続くものだなぁ、と。
「それ、早く持って行かなくっていいの?」
屋島が俺の持ってるプリントの束を指さした。
そうだ、忘れていた。俺は職員室に用事があったのだ。
―じゃあ、そろそろ行くとするか。……ちょろ崎さんの話、面白かったよ
「うん、そう言われると話した甲斐があった。谷やんも今度声をかけてみなよ。絶対に楽しいからさ」
俺は口を動かす代わりに、手を軽く上げてそれを返事とした。同時にそれは別れの挨拶となった。
こうして屋島と別れた俺は、再び職員室へと向かった。




