新たな人物
意識の混濁する中、願うようにおれは……。
「ゆ、り……」
死の痛みが左足から全身へとミミズが這うように広がる。頭に血が上り、鉄棒にぶら下がった時のような痛みが脳みそを襲う。血が循環していないのだろうか?
鼻からは鼻血がタラタラと流れ出し目は真っ赤に充血していた。
「ほら、起きなさい。いつまで寝てるつもり? さっさとこんな場所から離れるわよ」
「ゲホッ……カハッ!」
肺が締め付けられるような痛み。そのせいで今朝食べたもの全てを吐き出した。それに少し血も混じっていたが、今の俺にそんな事を確認できる余裕は無かった。
ぐるぐると回る目の焦点を合わせようと必死になるが、なに分頭に血が上りすぎているためなかなかうまく行かない。それに、生えてきたばかりの足がなかなか言う事を聞いてくれない。
コンクリートを踏みしめているはずなのに、まるで足場の安定しない吊り橋の様な感覚だ。
チラホラと粉雪が降って来た。肌寒いと身を屈めるとクレアが上着を俺に着せた。
「え?」
「…………」
目を背けてしまった。その頬は少しだけ赤かったかもしれない。
「それにしても貴方の知り合いって変わった人が多いのね。それにあの『コード』の言い方何処かで聞いたことがあるような気もしないではないわ」
どっちなんだと突っ込みたかったが俺にはそんな余裕はない。
時間が経つにつれ、混濁していた意識も次第に晴れてくる。
病気の後の全回復した時の体調というのはどうもしっくりこないもので、肩を回してみたり他にいたいところがないか探してみたりしてしまうものだ。
「なにしてるのかしら?」
「……いえ、特には」
優里と別れてから時間にして三十分程度経過した頃。あそこで待っていろと言われて待つような女ではないクレアに連れられて俺は家へと足を進めていた。
頬に付く小粒の雪も数を増し、軒先に生えている小松たちに雪化粧を施していた。
カラスが二、三羽鳴き空を飛んでいる。
石レンガの玄関にはいつから生えているか分からない青ゴケが顔を覗かせている。
路地裏からは掠れたような猫が鳴き、捨てられた缶詰を貪っていた。
「なんともはっきりしない街ね。街が死んでるというか何というか」
「…………」
俺はそれに反論出来なかった。歯痒いというよりも思い浮かばなかったのだ。この街の良さを知っているつもりだった。いや、知ろうとしていなかっただけなのかもしれないが。そんなクソの役にも立たない自尊心を痛め付けながら一歩、また一歩と靴底を減らしながら歩くのだった。
「おや? かずくんじゃーないか?」
四つ目のT路地を曲がった先にいた人物に声をかけられた。目をやると見知った人物がそこに立っていた。
「お久しぶりです田中さん。今日は畑仕事からのお帰りですか?」
泥のついた長靴、後ろには鎌と手提げ用の網カゴがぶら下がっていた。まだ肌寒い季節だというのに額には小粒の汗水がいくつも吹き出して見えた。
「そんなに汗かいてどうしたんですか?」
「いやね、ちょっとかずくんに用事があってね」
ちょいちょいと俺を手招きした田中さんは満面の笑みで飴玉を平手に乗せてくれた。
「さっき買ったばかりの飴だよ。良かったお食べ」
「あ、ありがとうございます!! ちょうど甘いものが欲しかったんだよね」
考え事のしすぎで頭に糖分が足りなかったんだよね。
美味しそうに飴玉を舐めていると、舌にヒリヒリとした痛みが走った。
??
頭にはてなマークを浮かべていると、急に視界が暗くなった。
「あれ? なんか眠く……」
「山田さんの顔を見ると少し悲しそうな顔をしていた。
「や、まだ……さん…………」
遠のく意識の中、俺は真っ暗な視界を抱いて寝落ちしてしまった。
◇
「随分と回りくどいのね。ここの人達は」
「この子をどうする気なの」
怒気を帯びた声で山田さんはクレアに問いた。
目は座り、拳は固く握られている。
「貴方に言うことではないわ」
「じゃあ、私がここでこの子を連れて帰るのにも理由はいらないわよね」
吠えるクレアを山田さんは大人の対応で切り返した。静かに繰り広げられる攻防は大気を震わせる。
やがて威圧は殺気に変わり、相手を睨む目に力が入る。穏やかな顔をしている山田さんの顔が、般若のそれになりつつある時、クレアはデザートイーグルをホルスターから取り出した。
「話し合いは止しましょう。私、物分かりの悪い女って嫌いなのよね」
「奇遇ね、私もそう思うわ。その鼻、若気の至りとして熟年者である私がへし折ってあげるわ」
ゴクリと唾を飲み、ハンドルを持つ手に力が入る。たらりと額に小粒の汗が流れる。
ギリギリと歯ぎしりをし後ろにかけてある楔形を泥のついたでで掴んだ。
ジリジリと空気が重く歪む。
湾曲した視界の先に一振りの白焼きの真剣か舞い落ちる。
極光を湾曲させ収束させたその刃を投げつけた人物は意外にもクレアの見知った人物であった。
「黒き豊穣の魔女…………何故ここに」
突き刺さる柄の上にふわりと乗り、黒いロングスカートをなびかせる。
日傘の黒傘をくるくると楽しげに回し、妖艶な笑みを浮かべている。姿容姿は中学生ほどの身長しかないにもかかわらず、その立ち居振る舞いは大人のそれだ。
フリルをふんだんに使用したゴスロリファッションを優雅に着こなす。首元にある青いリボンがチャームポイント。
「双方、手を引きなさい……争いは互いに遺恨をのこすだけよ〜?」
「黙りなさい! 反逆者が何の用ですか。人間に加担し我々魔女たちの情報を流した罪。断じて許される行為ではないわよ!!」
銃口が彼女に向いた。
指を鳴らし、彼女……白星 麻由理は黒き扇子を手に取り口元を隠した。
嘲笑う目を両者に向ける。横たわっているかずまさのところに飛び、背中をさすった。
「彼……あら? そういう事ねーーこの人間は……うふふ……楽しみが一つ増えたわ。ここ三百年退屈だったの……ありがとうね……餓鬼ども」
ニヤリと笑い、軽々とかずまさを持ち上げた。
「それではお二人さん……私は実験がしたいの。あ、彼が欲しいのであれば取り返しに来なさい。場所は…………うふふ、言わなくとも分かるわよね」
デザートイーグルの引き金を力強く引いた。
弾丸は.50AE生産されているなかでは最強のハンドガンの弾丸である。そんな人類において最強の呼び声の違い銃弾を打ち出された瞬間、マズルフラッシュによって視界が一瞬削り取られてしまった。だが
それを諸共せず、マガジンに装填されている七+一発の弾丸全てを打ち出した。
白星は扇子でそれら全てを弾く。けたたましい火花を上げながらまるでそよ風を流すように弾丸を受け止めることもせず後方へと受け流してしまった。
肩についた火薬痕を手で払いながら、白星は再度扇子で口元を隠す。
「それでわ……うふふ」
煙がムクリと立ち込める黒い煙を身に纏い、白星は姿を消してしまった。
後に残った煙は地面に吸い込まれ消えた。
「やられました……まさかあれが介入してくるなんて……弟子を奪われるとはーー私の顔にヘドロを塗りたくりやがって。ぶち殺してやらなければこの苛立ちは収まりませんわ」
次弾を装填し、ホルスターにしまい込んだ。
「私との勝負は……」
「破棄に決まっていますわ!! その辺でのたれ死んでろ。このウスノロデブ」
メキッ
山田さんの額には青ヒビが入る。
「……そうですね。あの子を奪われてはこちらの顔も立ちません。私は帰りますが、あなたはどうするのですか?」
溜飲を下げ、深くし呼吸をした。
クレアはなにも返すことなく、ミリーに電話をした。それをみた山田さんはそそくさとその場を離れ本部のある寺坂家へと急ぐのであった。