♯1
美雪は乱れた制服を直しながら、フラフラと立ち上がり、コンクリートの壁に持たれ掛かった。
「ああ・・・・」
思い出すだけで涙が出る。男という存在が信じられなくなる。こんなひどい目にあったのは生まれて初めてだった。
「だ、誰か・・・・」
人を求めて、路地を抜けると、無数の人々が行き交う都会の喧騒に出た。誰も、彼女に同情する人はいない。誰もが自分のことに必死だった。そんな中で、交差点のど真ん中で、立ち尽くす若い男が一人いた。若いといっても、成人はしているだろう。年齢的には20代半ばぐらいに見える。黒い髪に、鋭く切れ長の青い瞳。意志の強そうな人間に見える。
「・・・・」
男は無言で、美雪の元に近付いてくる。彼女は無意識に後ずさるが、それよりも早く、男は彼女の前に立ち、静かな声で言った。
「少し話がある。あそこの路地に行こう」
先ほど、自分のいた、しかもトラウマの現場である路地裏に戻ることは、美雪としては避けたかったが、彼女はすでに、男に手を引かれて、その路地に到着していた。
「ここなら、落ち着いて話ができるな」
「あなた、何者なの?」
「俺かい。俺の名はバッツ。兵士のガルドだ」
「ガルド?」
「おっと、ガルドを知らないのか」
男は苦笑いを浮かべながら、ボリボリと自分の髪を掻いた。
「ガルドは、別名無限転生者といって、死後、世界と契約することによって、永遠の命を得た元人間のことだ。もちろん、寿命が無いから死なないわけじゃない。殺されることだってある。だが、ガルドは肉体の損傷具合にもよるが、例え木っ端みじんになっても、大体、半年から数年以内には、またガルドとして蘇る。ガルドではそれを転生と呼んでいる」
男の話はメルヘン過ぎて、美雪には理解が追い付かなかった。しかし、男は際限なく話を続ける。まるで、それが自分の職務であるかのように。
「ガルドは便利屋みたいなものさ。世界や星の指令によって、様々な惑星や異世界に派遣される。宇宙の秩序を守るためにね。だが、ほとんど、皆、それを無視している。自分のやりたいことをやるだけだ。事実、俺も世界の指令にまともに従ったためしはない。今回も」
バッツという男は、背中を掻くと、何かに気付いたのか、失敗したように、気まずい顔をした。
「ど、どうしたの?」
「剣を忘れたんだ。しまったな。ドリームランドに取りに行かないと。まあ、行くには自殺しなくちゃな」
「ドリームランドって、遊園地か何か?」
「ガルドが死後に行く世界さ。そこで損傷した肉体や魂を修復し、また次の異世界へと旅立つんだ」
バッツは美雪の顔をじっと見つめると、小さく咳払いした。
「ガルドにとって、最悪の敵は退屈だ。それゆえ、ガルドは無限に続く自らの生に価値を持たせようと、必死に生きがいを見つけるんだ。そして、その中で、最も人気なのが、今から俺がやろうとしていることだ」
バッツは片膝を付いて、まるで、美雪を敬うかのように、頭を低くした。
「人間と契約するんだ。公園のゴミ拾いだろうと、人殺しだろうと、依頼があるなら行ってくれ。無論、タダとは言わないがね。こうやって、人と契約して、その依頼を遂行している間は、無限の退屈から逃れられるんだ」
美雪は突然のことに驚いて、口をパクパクと動かしていたが、やがて、ゆっくりと口を開いた。頼みたいことならある。たった一つだけ。それさえ叶えば、自分の命などどうだって良い。
「ある男を懲らしめて欲しいの」
「んん?」
バッツは耳を貸した。美雪は震える声で話し始める。
「蛇腹という男よ。地元では有名で、ヤクザに杯をもらう予定があるらしいの。「アナコンダ」とかいうチームの頭をやってるわ。その男を懲らしめて、そうしたら、私はなんだってするわ」
「構わないが、それは暗殺の依頼になるのかな?」
バッツは神妙な顔で言った。美雪は暗殺という言葉に、思わず身体を強張らせた。日常生活ではまず使わないであろう、そんな恐ろしい単語を、平然と使うこの男は、やはり信用できないのではないだろうか。そんな不安が、彼女の頭を掠めた。しかし、口は勝手に言葉を紡ぐ。
「殺さなくても良いの。痛めつけてくれれば」
「ふう・・・・」
バッツはやれやれと首を振った。まるで、見当違いの答えを聞いたような口ぶりだ。
「依頼は明確にたのむ。痛めつけるというのはどの程度だい。せいぜい、顔が腫れ上がって、その日の夜は一睡もできないぐらいな方が良いのか、それとも足腰立たなくなって、病院送りにすれば良いのか。それとも、心肺停止一歩手前ぐらいか。はっきりしてくれ」
「そ、そうね。なら、足腰立たなくして病院送りにして」
「分かった。これにて契約は完了だな。依頼の報酬についてだが、見た通り、ガルドの寿命は永遠だ。金や物に対しての執着は無い。ただ、その人間の人生に何かしらの影響を与えることがしたい。例えば、君の命の次に大切な何かを、俺にくれ」
バッツの言葉に、美雪は、身に着けていたペンダントをバッツに放り投げた。
「これは?」
「祖母の形見よ。苦しい時、辛い時は、いつもそれに助けられてたわ」
「ふうむ、まあ良いだろう。では早速行ってくる」
「待って、蛇腹の顔が分かるの?」
「さあな。しかし、そいつがそれほど有名人なら、町にいる悪そうな奴らから、聞き出せば良い」
「あいつの写真なら持ってるけど」
「結構だ。探すのが楽しいんじゃないか」
バッツは鼻歌交じりに都会の喧騒へと消えて行った。美雪のペンダントを握り締めて・・・・。




