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気まずさ、たそがれ

作者: 永多 真澄

「恋愛ってさ、なんだろうな……」


 雄一郎が放り投げた小石は、やや頼りない放物線を描いて川面に着水した。どぽん、という間抜けな音が、夕暮れの河川敷にまで届く。


「……」

「……」


 僕は難しい顔で、どう返して良いものか悩んだ。雄一郎は、そのうちに黙って2投目をほうった。どぽんと音がして、夕焼けに染まった川面がゆらゆら揺れた。


「……」


 雄一郎は波紋がゆっくりと流れに溶けて行くのを、じっと見ていた。僕も同じように川面を眺めながら、黙って彼が話し始めるのを待った。


「……2組の」


 ぼつりと雄一郎が話し始めた。


「2組の宮塚。知ってるだろ? 小学校から一緒だった」

「ああ。……そうか、宮塚か」


 宮塚真紀。もちろん知っている。僕と雄一郎は小学校からずっと一緒の腐れ縁だが、宮塚真紀もそうだった。とはいえ、雄一郎と宮塚真紀にはさほど接点はなかったように思える。

 宮塚真紀は女子にしては背の高い方で、スタイルもいい。目鼻立ちはすっきりはっきりしていて、はきはきと物を言う。気遣いや気配りなんかもちゃんとできる娘で、学内での人気も相応に高い。

 なるほど、雄一郎が惚れるのも、無理はないだろう。


「告白したんだけどさ、振られたよ……」


 雄一郎は、口の端をわずかに歪めて笑った。自嘲の笑みだとはすぐにわかった。角縁の眼鏡がうまい具合に反射してその表情をうかがうことは難しかったが、目じりに光るものが滲むのを見つけてしまったからだ。僕は努めてそれを見なかったことにした。

 雄一郎の独白は、概ねのところで僕の予想の通りだったが、だからと言ってどう声をかけていいのやら、さっぱり僕にはわからない。


「ラブレターで呼び出してさ、好きですって、校舎の裏でさ。バカみたいだろ? 古典的すぎると思うよ、自分でもさ」

「いや、そうは……」

「しかたないじゃんよ。だって、メールアドレスも電話番号も、知らなかったんだからさ。そりゃ、そんなのも知らない男からいきなり告白なんてされちゃ、普通断るよな。そりゃそうだよ。おれがバカだったんだ」

「雄一郎、落ち着けよ」


 気がつけば、雄一郎の背中が小刻みに震えていた。僕は雄一郎の肩をポンポンと叩いて、けれど気の利いた言葉なんて一つもかけられないまま、ただそうしていた。


「おれさ、焦ってたんだよな。今ンなってわかるんだよ。おれら、高3だろ。今まではさ、すげえ偶然でずっと一緒の学校だったけどさ、もう、これさ、最後のチャンスだって。焦っちゃったんだよなぁ」


 雄一郎の声は無残なほどに震えていた。いつも快活な男とは思えないほどの弱弱しさで、僕はどうにもいたたまれなくなった。


「雄一郎……」

「ほんと、おれはバカだよ。バカだ、大馬鹿だ。……おれがさ、好きですって言ったときさ、宮塚さん、スゲー困った顔したんだよな。びっくりするとかそういうんじゃなくって、すげえ困った顔したんだ。そりゃそうだよ。今までロクに話したこともないような奴からンなこと言われても、ただ困るだけだよなあ」

「宮塚は……なんて?」


 聞いてから、しまったと思った。傷口に塩を塗り込むような行為だ。僕は後悔した。


「……『付き合ってる人がいるから、ごめんなさい』ってさ。そうだよな、あんないいコだもんな。そりゃ彼氏だっていてもおかしくねえだろさ」


 雄一郎は、幾分か強く小石を投げた。小石は川面を2度ほど跳ねて、沈んでいった。


「……その、誰と付き合ってるかとかは聞いたのか?」


 なんて馬鹿なことを聞いているんだ、と自分でも思う。それを聞いてどうしたいというのか。何を安心したいというのか。


「まさか。そこまで男らしくないマネはできねえよ。それに、知ったところでどうしようもないし……」

「その、すまん……」


 雄一郎の言葉は、まったく正しい。己のバカさ加減に恥じ入るばかりだ。

 雄一郎は、それだけ言って黙り込んでしまった。僕がとどめを刺してしまったようで、ひどく心地が悪い。


「……なあ、おれさ、どうしたらいいと思う?」

「どうって……」

「なんつうか、こう、ここまでショックがデカいって自分でも思ってなくてさ。何にもやる気が起きない。生きてるのがつらいってやつ?」

「バカヤロー、冗談でもそういうこと言うんじゃねえよ」

「……すまん」


 雄一郎は、傍目でわかるほどに参っているようだった。いつもは明朗で、快活な男なのだ。そんな男からああも後ろ向きな言葉が発せられたかと思うと、そのショックの大きさをわずかなりと推し量ることもできる。


「……気にすんなとか、忘れろってのは、やっぱ無理な話なんだとは思うんだけどさ。またチャンスは廻ってくるはずだよ。おまえ、少なくとも俺よりかは顔もいいし運動もできるんだ。引く手あまただよ」


 我ながら、薄っぺらい慰めでしかないと思う。雄一郎は黙したまま小石を一つほうった。きれいな放物線を描いて藍の混じった川面に落ちる。その一連の流れをじっと眺めてから、雄一郎はおもむろに、


「……お前と比べられても、うれしくねえや」


 といった。言葉こそ辛辣だったが、表情は少しばかり明るい。「うるせえや」と僕は返して、立ち上がった。雄一郎もそれにならって立ち上がると、大きく伸びをしていた。


「雄一郎、カラオケ行くぞ。今日は俺が奢る」

「無理スンナよ?」

「そりゃこっちのセリフだよ」


 パンと肩を叩きあって、僕と雄一郎はとばりの降りはじめた河川敷を後にした。目いっぱい歌って、少しでも気を取り直してくれることを、今は祈るばかりだ。




 二人で喉が枯れんばかりに3時間を歌いきって、帰路に着くころにはすっかり雄一郎も元の調子を取り戻しているように見えた。とはいえ、まだ多少無理はしているのだろう。長年の付き合いがあるから、それくらいはわかった。けれどそれを表に出すまいとつとめる彼の健気さに、僕は心中に何か澱のようなものがたまっていくのを感じていた。

 帰宅すると、夜勤で母は不在だった。作り置きされていた夕飯を温め直してかっ込むと、父と二言三言会話を交わして自室に引っ込む。厳格な父ではあるが、自分の責任とカネの範疇でする夜遊びに関しては寛容だ。ありがたいことである。

 僕は万年床のベッドに寝転んで、ポケットから取り出した携帯の電話帳を繰った。目的の人物を探すのに苦労はない。Mのページの、上から2番目だ。通話ボタンを押すと、無機質な呼び出し音がスピーカから響く。


『もしもし?どしたの、あんたから掛けてくるなんて珍しいじゃん』

「あーっと、まあなんだ、愚痴みたいなもんだよ」


 頬を掻く。彼女に電話を掛けたのは、この胸中に燻る不安を何とかして発散したかったからだ。


『愚痴? それこそ珍しいね。いいよ。私の愚痴もいつも聞いてもらってるし』

「真紀さ、今日告白されたろ」

『……は? え、なんで知ってんの?』


 電話の相手は、宮塚真紀だ。今日雄一郎が告白をして、無残に玉砕を果たしたまさにその人である。僕がずっと感じていた心地悪さの原因は、つまりこういうことである。

 宮塚真紀と、僕は、付き合っている。


「いや、その相手が、おれの親友でさ。なんかめっちゃ落ち込んでたから話聞いたら、そういうことだった」

『あ、そうなんだ……悪いことしちゃったかな』

「いや、そんなことはないだろ。真紀の取りうる選択肢としては、一番マシな対応だと思うぜ」


 言いながらも、この気まずい気持ちは消えることなく、どんどんと膨れて行っている。声色にも、それが滲んでしまったようだった


『……気まずいんでしょ』

「…………どうすればいいかな」


 宮塚真紀という少女は、鋭い。それとも、僕がわかりやすすぎる性格をしているだけだろうか。ため息交じりに零すと、真紀はあっけらかんと返してきた。


『ちゃんと話しちゃえばいいじゃない』

「いや、でもなあ……さすがにそれは」

『そういうこと、ちゃんとしておいた方がいいよ。あんたか親友付き合いをこれからも続けていきたいんだったら、なおさらちゃんとしないと』

「そう、かもなあ」


 真紀の言うことは、正しいだろう。このまま二人の関係を隠し通したまま、雄一郎とも親友であり続けるというのは、虫のよすぎる話だ。もしかすると雄一郎に話すことで友情にひびが入るかもしれないが、騙すよりはよほどいい。

――あした、雄一郎に話そう。僕はそう、心に決めた。


「なあ、真紀」

『ん~?』

「明日、雄一郎に話すよ。それで、真紀にも同席を頼みたいんだけど……」

『甘えんな、ばーか。それくらい、自分でカタを付けなさい。……頑張って』


 突き放すような言葉だったが、それが真紀なりの優しさだというのは、わかった。


「ああ、そうだな。うん。これ、おれと雄一郎の問題だもんな。ありがとう、真紀。頑張ってみるよ」


 心は決まった。胸中に渦巻いていた気まずさと不安を払拭しきれたとは言えないが、道筋は見えた気がした。あとは、自分の頑張り次第だ。


『ん、よろしい。それでこそ私の彼氏だよ』


 宮塚真紀は、ちょっと照れくさそうな声音でそう言ってくれたのだった。






 その後いろいろあったけれど、十年たった今でも雄一郎とは親友付き合いを続けている。

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― 新着の感想 ―
[一言]  やはり人間関係の問題は、とことんまで話し合うことでしか解決できませんよね。
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