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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之伍 戦禍
99/115

帰還へ向けて

 意識を揺り起こしたのは、誰かの気配。

 函朔が目を開くと、沃縁も傍らで上体を起こしていた。どれほど眠ったのかと窓に目を向けるが、日は暮れてしまって正確な時間はわからない。

「二人とも派手にやられたねえ」

 そんなことを能天気な口調で言いながら入ってきたのは、慎誠だった。二人の肩から力が抜ける。

「お前か……」

「呼んどいてその言いぐさは酷いよ~」

 肩を竦めながら、二人の前に座る。空中にぽっと灯りが点った。慎誠が炎精霊を使ったのだろう。

「生きてる?」

 憂が駆け寄ってくる。子犬らしい仕草に思わず頭を撫でると、憤慨された。曰く、犬扱いするなとのことである。

「二人ともかなり憔悴してるね。俺、日暮れ頃に一回来たんだけど、二人ともよく寝てたから一度情報収集に出たんだ」

「それで?」

 沃縁が急かす。慎誠は宥めるように手を振った。

「とりあえず、鴻宵は脱出に成功した、らしい」

「らしい?」

 函朔が怪訝そうに聞き返す。慎誠は肩を竦めた。

「王城から出て追手をまいたのは確かだけど、今どこにいるかがわからないんだよね」

 函朔も沃縁も沈黙する。鴻宵は追手から逃げているのだ。所在がわからないのは、ある意味当然である。

「まぁ、安心しなよ」

 慎誠が緩く笑う。

「もうじきそれもわかるから」

 函朔と沃縁は、訝しげな顔で慎誠を見た。視線を浴びた慎誠は、にこりと笑う。

 そんな場へ、飛び込んできたものが居た。逸早くそれを認識した憂が低く唸る。

「見つけたわよ」

 それはそう言って、するりと慎誠の肩に駆け上がった。

「お帰り、哀。早かったね」

「残雪が一緒だから辿りやすかったわ」

 双尾の哀である。彼女は前足を舐めて顔を拭うと、函朔と沃縁に向き直った。

「安心なさい。鴻宵は無事よ。今は璃黒零と一緒にいるわ」

「璃黒零?」

 函朔が訝しげに眉を寄せる。沃縁は何か考えるように顎に手を当てた。

「そういえば、親しいようなことをちらりと……しかしそれでは、璃黒零は昏から離反したのですか?」

 問いを受けた哀は、こくんと頷いて肯定を示す。

「ええ。鴻宵を連れて、叡循貴、束憐の制止を振り切って逃げた……昏にとっては立派な裏切り行為ね」

「そこまでしてなお、鴻宵さんを救ったわけですか……」

 沃縁が複雑な感情を押し込めたような表情で呟く。慎誠がにやっと笑った。

「なんか美味しいとこ持ってかれた気分だねえ」

「……まあ、鴻宵さんが無事なら、それでいいです」

 やや不機嫌そうな顔のまま言って、沃縁は木箱に凭れた。函朔が思案げに唸る。

「ということは、あとは俺達ができるだけ早く昏を出ることだが……どうも暫く動けそうにないな」

 渋い顔をする函朔の判断は、正しい。沃縁も函朔も、すぐに行動するには負った傷が深すぎる。今も失血のせいで頭がくらくらした。

「苫さんとの約束もありますしね」

 沃縁が呟くように言う。この倉を貸してくれ、傷の治療もしてくれた苫と交わした約束。

「苫?……ああ、あの女の子」

 慎誠が首を傾げ、次いで手を叩いた。

「そういえば、あの子信用して大丈夫なの?約束って?」

 慎誠の質問に応え、函朔は苫と出会ってからのことをかい摘まんで話す。それを聞く慎誠の眉が、段々と寄っていった。

「うぅん……まあ、とりあえず信じるにしてもさ、その約束って、育ててくれた商人に後足で砂かけるようなことじゃない?」

 苫は、両親を失ってから商人に育てられたと言った。だったら、商人には相応の恩義がある筈。そこから、逃げ出そうと言うのだ。

「確かにそうかも知れないけど」

 口を挟んだのは、哀だった。

「恩義があるからって、黙って妾になれっていうのも酷な話じゃないかしら。妻ならまだしもね」

「そうだな。それに、背景はどうあれ、俺達の受けた分の恩は苫に返さなきゃならない」

 函朔が哀に賛同する。慎誠はむう、と唸った。

「わかった。まあそれじゃ、俺の方で簡単に調べてみるよ。どのみち君らが動けるようになるまで俺が用心棒してなきゃいけないだろうし」

「悪いな、頼む」

 函朔が軽く頭を下げ、慎誠が頷く。沃縁が息を吐いて、会話の区切りが訪れた。

「話が纏まったところで、一つ良いかしら」

 哀が慎誠の肩で器用に丸まりながら切り出す。

「そこにいる子犬は何なの?」

「犬呼ばわりすんな!」

 すかさず憂が牙を剥いた。

「ああ、これは……」

「拾ったんだ」

 沃縁が答えかけるのに被せるようにして、函朔が答える。

「薬草袋くわえて歩いてたから拉致った。面白いだろ、喋る子犬」

「だから犬じゃない!」

 必死に主張する憂をひょいっと抱え上げ、わしゃわしゃと毛並みを乱す。本人(?)からは猛抗議が入るが、どこ吹く風だ。

「へえ……まあ、害は無さそうだしいっか」

 慎誠が無難な判断を下す一方、その肩に陣取った哀は鼻を鳴らした。

「ふんっ、ただの犬じゃない」

「何だとこの年増猫!」

「猫じゃないわよ、失礼ね!」

 どこかで、開戦の鼓が鳴った。

 哀が毛を逆立てて慎誠の肩から飛び下り、憂も函朔の手を逃れて牙を剥く。

「そっちだって僕を犬呼ばわりしたじゃないか!」

「何よ、どこからどう見ても犬じゃない」

「そっちこそ見るからに猫だろうが!よく見ろ、僕は狼だ!」

 口論の末、憂がくわっと口を開いて叫んだ。


 寸時、沈黙が降りる。


「……よしなよ、二人……二匹?とも。喧嘩は良くないよ、うん」

 慎誠がどこかぎこちない笑みを張り付けて、静寂を破った。それを期に函朔が憂を捕まえ、哀が慎誠の肩に戻る。

「ちょっと待て、何だよ今の沈黙は!」

「まあまあ、とりあえず少し落ち着け、な?」

 何とか憂を宥めようと手を尽くす函朔は、内心で憂に詫びた。

 ――悪い、ずっと犬だと思ってた。

 何しろ憂は狼にしては丸っこい、愛嬌のある顔立ちをしている。考えてみればあの群の中に居たのだから狼の筈なのだが、てっきり恵玲あたりの飼い犬だとばかり思っていた。

 そんな事を口に出してしまうと憂が怒り狂うのは目に見えているので、函朔はその勘違いをそっと心の中に仕舞い込むことにした。これ以上機嫌を損ねて犬猫合戦など始められては堪ったものではない。

「……まあ、それじゃ、俺はちょっと出てくるよ。何かあったらその子い……狼くんを走らせて」

 口を滑らせかけた慎誠が危ういところで言い直し、ひらひらと手を振って出ていく。再び情報収集に向かうのだろう。

 慎誠と、その肩に乗った哀の姿が見えなくなると、函朔はほっと肩の力を抜いた。

「まったく……どうでもいいことで喧嘩するなよ」

「どうでもよくない!」

 憂がすかさず噛み付く。はいはいと宥める函朔を、沃縁が不審げに見遣った。

「何故嘘を吐いたんです?」

 その狼、本当は拾ったわけではないでしょう、と追及する。函朔は小さく唸った。

「まあ、一種の恩義かな、これも」

 憂の耳を引っ張って危うく噛みつかれそうになりながら、釈明する。

「あいつらは俺達の味方ってわけじゃない。利害の一致で偶々助けてくれただけで、しかもどうも自分達の事情に踏み込まれたくなさそうだっただろ?だったら余計なことは言わないのが礼儀だろうと思ったんだ」

「……確かに」

 沃縁も頷く。憂が前足で函朔の膝を叩いた。

「足りない頭でよく考えたじゃないか。僕を拉致ったって説明は気に入らなかったけどね!」

「下手に話を作るよりいいだろ。あと頭が足りないなんてお前には言われたくない」

 どういう意味だ、と吠える憂の首根っこを捕まえて、函朔はふと笑った。

「それに、下手なことを口外するとそれこそ恵玲あたりにどやされそうだ」

「……ああ、なんか凄くよくわかるよ」

 憂と函朔の間で何かが通じ合ったようだ。しきりに頷く一人と一匹を眺めながら、沃縁は溜息を吐いた。

「まあ、この件はもういいです。僕はもう少し寝かせて貰います」

「おう。……あ、待て。薬湯飲んでから寝ろ」

 函朔が言い、湯を沸かす。


 とても死闘を潜り抜けてきた直後とは思えないような、穏やかな時間。沃縁は壁にもたれ掛かりながら、鴻宵に想いを馳せた。

 あの人も、今は穏やかな時間を過ごせていれば良い。そう、思った。




 報告に戻った束憐を待っていたのは、凍てつくような一瞥だった。

「束憐」

 絡嬰が、低い声で名を呼ぶ。

「貴様ともあろうものが、みすみす取り逃がしたと……そう言うのか」

 常人ならば冷や汗を流して平伏すような威圧感である。それを正面から向けられた束憐はしかし、何でもない様子で肩を竦めた。

「仕方ねえだろ。俺にだって無理なことはある。得物はこの通りだしよ」

 束憐が床に放った金属片が、互いにぶつかり合って重い音を立てた。巨大な鉈にも似た大剣の形をしていた筈のそれは今や見る影もなく破壊され、数枚の分厚い金属板と化している。

 それを無感動に見遣った絡嬰は、数秒束憐を睨んだ。束憐も黙って見返す。

「……貴様は」

 やがて、絡嬰は唸るように言った。

「貴様は理解しているのか。我々は最大の障害を潰す絶好の機会を逃したのだ。私の策が、失敗に終わった」

「そう心配すんな」

 束憐は静かに言った。常の揶揄するような口調とは違う、真剣な声音が二人の間に響く。

「あれが邪魔だと言うなら、俺が必ず片付ける。俺は、約束を違えねえ」

 絡嬰は暫し黙っていた。それから、ゆっくりと息を吐き出す。

「……わかった」

 そう言って、椅子に座った。疲れた様子で、背凭れに寄り掛かる。

「だが、覚えておけ」

 それでも眼光は鋭く、束憐に釘を刺した。

「次は無い」

 束憐は苦笑に似た表情を浮かべて頷くと、武器の残骸を拾い上げて部屋を出ていった。




 夜明けに起床した私達は、身支度を整えて簡単な食事を摂ると、再び馬に跨がった。蕃旋が先発して様子を見に行き、代わりに蕃旋の姉が黒零の肩に陣取っている。

「追手はこちらまでは来ておらんようだ」

 黒零が言い、私の肩を叩く。

「ゆっくり進もう。休んでいるといい」

「……ありがとう」

 お言葉に甘えて黒零にもたれ掛かった私は、深く息を吐いた。


 助かった。虎口は脱した。

 ――あとは、碧国内の「敵」がどう出るか。


 青い空が目に染みる。

 不安を抱きつつも、私は一歩ずつ、着実に帰るべき場所へと近づいていた。


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