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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之伍 戦禍
98/115

穏やかな逃避行

 残雪を駈り、ひたすら東へ。

 城門の守備兵は、蕃旋の一族が蹴散らしてくれた。どうやら東は警備が手薄だったらしい。北と西で騒ぎが起こって人手を取られたようだ、と蕃旋が教えてくれた。


 王城を脱し、大路を駆け抜け、都の外郭も抜け、郊外の野に出る。

 虎口は、脱したかと思われた。


 そこで、私達は馬を止めた。

 否、止めざるを得なかった。


「よう」

 行く手を塞ぐのは、ただ一騎。但し、この上なく厄介な一騎だ。

「……束憐」

「そう嫌そうな顔すんなよ」

 隻眼が揶揄するように細まり、片手でくるりと槍を回す。いつもの得物は、今手元には無いようだ。

「正直こっちだって嫌なんだぜ」

 周囲を威嚇するように飛び回る烏達を嫌そうに見遣りながら、束憐は言った。

「ついさっき北門で得物を方士にぶっ壊されたばかりだ。こんな脆い槍で鴻宵に加えて氷の方士と赤鴉どもまで相手にしろってか」

「……北門の方士?」

 引っ掛かった言葉を、私は問い返した。

 束憐は言った。武器を破壊された、と。つまり。

「おう、お前の手の者だったな。鼠が二匹、纏めて来てやがった」

 私ははっと息を飲んだ。

「函朔も……?」

 本当に、生きていた。そう喜ぶ気持ちと同時に、焦燥が募る。

 あの二人は再び束憐と戦った――そして?

「まあ、気にするだけ無駄だろ」

 束憐はあっさりそう言うと、槍の穂先をこちらに向けた。

「『済んだこと』だ」

「――っ!」

 私が思わず飛び出そうとした時。

 ばさり、と音がして、視界が黒いもので覆われた。羽だ。蕃旋の姉が、羽を広げて私の目を塞いでいる。

「落ち着け、鴻宵」

 蕃旋の声と、烏達の鳴き声が耳に届いた。

「北を見てきた奴が言ってる。二人とも怪我は酷いが死んでねえってさ。今は安全な場所にいるそうだ」

 徐々に、力が抜ける。黒零の腕が、前のめりになっていた私の体を引き戻した。仕留め損ねたのかよあいつら、と束憐のぼやく声が聞こえる。

「因みに西の奴もほぼ無傷で撤退中だとさ。知り合いか?二色混じった変な毛色の方士」

 二色混じり。それはたぶん、慎誠だ。あいつも来てくれていたのか。

 私が落ち着いたのを見て、蕃旋の姉が羽を収める。礼を言って頭を撫でると、くすぐったそうに首を傾げた。

「それで、鴻宵を連れ戻すのがお前の目的か」

 黒零が問う。束憐は肩を竦めた。

「絡嬰の命令通りならな。だが――俺の答えは、否だ」

 私は内心眉を寄せた。絡嬰の命令に従わないつもりなのか。

「では、殺すか」

 問いながら、黒零が再び髪を一房切る。束憐は口角を上げた。

「いいや」

 私達は顔を見合わせた。

「……どうする気だ」

 今度は、私が問う。束憐は首を傾げた。

「おいおい。捕まえねえ、殺さねえ、残りは一つだろ?」

 にぃ、と笑う口許に、犬歯が覗く。

「まさか……このまま逃がすとでも?」

 不信感たっぷりに黒零が問うと、束憐は目を細めた。肯定の笑みだ。

「馬鹿な」

 黒零が困惑を露に言う。

「理由が無い」

「あるぜ」

 束憐は即座に言い切った。

「要するに、勿体ねえんだよ」

 勿体ない?

「折角俺とまともに渡り合える腕を持ってんだぜ。あの無能爺の餌にすんのはあまりにも勿体ねえだろうが」

 冒溢の件を思い出し、無意識に体が震える。気づいた黒零が、支える腕に力を籠めた。

「だから、だ」

 束憐は真っ直ぐに私を見た。

「また戦場で会おうぜ。今度こそそのほっせえ首、この手で刎ね飛ばしてやる」

「……させるか」

 私が言い返すと、束憐は楽しげに笑った。

「さて、それじゃあ通れと言いたいところだが」

 言って、束憐は槍を握り直す。

「絡嬰のことだ。俺の考えくらいお見通しで、城壁辺りから見張らせてるだろうからな」

「……案外信用されてないみたいだな」

 私は思わず呟いた。束憐は気にもかけない。

「それでこそあいつだろ。手放しで信用なんてされてみろ。逆に気色悪ぃ」

 何となく、絡嬰と束憐の関係性がわかった気がした。

 仲間ではある。互いの力量を信頼してもいる。けれどもその信頼は飽くまでその力に対するもの。情ではない、理詰めの信頼関係。

「つうわけだ」

 束憐が槍を構える。

「戦闘の真似事くらいはさせて貰うぜ」

 その言葉に応じて、黒零が髪を撒き精霊を集めた。蕃旋が翼を広げ、一声高く鳴く。赤鴉の一族達が上空を旋回し始めた。

「さあ」

 束憐が牙を見せて笑う。

「派手に頼むぜ、璃氏様?」

 空中に氷塊が形作られ、束憐に殺到した。




 一時退却した函朔は、沃縁を担ぎ人目を避けながら苫の家の倉に戻った。沃縁の体を地面に寝かせるや否や、自分もその隣に倒れ込む。

「ちょっ、大丈夫?」

 憂が慌てて顔を覗き込んでくる。函朔は顔をしかめた。

「無理。頭ぐらぐらする」

「うわぁ、血流しすぎだよ」

 憂が慌てふためいて、薬草の袋を漁る。函朔は朦朧としながらもその尻尾を掴んだ。

「ぎゃんっ!尻尾はダメっ!」

「あ……悪い」

 詫びながら、函朔は手を尻尾から首根っこに移動させる。

「ちょっ……首ならいいってわけじゃな、」

「いいから、聞け」

 憂の抗議を遮り、指示を出す。

「どうせお前じゃ治療は無理だろ。西門で暴れてる奴を、ここへ」

「知り合い?」

「ああ」

 怪我の治療も、万一の場合の護衛も、慎誠が居れば何とかなる。憂は暫し迷っていたようだが、意を決して外へ駆け出して行った。

 その小さな背中を見送って、函朔は薬草の袋を手繰り寄せた。水の入った瓢の口を開け、ぐったりとしている沃縁を揺さぶった。

「おい、生きてるか」

 返事は無い。函朔は舌打ちして、沃縁の顔に水をかけた。気付け薬を飲ませようと、薬草を千切る。

 どさり、と物の落ちる音がした。目を向けると、苫が目を見開いている。今の音は、手に持っていた荷物を取り落としたことによるものらしい。

「丁度よかった。苫、薬鉢と擂り粉木持ってきてくれ。あと、水も」

 函朔が言うと、我に返ったようにこくこくと頷いて走って行く。

「大丈夫かな」

「死んじゃう?」

「死んじゃうやだー」

 函朔の耳に、声が届く。金精霊達が沃縁の容態を案じているらしい。函朔はふっと笑った。

「死なねえよ。そう簡単に死ぬわけないだろ、この性悪が」

 呟くように言って、自分の傷を水で洗う。未だ血の滲む傷口に噛み砕いた薬草を貼り付けた。

 そうこうしているうちに、苫が戻ってくる。函朔から気付け薬を受け取り、鉢で磨って水で溶いた。飲ませやすくしたらしいが、沃縁は意識が無い。どうしたものかと眉を下げる苫を見て、とりあえず沃縁の口を開けようと手を伸ばしかけた函朔は、呆気にとられて固まった。

「……マジかよ」

 思わず、呟く。

 苫は躊躇無く薬を自ら口に含み、沃縁に口移しで飲ませたのである。

 いや、確かにまあ、手っ取り早い手段だよな、と口中で呟きながら、函朔は何となくいたたまれなくなって目を逸らした。

「……こほっ」

 微かに咳き込む音がして見ると、沃縁が目を開いていた。

「苫……?」

 まだ朦朧としているらしい沃縁が、目の前にいた苫に呼び掛ける。苫は嬉しそうにこくこくと頷いて、沃縁の顔の血と汗を布で拭った。

「ほら、傷薬だ。苫、手当てしてやってくれ」

 函朔が薬草を渡しながら言うと、苫は頷いて沃縁の傷口を洗い始めた。函朔は自分で手当てを続ける。

「函朔さん、鴻宵さんは……」

「まだわからない」

 胸元の傷に薬草を貼りながら、函朔は答えた。

「今、慎誠を此処へ呼んだ。あいつか、或いは漠埜達が情報を持ってくる筈だ。多分な」

「……あの狼少女の一党は、何者なんですか?」

 狼少女とは言い得て妙だ、と笑いが零れそうになる。

「俺もよくは知らない。ただ、俺はついこの間まであいつらに匿われてた」

 完全にこちらの味方というわけでは、なさそうだ。彼らには彼らの利害がある。しかしそれが何なのか、具体的にはまだわからない。

「そう、ですか……」

 それきり、会話は途切れ、治療を終えると二人とも気を失うように眠りに就いた。




 日暮れの迫る山道を、残雪は早足で歩く。

 あの後、黒零と赤鴉達相手に派手な闘いを繰り広げた束憐は、宣言通り私達を「取り逃がした」。

「ここから五十里ほどの場所まで、碧の使節団が来てる。明日には合流できるだろ」

 様子を見に出掛けていた蕃旋は、戻ってくるなりそう言って私の頬をつついた。

「お前の奥方も来てたぞ。よかったな」

「春覇が……」

 たぶん、心配してくれている。私はほっと息を吐いた。

 明日になれば、帰れるのだ。いつもの場所に。

「どのみち、今夜は野宿だ。安全な場所は……」

「探してある。こっちだ」

 黒零の言葉に応じて、蕃旋が道を案内する。木に囲まれたちょっとした空き地で、私達は火を焚いた。怪我を抱えて無理をしたせいか時折ふらつく私を心配して、黒零が隣に座って支えてくれる。私はありがたく寄りかかることにした。

「それにしても」

 蕃旋が溜息を吐く。

「良かったな、奥方のとこへ帰れて。お前をあの爺の餌にするって聞いた時は耳を疑ったぜ。とんだ悪食野郎だな」

 黒零が慌てて蕃旋の頭を小突いた。無神経な発言だと思ったのだろう。蕃旋もはっとしたようにいずまいを正し……たところへ、姉からの容赦無い一撃を受けて地面に転がった。

「……ああ、まあ」

 そんな様子を見ながら、私は白湯を啜る。

「それは……その、私、女だから」

 もう隠すことでもないので、すぱっと言ってみる。

 沈黙が流れた。

「……は?」

 蕃旋の声に、黒零が我に返ったように体をびくつかせる。支える為に肩を抱いていたことに気づいて、ぱっと手を離した。

「す、すまん」

「いや、なんか、こっちこそごめん」

 顔を赤くする黒零に、何だかいたたまれなくなる。ぽかんとしていた蕃旋が、ちょんちょんと跳ねて私の足元までやって来た。

「……それ、本当か」

「うん」

 私が頷くと、何やら悶絶し始める。

「酷ぇ……っ、初めてお前らに会ったあの時、俺はまさか男を追っかけてたなんて、って三日くらい凹み続けたんだぞ!?あの時の俺の絶望を返せ!」

「知るか」

 私が呆れて切り捨てると同時に、蕃旋の姉が蕃旋に蹴りを入れた。どうやら今ので、あの時の愚行が明るみに出たらしい。

 そのまま一晩中説教されてろ。

「その……野宿で大丈夫か?吾と蕃旋は離れておく方が……」

 黒零は黒零で、少々的外れな心配をしている。私はくすりと笑った。

「大丈夫だよ、慣れてるから。黒零達のことは信用してるし」

「そ、そうか……」

 まだ戸惑いが大きいのか、黒零の態度がぎこちない。私は頬を掻いた。

「変に気を遣わなくても、私は私だよ」

 姉にどつかれた蕃旋がばたばたと羽ばたいて逃げて行く。

「烏でも人型でも蕃旋が蕃旋であるように、男でも女でも私は私なんだ。これまで通りに接してくれると嬉しい」

「……そうか」

 黒零は少しくすぐったそうにそう言うと、火に薪をくべた。

「疲れているだろう。眠ってよい。吾がしっかり番をしておく」

「夜半になったら交代しよう」

 私が言うと、黒零は首を振った。

「見張りは吾と赤鴉達で引き受ける。そなたが女だからではない。怪我人だからだ」

 きっぱりと言い切った黒零に、私は少し笑う。

「わかった。それじゃ、お言葉に甘えることにするよ」

 ぱちぱちと、炎がはぜる。

 暫くぶりの安堵感にくるまれながら、私はそっと目を閉じた。


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