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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之伍 戦禍
97/115

飛翔

 北門の攻防は、今や完全に優劣を逆転させていた。

 沃縁は既に馬上に伏している。辛うじて意識を保っている状態で金精霊を使役し、雑兵への牽制だけは続けていた。しかし開いた傷に加えて今回の戦闘で束憐に斬りつけられた脇腹からの出血が酷く、意識を失うのは時間の問題である。

 但し、彼も一矢報いてはいた。沃縁の働きによって束憐の大剣は破損し、彼は今兵士から奪い取った矛で戦っている。どうやら彼の膂力にとって一般の矛は脆すぎるらしく、既に数本が砕けていた。


 未だ束憐の前に立ちはだかっているのは、函朔である。しかし彼の傷もまた浅くはない。刃が掠った額から流れる血が目に入りそうになるが、拭う暇は無かった。振り下ろされる矛を防ぐので精一杯である。重い一撃を防ぐ度に、肩から胸元まで刻まれた傷から血が滲んだ。

 ――ここまで、か。

 ちらりと、諦めが脳裏を掠める。それを振り払うように相手の矛を弾き、間合いを開けた。

 そんな時だった。

「束将軍!」

 駆け付けてきた兵士が、何やら束憐に伝える。それを好機と見て仕掛ける程の余裕は、函朔には無かった。ただ、構えは解かないままで沃縁に馬を寄せ、声を掛ける。

「おい、生きてるか」

「……なん、とか」

 弱い声が応えた。函朔は額の血を拭い、束憐の様子を窺う。

「あぁ?もう少しで此処は片付くってのに」

「疾く行け、とのことです」

 使者が念を押すと、束憐は舌打ちして馬首を返した。

「だったら此処はお前らで片付けとけ」

「はっ」

 使者が頭を下げる。束憐は函朔達を一瞥してから、走り去っていった。

「命拾い……には、まだ早いか」

 函朔は苦笑して、棒を構えた。まだ、兵士達が残っている。この包囲網を突破しない限り、助かったとは言えない。

「おい、沃縁、走れるか」

「……函朔さん」

 沃縁が伏せていた体を無理に起こす。傷口から、ぼたぼたと血が滴った。

「先に行ってください。僕が足止めします」

「はあ!?何馬鹿なこと言ってんだ!」

「方術を使うのも、たぶんあと一度が限度です」

 蒼白な顔で、沃縁はそれでも微笑して見せた。周囲を飛び交っていた武器の破片が支配を解かれて落ち、昏兵がじりじりと迫ってくる。

「行ってください。このままでは二人とも……」

「ふざけんなてめぇ!二人とも生き残らなくてどうすんだ!」

 函朔は怒鳴り付けながら、その勢いで迫っていた昏兵を馬から叩き落とした。

「二人とも死ぬよりは、マシです」

「どこがマシだ!鴻宵が泣くだろうが!」

 沃縁に届こうとした矛を叩き落とす。ついでに沃縁の胴を抱え上げ、引き摺るようにして自分の馬に移した。

「つっ……何を……」

「黙ってろ!」

「無謀です!このままでは……」


「揉めてる場合じゃないんじゃないの?お二人さん」

 不意に割り込んできた平静な声に、二人は思わず口をつぐみ、声のした方を見た。

 函朔の乗っている馬の、頭。その上に、ちょこんと座っているのは。

「……子犬?」

「犬呼ばわりすんな!」

 くわ、と牙を剥く子犬の向こうに、武器を振りかざす昏兵が見えた。はっとした函朔が、棒を構える。しかしその武器が届く前に、昏兵は横ざまに吹き飛んでいた。

 大柄な狼の、体当たりを受けたのである。

「よっしゃ、皆!派手に暴れてやんな!」

「応っ!」

 号令をかけたのは、その狼の背に乗った少女。その声に応えて、次々と仲間が昏兵に襲い掛かる。

 不可思議な光景であった。狼と人間との混成部隊が、兵士達に向かっていくのである。

「こいつら、例の野盗だ!」

「何でこんなところに……っ」

 昏兵が立ち騒ぎ、総崩れになる。そのさまをぽかんと見ていた函朔は、狼に乗ったまま傍らに留まっている少女に目を向けた。

「……恵玲?」

「何さ。言っとくけど別にあんたらを助けに来たわけじゃないよ」

 少女、恵玲がぷいとそっぽを向く。馬の頭に座っている子犬がぷししと妙な笑い声を上げた。

「わお、典型的な意地っ張りだね」

「黙りな!」

 恵玲の投げた石が命中し、子犬が転げ落ちる。函朔と沃縁は、思わず顔を見合わせた。

「おいおいお前ら、直前までの深刻な雰囲気が台無しじゃねえか」

 この台詞を言ったのは、函朔ではない。無論沃縁でもなければ恵玲でも子犬でもなかった。

「この声……」

 函朔が呟いて、恵玲の乗騎となっている狼に目を向けた。

「お前、漠埜か」

「おうよ。久しぶり……でもねえか」

 人間でないことは薄々感づいていたが、まさかこんな形で再会するとは思っていなかった。

「憂がからかってたが、実際恵玲の言った通り、俺達は別にお前らを助けに来たわけじゃねえ」

 憂、というのは先程の子犬の名だろう。どこへ行ったのかと思えば、今度は函朔の鞍の後ろにちょこんと乗っかっていた。

「こっちにもこっちの事情があってな。利害の一致ってやつだ」

 そう言ってから、漠埜は背中にいる恵玲を小突いた。

「恵玲、薬草をやれ……何にせよ、お前らは一度撤退しろ。特にそっちの奴、すぐに止血しないと危険だぞ」

 函朔ははっとして衣服の袖を裂き、沃縁の傷口を縛った。沃縁が小さく呻く。さっきから静かだと思ったら、半ば意識が朦朧としていたらしい。

「僕がついて行くよ。勝手に死なれちゃ困ることになってきたんでね」

 憂がはたりと尻尾を振る。函朔は恵玲から薬草を受け取り応急処置を済ませると、馬首を返した。

「……お前ら、俺達の目的を知ってるんだな」

「ああ。ついでに今回、お前達の目的は俺達の目的でもある。安心して後を任せてくれていい」

 漠埜が保証する。そこに嘘の無いことを見極めて、函朔は戦線から離脱した。




 兵士の持っていた矛を奪い、次の敵を叩き伏せる。しかしここは城内だ。倒しても倒しても敵が涌き出てくるのは道理。

 私は一通りその場の敵を掃討すると、壁に凭れるように倒れた兵士の肩を踏み台にして明かり取りの窓から外へ出た。複雑に入り組んだ建物の間を、半ば勘で走り抜ける。


 厩はどっちだろう。いや、残雪のことだ、多分厩に入れられるのを拒んでどこか別の場所に居る。草を食べられるとしたら、広場のようなところか。

 一か八か、口笛を吹いてみようか。敵兵に見つかるが早いか、残雪が来るが早いか。


 思考に気を散らしていたせいか、うっかり見通しの良い場所に出てしまう。

「いたぞ!」

 兵士の声がする。私は舌打ちして、咄嗟に隣の建物に飛び込んだ。


 人目の無い方へ、無い方へ。

 回廊を、闇雲に走る。傷がまた痛んで、一度壁に凭れた。

 帰れる、だろうか。

 いや、帰る。


 追手の足音がする。私は欄干を乗り越えて回廊から飛び下り、狭い道を選んで走った。


 とにかく、東へ向かう。帰り道の、ある方へ。

 捕まればきっと、二度と帰れない。


 息が切れてくる。

 よろけそうになった時、横合いから出てきた手が私の腕を掴み、狭い空間に引き込んだ。

「――っ!」

 反射的に、腕を掴む手を捻りかける。

「待て、鴻宵!吾だ!」

 声量を抑えた叫びが、私の動きを止めた。私は目を上げ、私を引き込んだ人間の顔を見上げる。

「……黒零?」

「うむ」

 黒零は私の腕を掴んでいた手を放すと、何か言おうとした。そこへ、追手の足音が響く。

「こっちだ」

 黒零は再び私の腕を掴むと、走り出した。戸惑いの消えないまま、私も走る。

 前をゆく黒零の背中を見ながら、私は考えた。


 黒零は、敵か味方か。

 彼は裏切り者の私を恨んでいた筈だ。かつて友人だったけれど、戦場でぶつかったこともある。

 だけど、と私は思った。

 だけど、黒零は罠は仕掛けない。誰かの入れ知恵で私を罠に掛けようとしているなら、多分あんな真っ直ぐな目は出来ない。表情が乏しい分わかりにくくはあるが、黒零は演技が下手だ。


「――黒零!」

 不意に、声が降ってきた。文字通り、上から降ってきたのだ。顔を上げると、大柄な烏が舞い降りてくるところだった。正直、烏の見分けなんてつかないが、声からして蕃旋だ。その足には、見覚えのある剣が提げられていた。

「受け取れ、鴻宵!」

 私の頭上で、その剣がぱっと離される。反射的に手を伸ばすと、ずしりと慣れた重みがかかり、土色の佩玉が光った。蕃旋はそのまま、黒零の肩に止まる。

「この先は駄目だ。南側へ迂回しろ」

「わかった」

 烏の鳴き交わす声がする。蕃旋の出す指示に従って、黒零は進路を変えた。

「蕃旋!」

 切れそうになる息をなんとか繋げながら、私は尋ねる。

「残雪……私の馬は?」

「ん?ああ、そういえば……」

 呟きの後に、蕃旋は一声高く鳴いた。すぐに、どこかから鳴き声が返ってくる。

「あっちか。黒零、その先を右だ」

「うむ」

 私の手を引いたまま、黒零が曲がる。一羽の烏が、こちらへ飛んできた。

「姉さん」

 そう口にした蕃旋に応えるように一声鳴き、私の肩に止まる。何やらぐるぐると喉を鳴らし始めた。

「そりゃいいや。黒零、馬はすぐそこだ。乗ったら東へ突っ走れ」

 蕃旋が言うが早いか、建物の陰を抜け、視界が拓ける。広場の向こうから、見慣れた馬が駆け寄ってきた。手綱を掴まえた黒零が、まず身を踊らせて跨がる。残雪は拒絶しなかった。気難しいが賢い馬だ。状況を理解しているのだろう。

 黒零が差し出してくれた手を取って、私も馬上の人となった。ただし二人乗りなのでうまく跨がれず、黒零の前に横座りするような形になる。

「行くぞ」

 黒零が馬腹を蹴った。残雪は軽やかに駆ける。

「居たぞ、追え!」

 追手がかかったようだが、残雪の足には追い付けず、みるみる離されていく。

「進路そのままだ」

 黒零の肩で、蕃旋が言った。

「但し気い付けろ。鴻宵が逃げたんだ。そろそろ大物が動き出す頃合いだぜ」

「わかっている」

 走る馬の背で会話する二人の声を聞きながら、私は強張っていた肩から徐々に力が抜けていくのを感じていた。傷が熱を持ったような感覚があって、痛みが全身に響く。

「か?」

 ぐったりとなった私に、一番に気づいたのは肩に陣取ったままの蕃旋の姉だった。

「かぁ!」

「ん?」

 彼女の一声で、蕃旋がこちらを見る。

「鴻宵?おい、しっかりしろ!」

「……大丈夫、少し、気が抜けた」

 まだ危機は去っていないけれど、絶望からは脱した。私を抱えて馬を走らせる黒零と、覗き込んでくる蕃旋。今、私を救ってくれる、希望の形。

「鴻宵」

 力の抜けた体を、黒零が抱え直す。

「気をしっかり持て。活躍を見てやらんと蕃旋が拗ねるぞ」

「俺かよ!」

 二人のやり取りに、笑みが漏れる。大丈夫。

「カァ!」

「黒零!」

 不意に、烏の声が響いた。すぐさま蕃旋が警告の声をあげる。

 飛来した矢を、黒零が凍らせて落とした。

「囲め!」

 鋭い指示の下に、両側の家屋の陰から兵が湧き出し、道を塞ぐ。蕃旋が小さく舌打ちし、烏達が威嚇するように兵士達の周りを飛び交った。

「璃氏」

 兵士達の先頭に出た人物が、黒零に声をかける。おっとり刀で飛び出して来たのか、鎧も着けず、簡素な籠手だけを装備して槍を握る青年。

「……循貴」

 昏の王族にして四将軍の一人、叡循貴。彼は黒零と目が合うと、年齢の割に幼さの残る顔ににっこりと笑みを浮かべた。

「璃氏、貴方と鴻将軍の間に確執があるのは知っています。鴻将軍の処遇が不満なら、私に言ってくれれば絡将軍に話を通したのに」

 手にした槍を構えることもせず、にこやかに語りかける。

「離宮へ戻りましょう。鴻将軍については璃氏の希望が反映されるよう、力を尽くします」

 私は思わず黒零の上着を掴んだ。

 黒零に相対する叡循貴の表情は柔和だが、私に向ける目は笑っていない。それに、今の発言。約束しているのは努力だけで、結果は保証していない。

 叡循貴の言葉を黙って聞いていた黒零は、そっと私の肩を叩いた。

「循貴よ。お前には世話になった。感謝もしておる」

 言葉を返しながら、腕を腰に回して小刀を抜く。

「このような別れになるのは心苦しいが」

 いつものように結って冠をかぶるのでなく、ただ高い位置で束ねただけの黒髪を、一房摘んだ。

「吾はそろそろ、この鳥小屋にも飽いたのだ」

 初め、黒零は離宮という狭い鳥籠の中に居た。そこから脱し、自由を手に入れたと言っても、未だ昏の手の内。鳥籠が広くなったに過ぎない。


 鳥籠から、鳥小屋へ。

 そして。


 黒零は笑った。いつもの気だるげな無表情とは違う、曇りのない笑顔。

「吾は、柵無き大空を翔びたい」

 小刀が、髪を切り落とす。その髪を黒零が撒くと同時、氷で出来た高い柵が叡循貴と兵士達を囲った。

「璃氏――」

「さらばだ、循貴!」

 黒零が馬腹を蹴る。空中に次々と氷が集まり、足場を作る。

 残雪が、跳んだ。

 跳び、跳び、道を塞ぐ昏兵達の頭上を飛び越える。

 まるで、鳥小屋の網を破った鳥のように。

 残雪が軽やかに着地し、そのまま走り出す。

「よく言ったな、黒零」

 蕃旋が弾んだ声を出した。黒零は少しだけ笑う。

「――行こう」

 太陽が西の山の端に近づき、空が徐々に青から紫、赤へと移ろおうとする。その中を、今解き放たれた者達は疾駆した。



 止めるべき相手が既に遠く去り、氷の柵が自ら瓦解した時、叡循貴は空を見上げて呟いた。

「馬鹿だなぁ……」

 細められた瞳が映す感情は、果たして何か。

「大空を飛ぶ鳥は、常に力尽き地に墜ちる危険と隣り合わせなのですよ、璃氏」


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