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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之伍 戦禍
96/115

危機

 何やら、外が騒がしいような気がする。

 牢の番兵達は勿論持ち場から動かないが、地上の兵士達がばたばたと走り回っている気配がした。番兵達もそれに気づいたのか、互いにひそひそと話し始める。様子を見に行くべきか否か、相談しているのだろう。


 好機かもしれない、と、私は密かに身じろいだ。番兵に隙が出来ているし、外の警備もこの分だと恐らく乱れている。腕を縛る縄をいつでも切れるようにと精霊を呼び寄せながら、私は大まかな手順を考えた。


 まず、精霊を使って縄と鉄格子を破る。方士だと露見するのはいいこととは言えないが、この際背に腹は代えられない。

 それから、番兵を昏倒させて武器を奪う。これはきっと難しくない。そうして地上に出たら、残雪を探せば良い。向こうから来てくれる可能性も高いし、残雪に乗りさえすれば並みの馬には追い付かれない。

 問題があるとすれば、束憐くらいだ。


 ゆっくりと立ち上がると、こめかみの傷がずきりと痛んだ。多分まだ安静が望ましい傷なんだろうが、今は気にしてはいられない。

 私が逃げ出す呼吸を計り始めた時。

 不意に番兵達が一方を向き、慌てて立ち上がって頭を下げた。ここからでは見えないが、誰か来たらしい。ほどなく、兵士に歩み寄る男の横顔が見える。私は少しだけ眉を寄せた。

 都洋だ。冒溢の部下が、どうしてこんな所に?

 都洋が番兵に何か言う。一言二言交わすと、番兵達は出て行った。

 ……出て行った?

 地上の騒ぎに加勢しろと言われたのか、それとも。


 番兵達が姿を消すと、入れ違いにもう一人、私の視界に入ってきた。目が、合う。

「ほ。命じた通り身綺麗にしたようだのう」

 冒溢。一体何故、今この時にこの男が現れたのか。私は油断しないよう半身になって身構えた。都洋が牢の鍵を開ける。冒溢が滑り込むと即座に閉められたので、脱出する隙は無かった。

「……何の用だ」

 緊張を解かずに、私は問う。冒溢はそれには答えずに歩み寄ってくると、無遠慮に私の顔を覗き込んだ。顔を背けようとすると、顎に手をかけて制止される。蹴り飛ばそうと動かしかけた足が既に冒溢の足に封じられているのに気づいて、内心舌打ちした。腐っても四将軍の一人。それなりの体術は心得ているということだ。

「ふむ。こうして見ると間違いない……しかしわしが贈った衣裳は着なかったのか?似合うと思うたのだが」

 そんなことを言いながら、冒溢はじろじろと私の全身を眺める。舐めるような視線に不快を覚えた私は、首を振って冒溢の手を振り払い、一歩後退した。

「は、何を……」

 言いかけて、硬直する。

 今、冒溢は何と言った?衣裳を贈った?心当たりは一つしか無い。水浴みの時に女官が持ってきた、あの衣服だ。

 極力平静を装って、私は意地を張り通す。

「……生憎、女装の趣味など無い」

「女装、とな」

 冒溢の目が細められる。肩に手を掛けられ、はっとして逃れようとするが、腕を縛られたままの私になす術は無かった。

 どさり、と背中から寝台に倒れ込む。追い縋るように冒溢がのし掛かってきて、肌が粟立った。

 本能が警鐘を鳴らす、どころの騒ぎではない。危機感と、恐怖と、困惑と憤りで視界が揺らぐ。

「な、ん……」

「そなたと初めて会うたのは、心泉の辺りであったのう」

 冒溢の掌が、思わせ振りに私のこめかみから頬、うなじへと撫でて行く。私は息を飲んだ。

 心泉の、辺り。それが意味することは。

「ふむ、あの時よりは大人びたな」

 思い出したのだ、冒溢は。私が初めてこの世界に来て、昏兵に捕らえられた時のことを。

 そしてその時とは、私が唯一女としての姿を晒していた時なのだ。

「――っ」

 冒溢の手が、鎖骨を経て胸元へと下りる。私は小さく悲鳴をあげて、暴れた。

 けれども、上からのし掛かられた体重を跳ね返すことはできず。

 足の間に割り込まれてしまっては、蹴ることもできない。

 それでも足掻く私の首に、冒溢の手がかかった。ぐっと力を籠められて、呼吸が詰まる。

「おとなしくせよ」

 もう一方の手が、ぱちりと首元の留め金を外した。

「暴れても、逃げられはせんのだ」

 続いて、胸元の留め金が外されてゆく。必死に顔を背けながら、私は零れ落ちそうになる涙を堪えた。

「や、だ……嫌だ……」

 震える声が、唇から漏れる。


 嫌だ、こんなのは、嫌だ。


「助け、て――蒼凌」

 その名前が脳裏に浮かんだ瞬間。

 頭が、一瞬真っ白になった。




 昏都王城、北門。

 撹乱のために攻撃と逃走を繰り返しながら暴れていた函朔と沃縁は、しかし次第に数の差に圧され始めていた。二人とも、既に傷口が開いて衣服の上まで血が滲んでいる。

「西門でも騒ぎが始まったようです」

 沃縁が敵兵の様子を敏感に察知し、知らせる。短く返事をして、函朔はまた一人、敵兵を叩き伏せた。その背後から、もう一騎迫る。

「ちっ――」

 舌打ちして、函朔は棒を回した。さすがに、乱戦が辛くなってきている。潮時か、と見切りをつけかけた時。

 敵兵の向こうから、一直線に駆けてくる騎馬が見えた。咄嗟に函朔は馬腹を蹴り、その突進の経路上から己の身を外す。

「……この状況で出てくんなよ」

 思わず悪態の一つも吐きたくなる。

 函朔も沃縁も、深傷を抱えて戦っている。体力の限界が近い。

 そこへもってきて、この敵だ。

「やっぱあの時の鼠どもか」

 二人に深傷を負わせた、張本人。

「沃縁!」

「わかってます」

 ここからは雑兵の相手をしている暇は無い。沃縁が小さく言霊を唱え腕を一振りすると、周囲一帯の兵士の武器が弾けとんだ。

「っ……」

 同時に、沃縁が微かに顔を歪める。精霊を使役するにも、代償が必要だ。体力が底をつきかけている沃縁にとって、その代償は決して軽くない。

「ここが正念場、か」

 函朔は棒を握り直し、敵へと向き直った。




 その頃、西門にも騒ぎが起こったという報告を受けた絡嬰は、眉を寄せて地図を睨んでから、急使に命じた。

「束憐を呼び戻せ……いや、東門の外に待機させろ」

「は……」

 北でも西でもなく東門へ向かわせろという指示に、急使は不得要領のまま声を返す。絡嬰はそれを冷たく睨み据えた。

「早く行け。逃亡に備えさせるのだ」

「はっ」

 凍てついた視線を受けた急使が、慌てて駆け去っていく。絡嬰はすぐに腰を上げた。牢へ向かうつもりである。


 北門に続いて西門。こうなると、この騒ぎは城内に隙を作る為の陽動と考えるべきであろう。そして今、最も隙を必要としているのは鴻宵である。


 そう考えて万一の逃走の可能性を潰そうと動きかけた絡嬰のもとに、来訪者があった。

「お忙しいところ失礼致します、絡将軍」

 黒髪に燕脂色の瞳。いつも腰に差している特徴的な刀こそ今は持っていないが、絡嬰はその男を憶えていた。

「璃氏の護衛か。何の用だ」

「いえ、実は絡将軍に用というわけではないのですが」

 そんな不可解なことを言って、その男は絡嬰の後ろにある棚を指差した。

「そこに保管されている、鴻宵の剣に用があるので」

 窓の外で、烏が鳴く。

 男がこちらに向かって床を蹴ったのを見て、絡嬰は剣を構えた。

 一閃、捉えたと思った剣劇は、男の衣服のみを両断する。

「な……」

 ばさり。姿を消した男の代わりに、大柄な烏が絡嬰とすれ違った。棚に置かれていた鴻宵の剣を足で掴み、窓から飛び出す。

「貴様――」

 絡嬰が窓に駆け寄った時には既に遅く。剣を奪った烏は天高く飛翔していた。




 激しい衝突音で、我に返る。いつの間にか私の体の上から重みが去り、冒溢は鉄格子に背中を打ち付けて昏倒していた。私の身辺には、荒れ狂う風。

「将軍!」

 控えていた都洋が、鉄格子越しに冒溢に駆け寄る。私は妙に気だるい体を起こした。

「……切って」

 短く頼むと、精霊達が心得て縄を切ってくれる。解放された腕を振りながら立ち上がると、都洋がこちらを睨み付けているのに気付いた。鍵を開けてくれるつもりは無さそうだ。

「出して」

 私は簡潔に命じた。一瞬で、金精霊達が鉄格子を解体する。

「なっ……」

 目を見開く都洋の傍らを、私は駆け抜けた。追い縋ろうとする腕を振り返って掴み、相手自身の勢いを利用して投げ飛ばす。

「っ……」

 派手な音を立てて壁に衝突する都洋には目もくれず、私は走った。途中こめかみの傷が痛み、視界がくらりと揺れて壁に手をつく。

「……帰る」

 奥歯を噛み締めて傷の痛みをやり過ごしながら、私は呟いた。

「帰る。皆のところへ」

 異変に気付いたのか、前方の角から兵士達が姿を現す。武器は無いけれど、私は身構えた。


「絶対に、帰る」


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