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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之伍 戦禍
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決断の時

 離宮の中は、静まり返っている。黒零は相変わらず無気力に窓の外を眺めているだけだ。

 傍に控えている蕃旋は、内心で溜息を吐いた。黒零は未だ、鴻宵を赦すまいとする意地と、それでも嫌いきれない感情との間で葛藤している。

 その時、黒零の肩がぴくりと動いた。続いて羽音が響き、一羽の烏が窓から飛び込んでくる。どこか慌てた様子の烏は、蕃旋が腕を差し出すと素直にそこに止まり、何やら喉を鳴らして蕃旋に訴えた。

「……は?」

 蕃旋の口から、短く声が漏れる。

「姉さん、それ、本当に……?」

 ただならぬ様子に、黒零が振り向いた。蕃旋は烏を肩に乗せると、強い目を黒零に向ける。

「黒零……選択の時だ」

 静かに言い放つ蕃旋を、黒零は一見無感動に見返す。しかしその瞳が揺れていることに、蕃旋は気付いていた。

「鴻宵を助けるか、見捨てるか」

「……何故吾が鴻宵を……」

「絡嬰は!」

 またいつもの言葉を繰り返そうとする黒零を遮って、蕃旋は声を上げた。その必死さに気圧されて、黒零の口が閉じる。

「絡嬰は……鴻宵を、冒溢の餌にするつもりだ」

 黒零が目を見開いた。

「……どういう、ことだ。だって……」

「俺だって知らねえよ。あの好色爺の趣味がどんだけ広いのかなんて」

 吐き捨てるように、蕃旋は言った。

「確かなのは……連中は鴻宵を、壊すつもりだってことだ」

 肩に乗った烏が、蕃旋のこめかみを軽くつつく。蕃旋は頷いた。

「実行は今夕だ」

 呆然としている黒零に、迫る時間を突きつける。

「黒零……お前がどんな選択をしようと、俺は責めないし友達だってことにも変わりはねえ。それはお前の自由だ」

 だけど、と呟くように言って、蕃旋は刀を握りしめた。

「俺は鴻宵を助けに行く。あいつも友達なんだ。それに……」

 一度言葉を切り、俯く。

「酷すぎる、だろ。戦に負けて正式に処刑されるならまだしも……」

 人間のやることは、えげつない。

 蕃旋は呻くように口にして、踵を返した。

「お前がどうするかは、お前が決めろ。俺は行く」

 黒零は俯いて、左の手首を握った。

「吾は……」

 そこに光るのは、木精霊の宿る腕輪。

「吾は……」

 決断の声が、離宮の中に低く響いた。




 日が西に傾きかける頃。

 函朔と沃縁は急ごしらえの装備を整えて慎重に倉から出た。不安げに見送る苫に、小さく手を振る。

「警備が薄いのは北門です」

 頭から布を巻いて顔を隠しながら、沃縁が告げた。

「但し、あちらで暴れれば四将軍を引き出す可能性もあります……覚悟のほどは?」

「それは愚問ってやつだ」

 小さく笑って、二人は北門へ回り込もうと馬を走らせた。都の南側に位置する区画から、大きく迂回して北を目指す。

 途中、東門に差し掛かった時、飛び込んできた騎馬と危うくぶつかりそうになった。

「とっ……」

 際どいところで互いに馬首を回し、事なきを得る。

「危ないな、前見て走れ……」

「函朔!?」

 文句を言いかけたところで名前を呼ばれて、函朔は訝しく思いつつ相手の顔を見た。

「……慎誠」

「ちょうどよかった!」

 いつも飄々としているこの男には珍しく、慌てふためいている。函朔は理解した。彼も、鴻宵の身を案じて来たのだ。

「鴻宵は、まだ無事?」

 ぐっと声を落として、慎誠が問う。函朔も小声で答えた。

「正直、まだわからない。これから俺達で隙を作る。無事なら逃げてくれる筈だ」

 陽動を行うことをにおわせると、慎誠は一つ頷いた。

「わかった。君らは北で暴れる気なんだね。じゃあ俺は西へ」

 ちらりと太陽を見る。

「君らが暴れはじめてから半経ほどで俺も仕掛けるよ」

 簡単に予定を決め、袂を分かつ。

「死ぬなよ」

「お互いね」

 函朔と沃縁は北へ、慎誠は西へ。

 時は、刻々と迫っていた。




 相変わらず牢にいた私のもとに女官達が訪れたのは、その日の昼頃だった。

「傷も少しは癒えられたようですので、水浴みをなさいませ」

 言葉少なに言って、牢の中に入ってくる。

 水浴み?捕虜に?

 確かに私は血まみれのままだし、別段あり得ないことでもないけれど……私にとっては正直、非常に困る。

「ご安心を」

 警戒する私に気づいたのか、女官の長らしき女が言う。その後ろでは女官達が鉄格子に布を張り、外からの視界を遮断していた。

「将軍様方から伺っておりますわ」

 つまり、私が女だと知っている、と。ばらされると後々面倒そうな情報が昏で広まっている気がして怖い。

「暴れても無駄です。牢には鍵をかけてありますから」

 そう前置きしてから私の縄を解き、衣服を脱がす。用心の為か、武器を携えた女官も数人控えていた。

「水浴みくらい自分でできる」

「仕事でございますので」

 にべもなく言って、数人の女官が水に浸した布で手早く私の体を拭っていく。慣れているのか手際が良すぎて手も足も出ないでいる間に、すっかり身綺麗にされて髪まで洗われた。因みにここまでで牢の床は全く濡れていない。水は全て持ち込まれた水桶の中だ。さすがと言うべきか、何と言うべきか。

 ついでとばかりになんだか良い香りのする油で髪を纏められ、衣服を換えられる。が。

「ちょっと待て」

 用意された衣服を見て、私は抵抗した。何故って、それがどう見ても女物だったからだ。

「我々はこのように指示されて……」

「冗談じゃない。いいか、私は捕虜とはいえ碧の将だ。そんなものを着るくらいならこの場で舌を噛み切る」

 大体女物の服なんて着ていたらいざというときに動きにくい。まだ逃げる気をなくしたわけではないのだ。

 かといって舌を噛み切る気も実は無いのだけれど、そう言って脅すと効果はあったらしく、女官達は顔を見合わせた。すぐに一人が駆け出して行き、残りはひとまず私に内衣を着せる。


 ややあって、出て行った女官が男物の衣服を持ってきた。晒も添えてあったので、とりあえずそれに着替える。


 水浴みと着替えでさっぱりしたのは事実だ。何しろ戦からこちら、顔や首元は洗えても全身を洗う機会は無かったし、服も血まみれのものをそのまま着ていたのだから。

 ただ、今になってこういう機会が与えられた理由は気になる。女官達に訊いても、はかばかしい答えは得られなかった。




 その日の、夕刻。

 水盤に浮かぶ時刻を見た絡嬰は、控えている従者に指示を出した。

「冒将軍を牢へ案内しろ」

「はっ」

 頭を下げて出ていく従者を見送ると、椅子にだらりと座っていた束憐が、けっと喉を鳴らした。

「わざわざ水浴みまでさせたって?ご丁寧なこったな」

「心をへし折るにはかえって有効だ」

 絡嬰があっさりと言いきる。眉を寄せた束憐は何か言い返そうとして、ふっと視線をずらした。

「……あ?」

「どうした」

 絡嬰が怪訝そうに問いかけるのと同時。

「申し上げます!」

 慌てたような兵士の声が響いた。

「王城の北門にて暴れている者共がおり、その……守備兵が、劣勢に立たされております!」

「劣勢?」

 絡嬰の声が冷ややかに響く。

「暴れているのは何者だ。数は?」

「それが、その……」

 暫時躊躇うように視線を泳がせた兵士は、意を決して叫んだ。

「何者かは不明です。数は……二騎、と」

「二騎だと?」

 絡嬰が剣呑に目を光らせる。

「たった二騎に押し負けていると言うのか?」

「それが、うち一騎は、方士であるらしく……」

 絡嬰は寸時考えた。方士といえば昨日、一人侵入してきたばかりである。

「束憐」

 決断を下し、背後に呼び掛ける。

「貴様が行け。こちらは私が進めておく」

「へいへい」

 指示を受けた束憐は、徐に立ち上がると立て掛けてあった武器を手にとった。その背が戸口を潜るのを見送って、絡嬰は軽く鼻を鳴らす。

「ここのところ鼠が多いな……これが鴻宵の影響力か」

 手にしていた筆を机に放ると、かつんと乾いた音が響いた。

「あれを壊すのに四将軍一の無能が役立つとは……皮肉なものだ」


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