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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之伍 戦禍
91/115

冷風の都

 夜闇の落ちる中、私は息を殺して周囲の気配を探った。

 昏軍の将兵は眠っている。見張りについている束憐からも、微かに寝息が聞こえた。


 昼間、車の周りの兵士達が噂しているのを聞いた。碧との戦からずっと、軍の後ろを一頭の馬がついてくる。捕獲しようとすると暴れて手がつけられず、到底軍馬にはできそうもない。そのくせ追い払っても追い払っても軍から離れないのだと。

 恐らく、いや、間違いなく残雪だろう。私についてきてくれているのだ。


 暫くじっと感覚を研ぎ澄まし、束憐が眠っているのを確認してから私はそっと身を起こした。近くに居た金精霊に耳打ちして、手足を縛る縄を切ってもらう。

 幌の隙間から外を覗くと、所々篝火が焚かれ、哨戒の兵士が交代で見回りをしているのがわかる。私は周囲に目を走らせた。荷馬車が多い。あの陰に隠れて見回りをやり過ごしながら何とか残雪のところまで辿り着ければ、きっと逃げられるだろう。残雪の足についてこられる馬はそうはいない。

 哨戒の兵士が立ち去るのを確認して、私は幌を開け車から飛び降りた。

 否、飛び降りようとした。

「っ!?」

 がくん、という衝撃とともに首が圧迫され、体が浮く。襟首を掴まれて引き戻されたのだと気づく前に、背中が馬車の床に叩きつけられた。即座に跳ね起きようとした胸元に、刃が突き付けられる。

「ったく、油断も隙も無ぇ」

 寝起きのせいか心持ち掠れた声が耳に届いた。幌の隙間から射し込む月光を受けて、赤銅色の瞳が奇妙に光って見える。

「逃げようなんて考えんなっつったろ。諦めの悪い女だな」

 まただ。引っ掛かる物言いに、私は眉を寄せた。まさか、と緊張する胸中に気づかれないように、わざと不機嫌な声を出す。

「訂正しろ」

「あ?」

「俺は女じゃない」

 束憐の目が細められた。突き付けられていた刃が引かれる。すぐに起き上がろうとした私の首を、大きな手が鷲掴みにして押さえた。

「……っ!」

「悪足掻きってもんだ」

 ぐ、と顔を近づけられて、私は身を強張らせた。

「『確かめ』られたくなきゃ反論すんのはやめとけ」

 私は何も言えなくなった。うつ伏せに転がされ、再び手足を縛られる。

「おとなしくしてろ」

 束憐は私に告げた。

「あまり暴れると絡嬰がどんな手段に出るかわかんねぇぜ」

 私は唇を噛み締める。このまま、逃げられないのか。

「どうせ明日には都に着く」

 束憐は淡々と言って、私を見下ろした。

「今頃碧に使者が行ってるだろうしな。お前の命運は連中次第だ」

 昏が提示する条件に、碧が応じれば帰れる。

 応じなければ――

「どんな条件を突きつけた?」

 私が問うと、束憐は心底面倒そうな顔をした。

「知ってどうすんだよ。お前にできることは無ぇんだ。おとなしく寝てろ。つーか俺も知らねえよ」

 いや知っとけよそれくらい。

 私が呆れた顔をしたのに気づいたのか、束憐はけっと喉を鳴らす。

「そういう細けぇ事は絡嬰の役目だ。俺には合わねえ」

 どうやら、絡嬰と束憐は互いにうまく分業しているらしい。有り体に言えば、頭脳と手足といったところだ。

「……それでいいのか?お前は絡嬰の手足ということだぞ」

「いいんだよ」

 何の躊躇いもなく、束憐は言い切った。

「俺はやりたいようにやってるだけだ」

 厄介だな、と思う。

 こちらとしては何とかして絡嬰と束憐を引き離したい。今のままではあまりにも強敵にすぎるからだ。それなのに、付け入る隙が見当たらない。

「どのみち、お前は国より自分の身の心配をするべき立場だ」

 おとなしく寝てろ、ともう一度言って、束憐は目を閉じた。いくらも経たないうちに眠ったようだったが、私が動けばまた起きるだろう。

 私は観念して瞼を下ろした。こめかみの傷がずきりと痛む。

 あとはもう、蒼凌や春覇が最善の選択をしてくれることを願うしかない。




 夜半近くなって、紀春覇は鴻氏邸に帰った。この邸に帰るのは、随分久しぶりのような気さえする。

「あっ、覇姫様」

 春覇の姿を認めて礼をする門番は、どこか元気がない。

 昼間、一度尉匡が春覇を訪ねてきた。鴻家の者達も、既に鴻宵の一件を耳にしているということである。

「覇姫様」

 出迎えた家宰が武骨な外見に似合わず丁寧な礼をする。春覇は重い口を開いた。

「早く知らせなくて悪かった。王城には何かと柵が多いのだ。赦せ」

「無論、承知しております。我が主君の為に奔走してくださった覇姫様に感謝こそすれ、不満などございません」

 丁寧に受け答える家宰の後ろを、総華が小走りに通りすぎた。

「淵さん、冷たい水を用意して。熱が高いの。薬草はまだあったかしら?」

 総華の声に応じて、使用人達が慌ただしく動き回る。春覇は桶の水を換えている総華に声をかけた。

「病人か?」

「あら、覇姫様。気づかなくてすみません」

 春覇に向かって一礼してから、総華は桶を抱えた。

「漣瑛さんが帰ってきたんですけど、怪我が……肋が折れているので、今は熱を出して寝込んでいるんです」

 従者は生還したものの、かなりの無茶をしてきたらしい。主の居ない邸を眺め、春覇は目を伏せた。

 何としても、鴻宵を無事に連れ帰らなければ。


 王に決定権を委ねられた荏規の判断で、昏の要求には応じることになった。鴻宵さえ健在ならば、再び橙を取り戻すこともできようと考えた故である。そもそも橙は妖魔に侵された地であり、支配しても旨味が少ない。昏と碧が互いに固執するのは、名分による部分が大きい。

 よって、数日後には春覇と檄渓以下右軍の一部による使節団を結成し、昏との国境線まで赴いて橙の支配権を象徴する地図と引き換えに鴻宵の身柄を引き取る手筈になっていた。


「春覇」

 これからのことを考えていた春覇に、背後から声が掛かる。声の主は牧黎翡であった。

「悪いけれど、鴻家の者を二人ほど貸して頂けませんかしら。出来れば馬術に達者で信用のおける者を」

 黎翡の手には書簡らしきものがある。春覇は眉を上げた。

「何に使うつもりだ」

 春覇の問いに、黎翡は手に持った書簡を示して見せた。

「この書簡を届けていただきます」

 春覇は書簡の文面を見てみた。何か文章が書いてあるようだが、使われている字はどれも普通のものと異なっており、読めない。

「これは我々が、発掘された古代の文字をもとに作成した暗号文ですわ。橙の中でも外軍の将兵にしか読めません」

 そんなものまで作っていたのか、と春覇は感嘆した。同時に、それほど独自の体制を作り上げなければならなかった外軍の孤立性に思い至って少しだけ同情する。しかし黎翡は毅然として言った。

「外軍は橙の要ですわ。敗戦の後、彼らは都に帰還しているとのことですけれど、今でも政府よりも私の命令を優先する筈です」

 以前にも言っていた外軍の事情を語り、黎翡は書簡の文を指でなぞる。

「ここには、各自分散して国外に出、潜伏して時を待つよう書いてあります」

 春覇ははっとした。それは、つまり。

「内軍などものの役には立ちませんわ。外軍のいない橙など脱け殻も同じ。心置きなく昏へくれておやりなさい」

 黎翡は口角を上げた。頼もしい笑顔である。

「外軍一万五千。何かの折には一挙結集して貴方と鴻宵の為に動きますわ」

 春覇は目を見開いた。橙の実質的な軍事力が、他の誰でもなく鴻宵と春覇の味方につくと、黎翡はそう言っているのだ。

「……恩に着る」

 春覇が頭を下げると、黎翡は何でもないように手を振った。

「私は私のやりたいように振る舞っているだけですわ」

 からりとした口調は、黎翡が故国への未練を断ち切ったことを感じさせた。春覇はもう一度礼を述べてから、範蔵を呼ぶ。

「一人はこの者に任せよう。こう見えて信のおける男だ」

 春覇がそう言って範蔵の肩を叩くと、評価された当人は微妙な顔をした。「こう見えて」という一言がどうしても引っ掛かるのである。

「わかりましたわ。念のため二手に別れて届けさせたいのですけれど、もう一人の心当たりはあって?」

 黎翡が内容の同じ二通の書簡を両手で揺らしながら問う。春覇は範蔵に目を向けた。

「この通り、橙の外軍まで極秘裡に書簡を届ける役目だ。誰が適任だろうか」

 範蔵は一瞬だけ思考する素振りを見せてから答えた。

「嶺琥はどうでしょう。馬術は申し分ありませんし、実直です。それに見た目からして小心そうですから密使と疑われにくいかと」

 後半は本人が聞いたら泣きそうな理由だが、春覇と黎翡を納得させるには十分だった。

「ではお前と嶺琥で一通ずつ届けてくれ。詳しいことは黎翡に指示を仰ぐといい」

 春覇はそう言って、その場を立ち去った。

 これで、橙から軍事的主力である外軍は消える。妖魔退治も大半が外軍によってなされていたようだから、外軍を失った橙はうまくすれば昏の足を引っ張ってくれるかも知れない。

 とはいえ、過度の楽観は禁物。気を引き締め直しながら、春覇は回廊を歩いていった。




 絶えず感じていた振動が収まり、馬車が停止する。どうやら、都に着いたようだ。

 幌が開き、まず束憐が車から降りた。それから襟首を掴んで引きずるようにして、私は地面に下ろされる。足を縛っていた縄は解かれていたので、乱雑に引き下ろされても何とか立てた。顔を上げると、目の前に束憐と絡嬰。少し向こうに、出迎えに来たのか叡循貴と冒溢、それに何人か見覚えのある高官の姿が見える。

「この度は目覚ましい戦績、おめでとうございます」

 叡循貴が笑顔で絡嬰に話しかける。絡嬰も答礼した。

「恐れ入ります。ところで、碧への使者は……」

「絡将軍のご指示通りに出しておきましたよ。半月もすれば碧の返事を携えて戻るでしょう」

 どうやら、絡嬰達が私を捕らえるのは予め決められていたことで、その後の動きまで打ち合わせた上で出陣したらしい。通常から考えればかなり迅速に、使者が碧に着いた筈だ。混乱していないといいけれど。

「ふん、鴻宵一人のために五万か」

 不機嫌そうに鼻を鳴らしたのは冒溢だ。愚痴に続いてじろりと私を見た冒溢は、何やら訝しげな顔をした、ような気がした。

「まあまあ、冒将軍」

 如才ない叡循貴が宥めに回る。

「いいではありませんか。実質、橙一国を得る戦なのですから」

 橙……?

「……まさか、私と橙を引き換えにするつもりか」

 私が思わず口にすると、ざっと視線が集まった。絡嬰が目を細める。

「その通りだ」

「馬鹿な、応じる筈が……」

「黙っていろ」

 冷たい声が、私の反論を封じる。

「さて、立ち話をしすぎましたな。王へ謁見に参りしょう」

 他の面々を促して、絡嬰は歩き始める。私は束憐に小突かれるようにしてその後ろを進んだ。


 昏の風は、相変わらず冷たい。

 昏王は絡嬰の帰りを聞き、堂に臣下達を集めて待っていたらしい。朝議と変わらぬ様子の堂を、絡嬰と束憐に前後を挟まれるようにして進む。出迎えの面々は、さっと自分の席に帰っていった。

「軍師絡嬰並びに平北将軍束憐、拝謁致します」

「うむ、よく帰った」

 挨拶する絡嬰の後ろで立ったままの私に、跪け、と叱声が飛ぶ。意地で直立していると、後ろから束憐に膝裏を蹴られた。均衡を崩したところに頭を押さえ込まれる。

「それが鴻宵か」

 昏王の無遠慮な視線を感じる。睨み付けたいところだが、束憐に頭を押さえられているせいで顔を上げられない。

「噂に違わぬ優男だな。束憐、頭を放してやれ」

 王の指示に従い、束憐が手を放す。私は昏王をまっすぐに睨んだ。

「訊くまでもないようだが……一応訊いておく。そなた、昏に仕えるつもりは無いか?」

「無い」

 私は短く答えた。予想されたことだったに違いない。昏王は小さく頷くと絡嬰に視線を投げた。

「今後はどうする」

「ひとまず、牢へ。その後のことも私にお任せ頂けますでしょうか」

 絡嬰の言葉に、王は鷹揚に頷いた。

「よかろう。但し報告はせよ」

「無論でございます。本日中に奏上致します」

 絡嬰はそう言って頭を下げ、束憐に目配せする。束憐は私の襟を掴んで立たせると、出口に向けて背中を押した。

「この場はこれにて解散とする」

 重々しい声が背後で響くのを聞きながら、私は牢へと引き立てられた。



 牢は王城の地下にあった。鎧も武器も全て奪われ後ろ手に縛られた状態で、牢の中に転がされる。てっきり冷たい石の床だと思ったら、私が放り出されたのは簡素な寝台の上だった。すぐに金属の錠を閉める音が響く。

「じゃあな」

 束憐が私に向けて軽く声を掛ける。私は視線を向けずに、枕に額をつけた。


 牢に入るのは二度目だ。一度目は、白で囚われた時。函朔が奔走してくれ、天帝の導きもあって私は命を拾った。ちらりと水盤に目を向けてみるが、水面には何の変化も無い。そう何度も天帝が手を貸してくれることは無いということだ。自力で何とかしなければ。


 ひとまず起き上がり、壁に背を預けて座る。白の時のように厳重に枷を嵌められていないのがせめてもの救いだった。加えてちゃんと布団付の寝台があるのだから、待遇は良い方だろう。しかし今度は、頭に負った傷がずきりと痛む。

 痛みに引き摺られるようにして、私は目を閉じた。意識が溶けて夢と現の間を漂う。

 疲労のせいか、怪我のせいか。私の思念はやがて闇に消えて行った。


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