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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之壱 胎動
9/115

招待

 翌朝、いつも通り夜明けと共に私は出仕した。

 慎誠はまだ寝ているということだったので放っておいたが、そのうち起きてきた子どもたちに叩き起こされるだろう。宮仕えだと朝が早いが、庵氏兵団はそこまででもなかったはずだ。生活リズムはだいぶ違う。最初は私も早起きに苦労した。


 朝、堂の上で朝会に参加できる者は堂上に集まって王がお出ましになるのを待つ。朝の清涼な空気を吐き出しながら、私は自分の席に着いた。

 この秋の叙任で位が上がったので、前よりも王に近い。卿はほぼ最前列の位置に座ることになる。因みに碧の制度では、朝見の時この堂に入れるのは官位が大夫以上の者と王族、後は王の近侍のみ。全部で百人くらいのものだ。王の席は堂の北側にある。

 今の碧王は朝見に定時にやって来るし長引かせる事も無いから早朝に参内しても辛くはないのだが、これで王が怠惰な人間だと長時間待ち惚けという事も有りうる。

「おや、これは鴻将軍。お早いですな」

 かけられた声に振り向くと、五十絡みの恰幅の良い将軍がにこにこと笑みを作っている。私は立ち上がり、手を組んで礼をした。

「おはようございます、叙将軍」

 この男は叙寧。代々高官を輩出してきた旧家の産まれで、現在は私と同じ大将軍の位に在り、大司空の職を担っている。

 家柄を誇るこの男は、素性すら定かではない私が同格に上ったのがどうにも面白くないらしい。表面上は愛想良くしているが、何度か手を回されて降格されかけた。

 この国の司法が厳しく不正を取り締まっていなければ、私は今ここにいられなかったかも知れない。

「その勤励さがあればこそ私のすぐ後ろまで来られたのでしょうな。これからも努めなされ」

「ありがとうございます」

 にこにこしてはいるが、目が笑ってないぞ、おっさん。


 叙寧が私の前を通り過ぎ、席に着く。同格の卿である叙寧の席は、皮肉にも私の隣だ。

 自分も座ろうとした私の前を、春覇が通り過ぎた。微かな風に乗った木精霊が私の肩に飛び乗る。

「遊んでー」

 出来るか。

「これは覇姫様……」

 叙寧が挨拶するのが聞こえてきた。

 叙寧としては内外に実力を認められている春覇を自分の味方に引き入れておきたいに違いない。私が以前春覇の下に居たのは周知の事実だから、春覇が私の後ろ盾になるのを防ぎたいという思いもあるだろう。

 ご苦労なことだ、と考える私は、気分が重くなって溜息を漏らした。

「考え事かな?鴻将軍」

 頭上に降った穏やかな声に、私ははっと顔を上げた。目に入ったのは、にこにこと笑っている老将軍。

「棟将軍。失礼致しました」

 慌てて立ち上がり、礼をする。老将軍は笑いながら手を振った。

「いやいや、何やら難しい顔をしておいでのようじゃから声を掛けてみただけじゃ。そんな固い挨拶などよいよい」

 好々爺然としたこの穏やかな老人は、棟凱(とうがい)将軍。三人の大将軍の筆頭たる人だ。官職は大司徒、内政や人事を司る官だ。この人も由緒正しい家の出だが、叙寧とは逆に前々から私に目をかけてくれている。

 私は当初春覇の下に居たが、王族の佐将には決まった幾つかの家の出身者しかなれないらしく、将軍位になった時点で私は春覇の下を離れざるを得なかった。そうして上官になったのが、この棟将軍だ。最初に碧に仕官に来た時、私を評価する発言をしてくれたのもこの人だった。私のそれからの功績を耳にして一層気に入ったらしく、春覇の下を離れるのならぜひこちらに、と棟将軍の方から声がかかったのだ。それからも、なにくれとなく目をかけてもらっている。

「そんなに考え込んでおりましたか」

 私が問うと、棟将軍はにこにこしたまま頷いた。

「眉間に皺が寄りそうじゃったぞ。若い者がそんな顔をしておってはいかんのぅ」

「は……すみません」

 まるで近所のおじいさんのような物言いに、私は苦笑した。

 しかしこう見えてこの人は、神算と呼ばれるほどの戦上手だ。怒らせると非常に怖い、らしい。

 私はまだこの人を本気で怒らせたことはないが、教育方法のスパルタぶりは身にしみて知っている。

 見かけに騙されてはいけない。うん。

「そういえば、鴻将軍の昇進の祝いにささやかな宴を開きたいと思っておるのですがな」

「は、いえ、そのような……」

 気遣いは無用に願います、と言おうとした私の言葉を抑えるように手を胸の前に立て、棟将軍は朗らかに言った。

「明日の晩は空いておいでかな?よろしければ弊宅においでなされよ。ささやかながら祝宴を設けさせて頂きたい」

「恐れ入ります」

 遠慮は無用と勧める棟将軍に、私は恐縮しながらも承諾の返事をした。満足げに頷いた棟将軍が、ふと入り口の方に顔を向けて一礼する。その視線を追った私も、すぐに同じ所作をした。

「棟将軍。相変わらず健勝のようで何よりだ」

 穏やかな声が空気を揺らす。棟将軍はからからと笑った。

「まだまだ若い者に負けるわけには参りませんでな」

「それは頼もしい」

 老将の頑丈さに微笑んだのは、太子蒼凌だ。私と目が合うと一瞬その目に真剣な光を宿したが、すぐに微笑の仮面を被る。

「鴻将軍も、期待しているよ」

「若輩者ですが、懸命に努めます」

 当たり障りの無い会話の中で、視線だけが真実を語る。


 わかっているよ。用心ならしているさ。


 歩き去る蒼凌の背に礼をしながら、私はそっと周囲の気配を探った。

 叙寧の視線が突き刺さっている。他にも不満げな気配が幾つか。

 急激な昇進はどうしても敵を生む。やはり敵は国外の者だけではなくなりそうだ。

「そろそろ時間じゃな。では、また後程」

「はい」

 軽く手を振った棟将軍が、叙寧の向こうの席へ向かう。

 程なく、王の到着を告げる鐘が鳴った。私達は一斉に立ち上がり、両手を胸の前に組んで深々と礼をする。


 この堂上にも、敵は多い。


 朝見の儀に滞り無く参加しながら、私はそれとなく辺りを探っていた。



 その日は何事もなく仕事を終え、屋敷に帰る。

 慎誠は居なかった。尉匡達の話によると、今回は元々庵氏の荷の護衛で碧を訪れていたらしい。今日荷が帰るのでそれと共に橙へ向かったということだ。

 私は窓辺で欠伸をしていた哀に、重臣たちの間で政変の兆しが無いか注意して見ておくように頼んだ。



 翌日、仕事が終わってから、棟将軍が宗伯府の私の執務室を訪ねてきた。

「仕事は終わりかな、鴻将軍」

「はい、たった今」

 丁寧に挨拶をしながら私が答えると、棟将軍はにこにこと笑った。

「ならば参りますかの。大した歓待も出来ませぬが」

「とんでもない。お招き頂けるだけで恐縮です」

 宗伯府を出て、並んで歩く。

 棟将軍の従者と漣瑛が後ろに続き、擦れ違う者達は道を避けて頭を下げる。大将軍は事実上武官の最高位だからだ。

「失礼じゃが、鴻将軍はお幾つじゃったかな」

 棟将軍がふと問う。

「十七です」

「ほっほ……若いのぅ。儂なぞもう七十じゃ」

 そう笑う棟将軍は、七十の老人とは思えない程矍鑠としている。

 齢七十にして未だ現役の武官、しかも大将軍なのだ。はっきり言って常軌を逸した丈夫さだ。

「我が国は若い者が有望じゃからの。老骨も安心しておれますわい」

 嬉しそうにそう言う棟将軍は、蒼凌や春覇を高く評価している。

「いえいえ、まだまだ棟将軍に睨みをきかせておいて頂かないと」

 私がそう言ったのは、決して世辞ではない。蒼凌や春覇は王族で実力もあるといっても、やはり若いせいで侮られることはある。私などは尚更だ。

 高官達に好き勝手させない為には、まだ棟将軍のような老臣の力が必要なのだ。

「やれやれ、まだこき使われねばなりませぬかな」

 棟将軍は冗談混じりにそう言って笑った。


 棟将軍の屋敷は、王城からほど近い場所にある。代々続く名門とあって、広大な屋敷だ。侍女や使用人も多く、食事の部屋に通されると既に宴の用意がなされていた。漣瑛は別の部屋でもてなしを受けるようだ。

「どうぞ座りなされ」

 そう私を促し、棟将軍が席に着く。私もその向かいに腰掛けた。二人だけの宴席だが、侍女が何くれとなく世話を焼いてくれるので十分に華やかな雰囲気だ。

「卿の位に付かれたこと、大慶至極。お祝い申し上げる」

 侍女が酒を注いだ杯を手に、棟将軍が言う。私も杯を持って、礼を返した。

「身に余るお祝い、感謝致します。精一杯あい勤めます」

 互いに杯を捧げ持ち、酒を飲み干す。

 未成年なのに、とか今更言っても仕方がない。この世界で、特に位が上がれば、注がれた酒を頂かないわけにはいかないのだ。

「今宵は固いのは抜きに致そう。さぁさ、大したものもござらんが」

 棟将軍がそう言い、他愛もない歓談をしながら食事と酒を勧める。大したものは無いなんて謙遜もいいところで、次々と運ばれてくる料理はいずれもこんな機会にしか口に出来ない珍味だった。

 ……この宴席一回で、多分うちの家臣たちの給料三月分くらいは軽く飛ぶに違いない。

 私はさすがに酒はあまり嗜まないながらも、料理を美味しく頂きながら棟将軍と話をしていた。棟将軍は酒豪で知られた人で、ひっきりなしに飲んでいるにも関わらず顔色一つ変わらない。

「鴻将軍は剣が特に達者のようじゃが、何処で習われた」

「知人に少し稽古をつけて貰いました。あとは実戦で」

 そんな風に話しながら食事をしていると、杯を呷った棟将軍がふと私の杯に目を落とした。

「あまり飲んでおられぬな」

「は……強くないものですから」

 私がそう言うと、棟将軍は軽く唸った。

「いやいや、祝いの席じゃ。今宵は酔うて貰わねば」

 不穏なことを言い出して、傍らの侍女に何やら耳打ちする。

 いやいや、あんまり飲まされても困るから。

 いったい何を企んでるんですか、将軍!

「いやしかし……」

「酔い潰れたら泊まってゆかれればよい」

 そういう問題でもありませんって。


 私が苦笑していると、背後、入り口の方から鈴の音のような澄んだ音がして、棟将軍が顔を上げた。

「おお、来たか」

 将軍の言葉に振り返ると、艶やかな衣裳を着た女の子が立っていた。歳は私より少し下だろうか。きらきらした簪に小さな鈴がついていて、音の正体はこれだったのかと知る。

「こちらは……?」

 私が問うと、将軍は目を細めた。

「孫娘の(りん)じゃ。今年十四になります。燐、この方が鴻将軍じゃ」

「燐と申します」

 綺麗な仕草で礼をする棟燐は、十四歳とは思えないほど落ち着いていて、衣裳や髪飾りを抜きにしても綺麗な娘だった。

「鴻将軍にお酌をして差し上げなさい」

「はい」

 棟将軍の指示に頷いた棟燐が、私の隣に座って酒器を持つ。礼儀として、私は杯の酒を飲み干してから差し出した。静かに酒が注がれる。

「お綺麗な方ですね」

 私が言うと、棟将軍は顔を綻ばせた。

「いやいや、なかなか子どもじみたところが抜けませんでな」

「とんでもない。利発そうな方です」

 強ち世辞でもなく、棟燐は美人だし賢そうだ。仕草にも育ちの良さが表れている。

 ……多分、美人に酌をして貰えば酒が進むだろうという考えの下に呼ばれたんだろうな。残念ながら私は女だから彼女に対して綺麗だなという以上の感情は持ち得ないけれど、わざわざ出てきてくれたんだから飲まなきゃいけない気はしてくる。さすがは将軍、有効な策だ。

「少し失礼する」

 暫く話していると、将軍がそう言って席を立った。それを見送って、私は野菜の和え物を口にした。

 あ、旨い。このくらいなら紫梗に工夫して貰えばうちでも食べられるかな。よく考えたら、もう少し肉も食べさせてやらないと男衆には気の毒な気もするし。食費をちょっと増やしてもいいか。

 うちはお金がないわけではないのだけれど、何となく私の性格が染みて倹約が家風になっているきらいがある。

「お酒はあまり嗜まれないのですか?」

 不意に話しかけられて、私は飛んでいた思考を引き戻した。

「ええ……あまり強くないもので」

 私が言うと、棟燐は首を傾げた。

「そうですか?お顔にはあまり出ておられないようですけれど」

 実を言うと、私は強くないというよりは飲まないという方が正しい。酔うほど飲んだこともないので、強いのか弱いのかわからない。

「そうですね、あまり顔には出ないようです」

 私が当たり障りないように言うと、棟燐は微笑んだ。

「とても落ち着いた方ですのね。私、将軍はもっと武骨な方だと思っておりました」

 まあ、確かに私は見た目武官という感じではないだろうが。

「そうですか?棟将軍はとても穏やかな方ですが」

「あれは年の功ですもの」

 こらこら。はっきり年寄りだと言うものじゃないよ。

「父が申しますには、若い頃は大変な暴れ者だったそうですわ」

「本当ですか」

 想像出来ない。いや、まぁそれくらいじゃないと今のあの鍛えられた体は出来ないのかも知れないが。

 目を丸くした私を見て、棟燐はくすくすと笑った。

「私も驚きましたわ」

 そう言って、そっと酒器を持ち上げる。

「もう少し召し上がりませんか?」

 にっこりと笑われれば、断ることも出来ず。

「……では」

 私は杯の酒を飲み干した。


 棟将軍が戻って来たのは、暫く経って私と棟燐が打ち解けた頃だった。

「おや」

 談笑している私達を見て、目を細める。

「燐はお気に召しましたかな」

「ええ、とても利発な方です」

 棟将軍が席に着いて酒を口にするのを見て、私は杯の酒を飲み干した。すかさず棟燐がそこに新しい酒を注ぐ。

「もしよろしければ」

 杯を口に運ぶ私に、将軍は朗らかに笑いながら言った。

「燐に鴻将軍の身の回りの世話をさせるのがこの老骨の望みなのですがな」

「……っ、げほっ!」

 噎せた。噎せたよ。

 棟将軍の発言があまりに衝撃的で、私は思わず噎せてしまった。

「ばかー」

「ばかー」

 周りの精霊達が囃す。

 潰すぞ。

「まぁ、大丈夫ですか?」

 すぐに棟燐が背中をさすってくれる。

 どうして君はそんなに落ち着いてるんだ。


 身の回りの世話、というのは常套句だ。

 何のって……つまり、要はお嫁に貰うということだ。

「これは失礼。お戯れを……」

 呼吸を落ち着けながら私が言うと、棟将軍はにこにこ笑いながらも首を横に振った。

「至極真面目に申しておるのですがな」

 いやいやいやいや、無理だから!

「や、しかし……」

「燐はお気に召しませんかな」

「とんでもない。寧ろ私には過ぎたお方で……」

 いい娘だと思う。

 別に棟燐に不満とかそういうことでは無い。しかしそれ以前に、私は女だ。嫁は貰えない。

 とはいえそれを言うわけにもいかず、私は冷や汗をかきながら断りの理由を探した。

「まぁすぐにとは言いませぬ。考えておいてくだされ」

 私の焦りを見て取ってか、棟将軍はそう言うとまた元通り食事を進めるよう促した。

 棟燐は最後まで私の隣で給仕をしていた。



 泊まって行けという勧めを固辞して、夜半に棟将軍の屋敷を出た。出口に漣瑛がちゃんと控えている事に少し驚く。

「お前は飲んでいないのか」

「多少頂きましたが、酔うほど飲んではおりません」

 あっさりと答えて、漣瑛はいつも通り私の後に従った。月明かりの下家路を歩きながら、先程の将軍の話を思い返す。

 この国の慣習では女性の結婚は日本より早く、中上流の階層では十代半ばに婚約者を探して二十歳前に結婚するのが普通だ。それから考えると、十四歳の棟燐の相手を探すというのは別に早くはない。因みに男は二十代から三十歳くらいで結婚するのが普通だそうだ。

「しかし何で私かな……」

「どうかなさいましたか?」

 思わず漏れた呟きに、漣瑛が反応する。私は軽く唸った。

「もう少し家柄の良い男でも見繕ってやればいいのに……」

 溜息を吐いて、漣瑛を顧みる。漣瑛は要領を得ないという顔をしていた。

「将軍?」

「いや……気にしないでくれ」

 この種の事をわざわざ言うのも気恥ずかしい。

 私は頭を振り、足を進めた。


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