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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之伍 戦禍
89/115

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 振動を感じて、私の意識は浮上した。同時に、こめかみがずきりと痛む。

 思わず顔をしかめながら、ゆっくりと目を開けた。


 薄暗い。

 振動からすると、どうやら幌付の馬車の中に転がされているようだ。

「起きたか」

 不意に声がして、私ははっと顔を上げた。向かい側に、大柄な男が座っている。思わず起き上がろうと身動いで、後ろ手に縛られていることに気づいた。男は幌を少し持ち上げて、外にいる人間に言う。

「絡嬰に知らせろ」

 外の光が入ったことで、男の顔が鮮明に見えた。束憐だ。

 私は状況を理解した。あの時束憐によって馬上から叩き落とされた私は捕縛され、現在昏に護送される途中なのだろう。

「よう、気分はどうだ?」

 束憐が問いかけてくる。私は鼻を鳴らした。

「最悪だ。頭が割れるように痛い」

「そりゃあ、思いっきり振り切ったからな」

 私は束憐の全力を頭に受けたようだ。逆にそれで生きていたことに驚く。私は案外石頭らしい。

「なぁ」

 束憐が、彼にしては真剣な声で問いかけてくる。

「お前、一体何者だ?」

 私は間髪入れずに答えた。

「碧の大宗伯にして右軍大将軍、鴻宵だ」

「そうじゃねぇよ」

 束憐が目を眇める。

「お前を捕まえてから、精霊どもが号泣してやがる。いくらお前が宗伯でもこんなことがあるかよ」

 はっとして周囲に注意を向けると、そこここで精霊達がわんわん泣きわめいていた。

 嘗て白で捕らえられた時と同じだ。

 私が目覚めたことに気付いて、一匹の木精霊が顔にぴとっと貼り付いてくる。それに、周囲の精霊達が我も我もと続いた。

「ちょ……埋もれる。窒息する」

「……何やってんだ」

 あっという間に精霊の山に埋もれた私を見て、束憐が呆れ気味に呟く。群がった精霊達を手で払ってくれた。

「束憐、お前精霊が見えるのか」

「それはこっちの台詞だろうが。おかしいだろ、何で精霊どもがこんなに集まって来んだよ」

 何だか不気味なものを見るような目で見られて、少し傷つく。お前にそんな目で見られる筋合いは無いぞ。

「それはそうと」

 私は精霊達の奇行によって弛んだ雰囲気を引き締め直した。

「昏は私をどうする気だ」

 あの場で止めを刺さなかったということは、利用する気があるのだろう。私が問いかけると、束憐は首を振った。

「知らねえな。そういうのは絡嬰の仕事だ」

 ああ、まぁ、そうだろうけども。知らないと言い切るのもどうなんだ、相棒として。

「まあ、絡嬰のことだ」

 束憐はつまらなそうに言った。

「どうせまたえげつないことでも考えてやがるんだろうけどな」

「不安にしかならない情報をどうも」

 確かに以前会った時のやり口からしても、絡嬰に穏便な行動を期待するのは無理だろうけれど。

「誰がえげつないと?」

 不意に不機嫌そうな声がして、幌が引き開けられた。言わずもがな、絡嬰だ。

「あ?不満か?」

「言っておくが私は好んでえげつない手を用いるわけではない。常に最善の手段を考えているだけだ」

 要するに目的のために手段は選ばないと。

 それをえげつないと言うのでは、なんて思っていた私に、絡嬰は冷え冷えとした視線を寄越した。

「数日で都に着く。妙な事は考えない方が身のためだ」

 そうこちらに釘を刺してから、束憐に向き直る。

「貴様も余計な事は喋るな。見張っていればそれでいい」

「へいへい」

 束憐は軽く手を振って答えた。絡嬰はそれっきり、車を離れていく。

「愛想の無い男だな」

「あいつに愛想を求める方が間違ってんぞ」

 あ、やっぱりか。

「あいつの容赦なさはお前も知ってんだろ」

 よく、知っている。治った筈の脇腹が、微かに痛んだ。

「お前の処分を決めんのはあいつだ。覚悟決めとくんだな」

 私はぎり、と奥歯を噛み締めた。

 逃げ出そうにも、ここは恐らく昏軍の真っ只中。加えて武器もなく、目の前には束憐がいる。

 どうすればいい?

 私は忙しなく頭を働かせたが、こめかみの痛みが思考の邪魔をする。

「逃げようなんて考えんなよ」

 私の心を読んだかのように、束憐が釘を刺す。

「次は仕留めるからな」


 逃げ場は、無い。

 馬車は無情に進み、私を北へと運んでいった。




 朝会前、碧の朝廷は、一種異様な雰囲気に包まれていた。

「鴻将軍が……」

「昏の派兵の狙いは鴻将軍にあったのではないかと」

「馬鹿な。たった一人の為に五万もの軍を?」

 そこここで、囁き交わす声が聞こえる。

 そんな中、春覇はじっと俯いていた。

 鴻宵が心配なのは、無論のこと。しかしそれと同時に、王がどういう態度を見せるかという不安が、春覇の表情を重くしている。

「覇姫様」

 呼び掛けられて顔を上げると、棟敏がやって来たところだった。彼は春覇の前に立つや否や、がばりと頭を下げて膝をつく。

「申し訳ございません。私の指揮が至らぬばかりに鴻将軍を……」

 春覇は即座に立ち上がり、棟敏を助け起こした。

「棟氏の責ではない」

 はっきりと言ってから、春覇は少し声を落とす。

「しかし一刻も早く鴻将軍を救い出さねばならないことはお分かりだろう。ご協力願えるか」

「無論です」

 棟敏は即答する。もとより、鴻宵の重要性は理解しているのだ。

「しかし問題は、昏がどういう条件を提示してくるか、ということですか……」


 昏はわざわざ鴻宵を捕獲する為に軍を起こした。

 今後の行動として、考えられるのは二つ。

 昏にとって邪魔な者として殺すか、生かしておいて碧との取引に使うか。

 普通に考えれば、後者の方が旨味は大きい。しかもこれまで昏軍に鴻宵を殺した様子の無いことも、後者の可能性を高めていた。だとすれば、その取引条件次第でこちらの態度も変わる。


「だがいずれにせよ、我らに鴻宵を救い出す意思があることをはっきりと見せておいた方が良い」

 少なくとも問答無用で殺される事態を防ぐために、牽制しておかなければならない。こちらに鴻宵が必要なのだということは、昏も先刻承知である。こちらから動けば弱みを握られたと認めるようなもの、などと悠長なことは言っていられない。虚勢を張っても昏には見通されることを考えれば、弱味をできるだけ見せないためには却って迅速に態度に示した方がいい。鴻宵を殺せば相討ち覚悟で昏都へ乗り込むことも辞さない、とこちらの覚悟を明確に打ち出す方がこの場合得策なのだ。

 少なくとも、鴻宵を失わないためには。。


「王のおなりである!」

 侍臣の声を聞き、誰もが席へと戻る。しんと静まり返った堂上はしかし、現れた王に付き添う者の姿を見て再びざわめいた。

 普段、王の後ろには太子が控えている。ところがその日は様子が違った。王と太子に続き、もう一人の姿が見える。

 これまで幼さを理由に朝廷に出てこなかった公子詠翠が、初めてこの場に現れたのだった。

「静まれ」

 王の一喝で、ざわめきが止まる。しかし心中の驚きまでは簡単には収まらない。

 何故今、この状況下で、公子詠翠が表に出てきたのか。春覇は蒼凌の顔色を窺ったが、いつも通りの穏やかな表情からは何も読み取れなかった。

「詠翠ももう十二、十分に国政に携われる歳である。これよりは皆で教え支えてやって欲しい」

 王が群臣に詠翠を紹介する。全員がさっと礼をした。

「御意」

「早速朝議に入ろう」

 王の言葉に従って、宰相の荏規が進み出る。

「今何よりも早急に議論すべきは、昏に捕らわれた鴻将軍についてでございましょう」

 続いて、さっと棟敏が前に出た。すぐ後ろに檄渓も続く。

「王より指揮権を賜りながらこの敗北を招いたこと、慚愧に堪えません。伏して罪を乞う所存でございます」

 言うや否や、平伏して沙汰を待つ姿勢を取る。檄渓も同様に振る舞った。

「そなたらに責は無い。我が軍の損害は軽微である」

 損害軽微。当然と言えば当然である。昏軍の狙いは鴻宵ただ一人にあった。

「しかしみすみす鴻将軍を奪われたのは我らの罪。もしお許しがいただけるならば、何卒今一度兵を率い、鴻将軍の奪還を図る機会を」

 棟敏は切々と訴えた。王は眉を寄せ、何かを思案するように小さく唸る。

「だが鴻宵は昏都に送られたと聞く。今頃は城に着いておる頃であろう。兵を率いて向かってもまさか都を落とせるわけでもあるまい。無駄足であろう」


「さに非ず!」

 不意に響いた声に、誰もが意表を突かれて振り返った。その中を、堂々と歩いてくる老将が一人。

 棟敏が目を丸くした。

「あ、兄上……?」

 零れた呟きを拾い上げることはせず、棟凱は王に礼をする。

「中軍大将軍棟凱、王に拝謁致す。取るものも取り合えず駆けつけました故、旅装にて失礼致します」

「棟将軍。遠路遥々駆けつけられたとは」

 王ですら、不意を突かれたらしく目を瞬かせている。棟凱はずいと進み出た。

「老臣が駆けつけましたのは他でもない、鴻将軍の件について……」

「申し上げます!」

 棟凱の言葉を遮るように、取り次ぎの声が響いた。

「昏より使者が参っております!」

 一瞬で、緊張が場を支配する。使者が来た。それはつまり、鴻宵の身柄と引き換えにすべき条件を伝えに来たということ。

「通せ」

 王の声が重く響く。

 現れたのは、目の細い沈着そうな男であった。使者の印を手に一礼した男は、慇懃な態度で口を開いた。

「東方の王よ、ご機嫌麗しゅう。貴国と我が国とが衝突したことを悔やみ、今こうして対話できることを喜びましょう」

 王の眉間に皺が寄る。しかし文句はつけずに先を促した。

「この度我が軍は不幸にも貴国の軍と相対し、鴻将軍を捕虜と致しました」

 使者は悪びれもせずにそう続け、碧の重臣達の険悪な視線をものともせずに言い放った。

「鴻将軍は碧の勇将。お返ししたいのは山々ですが、ただでというわけには参りませぬ」

 使者が一旦言葉を切る。碧の重臣達は、皆互いに目配せし合った。捕虜の返還に交換条件を持ち出してくることは予測済みである。

「……条件は」

 端的な問いを発したのは、蒼凌であった。昏の使者が含むように笑う。

「橙の支配権を、我が国にいただきたい」

 堂上に動揺が走り、ざわめきが生じた。

「小なりとはいえ一つの国を、将軍一人と引き換えよと言うのか」

 さすがに王も顔色を変えた。しかし使者は涼しい顔をしている。

「ご不満ならばお断りになればよろしい。鴻将軍が二度と碧の地を踏めなくなるというだけのこと」

「そなたは我が国を脅しておるのか」

「まさか。これは取引でございます」

 棟凱の恫喝にも、使者は動じない。それを見て、蒼凌が静かに言った。

「ひとまずお引き取り願おう。我らにも話し合う時間をいただきたい」

「よろしいでしょう。双方にとって最良の決断がなされるよう祈っております」


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