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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之伍 戦禍
85/115

対峙

 出陣の日が来た。

 中軍と右軍が肩を並べる形で都を出る。全軍に対する指揮権を発動するための兵符は今、棟敏の手にあった。

「鴻将軍」

 馬を進め始めて間もなく、棟敏が私のもとへやって来た。

「兄より書簡が参りました。どうやら、昏軍を率いているのは絡嬰と束憐らしい」

 彼の口から出た名前に、私は思わず苦い顔をする。

「あの二人か……」

 治った筈の脇腹が痛んだ気がした。蘇る嫌な記憶を頭を振って散らし、二人に関する情報を頭から引き出す。


 絡嬰と束憐は、ともに低い身分の出身で、頭角を顕す以前の経歴はほとんどわからない。早くから友誼があったらしく、しばしば二人合わせて名前を耳にする。

 彼らがこれまで私と対峙したことが無かったのは、彼らが数年前から北方の反乱鎮圧に派遣されていたからだ。一説には、絡嬰と束憐の能力を恐れた政府が二人纏めて体よく辺境に飛ばしたのだとも言われる。つまりそれだけ、二人は有能だったということになる。

 その後、峰晋が消えてからの混乱に対処するためにまず絡嬰が呼び戻され、暫く前に北方の反乱が平定されたことから、束憐も戻ってきた。


「国境を越えてくるだろうか」

 私の呟きに、棟敏は唸る。

「それはありますまい。あちらも大義名分が必要な筈です」

 翳すべき大義の無い戦は、畢竟兵がついてこない。無論戦には多少の強引さが必要な時もあるが、曲がりなりにも同盟国の国境を侵犯したとあってはさすがにやりにくいだろう。

 棟敏の意見に、一応私も頷いた。しかし相手はあの二人だ。こちらの考えの及ばない動きをしてくる可能性は十二分にあり得る。

「念の為、騎兵を一隊遊軍としよう。何が起こるかわからない」

 私の提案に、棟敏は頷いた。その場で相談して檄渓に騎兵五千を率いさせることを決め、指示を出す。檄渓は私と棟敏の指示に素直に従ったが、兵を率いて隊を離れる直前、不意に私を顧みて言った。

「注意して下さい。嫌な予感がします」

 私は思わず息を飲む。漠然と心の中にあった不安が、不意に確かな形を持って浮かび上がってきた気がした。

「……わかっている」

 そう返すのが、精一杯だった。




 警戒を保ちつつも全速で進軍していた私達にその報せが届いたのは、北の国境まであと数日という位置まで進んだ時だった。

「昏軍が国境を越えました!」

 思わず、私と棟敏は顔を見合わせる。

「国境を越えてきた……」

「馬鹿な。自ら非難の矢面に立とうというのか」

 信じられないといった顔で、棟敏が呟いた。彼の言う通り、あちらから国境を越えてきたとなれば、盟約を破ったのは明白にあちら側ということになる。

「名を捨てて実を取ったか、それとも……」

 何か、他の手を考えたか。

 私は眉を寄せた。どうも、絡嬰と束憐を相手にすると後手に回らされてばかりだ。

「急ぎましょう。帛野の前で食い止めたい」

 そう言った私の意見に頷いて、棟敏が指示を出す。全軍が足を速めた。


 日が翳る。風が強くなり、旗がばさりと音を立てた。


 相手の考えが読めないというのは、気味が悪いな。

 そう思いながら、私は前方を見据えた。

 嫌でも蘇ってくるのは、白の函逸と対峙した戦のことだ。

 あの時も私は相手の真意を読みきれず、結果として軍の主力を濁流に呑まれるという惨敗を喫することになった。


「棟氏」

 私は棟敏に声を掛けた。

「昏の絡嬰や束憐と戦ったことはおありか」

 情報は、少しでも多い方が良い。そう考えての問いかけに、棟敏はしかし首を振った。

「生憎、私はありませんな。だが」

 逆接の言葉を紡いで、記憶の底を探るように目を眇める。

「確か、兄は対峙したことがある筈です。奴らが北の鎮圧に向かう前のことですな」

 当時、まだ絡嬰も束憐も一軍を任される程の地位にはなく、それぞれ一隊を率いて帥将の指揮下にいたと言う。

 しかしそれでも、彼らの異色さは目立っていた。

「何しろまず、束憐という男の膂力は尋常ではない。兵士など近づく端から弾き飛ばされるようなもので、兄ですら騎兵三千に囲ませて進路を阻むので精一杯だったと言います」

「三千」

 私は唖然とした。ここまでくると、驚くというよりは呆れるというのが正しい。

「その上、どうやら絡嬰と束憐には親交があるらしく、束憐がこちらを切り崩すや否や絡嬰が的確に兵を投入してくるのでさしもの兄も辟易したとか……」

 私は昏の都で会った二人を思い浮かべた。確かに、あの二人は単なる同僚という以上の気安さをもっていたように思う。友人というには少々殺伐としている気がするが。

「つまり、連携されるとかなり厄介、と」

「はい。おまけに一方だけでも相当の力量ですから、手こずるのではないかと」

 私は暫し考えた。片方でも面倒、二人揃うとより厄介。

 だったらまず、片方だけでも押さえてしまうのが堅実なやり方だろう。棟敏の話だと、束憐はその武力による突破、絡嬰はそれに同調し最大限に利用する知略に長けている。

「棟氏」

 私は決断した。

「束憐は私が引き受けます。その場に足止めするくらいはできるでしょう」

「しかし……!」

 棟敏は顔色を変えた。棟将軍が三千の騎兵で押さえたものを、と思っているのだろう。私は苦笑した。

「こう言っては何だが、私以外にこの役目ができる人間は今回の軍中にはおりますまい」

 多少傲慢とも思えるようなことを言って、私は真剣に棟敏を見据えた。

「絡嬰と他の兵士達はお任せする。檄渓の隊をうまくお使いください」

 棟敏は暫く逡巡しているようだったが、やがてそれしかないと認めたのかゆっくりと頷いた。




 昏の軍中にて。

「おい、いいのか?境目越えちまったぜ」

 つまらなそうに馬を進めていた束憐が、絡嬰に声を掛けた。形式的な礼儀など捨てて実を取るのはむしろ束憐にとって歓迎すべきことだが、下手に独断行動をすれば朝廷がうるさい。普段なら束憐を止める側に回る筈の絡嬰が涼しい顔で国境を越えたことに、束憐は驚いたのだ。

 問いを受けた絡嬰は鼻で笑った。

「何を言う。心泉以北は我が国の領土だ」

「……本気かよ」

 束憐は呆れた。

 絡嬰が口にしたことは、理念としては正しい。昏の朝廷は常に心泉までを自領と主張してきた。しかし実際には、碧との小競り合いで心泉は奪われ、心泉より数里北にある砦が軍事的境界線となっている。故に、今回も誰もがその境界を国境線と考えていた。

 そこに、絡嬰は政治的理念上の境界を持ち込んだのである。明白な屁理屈ではあるが、理由をつけて主張さえしてしまえば一方的な非難は緩和できる。

 況してや昏は強国。己の理屈で相手を押さえ込む力は持っている。

「そんなに焦ることねぇんじゃねぇか」

 今一つ絡嬰らしくない強引さに、束憐は眉を寄せた。絡嬰の方は涼しい顔をしている。

「焦ってなどいない。しかし開戦まで間が空いて、鴻宵にこちらの意図を読みきる暇を与えるのは困る」

 軍事上の国境を越えずに対峙すれば、先に国境を越えた方が盟約破棄を表明することになり、結果的に双方二の足を踏んで開戦が遅れる。故に絡嬰はわざと無理な理屈を持ち込んで境界を越えたのだ。

 こちらが国境を越えたとなれば、あちらも躊躇うことはない。即開戦となるだろう。

「……何を企んでんだ?」

 束憐は尋ねた。無理な理屈を押し通してでも鴻宵に読まれたくない意図とは、一体何か。

「よく心得ておけ、束憐」

 絡嬰は僅かに口角を上げた。


「この戦の目的は、領地の奪還でも、碧への威嚇でも――勝利ですら、ない」




 駆け続けて、数日。

 ちょうど心泉の傍で、昏軍と碧軍は対峙した。やや開けた場所に布陣したとはいえ、方々に森林のある地形だ。伏兵を置くのも奇襲も容易な筈。警戒を怠らないよう、私は偵察の兵を多目に出した。檄渓の隊は、本陣からやや離れて布陣する。

「いよいよですな」

 少し緊張した面持ちで、棟敏が言う。私は頷いて、昏軍を見据えた。


 絡嬰、お前の狙いは一体何だ。


 宣戦布告の為に、まず棟敏が前に出る。私もそれに続いた。あちらからは先に絡嬰、そして束憐が出てくる。

「何だぁ?」

 向かい合って開口一番、束憐が怪訝そうな声を上げた。

「大将は鴻宵じゃねぇのかよ」

「黙れ」

 即座に絡嬰が制す。こちらに向き直った紫暗の瞳は相変わらず冷たいが、所作だけは優雅に一礼した。

「馬鹿が失礼した。中軍佐の棟氏とお見受けする」

 さらっと馬鹿って言ったよこの人。

「我が軍の『游旅』に馳せ参じてくだされたこと、恐縮に存ずる」

 游旅ときたか。棟敏は僅かに眉を動かし、答礼の口を開いた。

「遥々我が領までのご足労、痛み入る。折角の游旅だ。我らが興を添えて進ぜよう」

 絡嬰がちらりと笑った気がした。

「はて、この辺りは我が領かと思ったが……わざわざお越しいただいたものをお帰しするのも無粋というもの」

 紫暗の瞳と、一瞬目が合う。

「身辺には、くれぐれもご注意を」

 ぞく、と何だか嫌な予感が背筋を震わせた。しかしそれは一瞬だけで、言葉の応酬を終えた双方が陣に戻って行く。

 ほぼ同時に、両軍の鼓が鳴った。喊声とともに、先陣が走り出す。


 私は騎兵二千を率いて、束憐が動き出すのを待った。右軍の残りの兵は、全て檄渓と棟敏に託してある。

 とにかく、私は束憐を止める。絡嬰は読めない男だが、棟敏は「神算」棟将軍の弟だ。その戦いを間近で見てきている。絡嬰の動きを読みきれないまでも、何とか押さえるくらいはできる筈だ。それに、檄渓もいる。我が部下ながら正直よくわからない男だが、いつも真っ先に私の意図を理解して同調してくるのだから、優秀には違いない。


 束憐が動いたのは、即座にわかった。

 何しろ本来大柄で目立つ男だ。加えて、彼の突撃を受けた隊がいっそ見事なまでに真っ二つに割れていく。

「……行くぞ」

 周囲の部下達に声を掛けて、私は馬腹を蹴った。

 近づくにつれ、その異様な光景がはっきりと見えてくる。

 束憐が操っているのは、特大の鉈とも大剣ともつかない巨大な刃を持つ武器だった。剣の類にしてはかなり長めの柄がついている。刃渡りだけで小柄な人間の身長ほどもあるその武器を、片手で軽々と振り回しているのだ。

 一つ言いたい。怪力にも程があるだろう。

 私は矛を握り直した。

「我々の目的はあれを足止めすることだ。お前達には援護を頼む――死ぬなよ!」

 後ろに続く部下達にそう叫んで、私は束憐に向かって馬を走らせた。


 赤銅色の隻眼と目が合う。

「来たな」

 束憐は実に愉しそうに笑った。


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