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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之肆 奇縁錯綜
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鼠狩り

 目を覚ました私の視界に一番に入ってきたのは、心配そうな総華の顔だった。

「起きたのね、鴻宵。気分はどう?」

「ん、大丈夫」

 少しだるい感覚はあるが、頭は割とはっきりしている。しかし、落ち着いてみると傷がずきずきと痛む。

「どのくらい、寝てた?」

 私は総華に訊いてみた。覚えているのは、章軌の労いに気が弛んでしまったところまで。きっと皆を驚かせてしまったに違いない。

「二刻ほどのものよ」

 返ってきた答えは、案外短い時間だった。かなりの間意識を失っていた気がしたのに、実際は三十分程度しか経っていないという事だ。

「子ども達は大丈夫か?驚かせてしまった」

 私が言うと、総華はちょっと苦笑した。

「今は落ち着いてるわ。さっきまで光佳が大泣きして藤備がおろおろしてたけど、疲れて眠っちゃったみたい」

「……ごめん」

 後で藤備に謝っておこう。

「気にしなくていいわ。それより今は安静にしてること。お水飲む?」

「うん」

 総華から椀を受け取って水を飲み、促されて再び横になる。

「しっかり休んで。――お疲れ様」

 私は小さく頷いて目を閉じた。


 それから数日、私は高熱を出したらしい。意識が朦朧としていたようで、記憶が曖昧だ。


 目が覚めた時、皆から、函朔は蒼浪の秋伊のところに戻ったと告げられた。

 そして私は、それを疑わなかった。

 何も、知らずに。




 漸く熱が収まり、朦朧とした状態から脱して目を開けた時。

 私の枕元で、見知らぬ女性が手拭いを絞っていた。

「……どちら様?」

 思わず、間の抜けた言葉を掛けてしまう。それに反応してこちらを向いた女性は、無表情のまま綺麗な所作で一礼した。

「お目覚めになりましたか。私、箙磬(ふくけい)と申します」

「はぁ……」

 事態が掴めない私が生返事をすると、箙磬は絞った手拭いを私の額に乗せながら続けた。

「覇姫様の侍女でございます」

「……あぁ!」

 漸く納得した。そういえば、結婚した時に春覇も侍女を連れてきていたはずだ。何だかばたばたしていたので忘れていた。

「そうか。よろしく……覇姫様は何人連れていらしたんだ?」

 数は最小限にするみたいな事を言っていたけれど、何しろ春覇はお姫様だ。かなりの数の侍女や使用人が付いていたのだろうし。

「私一人でございます」

「……え?」

 私は目を見開いた。仮にも王族の姫が、一人しか侍女を連れてこないとは。

 私の困惑を読み取ったのか、箙磬は淡々と言う。

「覇姫様は元々あまりたくさんの侍従を傍に置くのを好まれない方です。更にこの度は気心の知れた者だけを伴うと仰って、私をご指名下さいました」

「そうか……」

 まぁ、確かに春覇がたくさんの侍女に世話されているところなんて想像しがたいが。

 頷いた私は、はっと箙磬を見た。

「でも一人しかいないのなら、私の世話をしている場合ではないだろう」

「いえ、覇姫様からはこの家の使用人と同様に振る舞うよう仰せつかっております。更に言えば、覇姫様は現在出仕しておられます」

 滑らかに回答されて、私は何も言えなくなった。

「それに」

 言葉を継いで、箙磬が少しだけ目元を和ませる。

「こうして看病しているのが、私は存外好きなもので」

 ひやりとした手が、私の顔に触れる。登蘭や淵珪より、年齢を感じさせる手だ。ひょっとすると五十近いのかも知れない。

「熱はだいぶ下がりましたね。総華殿をお呼び致します」

「うん……ありがとう」


 少しだけ、母を思い出した。幼い頃は冬になると決まって風邪をひいて、母に看病して貰ったものだ。

 あの世界に私が戻ることはもう無くて、この記憶もいずれ色褪せて朽ちてしまうのかもしれないけれど。でも、確かに私が過ごしてきた時間だった。


 私は傷に手を当てた。総華がしっかり手当てしてくれたお陰か、痛みはだいぶましになって、焼け付くような感覚も無い。

「生き残ってやったぞ」

 私は呟いて、窓から見える空を睨み付けた。




 碧と橙の戦は、碧の勝利に終わった。橙の主力たる戦姫は捕虜となり、打つ手の無くなった橙は碧に臣従する道を模索し始めている。碧の鴻宵は帰国後病と称して療養しており、一部に戦闘で負傷したのではないかという憶測も飛び交っているが、真相はどうあれ、命に関わるような事態でないことは覇姫がはっきりと証言している。都に近い場所で戦闘を行い短期で決着させた事で、碧は戦費の浪費を防いだ。

 報せを聴いた絡嬰は、不快げに鼻を鳴らした。隣で束憐が無遠慮に吹き出す。

「目論見外れてんじゃねぇか。珍しいこともあるもんだな、おい」

「黙れ」

 舌打ちを漏らさんばかりの口調で束憐を黙らせ、使者に命じる。

「国境の守備兵を動かして橙に圧力をかけろ。碧に走らせるな」

「はっ」

 使者が走り去るのを見届けて、絡嬰は不機嫌なまま地図を広げる。束憐がにやにやと笑いながら言った。

「橙を碧に走らせねぇのは難しいんじゃねぇか?戦姫を押さえられてんだろ?」

「兵をちらつかせて脅しておけばこちらを無視する度胸は橙には無い。どっち付かずの態度を貫こうとするだろう。それで十分だ」

 現在の国力は、僅差ながらまだ昏が勝っている。碧が橙を完全に掌握してしまわない限りは、十分に優位を保てる筈だ。

「この件で一つはっきりしたのは」

 絡嬰は地図上に描かれた碧の版図を見据えながら呟くように言った。

「鴻宵は可及的速やかに消してしまわねばならないという事だ」

 先日、鴻宵は碧の覇姫と婚姻を結んだ。自身の実力のみならず、対外的な影響力も持ち始めている。

「細工で潰す気か?もったいねぇなぁ」

 束憐は椅子の背もたれに腕を掛けながらぼやいた。彼は政治的な駆け引きや礼儀には疎いが、盟約を結んだばかりの碧と戦を起こせる可能性が低い事くらいは理解している。

「そうしたいのは山々だがな!」

 珍しく、絡嬰が感情のままに声を荒げた。束憐は目を見開く。

「……あれを潰すのはなかなか容易ではなさそうだ。手を回しても何かと邪魔が入る」

「へぇ……」

 束憐の眉宇にも、さすがに思慮の影が落ちた。彼は絡嬰がどれだけその手の謀略に長けているか、間近で見てきている。その絡嬰の計略が悉く邪魔されているとなれば、相当の力が鴻宵の背後にはあると考えなければならない。

「正面から行く方が却って早そうだ」

 絡嬰はそう言うと、何やら書簡を認め始めた。

「戦の口実ならいくらでも仕立てられる。しかも碧の朝廷は橙に勝利した事で驕っていよう」

 驕った者は、気が大きくなる。昏にも勝てるのではないかという気がしてくるのである。

「貴様にも漸く出番が回ってくるぞ」

 絡嬰のその言葉に敏感に反応した束憐は、口角を上げた。

「そりゃあいい。いい加減腕が鈍りそうだと思ってたとこだ」

 赤銅の隻眼に、獰猛な光が宿る。その視線が、ふっと中空に逸れた。瞬間、表情が引き締まる。

「……どうせすぐじゃねぇんだろ。ちょいと出かけて来るぜ」

 身軽な動作で椅子から立ち上がり、束憐は出口へ向かった。

「どこへ行くつもりだ」

 絡嬰が問いを投げると、束憐は顔だけこちらに向けてにっと笑った。


「鼠狩りだ」




 その頃、昏の都の外れ、城壁の傍で、函朔は耳をそばだてていた。精霊の声から情報を拾おうとしているのだ。

 しかし気まぐれに囁き交わす風精霊達からは、特に有用な情報は得られそうになかった。

 函朔は一つ溜息を吐くと、その辺りの岩に腰掛け懐から出した干し肉を口に放り込んだ。馬を飛ばして昏の都にたどり着いたばかりで、腹が減っているのだ。餅も取り出してかじりながら、太陽の位置を確認する。

 ちょうど近くに庵氏の一行が来ている事を、途中の邑に住む昔馴染みが教えてくれた。ついでに伝書鳥を使って連絡して貰ったところによると、生憎庵覚は来ていないが弟の庵識が会うと言ってくれた。

 現時点では具体的な頼み事は無いが、情報収集の伝として庵氏兵団ほど便利なものは無い。それに長らく庵識とは会っていないので、個人的に少し楽しみでもあった。

 約束は夕刻である。まだ数経の空き時間がある。

「先に宿を取っとくか」

 簡単な食事を終えた函朔は、そう呟いて町の中心部へ向かっていった。宿を取るなら、情報の多い町中が良い。


 棒を携えて歩きながら、函朔は左右の町並みに目を走らせた。何の異状も見当たらない、賑やかな街である。翠ほど活気は無いが、都なだけはあって人通りも店も多い。加えて、今日は昏には珍しい晴天である。街の雰囲気も、何となく浮き足だっていた。

 その中を歩いていく函朔は、途中で大通りを逸れて一本裏の通りに入った。その辺りには安くて人の多く泊まる宿が多いのだ。夜には酔客が行き交う場所だが、昼間の人通りはそう多くない。

 その道を僅かに歩いていた通行人達が、急にそそくさと道を変え始めた。

 ――何だ?

 その理由は、すぐに判明する。

 ちょうど函朔が向かっている方向から、異様な男が歩いてきているのだ。

 相当の長身で、体格も良い男である。黒を基調とした袍の上に濃灰色の袖無しを帯も締めずにだらりと羽織っている。加えてその裾はぼろぼろになっていた。

 そして何より異様なのは、男が引きずるようにして携えている武器である。

 それは異常に大きな鉈のようでもあり、大剣のようでもあった。刃渡りは常人の身長程もあり、それにやや長めの柄が付いている。今時そんな巨大な武器を使う者などなかなか居はしない。

 どう見ても、平和に過ごしたい人間は関わり合いになってはいけない種類の相手だ。函朔も、他の通行人達同様道を変えようとした。


 ところが。


「おぅい、そこの兄ちゃんよ」

 何の因果か、男は函朔に声を掛けてきたのである。

「……何ですか」

 函朔は一応、下手に出た。男の着方が着方なのでわかりにくいが、よく見ると男の身に付けている装束はかなり良いものである。徒に刺激しない方がいいだろう。

「ん~と……」

 男は函朔の顔を覗き込むようにして何やらまじまじと観察している。男は隻眼であった。片目は綾帛の眼帯に覆われている。

「よし、お前ちょっと付き合え」

「は!?」

 いきなりにっと笑ったと思ったらそんな事を言い出した男は、困惑する函朔の肩に腕を回し、引きずるようにして歩き始めた。

「ちょっ……何なんだよ!?」

「いいからいいから。手間は取らせねぇよ」

 端から見れば、明らかにならず者に絡まれる青年の図である。行き合った老人が合掌するのを見て、函朔はちょっと泣きたくなった。

 それにしてもこの男、かなりの馬鹿力である。間違っても小柄な方ではなく、しかも鍛えられている函朔の体を、実に無造作に引きずって行く。無論函朔は逃れようともがいているのだが、男の腕はびくともしない。

 男はすたすたと歩を進め、人気の無い方へ無い方へと向かっていく。

「いったい何なん……」

 更に抗議しようとした函朔の目に、ふと男の腰に提げられた剣が映る。締めるのが面倒なのか、男の羽織の帯がそこに無造作にくくりつけられていた。

 その端に、金をあしらった玉環が下がっている事に気づいた函朔は慄然とした。


 金をあしらった玉を帯飾りにするのは、昏において事実上臣下の最高位に連なる者の服飾である。文官ならば宰相、武官ならば四将軍。

 俄に函朔の脳が情報を弾き出し始める。


 昏の高官。

 大柄。

 怪力。

 隻眼。

 赤銅色の、髪と瞳。


 ――束憐!


 男の正体を悟った函朔は、渾身の力で男の腕を振り払った。

「――お偉い将軍様が、一介の旅人に何のご用ですか」

「あ?」

 内心の緊張と警戒を必死に押し隠しながら函朔が問うと、男は首を傾げた。それから、自分の服装に目を遣ってあぁ、と頷く。

「そういやぁ着替えずに来たんだった」

 気の抜けるような事を言って、羽織の裾を摘まむ。

「ったく、宮中ってのは堅苦しくてやってられねぇよなぁ」

 何とものんきにぼやく束憐に、函朔はこれが本当に人々に恐れられる猛将なのか疑いたくなってきた。何しろこの男、鴻宵以上に非常識なのである。

 函朔が戸惑っている間に、束憐はぐるりと辺りを見渡して一つ頷いた。

 人気の無い、路地裏である。

「この辺りでいいか」

 呟いて、引きずっていた武器を肩に担ぐ。函朔ははっと身構えた。

「あんま街中で騒ぐと怒られんだよ」

 そう言って口角を上げた束憐に、既に数秒前の気安さは無い。紛れもない殺意の籠った目を向けられて、函朔の背筋がぞくりと冷えた。

「お前、絡嬰のこと嗅ぎ回ってんだろ?」


 何故だ。

 何故察知された?


 都には到着したばかりである。これまで函朔がした事と言えば、庵氏との連絡と、精霊に問いかけてその声を聴くことだけだ。気取られるような事は、まだ何もしていない筈なのに。

「……何の事ですか」

「あ?」

 せめてもの抵抗として白を切りながら、函朔は退路を探った。

 相手は謎の多い猛将である。正面から渡り合うのは得策ではない。

「しらばっくれんなよ……ま、いいか」

 はっと気づいた時には、すぐ目の前に束憐が居た。巨大な武器を持っているとは思えない速さである。

 赤銅の瞳が、間近で獰猛に細まった。


「――いずれにせよ、消しときゃいいだけの話だ」


 息を飲んだ函朔の眼前で、白刃が煌めいた。


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