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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之肆 奇縁錯綜
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戦のあとに

 戦後処理を終え、七日ほどで私達は都に帰還した。途中で目を醒ました戦姫が、降るくらいなら死ぬ、と騒いだが、春覇が何とか抑えて都まで連れ帰った。


 彼女をどう扱うか。それもまた、外交筋の判断になるだろう。


「ただいま」

 春覇と章軌、それに漣瑛や沃縁、函朔と連れだって帰還した我が家は、随分久しぶりに思えた。

「おかえりしょーぐん!」

「おかえりー!!」

 いつものように、子供達が飛び付いてくる。

 まずい、と思った瞬間、函朔と、それに何故か章軌が前に出た。

「よしお前ら、嬉しいのはわかったから行儀良く待て。ほら、整列!」

「鴻宵は疲れている。あまり煩わせるな」

 二人が子供達を宥めてくれるのを見て、私は首を傾げた。


 函朔はわかる。何で、章軌?


 じっと見ていると、振り向いた章軌と目が合う。


 唐突に、思い出した。

 そうか、鼻が利くんだ。


「……よく、頑張ったな」

 いつも寡黙な口許から、労いの言葉が発せられる。

 私は微笑んで、ありがとう、と言おうとした。

 けれど、安堵に弛んだ心に引きずられるようにして視界が霞み、急速に闇へ引き込まれていく。


 ああ、こんなところで倒れたらまた子供達を驚かせてしまうのに。


 そう思いながら、私は意識を手放した。




 ふわ、と笑みを浮かべたと思った瞬間、鴻宵が崩れ落ちた。傍に居た漣瑛が、慌てて抱き止める。

「将軍!?」

 彼は混乱していた。

 以前白との戦から帰った時も鴻宵は倒れたが、あの時は矢傷という原因があった。しかし今回は心当たりが無い。戦姫と渡り合ったとはいえ、目立った傷など負っていなかった筈だ。

 焦って鴻宵を揺さぶる漣瑛の肩を、沃縁が掴んだ。

「揺らさないで。寝室に運んでください。それから医者を……」

「私が!」

 沃縁が皆まで言う前に、薬箱を抱えた総華が走り寄ってくる。

「鴻宵、どうしてこんな無茶したの!?」

「説明は後で。今はとにかく治療をお願いします」

 不得要領ながらも緊急性を理解した家臣達が慌ただしく動いて鴻宵を寝室に運ぶ。春覇は章軌を見上げた。

「どういう事だ」

「……戦の前には、血の臭いはしなかった」

 弁明するように、章軌が言う。

「恐らく何らかの方法で傷を塞いでいたのだろう。しかし、戦姫との戦闘でそれが開いた」

「何故早く言わなかった!」

 すぐにわかっていれば、戦場からの帰途、鴻宵を馬車で休ませる事もできたし、治療もこんなに遅れずに済んだ筈だ。

 春覇は気づけなかった自分に歯噛みした。

 ずっと隣に居たのに、鴻宵が倒れる瞬間まで、自分は何も知らなかったのだ。

「言えなかった」

「何故!」


「――鴻宵さんの意思を、尊重して下さったのでしょう?」


 不意に、二人の会話に割り込んだ者が居た。沃縁である。

 二人の視線を受けて、沃縁は頭を下げた。

「ありがとうございました。貴方が黙っていて下さったお陰で、鴻宵さんの覚悟は無駄にならずに済みました」

「……どういう事だ」

 春覇の問いに、沃縁は静かに答えた。

「鴻宵さんは、あの傷を隠し通さなければならなかった。少なくとも、決して公にしてはならなかったんです」

 沃縁がそう言っているさなか、総華に寝室から追い出された男性陣がぞろぞろと戻ってくる。全員が黙ったまま、沃縁の言葉に耳を傾けた。

「何故ならあの傷は、昏で負ったものだからです」

 沃縁が口にすると同時、がん、と壁を叩く音が響く。

「そういう事かよ……!」

 呻くように言ったのは函朔である。各国の現状と策謀の在り方、そして鴻宵の人となりをある程度理解している彼には、鴻宵の考えが手にとるようにわかった。

 他の人々にも、朧気ながら事情が読めてくる。

 昏で碧の大将軍が傷を負ったとなれば、引き起こされる事態は容易に予測出来た。

「それでは……」

 青い顔で呟いたのは漣瑛だった。彼は鴻宵の従者として、昏へ使いした時も傍に居たのだ。その際に感じていた小さな異状が、今になって鮮明に事実を示し出す。


 何故、気づけなかったのか。


「気づけなかった事を気に病む必要はありませんよ、漣瑛さん」

 沃縁が声を掛ける。

「恐らく鴻宵さんは貴方に気づかれる事を最も警戒していた筈です。貴方は心配性だし、隠し事もあまり上手ではなさそうですから」

「しかし……」

 言いかけて、漣瑛は俯いた。ずっと傍に居たのに負傷にも気づかず、戦姫との戦いに手を貸す事もできなかった。あまつさえ主君の強さに安心しきって、主君の側を離れて退却する橙軍の追撃に専念してしまったのだ。

「僕個人としては」

 沃縁が呟くように言う。

「紛れもなく一番近くに居たのに気付かなかった太子にこそ腹が立ちます……もっともこれは私怨込みですが」

「私怨?」

 函朔が怪訝そうな顔をする。しかしその疑問がはっきりと提示される前に、漣瑛が勢い良く顔を上げた。

「あっ、いえ、ひょっとすると太子は気づいておられたのかも……」

「は?」

 視線が集まる。漣瑛は説明を加えた。

「将軍が橙の迎撃に出られる事に反対しておられましたし、帰路、将軍が出来るだけ休養をとれるよう采配してくださいました」

「ふぅん……」

 沃縁が何となく不機嫌そうに目を眇める。その肩を、函朔が掴んだ。小声で詰め寄る。

「おい、私怨って……」

「その話は後にしましょう、函朔さん。時と場合が適当でありません」

 沃縁はそう言ってから、春覇に目を向けた。

「そういうわけで、鴻宵さんは『病』です。よろしいですね」

「……わかった。そう報告しよう」

 了承した春覇も、纏う空気は暗い。自分が戦姫を押さえられていれば、鴻宵の傷をここまで悪化させる事はなかったという自責の念に苛まれていた。

 そこへ、総華が戻ってきた。全員の視線を集めた彼女は、淡々と報告する。

「命に別状は無いわ。でも結構深いから、暫くは安静にしないと」

「……済まなかった」

 詫びを口にしたのは、春覇だ。

「私が戦姫を押さえていれば……」

「いいえ。覇姫様が悪いわけじゃないわ」

 そう言って、総華は眉を下げる。

「鴻宵の無茶はいつもの事だもの……でも、これからも支えてあげてください。鴻宵は、仲間が居るから頑張れる人だから」

「ああ」

 全体に、しんみりとした空気が漂う。


「それで」

 省烈の重厚な声が、場の空気を仕切り直した。

「鴻宵を刺しやがったのは一体どこのどいつなんだ?昏と碧の事まで考えてるとなると、昏の重臣だろうが」

 彼の目には、久しく鳴りを潜めていた武人としての憤りが灯っていた。

 赦せないのだ。形はどうあれこの場の誰もが敬愛している主君を、己はそ知らぬ顔をしながら死の淵へ追いやろうとした誰かが。

 何となく、全員の視線が沃縁に集まる。しかし、彼は首を振った。

「犯人が誰なのか、鴻宵さんは教えてくれませんでした。わかっていれば、疾うに僕が殺しに行っています」

 さらりとそういう事を言ってのけるところが、沃縁の怖いところである。

 沈黙が落ちる中、漣瑛が記憶を辿り始めた。

「昏の都で傷を負われたとすれば、恐らく盟約の行われた日です。それ以外の時は、大抵私か誰かが一緒に居ました」

 盟約の行われた日。夏から冬へと向かう昏の光景を、誰もが思い浮かべた。

「あの日、盟約が成った後、昏の将軍が太子と将軍を呼び出したのです」

「太子と鴻宵を?」

 春覇が口を挟む。漣瑛は頷いた。

「お二人だけで、その誘いに乗って将軍府へ赴かれました」

「その将軍というのは?」

 今度は尉匡が、核心を突く問いを発する。漣瑛は額に手を当てた。

「私は遠くにいましたのではっきりとは……灰色の髪の男です。まだ若い」

「絡嬰だな」

 瞬時に情報を引き出したのは函朔だった。灰色の髪で、一国の太子と直接話す事のできる地位にいる若い将軍など一人しか居ない。

「そうです。確か、そう……」

「じゃあその時に刺されたのか?」

 範蔵が軽く首を傾げる。漣瑛は頭を振った。

「違うと思います。そのときは太子が一緒でしたから」

 それに、鴻宵も何か不安げではあったが怪我をしている気配は無かった。

 そうだ。最初に異状を感じたのは、その後。

「その後一時、将軍はどこかへ行かれたのです。私に出掛けるとだけ言い置いて」

 あの時なんとかして追い付いていれば、と漣瑛は拳を握る。

「帰って来られた時、確か少し、様子が変でした」

「僕が鴻宵さんに会ったのもその時です。その後、客舎で会った時にはすでに負傷していましたから、その外出先で刺された事は間違いないでしょう」

 沃縁が補足する。

「となると問題は、その時将軍が何処へ行かれたか、ですか」

 思案げに目を伏せた尉匡がそう口にすると、暫時沈黙が流れた。誰もが可能性を探っている。

「……恐らく」

 考え込んだ体勢のまま、沃縁が発言した。

「その時鴻宵さんは、もう一度将軍府へ向かったのでしょう」

「将軍府へ?」

 漣瑛が眉を寄せる。

「そんな危険な場所に何故……それも、私も連れずに」

 当然の疑問に、沃縁は小さく溜息を吐いた。懐から、布に描かれた地図を取り出す。

「これの為です」

 三ヶ所に赤い×印が打たれた地図。周囲の問うような目に応えて、沃縁は推測を交えた大まかな事情を説明した。省烈や範蔵の眉間に、くっきりと皺が寄る。

「またあいつは……」

 省烈の呟きに、全員が内心同意した。

 無情な策謀と駆け引きの世界を渡っていくには、鴻宵は優しすぎるのだ。それは「大将軍」鴻宵の、ほぼ唯一にして最大の弱点である。

「となると、犯人は……」

「絡嬰しかいないな。昏の将軍でこんな陰険な真似しそうなのはあいつだけだ」

 春覇の呟きに、函朔が答える。沃縁はにこりと笑った。

「やはりそうなりますね。僕、ちょっと昏へ行ってきます」

「待て」

 今すぐにでも絡嬰のところへ行きそうな沃縁を、春覇が止める。

「腹立たしいのは確かだが、事は国の命運に関わる。軽挙妄動は慎んでもらおう」

 沃縁が、温度の抜け落ちた瞳を春覇に向けた。

「僕はね、覇姫様」

 そのまま静かに言い放つ。

「僕の大切な人さえ守れるなら、あとはどうだっていいんですよ」

 暫時、強い視線がぶつかり合った。


 その緊迫を打ち破ったのは、沃縁の頭に落とされた紙束である。


「馬鹿かてめぇは」

 呆れたように言いながら、省烈がもう一度沃縁の頭を叩く。

「鴻宵は碧の将軍だろうが。碧が危うくなれば鴻宵も危うい。一遍頭冷やして来やがれ」

 ばしばしと紙束で頭を叩きつつそう言われて、沃縁は省烈を睨んだ。しかし睨まれた当人はどこ吹く風である。

「大体惚れたからって突っ走るんじゃねぇよ、青二才が。周りが見えてねぇんじゃただの馬鹿だ」

 最後に一際強く沃縁の頭を張り飛ばして、省烈は曲がった書類を整えた。側で見ていた函朔はぽかんとしている。

「おっさん……さすがは年の功」

「年寄り呼ばわりすんな」

 すかさず函朔の頭にも書類の束が飛ぶ。

 さすがは鴻家重臣中の最年長にして二児の父なだけはある。堂に入った折檻であった。

「とにかく、だ。あいつがそこまでして表沙汰にならねぇよう力を尽くしたなら、俺達にできるのはその意志を貫かせてやる事だけだ」

 省烈はそう言うと、まだ不満そうな沃縁の腕を掴んだ。

「覇姫様。申し訳ありませんが、こいつが暴走しないよう抑えておいて頂けませんか。我々に方士の相手は荷が重い」

「わかった。引き受けよう」

 春覇が頷き、沃縁の行動は一応監視下に置かれる事になった。沃縁は不満げな表情をしていたものの、省烈の言に道理を認めたのか反発はせずに従う。

「けど、気になるのは」

 そう言って仕切り直したのは、省烈に叩かれた頭をさすっていた函朔だった。

「一体あの『猛獣使い』の真相が何か、だな」

「猛獣使い?」

 一同の視線を受けて、函朔は事情を説明した。

「なるほど……」

 春覇が考え込むように視線を落とす。

「確かに通常の獣ではないな……章軌、何か心当たりは」

 章軌は首を振った。現状、彼にも思い当たる節は無いという事である。

 それを見た函朔は、少し考えてから壁に立て掛けてあった棒を手に取った。

「放っとくのも気分が良くないな。俺が行って探って来よう」

 そう言ってさっさと歩き出した函朔に、一同目を丸くし、慌てて引き留める。

「待て、探るっつってもどうする気だ」

「危険過ぎます」

 省烈と尉匡が、さっと函朔の前に立ち塞がる。沃縁も後ろから彼の肩を掴んだ。

「それなら僕が行きます。そういう隠密裡の仕事は僕の役目でしょう」

「駄目だ。お前を行かせたら絶対絡嬰に手出しするだろ」

 呆れ混じりに言いながら、函朔は沃縁の手を軽く払う。

「大体、白ならともかく、昏じゃあお前の基盤も無いだろ。俺はいざとなれば庵氏の伝を使える」

 水面下で調査をするために、最も大事なのは人脈である。白での行動を中心としていた沃縁と違い、函朔が培ってきた庵氏絡みの人脈は大陸中に張り巡らされている。

「お前はおとなしくしてろ」

 函朔は沃縁にそんな言葉を投げると、沃縁同様に沈黙した一同の間を縫って部屋を出た。

「ああ、そうだ」

 去り際、ふと思い付いたように函朔は言った。

「鴻宵には蒼浪に戻ったって言っといてくれ……心配するといけないから」

 そんな配慮を残して、去っていく。

 その配慮には、「万一」の時にも鴻宵が悲しまないようにという思いが籠っていると同時に、たとえ命を落としてもそれは己の責であり、大切な人にその死を知られることすらなくとも悔いないという決意をも含んでいた。

 それを汲み取った一同は、そっとその背中に目礼した。


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