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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之肆 奇縁錯綜
66/115

心泉にて

夢の中で、私は見知らぬ場所に佇んでいた。

どこかで酷い雷が鳴る。

やがて地が震えるような音を立て、周囲の自然という自然が荒れ狂い始めた。


それを、「私」は静かに見ている。


そこへ、誰かがやって来た。顔は、どういうわけか見えない。ただ、琥珀色の髪だけが鮮明に意識に残る。

その人物と「私」は、暫く何やら押し問答をしているようだった。しかし夢の中に居る私の意識は朦朧としていて、肝心の内容はさっぱり聞き取れない。

「お前が、すべて背負うと言うのか?」

不意に、一部だけ会話が聞こえた。男の声。どうやら、これは相手の声らしい。

「背負う人間は少ない方がいい。それで済むのならね」

「私」はきっぱりと言い切る。

この「私」は、多分、今の私と少し似ているのだろう。

一人で背負おうとして蒼凌に叱られた、私と。

「冗談じゃない」

相手はそう言って、「私」の襟首を掴んだ。

「それは本来俺の役目だ。全てを背負う義務を負うのは俺の方の筈だろう!?」

どういうわけか、「私」はにっこりと笑った。

「そう言ってくれると思ってた。だから――」

また、声が聞き取れなくなる。まるで壊れかけのビデオテープみたいだ。

そして「私」は、相手に何かを渡した。何か暫く話し合ってから、剣を抜く。

「――がやらないというなら」

声が再び聞こえ始めた。

「私は、自分で始末をつけるよ」

そう言って自分の首筋に剣を当てた「私」を、相手が止める。

「わかった」

「私」の手から、剣を奪い取った。

「ならば、せめて俺の手で――」


ああ、この場面は、以前見た。

起きている間はずっと忘れていたけれど、私は確かに以前、この夢を見たんだ。


胸を貫かれた「私」がゆっくりと崩れ落ちる。「私」を刺した相手は、剣を投げ捨てると一瞬「私」を見つめ、振り切るように背を向けて歩き出した。

――ごめん、なさい。

私の意識は、ゆっくりと闇に溶けていった。




はっと目を開けた私は、目の前に木精霊と水精霊がずらりと整列していたのでぎょっとした。

「なっ……」

「おきた」

「おきたー」

私が目を覚ましたのを確認した精霊達が、口々に騒ぎ始める。

「いくよ」

「行くの~?」

「行く!」

何匹かが私の周りを飛び回り、髪やら袖やらをくいくいと引っ張った。

「行くー!」

「行くって……どこへ?」

私は戸惑いながらゆっくりと身を起こす。傷は相変わらず私の体力を蝕んでいた。

「泉!」

「みずあみするのー!」

「は?」

私は思わず声を漏らした。

何でこの状況で水浴びが出てくるのか。しかも夜中に。

「あの泉、きれい」

「きれいな水、癒しになる!」

「痛いの治す~」

段々、精霊達の言いたい事が掴めてきた。心泉の水は綺麗で傷に良いから水浴びに行こう、と、彼らはそう言っているんだ。

「そう、か」

私は寸時考えた。

この状況下で夜中に出掛けるのは、言うまでもなく良くない。しかし、精霊達がこういう風に言うということは、心泉で水浴びをするのが私にとって最良だということだ。

「……仕方ないな」

私は足に力を入れ、慎重に立ち上がる。

精霊の導きに従ってそっと幕舎を抜け出し、警備の兵士達の目を縫って心泉へと向かった。



心泉の水は、さやかな月光を浴びてきらきらと輝いていた。澄んだ水に手を浸すと、心地よい冷たさが掌を包む。

「綺麗……」

久しぶりに、風景を愛でるような機会を持った気がする。思わず煌めく水面に見とれていると、水精霊達が私の袖を引いた。

「おいで」

「おいで~」

「……何だか人を騙して溺れさせる妖怪みたいだぞ」

つい軽口を叩きながら、私は辺りを見渡した。人が来る気配はなさそうだ。

「はやくー」

「わかったってば」

私は屈んでいた身を起こし、帯を解いた。軽く畳んで水際にある岩の上に置き、上着も同様に脱いでいく。

内衣を脱いで包帯を解くと傷口が露になって、私は顔をしかめた。またおろおろし始める精霊達を宥めて、ゆっくりと泉に入る。

「つっ……」

傷口に水が触れると、じわりと痛みが広がる。泉は結構深くて、端の辺りでも腰くらいまで水があった。

「普通は怪我してる時に水浴びっていけないと思うんだけど」

今更な事を呟いて、泉の中心部に少し近づく。すぐに胸の辺りまで水がきた。

「深いな……」

この底を潜っていけば、あちらの世界に繋がっているんじゃないかと馬鹿な事を考えかけて、苦笑する。

場所の問題じゃない。天帝の意思さえあれば、牢獄の水盤だって世界を繋ぐ。

その意思が何故私をこちらに引き入れたり助けたりするのかは、皆目わからないけれど。

そんな事を考えてぼうっとしていると、悪戯好きな風精霊が、私の髪を纏めている布をするりと解いた。

「あっ、こら!」

忽ち髪が滑り落ちて、水面に広がる。すっかり濡れてしまったのを見て、やれやれと息を吐いた。

この際だ。髪まで全部洗ってしまおう。

そう腹を決めて、掌で掬った水をぱしゃりと顔にかける。暫くぱしゃぱしゃと髪や顔を洗ってから、少し浅い所へ戻った。上体を水から出して、髪を絞る。

「これ、手拭い一枚じゃ足りないんじゃ……」

そう呟きかけた時だった。

不意に木精霊達が興奮して飛び回り始める。

「きゃー」

「やったぁ」

一体何事か、と顔を上げた私は、すぐ傍、泉の中に突き出した岩の上に燐光が蟠るのを見た。

え、これって……

「いったいなんの騒ぎ……」

姿を顕して訝しげに精霊達に問いかけようとした青龍と、私の目が合う。

奇妙な沈黙が流れた。

「……って、わぁっ!」

「っ……すまん」

私が我に返って胸まで水に浸かると、青龍も慌ててこちらに背を向けた。

土地の守護神とはいえ、青龍は若い男の姿をしている。何とも居たたまれない空気が流れた。

「青龍……何でここに」

「この辺りの精霊がやたらと騒いでいるので様子を見にきたんだ。……そうか、お前だったのか」

なんというか、ごめんなさい。

少し申し訳なくなりながら、私は岸へ向かった。

「暫くそっち向いてて!」

「あ、ああ。わかっている」

青龍に念を押してから岸に上がる。手早く体を拭いて、衣服を身に付けた。最後に髪を纏めようとして、布が無い事に気づく。

「ちょっと、私の頭巾は?」

風精霊に訊いてみると、短い腕で得意気に泉を指した。

って、精霊達に遊ばれてすっかり沈んじゃってるんですけど!?

「参ったな……」

溜息を吐いて、私は剣の飾り紐で髪を束ねた。下ろしたままだと張り付くし。

一通り身支度を終えて、青龍に声をかける。

「もういいよ」

「ああ……」

振り向いた青龍は、何故か目を見開いた。

「ん?」

私が首を傾げると、我に返ったようで軽く頭を振る。

「いや……お前、頭巾はどうした?」

私は無言で水面を指差した。

「……何か、すまん」

「別に青龍が謝る事ではないけどね」

私は軽い調子で言って、手近な風精霊を指で弾き飛ばした。

こら、「きゃ~」って喜ぶな!

我も我もと群がるな!

相変わらずな球体もどき達に私が辟易していると、青龍が口を開いた。

「……どうかしたのか、お前」

「え?」

唐突な問い。私が首を傾げると、青龍は眉間に皺を刻んでこちらへやって来た。私の顔を覗き込むようにして、言う。

「顔が青い」

「月明かりのせいだろう。それより青龍、今水の上歩いた?」

私は咄嗟に誤魔化して、話題を変えた。

「……一応神の端くれだ。地の上も水面も空中も大差ない」

「へぇ、さすが」

よし、話が逸れた。

「それはどうでもいい。誤魔化すという事は理由に心当たりがあるな?」

と思ったら戻ってきた。

「別に、気のせいだろう」

「気のせいなら精霊達は狼狽えないと思うが」

じわじわと追い詰めるように尋問される。私は必死に逃げ道を探した。

「青龍さまー」

不意に、一匹の木精霊がふよふよと漂いながら青龍の名を呼ぶ。視線を向けられると、照れているのか何となくもじもじしながらぴゅっと私の腹部近くまで飛んだ。

「ここ、怪我」

「って、何ばらしてくれてんの!?」

私は思わず声を上げた。酷い!

「やはりか」

青龍が苦い顔をして、私の腕を掴む。反射的に逃げようとした私を引き寄せ、傷のある脇腹に手を当てた。

「うっ」

走った痛みに、私は呻いた。青龍が益々眉を寄せる。

「深いな。何故隠している?無理をしていい傷ではないぞ」

そう言って、私を泉の畔の岩に座らせた。

「……仕方ないんだ」

私は観念して事情を話した。

「今昏と戦になることは、碧にとって危険が大きすぎる。せっかく何とか和議に漕ぎ着けたんだ。それを壊すのだけは、避けないと」

況してや帰国すれば、橙との戦が待っている。

「今は耐え時なんだ」

私はきっぱりと言った。

「占領した旧白領が安定するまで――この期間を乗り越えて、そして王と太子の軋轢さえ何とかなれば、碧は昏と十分に戦えるようになる」

そう、ここさえ乗りきれば、大陸一の強国にだって手が届くんだ。

「碧が大陸を統一するまでの――今が最大の耐え時なんだ」

だから、耐え抜かなきゃならない。

私がそう言うと、青龍は難しい顔のまま溜息を吐いた。

「まったく、お前は本当に……」

何やら言いかけて首を振ると、私の傷のある場所に掌を当てた。

「青龍……?」

「じっとしていろ」

押し当てられた掌から、何か温かいものが流れ込んでくるような感覚。痛みが弱まるのを感じて、私は目を瞬かせた。

「俺は玄武ほどこの手の事が得手ではないから、完治は難しいが」

そう言って、青龍が手を離す。

まだ鈍い痛みは残っているが、格段に楽になっていた。

「とりあえず、傷口だけは塞いだ。但し、内部はまだ傷ついたままだ。無理はするな」

「……ありがとう」

私はお礼を言って、少しだけ笑った。


ありがとう。

お陰でまだ頑張れる。


「……では、俺はこの辺りで」

何故かちらりと視線をあちらの木立に投げてから、青龍はそう言ってそっと私の頭に手を乗せた。

「助けが必要な時はいつでも呼べ……お前の力になろう」

「うん……本当に、ありがとう」

返事の代わりにさらりと私の髪を撫でて、青龍は姿を消した。


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