交渉
客舎に戻った私は、蒼凌に黙ったまま腕を掴まれ、部屋に引き入れられた。
「何故報告しなかった」
扉を閉めるや否や問い詰められる。私はぐっと詰まった。
「……憶測に過ぎなかったのです。自信は無かった」
これは事実だ。
「だが報告してくれれば手の打ちようもあった。大体随行者の人数が記録されているのは当然だ。それを独断で動かして、昏側に追及されたら何と答えるつもりだったんだ」
「……申し訳ありません」
この件については、完全に私の落ち度だった。気が急きすぎて、細かい影響まで考えられなかったのだ。
普段なら、こんな基本的な過失は犯さない筈のに。
私は唇を噛んだ。
「……何故お前はいつも自分で抱え込もうとする」
蒼凌が低く言う。
「自分が全て抱え込めばうまくいくとでも思っているのか。何故周りに分けようとしない」
「それは……!」
私はぐっと拳を握った。
「それで済むなら、悩んだり責任を負ったりする人間はできるだけ少ない方が……」
「心がけは立派に聞こえるが、一歩間違えれば独善になる」
蒼凌もやけにいら立っているようだ。きつい口調で、こう続けた。
「お前のそのやり方が、今回はあたら三人の兵士を殺したんだ」
頭が真っ白になった。
考えまいとしていた事実を目の前に突きつけられたようで。
そう、彼らは私が――殺した。
呆然とする私の前で、蒼凌がはっと息を飲む。
「あ……いや、済まない。言い過ぎ――」
「失礼致します」
なにか言いかける蒼凌の言葉を遮って、私は身を翻した。
呼び止める声が聞こえた気がしたが、無視する。
「漣瑛!」
途中で行き合った漣瑛を捕まえて、早口に後事を託した。
「太子を頼む。私は少し出掛ける」
「は?え、将軍!?」
驚愕の声を上げる漣瑛にも構わず、私はそのまま走り出した。
鴻宵が走り去った後の室内。
「……やってしまった……」
蒼凌は小さく呟いて目元に手を当てた。
あんな事を、言うつもりは無かった。ただ、何でも一人で抱え込もうとするなと、そう言いたかっただけなのだ。
それが、つい苛立ちのあまり余計な事を言ってしまった。
どうにもここのところ、鴻宵と口論になると冷静さを失いがちだ。
「あれは、まずかったな……」
鴻宵に、兵士達の命を負わせてしまった。
そもそも鴻宵は人の死を嫌う。大将軍という軍の頂点にありながら、一人もその手に掛けていないというのは、殆ど奇跡に近い所業だ。
そして自分もまた、鴻宵にその生き方を貫いて欲しいと望んだ。
それなのに。
「今さらお前のせいではないと言っても……白々しいな」
今回の件、間違いなく責任は鴻宵に在る。
だがその行動そのものを責める権利は誰にも無い。
絡嬰の意図に気づけなかった自分達の、誰にも。
不意に、遠慮がちに扉を叩く音がした。
「右軍大将軍、鴻宵の従者、漣瑛です」
「入れ」
蒼凌は即座に許可した。
嫌な胸騒ぎがした。
「失礼致します」
きちっと折り目正しく礼をして入ってきた漣瑛は、蒼凌の前に直立して用件を述べた。
「先程、我が主君が出掛ける、と一言残して出て行きました。情けない事ながら姿を見失ってしまい、ご報告に参りました」
「出掛ける?」
他国の都で、従者も連れずに一体どこへ行ったと言うのか。
眉をひそめた蒼凌は、次の瞬間愕然と目を見開いた。
「まさか……!」
客舎から駆け出した私はまっすぐ先程の将軍府に来ていた。門番の誰何に答えようとしたところで、声を掛けられる。
「鴻将軍ではありませんか。何か忘れ物でもなさいましたか」
絡嬰だ。
ちょうど、先程詰所に預けた剣を取りに来たところらしい。
好都合だ。
「はい。一つ、絡将軍と束将軍にお訊きし忘れた事がございまして」
先程会った時の険悪な雰囲気はお互い欠片も匂わせず、和やかに会話する。
「そうですか。ここでは何ですから、どうぞこちらへ」
絡嬰が先に立って歩き出す。私はその後に続いた。
途中で、絡嬰が歩みは止めないまま通りすぎざまに一つの部屋の扉を叩く。そのまま通過して進んでいると、背後で扉が開いた。
欠伸をしながら出てきたのは、束憐だ。
――挟まれた。
私は油断なく目を配りながら、そっと左手を腰の剣に添えた。
先程の部屋に着き、絡嬰が先に入る。私がそれに続き、束憐は今度は戸口を入ったところで立ち止まった。
「それで」
振り返った絡嬰は、余所行きの顔を脱ぎ捨てた鋭い目で私を見据えた。
「我々に訊きたい事とは?」
私は一度深呼吸する。
それから、きっぱりと言った。
「兵士達の遺体はどうした」
「……は?」
私の問いが余程予想外だったのか、絡嬰の目が無防備に見開かれる。私は繰り返した。
「遺体はどうした。返還を要求する」
「……何の為に」
絡嬰は怪訝そうだ。
けれど、これは必要で……大切な事。
「彼らは碧の兵士だ。私には彼らを家族の元に帰す義務がある」
無論そんな事で、彼らへの償いになるとは思わない。けれど、私が最低限しなければならない事だ。
「……そんな事の為に、単身ここへ乗り込んできたと言うのか」
「『そんな事』ではない。重要な事だ」
暫時、厳しい視線がぶつかり合う。
絡嬰がふっと微笑った。
「束憐」
戸口の方へ声を掛ける。束憐の面倒そうな声が応えた。
「んなもん、その場に転がしてきた」
「場所を教えてやれ」
絡嬰はそう指示してから、私に視線を戻す。
「但し、条件が有る」
「条件……?」
私が問い返すと、絡嬰は頷いて少し笑った。
「そこを動くな」
そう言って、歩み寄ってくる。
私は反射的に身構えそうになるのをぐっと堪えた。
何があっても、彼らを連れ帰らなければ。それは私の義務なのだから。
絡嬰が私の肩に手を掛ける。
「おい、絡嬰?」
束憐の訝しげな声が飛んでくるが、気にした風もなく絡嬰は私を引き寄せた。一番上に着ている上着を帯から引き出す。
そして。
「……っ!」
感じた衝撃に、私は息を詰めた。
脇腹に、小刀が食い込んでいる。じわりと血が滲んだのを私が認識した瞬間、絡嬰は私を突き放した。
小刀は刺さったまま。私は床に膝をついた。
「う……っ」
「おいおい絡嬰、今回は殺さねぇんじゃなかったのかよ」
束憐の呆れたような声が響く。
「殺しはしない。急所は外した。後で止血してやれ」
そう束憐に言い返した絡嬰は、私の襟を掴んで引き上げた。反動で上向いた私と絡嬰の目が合う。
「お前に許された選択肢はただ一つ。その傷を隠し通し、何事も無かったかのように過ごす事だけだ」
私は浅く息を吐きながら絡嬰を睨んだ。傷口が、痛いと言うより熱い。
「何、を……」
「わからないか?」
絡嬰は目を細めた。
「お前はそうするしか無い――昏と碧を開戦させたくないならばな」
昏と碧が今開戦すれば、碧が不利なのは間違いない。
しかしもし、碧の大将軍である私が昏の者に傷を負わされたとなれば、碧としては開戦に踏み切らざるを得ない。そうしなければ面子が立たないのだ。
それを避けたければ傷をひた隠せと、そう絡嬰は言っているのだ。
「そうして帰国すれば、待っているのは橙との戦だ」
橙が碧を攻める。それはもう、避けられないのか。
「橙の『戦姫』は手強い。恐らく碧はお前と覇姫に当たらせるだろう」
笑みを含んで言いながら、絡嬰は小刀に手を掛けて抉るように動かした。私は思わず呻く。
「うっ……く……」
「人知れずこの傷を抱えたまま戦姫と闘え――そして、死ね」
ふっと笑って、絡嬰が私から手を離す。私は床に崩れ落ちた。
「う……っ」
「束憐、止血してやれ」
興味が失せたとでもいうように私に背を向けながら、絡嬰が指示する。
「ああ、上着は汚すなよ。血の染みを隠せなくなる」
それだけ言い残して、部屋から出て行った。後には腹部に小刀を刺されたままの私と束憐だけが残る。
「ったく……相変わらずえげつねぇ野郎だ」
呆れたように呟きながら束憐は私の側に膝をつくと、帯を解いて私の上着を脱がせ、離れた場所へ放った。それから傷口に布を当て、小刀に手を掛ける。そのまま無造作に引き抜いた。
「……ッ!」
息を詰めた私の傷をそのまま布で圧迫し、襟の留め金に手を掛ける。
「……っ、ちょ……っ」
私は腕を持ち上げ、束憐の動きを止めようとした。途端に傷口を押さえる手に凄まじい力を込められて呻く。
「じっとしてろ。べつに内衣まで脱がしゃしねぇよ」
そう言って淡々と留め金を外し、上衣の前を開ける。棚から包帯を取り出して、内衣の上から傷口をきつく縛った。
作業を終えると、束憐は上衣を元通りにして私から離れた。
私は痛みを堪えながら何とか起き上がり、立ち上がったところでよろけた。倒れる、と思った瞬間、束憐に腕を掴まれる。
「気ぃ付けろ。碧の連中に傷に気づかれたら、碧は終わりだぜ」
「っ……」
――そして、死ね。
絡嬰の冷ややかな声が脳裏に蘇る。
自分の命か、国の命運か。そういう選択を私に強いているんだ、あの男は。
逃げ道は、無い。
「おい、これ持ってけ」
気づけば、束憐が私に何か布を差し出していた。広げてみると、地図だ。
「赤い×印がお前の知りてぇ場所だ」
確かに三ヶ所、印が付けられていた。
「……確かに」
地図を受け取って、私は上着を拾った。身を屈めると、傷口がずきりと痛む。息を詰めてやり過ごしながら帯も拾い、元通りに身に付けた。額を拭うと、びっしりと脂汗が浮いている。
「ちっ、絡嬰の奴」
私を部屋から連れ出しながら、束憐がぼやいた。
「お前はいずれ戦場で獲物にしようと思ってたのによ」
私は小さく笑った。
「いずれ戦うことになる」
「あ?」
怪訝そうな束憐に、腹部を押さえた私はきっぱりと言った。
「こんな事で、死ぬものか」
目を瞬かせる束憐に背を向け、歩き出す。
昏の国内からは使いを出せない以上、一刻も早く国境を越えて帰還し、橙の件を都に知らせなければ。
そして。
私は懐を押さえた。そこに、束憐から受け取った地図が入っている。
そして――彼らを家に帰してやらなければ。
鴻宵の背を見送る束憐は、はっと笑った。
「大した奴だぜ」
にぃっ、と口角を上げて呟く。
「それでこそ、潰し甲斐があるってもんだ」




