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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之肆 奇縁錯綜
62/115

交渉

 客舎に戻った私は、蒼凌に黙ったまま腕を掴まれ、部屋に引き入れられた。

「何故報告しなかった」

 扉を閉めるや否や問い詰められる。私はぐっと詰まった。

「……憶測に過ぎなかったのです。自信は無かった」

 これは事実だ。

「だが報告してくれれば手の打ちようもあった。大体随行者の人数が記録されているのは当然だ。それを独断で動かして、昏側に追及されたら何と答えるつもりだったんだ」

「……申し訳ありません」

 この件については、完全に私の落ち度だった。気が急きすぎて、細かい影響まで考えられなかったのだ。

 普段なら、こんな基本的な過失は犯さない筈のに。

 私は唇を噛んだ。

「……何故お前はいつも自分で抱え込もうとする」

 蒼凌が低く言う。

「自分が全て抱え込めばうまくいくとでも思っているのか。何故周りに分けようとしない」

「それは……!」

 私はぐっと拳を握った。

「それで済むなら、悩んだり責任を負ったりする人間はできるだけ少ない方が……」

「心がけは立派に聞こえるが、一歩間違えれば独善になる」

 蒼凌もやけにいら立っているようだ。きつい口調で、こう続けた。

「お前のそのやり方が、今回はあたら三人の兵士を殺したんだ」


 頭が真っ白になった。

 考えまいとしていた事実を目の前に突きつけられたようで。


 そう、彼らは私が――殺した。


 呆然とする私の前で、蒼凌がはっと息を飲む。

「あ……いや、済まない。言い過ぎ――」

「失礼致します」

 なにか言いかける蒼凌の言葉を遮って、私は身を翻した。

 呼び止める声が聞こえた気がしたが、無視する。

「漣瑛!」

 途中で行き合った漣瑛を捕まえて、早口に後事を託した。

「太子を頼む。私は少し出掛ける」

「は?え、将軍!?」

 驚愕の声を上げる漣瑛にも構わず、私はそのまま走り出した。




 鴻宵が走り去った後の室内。

「……やってしまった……」

 蒼凌は小さく呟いて目元に手を当てた。

 あんな事を、言うつもりは無かった。ただ、何でも一人で抱え込もうとするなと、そう言いたかっただけなのだ。

 それが、つい苛立ちのあまり余計な事を言ってしまった。

 どうにもここのところ、鴻宵と口論になると冷静さを失いがちだ。

「あれは、まずかったな……」

 鴻宵に、兵士達の命を負わせてしまった。


 そもそも鴻宵は人の死を嫌う。大将軍という軍の頂点にありながら、一人もその手に掛けていないというのは、殆ど奇跡に近い所業だ。

 そして自分もまた、鴻宵にその生き方を貫いて欲しいと望んだ。

 それなのに。

「今さらお前のせいではないと言っても……白々しいな」

 今回の件、間違いなく責任は鴻宵に在る。

 だがその行動そのものを責める権利は誰にも無い。

 絡嬰の意図に気づけなかった自分達の、誰にも。


 不意に、遠慮がちに扉を叩く音がした。

「右軍大将軍、鴻宵の従者、漣瑛です」

「入れ」

 蒼凌は即座に許可した。

 嫌な胸騒ぎがした。

「失礼致します」

 きちっと折り目正しく礼をして入ってきた漣瑛は、蒼凌の前に直立して用件を述べた。

「先程、我が主君が出掛ける、と一言残して出て行きました。情けない事ながら姿を見失ってしまい、ご報告に参りました」

「出掛ける?」

 他国の都で、従者も連れずに一体どこへ行ったと言うのか。

 眉をひそめた蒼凌は、次の瞬間愕然と目を見開いた。

「まさか……!」




 客舎から駆け出した私はまっすぐ先程の将軍府に来ていた。門番の誰何に答えようとしたところで、声を掛けられる。

「鴻将軍ではありませんか。何か忘れ物でもなさいましたか」

 絡嬰だ。

 ちょうど、先程詰所に預けた剣を取りに来たところらしい。

 好都合だ。

「はい。一つ、絡将軍と束将軍にお訊きし忘れた事がございまして」

 先程会った時の険悪な雰囲気はお互い欠片も匂わせず、和やかに会話する。

「そうですか。ここでは何ですから、どうぞこちらへ」

 絡嬰が先に立って歩き出す。私はその後に続いた。

 途中で、絡嬰が歩みは止めないまま通りすぎざまに一つの部屋の扉を叩く。そのまま通過して進んでいると、背後で扉が開いた。

 欠伸をしながら出てきたのは、束憐だ。

 ――挟まれた。

 私は油断なく目を配りながら、そっと左手を腰の剣に添えた。


 先程の部屋に着き、絡嬰が先に入る。私がそれに続き、束憐は今度は戸口を入ったところで立ち止まった。

「それで」

 振り返った絡嬰は、余所行きの顔を脱ぎ捨てた鋭い目で私を見据えた。

「我々に訊きたい事とは?」

 私は一度深呼吸する。

 それから、きっぱりと言った。

「兵士達の遺体はどうした」

「……は?」

 私の問いが余程予想外だったのか、絡嬰の目が無防備に見開かれる。私は繰り返した。

「遺体はどうした。返還を要求する」

「……何の為に」

 絡嬰は怪訝そうだ。

 けれど、これは必要で……大切な事。

「彼らは碧の兵士だ。私には彼らを家族の元に帰す義務がある」

 無論そんな事で、彼らへの償いになるとは思わない。けれど、私が最低限しなければならない事だ。

「……そんな事の為に、単身ここへ乗り込んできたと言うのか」

「『そんな事』ではない。重要な事だ」

 暫時、厳しい視線がぶつかり合う。

 絡嬰がふっと微笑った。

「束憐」

 戸口の方へ声を掛ける。束憐の面倒そうな声が応えた。

「んなもん、その場に転がしてきた」

「場所を教えてやれ」

 絡嬰はそう指示してから、私に視線を戻す。

「但し、条件が有る」

「条件……?」

 私が問い返すと、絡嬰は頷いて少し笑った。

「そこを動くな」

 そう言って、歩み寄ってくる。


 私は反射的に身構えそうになるのをぐっと堪えた。

 何があっても、彼らを連れ帰らなければ。それは私の義務なのだから。


 絡嬰が私の肩に手を掛ける。

「おい、絡嬰?」

 束憐の訝しげな声が飛んでくるが、気にした風もなく絡嬰は私を引き寄せた。一番上に着ている上着を帯から引き出す。


 そして。


「……っ!」

 感じた衝撃に、私は息を詰めた。


 脇腹に、小刀が食い込んでいる。じわりと血が滲んだのを私が認識した瞬間、絡嬰は私を突き放した。

 小刀は刺さったまま。私は床に膝をついた。

「う……っ」

「おいおい絡嬰、今回は殺さねぇんじゃなかったのかよ」

 束憐の呆れたような声が響く。

「殺しはしない。急所は外した。後で止血してやれ」

 そう束憐に言い返した絡嬰は、私の襟を掴んで引き上げた。反動で上向いた私と絡嬰の目が合う。

「お前に許された選択肢はただ一つ。その傷を隠し通し、何事も無かったかのように過ごす事だけだ」

 私は浅く息を吐きながら絡嬰を睨んだ。傷口が、痛いと言うより熱い。

「何、を……」

「わからないか?」

 絡嬰は目を細めた。

「お前はそうするしか無い――昏と碧を開戦させたくないならばな」


 昏と碧が今開戦すれば、碧が不利なのは間違いない。

 しかしもし、碧の大将軍である私が昏の者に傷を負わされたとなれば、碧としては開戦に踏み切らざるを得ない。そうしなければ面子が立たないのだ。

 それを避けたければ傷をひた隠せと、そう絡嬰は言っているのだ。


「そうして帰国すれば、待っているのは橙との戦だ」

 橙が碧を攻める。それはもう、避けられないのか。

「橙の『戦姫』は手強い。恐らく碧はお前と覇姫に当たらせるだろう」

 笑みを含んで言いながら、絡嬰は小刀に手を掛けて抉るように動かした。私は思わず呻く。

「うっ……く……」

「人知れずこの傷を抱えたまま戦姫と闘え――そして、死ね」

 ふっと笑って、絡嬰が私から手を離す。私は床に崩れ落ちた。

「う……っ」

「束憐、止血してやれ」

 興味が失せたとでもいうように私に背を向けながら、絡嬰が指示する。

「ああ、上着は汚すなよ。血の染みを隠せなくなる」

 それだけ言い残して、部屋から出て行った。後には腹部に小刀を刺されたままの私と束憐だけが残る。

「ったく……相変わらずえげつねぇ野郎だ」

 呆れたように呟きながら束憐は私の側に膝をつくと、帯を解いて私の上着を脱がせ、離れた場所へ放った。それから傷口に布を当て、小刀に手を掛ける。そのまま無造作に引き抜いた。

「……ッ!」

 息を詰めた私の傷をそのまま布で圧迫し、襟の留め金に手を掛ける。

「……っ、ちょ……っ」

 私は腕を持ち上げ、束憐の動きを止めようとした。途端に傷口を押さえる手に凄まじい力を込められて呻く。

「じっとしてろ。べつに内衣まで脱がしゃしねぇよ」

 そう言って淡々と留め金を外し、上衣の前を開ける。棚から包帯を取り出して、内衣の上から傷口をきつく縛った。

 作業を終えると、束憐は上衣を元通りにして私から離れた。

 私は痛みを堪えながら何とか起き上がり、立ち上がったところでよろけた。倒れる、と思った瞬間、束憐に腕を掴まれる。

「気ぃ付けろ。碧の連中に傷に気づかれたら、碧は終わりだぜ」

「っ……」


 ――そして、死ね。


 絡嬰の冷ややかな声が脳裏に蘇る。

 自分の命か、国の命運か。そういう選択を私に強いているんだ、あの男は。

 逃げ道は、無い。


「おい、これ持ってけ」

 気づけば、束憐が私に何か布を差し出していた。広げてみると、地図だ。

「赤い×印がお前の知りてぇ場所だ」

 確かに三ヶ所、印が付けられていた。

「……確かに」

 地図を受け取って、私は上着を拾った。身を屈めると、傷口がずきりと痛む。息を詰めてやり過ごしながら帯も拾い、元通りに身に付けた。額を拭うと、びっしりと脂汗が浮いている。

「ちっ、絡嬰の奴」

 私を部屋から連れ出しながら、束憐がぼやいた。

「お前はいずれ戦場で獲物にしようと思ってたのによ」

 私は小さく笑った。

「いずれ戦うことになる」

「あ?」

 怪訝そうな束憐に、腹部を押さえた私はきっぱりと言った。

「こんな事で、死ぬものか」

 目を瞬かせる束憐に背を向け、歩き出す。

 昏の国内からは使いを出せない以上、一刻も早く国境を越えて帰還し、橙の件を都に知らせなければ。

 そして。

 私は懐を押さえた。そこに、束憐から受け取った地図が入っている。

 そして――彼らを家に帰してやらなければ。




 鴻宵の背を見送る束憐は、はっと笑った。

「大した奴だぜ」

 にぃっ、と口角を上げて呟く。

「それでこそ、潰し甲斐があるってもんだ」


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