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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之肆 奇縁錯綜
61/115

邂逅

 夜明け前。

 私達は起床し、朝会へ向かった。

 私の推測が当たっているなら、とりあえず今回の使いに困難は無い筈だ。けれども、油断はできない。私は気を引き締め、背筋を伸ばした。




 碧の一行が朝会へ向かった後、客舎から駆け出した者があった。

 その人物は真っ直ぐ将軍府へ向かうと、自室で書物を広げていた将に何事か耳打ちする。

「ほう」

 将の紫暗の瞳が光った。

「気づいたか……それとも他の用か」

 呟きながら、地図を広げる。

「束憐」

「あんだよ」

 部屋の隅で横になっていた束憐が、寝起き特有の掠れた声で返事をする。

「貴様の出番だ」

 絡嬰は地図に目を走らせながら命令を下した。




 思った通り、締盟そのものはさしたる困難も無く終わった。安堵したような、却って空恐ろしいような、複雑な気分だ。


 但し、少しだけ気になった事がある。

 朝会の際に、昏の重臣の中に空席があったのだ。

 武官の三番目。位置的に四将軍の一人だ。私が顔を知っているのは冒溢と叡循貴。彼らはそれぞれ一番目と四番目に座っている。

 という事は、居ないのは絡嬰か束憐。


 今、昏は北方の反乱も一段落ついて四将軍が出向くような戦は無い筈だ。

 なのに、何故。


 心臓が早鐘を打つ。

 まさか、橙に?

 いや、しかしそれは将軍の役目ではなく、外交筋の仕事ではないのか。


 滞りなく役目をこなしながらも、私は頭の中で絶えず思考していた。



 使いが無事に終わり、退出する。

「どうかなされたか、鴻将軍」

「は?」

 急に蒼凌に声を掛けられ、私は慌てて思考を中断した。

「どうか、とは?」

「いや、どこか上の空に見えたのでね」

 穏やかな口調で言いながらも、蒼凌の目は厳しい。何を隠しているのかと糾弾する目だ。

「いえ、そのような事は……」

 私は視線を泳がせた。別に隠す事ではないのだが、一度隠してしまうと言い出すのは難しい。

「何か考え事でも?」

「いえ……」

 しどろもどろになっていた私は、こちらに歩み寄ってくる人影を見てはっと顔を引き締めた。蒼凌も、それを見て姿勢を正す。

「失礼。蒼太子と鴻将軍とお見受け致します」

 そう言って綺麗に礼をしたのは、灰色の髪に紫暗の瞳をした武官だった。装束から見て、最高位。すなわち四将軍の一人。

 見覚えがある。

 朝会で四将軍の二番目の席に着いていた。

「私は将軍並びに軍師の職を預かっております、絡嬰と申します」

 絡嬰。峰晋の後任として軍師に就任した人物だ。

「少々お話ししたい事がございます。失礼ながら、将軍府までお越し頂けませんでしょうか」

 従者達がさっと緊張するのがわかった。私も、果たしてこれにどう応えるべきか迷っている。

「危害を加えるつもりは毛頭ございません。ただ少しばかり込み入ったお話ですので、お人払いを」

 危険といえば、これほど危険なことはない。従者も連れずに、敵国の将軍と差し向かいになれと言うのだ。

 しかし、ここで私達を殺す利点は無いに等しい。

 第一殺すつもりなら、今日を迎える前に仕掛けていた筈だ。

「――承知した」

 そう答えたのは、蒼凌だった。

「太子……!」

「但し、我々が警戒する気持ちもお分かりいただけると思う」

 蒼凌は穏やかに微笑んだ。

「こちらの帯剣は許していただこう」

 絡嬰が頷く。

「無論です。こちらは剣を外しましょう」

 何故蒼凌と私の二人だけを呼ぶのか、何が目的なのか。

 わからないままに、私達は絡嬰に従って将軍府に足を踏み入れた。他の外交官や暦監、従者達は将軍府の門で待つことになる。絡嬰は自分の剣を門の横の詰所に預けた。


 導かれるままに進んでいくと、行く手右側の壁に凭れて誰かが立っているのが見えた。歩きながら、私はさりげなく蒼凌の右側に出る。

 しかしその人影の前に差し掛かる直前、絡嬰が足を止めた。

「束憐」

 立っている人物に向かって、そう声を掛ける。どうやら器用にも立ったまま寝ていたらしいその人物は、ぱっと目を開けると顔をこちらに向けた。

 赤銅色の隻眼が私達を映す。


 そう。隻眼、だった。右目は眼帯に覆われている。


 鋭いその眼光が、私に向いた途端に驚いたように拡散する。

 そして、その口から呟きが漏れた。

「……女……?」

 って、はい!?

 愕然とした私が何か言う前に、絡嬰が素早く束憐の胸ぐらを掴んで引き寄せた。

「馬鹿か貴様は。装束をよく見ろ!」

「いや、だってよ……」

「黙れ。まず今は黙れ。そして謝罪しておけ!」

 小声でぼそぼそと言い合っているが、正直位置的に丸聞こえだ。

 あと、絡嬰の裏表具合が凄い。

「……失礼致しました。どうぞお気になさらず、こちらへ」

 結局絡嬰が束憐に強制的に頭を下げさせ、もとの丁寧な口調に戻って私達を招き入れる。

 ……どちらかというと私は、貴方の素の方が気になります。


 私達が室内に入ると、束憐も入って絡嬰の隣に並んだ。

 何だかさっきの一件から、やたら束憐の視線を感じる気がする。

「さて、それでは本題に入らせて頂きます」

 絡嬰が口を開くと、束憐がばっとそちらを見た。

「気持ち悪……」

「黙れ」

 心底気持ち悪そうに束憐が言うと、絡嬰が即座にその腹に一撃入れた。

 ああ、やっぱりそちらが普段の調子なんですね。

「……本題に入ります」

 軽く咳払いをして、絡嬰が仕切り直す。

 紫暗の瞳が、射るように私達を見た。

「ご一行の護衛の人数が、昨日に比べ三人ほど減っているようですが」

 私は内心はっとした。

 しまった、そこまで見張られていた……!

 顔色を変えまいと懸命になっている私の前で、絡嬰がにっと笑った。

「どちらの指示で、使いにお出しになったのですか?」

 私はちらりと隣を窺う。蒼凌は全く表情を動かしていなかった。

「使い、とは?」

 蒼凌が口を開く。穏やかな口調は、全く揺らいでいなかった。

 絡嬰が束憐に視線を投げる。

 束憐が何やら懐を探って、取り出した物を私達の間にある机に放った。

 ことりと小さな音を立てて机の上に着地したのは、掌ほどの大きさの袋だった。

 どくりと心臓が脈打つ。


 あれは、書簡を入れる袋だ。封の紋章には、嫌と言うほど見覚えがある。

 そして、袋に所々付いている赤黒い染みは……

「……殺したのか」

 私は思わず呟いた。絡嬰は答えずに、ただ口角を上げて書簡の封を解く。

 私は唇を噛み締めた。


 でも、まだだ。

 まだ、あと二人……

 そう思った時。


 ことり。


 束憐が、続けて懐から取り出した物を放る。

 そして、もう一つ。

「……っ」

「欠けた人数は三人。ならば討つのも三人。取り逃がすとでも?」

 書簡を広げながら、絡嬰は皮肉げに言った。

 ざっと書簡に目を走らせる。

「ほう……よく見破ったものだ」

 呟いた絡嬰は、目を細めて私を見た。既にこの書簡は私が送ったものだと確信しているようだ。

 そしてもう、最初のような礼儀正しさは無い。

「だが時は既に遅い……橙は盟主として昏を選んだ」

「っ!」

 私は息を呑んだ。

 どうしよう。もう間に合わない。

 私がパニックに陥りかけた時、それまで黙っていた蒼凌が口を開いた。


「――それは、橙を碧に下さるという事かな」


 え?


 私は思わず蒼凌の顔を見上げる。真っ直ぐに前を向いた蒼凌の表情は、相変わらず穏やかだった。

「……何?」

 さすがに聞き捨てならなかったのか、絡嬰が眉を寄せて蒼凌を睨む。

「そうではないか」

 凪いだ口調のまま、蒼凌は続けた。

「これまで中立に徹してきた橙をわざわざ我が国の敵に仕立て上げてくれたのだろう。こちらから潰しに出向く手間が省けたという事だ」

 表情と声音の穏やかさとは裏腹に過激な事を言って、蒼凌は最後に強い目をして見せた。

「橙に攻められたくらいで崩れはしない――我が国を甘く見て貰っては困る」

 そう言い放つと、蒼凌は呆然としている私の背を押して部屋を出た。


 それから将軍府を出て、皆と合流し、客舎に戻るまで。蒼凌は一言も口をきかず、私と目も合わせなかった。




 蒼凌と鴻宵が立ち去った後の室内で。

 束憐は彼らが出ていった入り口を眺めて目を瞬かせながら呟いた。

「言いやがるぜ、あの坊っちゃん」

 その隣で、絡嬰は拳を握りしめていた。

「見誤った……!」

 絞り出すような呟きが漏れる。束憐は横目で彼を見た。

「あの坊っちゃんをか?」

「二人ともだ!」

 苛立ちを隠そうともせず、絡嬰は鴻宵の書簡を擲った。

「鴻宵が私の狙いを読みきるとは思わなかったし、碧太子があれほど胆の据わった男だとは思わなかった」

 実のところ、鴻宵の書簡を開いた時にはまだ、絡嬰は七割方別事の使いだろうと思っていた。その場合は、使節団の一部を勝手に帰国させるのは法に反すると糾弾しておけば良いと考えていたのだ。

 それが、橙の事まで読みきられていた。

 更にはあの太子の言葉である。

「あの二人は邪魔だ……早めに消してしまわなければ」

 呟いて何やら考え始める絡嬰に、束憐は溜息を吐いた。こうなった絡嬰は、納得のいく答えを見つけるまでそう簡単には止まらない。

 やれやれと肩を回して立ち去ろうとした束憐は、ふとあることを思い出して振り返った。

「そういやぁ」

 声を掛けても、絡嬰は動かない。束憐は気にもかけずに続けた。

「鴻宵な……あれ、女だろ?」

 鴻宵、という言葉に、絡嬰が漸く顔を上げる。しかし束憐の発言を聞いて顔をしかめた。

「まだ言うか。確かに女のような顔立ちだが……」

「女だ」

 絡嬰の言葉を遮って、束憐が言い切る。むっとして言い返そうとした絡嬰は、束憐が決して鴻宵の外貌を揶揄している訳ではない事に気づき、口をつぐんだ。

 すっと頭が冷える。

「確かか」

「間違い無ぇ」

 冷静に問いかけた絡嬰に、束憐もまた真剣に答える。

 絡嬰の口角が上がった。


「それは面白い事を聞いた」


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