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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之壱 胎動
6/115

宗伯

 ともあれ、それからすぐ、私は神殿へ向かった。

 今回私が任じられた大宗伯というのは、神殿と祭祀を司る職。したがって、前の宗伯から神殿管理の引き継ぎを受けなければならない。


 実を言うと、私は碧の神殿に来るのは初めてだった。神殿と言えば、紅で朱雀の神殿に行ったきりだ。


 正殿の東を通ってずっと奥へ行くと、神殿に繋がる回廊が現れる。この辺りから、すっと空気が澄むのを感じた。

 さすがは神殿と言うべきか。通常より密度の高い木精霊達も、やや厳粛な雰囲気を纏っているように見える。

 回廊の先に居た門番に名を告げると、扉を開いて奥へと通された。静まり返った廊下の先に、本殿がある。

 しかし今回はその手前で折れて、神殿に併設されている宗伯府へ向かった。そこでも立っている侍臣に名を告げて、漸く宗伯の執務室に入る。

「おまちしておりましたぞ、鴻将軍」

 立って私を迎えたのは、小柄な老人だった。身近な老人として堂々たる体躯の棟将軍を見なれている私の目に、宗伯は今にも枯れそうに映る。大将軍になる私の官職を確保するために職を追われる形になったはずのこの老人は、しかし私を見て朗らかに笑った。

「お陰さまで、この老骨も暇乞いをできましてな」

 そう言って私の正面に立った老人は、じっと私の目を覗き込んだ。

「噂は伺っておりまする。青龍様と契約をお結びになった事がおありとか」

「はい。最も、私は覇姫様への恩恵の余波を蒙ったにすぎませんが」

 表向きの事情として用意してある答えを言うと、老人はふふ、と笑った。そんな表情をすると、この老人は案外無邪気な風に見える。

「余波であったにせよ、それが純粋な偶然というようなことはござりませぬ。少なくとも鴻将軍には精霊がお見えになる、と拝察いたしました」

 私は思わずぎくりとした。

 さすがは神官というべきか、その辺りの観察眼は常人の比ではないらしい。

「貴方様にならば安心して宗伯をお任せできまする。君命を受けて占じてみましたところ、大吉と出ました。大慶至極」

 独特の口調でゆるゆると話しながら、宗伯は古びた書物を私に渡した。

 余談だが、書物と言ってもこの国の紙はかなり分厚く固いので、書物と言えば短冊状の紙を紐で綴って巻物にしたものだ。

「祭祀の典礼については、これをお読みになるとよろしい。おわかりにならないところは、丞に訊かれるとよろしい」

 丞とは次官の事だ。私は受け取った書物を大事に押しいただいた。

 それから事務的な引き継ぎや部下の引き合わせを済ませて、前宗伯は僅かな荷物を侍臣に持たせて去ってゆく。

「そうそう、一度ご自分で本殿に足をお運びなされ。私は青龍様に見えること叶いませなんだが、貴方様ならもしやお目にかかれるやも知れませぬ」

 そんな一言を残して、小柄な背中は去って行った。

 それを見送って、私は王から与えられた印綬を見た。位が上がるということは、責任を負うということでもある。

 勉強することが増えたな、と思いながら、私は貰った書物を紐解いた。

 その第一項に、神官として新任した際の土地神への報告の典礼が記されている。神官が一人で行わなければならない祭祀であり、準備すべきものも多くはない。

 私は漣瑛を呼び、その祭祀に必要なものを手配に行かせた。

 新任の報告だというなら、今日やってしまうに越したことは無い。私は先ほど引き合わされたばかりの丞を呼んで、それを伝えた。

 丞は暦監(れきかん)という、人格に角の無さそうな初老の男だ。

「それから、私は将軍職を兼任しているので戦が起これば留守にすることもある。祭祀や典礼についても勉強中の身だ。補佐を頼む」

「精一杯相努めます」

 頭を下げた暦監に後の事を頼んで、私は本殿へ向かった。漣瑛に揃えさせた物を受け取り、独りで中に入る。

 ひやりと澄んだ空気が、私を取り巻いた。

 ――青龍は……居ないな。

 それを確かめると、私は書物にあった手順どおりに祭祀を始めた。神殿の中央にある祭壇の床を木の枝で掃き清め、酒を供え、跪拝して短い祝詞をあげる。それに伴って、神殿内の木精霊達がざわざわと騒ぎ始めた。

「安平大将軍上大夫鴻宵、新たに宗伯たらんとここに謹請し奉る――」

 言い終えて顔を上げると、祭壇の周囲の木精霊密度がありえないことになっていた。

 思わず、げ、と呟いた瞬間、その中心に烈風が巻き起こる。

 反射的に閉じていた目を開いた時、祭壇の脇には見覚えのある人影が立っていた。

「青龍……」

「何事かと思えば……お前か」

 私と祭壇を視界に入れた青龍は、軽く眉を上げた。

「碧の宗伯に就いたのか」

「ああ。っていうか、何で来た?」

 まさか本当に青龍が現れるとは思ってもみなかったので、かなり驚いた。私の正直な問いに、青龍は眉を寄せる。

「それ……任官の儀は、本来俺を喚び寄せて挨拶するための儀式だ。普通の神官は方士として大したことは無いから俺が出てきたりはしないが、お前みたいな霊力の持ち主にそれをされたら喚び寄せられるに決まっているだろう」

 どこか不満げに説明する。確かに、報告だけの為にわざわざ召喚されたことを考えると、愉快ではないのかも知れない。

「悪い……知らなかったから」

「別にかまわないが」

 さらりと言った青龍は、私と目が合うと少し遠い眼をした。

「一年ぶりか。僅かな時間の筈だが……長かったように感じる」

「そうか?……うん。長かった、かも」

 特に私の周囲はめまぐるしく変化した。

 碧に仕官して、必死に上を目指して……そして、今がある。

「とにかく、俺は大宗伯になったから、これからここの管理を任されることになる。青龍は普段はこの神殿に居ないのか?」

 私が問うと、青龍は頷いた。

「普段は東霊山にいる。ここにいる意味も無かったからな」

 だが、と言葉を継いで、青龍は微かに笑った。


「お前が此処に居るなら、神殿に滞在するのも悪くない」




 神殿を出た私は、廊下に控えていた漣瑛と合流して宗伯府の執務室に戻った。

 青龍に会ったことは当然だが誰にも言わず、ただ儀式を無事に終えたとだけ告げた。それから差し迫った祭祀が無いことを確認し、裁決が必要な執務を暦監に教えを請いながらこなして、前宗伯に貰った書物の勉強をする。

 日が中天を過ぎると仕事を終える者が出てくるので、終わった者は帰って良い、と指示を出した。

「将軍」

 大抵の属官達が帰ってしまった中、執務室で書物を読み続けていた私は、かけられた声に顔を上げた。気がつけば、日が西に傾き始めている。声をかけたのは漣瑛だった。

「どうした」

「今日は早くお帰りになった方がよろしいのでは……もしくは、私を邸に使いさせてください」

 半ば呆れたように言われた言葉に、私は首を傾げた。書物に没頭していた頭に思考を引きもどすようにして、理由を考える。

「……あ」

「あ、ではありません」

 場所を弁えて静かに窘められるが、漣瑛の眉間にくっきりと皺が寄るのがわかった。

 怒っている。

「……すまない。すぐに帰ろう」

 立ちあがって、私は手早く荷物を纏めた。

 私は今朝の任官式で身分も官職も上がったばかりで、まだそれを邸に居る臣下に報告していない。普通は第一に家に使者を出して報せるのだろうが、何だかんだ立て込んでいて漣瑛を家まで戻らせる暇が無いまますっかり忘れていたわけだ。


 その結果がどういうことになるか、火を見るより明らかだった。


「忘れていた、で済むことではないとお思いになりませんか?」

 邸に帰った私の前に座っている尉匡は、にこにこと笑っている。

 笑っているのだが、明らかに機嫌の良い笑顔ではない。

「自分の主君の昇進を、あろうことか他人の噂で、初めて耳にする臣下の気持ちを考えたことがおありですか?」

「悪かった……」

 うなだれている私は、今回ばかりは言い返せない。

 私の官位が上がることに伴って、彼らにもやらなければならないことが出てくる。その連絡を怠ったのだから、温厚なはずの尉匡に凍てつくような視線を向けられても文句は言えないのだった。

 因みに省烈に至っては怒り心頭に発してしまったらしく、何も言わずに私の頭を張り飛ばしてさっさと仕事に戻ってしまった。

 現在家宰は忙しい。各家から来る慶賀の使者の対応と答礼の準備をしなければならない。それは外向きの事を任されている尉匡の仕事でもあるはずだが、私に説教をしておかないと気が済まないのだろう。

「既に覇姫様と棟将軍、角将軍、大司寇様等の各家から慶賀が届いております。そろそろ皆さま退朝なさっておられるでしょう。卿の方々には将軍ご自身でご挨拶に行かれませ。他の各家への答礼の準備は我らで致します」

 言外にとっとと行け、と言われて、私は礼物を車に乗せて家を出た。漣瑛に車の御をさせながら、溜息を吐く。

「尉匡は怒らせないようにしよう……」

 地味に怖かった。

「どこから行かれますか?」

 手綱を握った漣瑛が問う。私は卿の面々を頭に思い浮かべた。

「まずは宰相の所へ行くのが礼儀だろうな。それから覇姫様、次に棟将軍だろう。このお二方が密かに私を推して下さった筈だ。その後は……」

 一考して、私はちょっと苦い顔をした。

「どちらでも良いといえばどちらでもいいが、大司空を後に回すとうるさそうだ」

「御意」

 漣瑛も微かに苦い顔をしている。

 大司空の任にあるのは叙寧(じょねい)という、大将軍の一人だ。但し、この人は私の事を良く思っていない。それどころかあからさまに嫌っている節がある。

 評判から察するに、どうも成りあがりが嫌いな生粋の門閥貴族であるらしい。


 考えた通りの順に挨拶回りをして、宰相からは型通りの激励を、春覇と棟将軍からは心の籠った祝いを、叙寧からは気合の入った嫌味を受け取って、最後に私は大司寇の門前に立った。


 正直、私はこの大司寇なる人の人となりを詳しくは知らない。


 名を至鶯(しおう)という人で、二年前に引退した父親の後任として大司寇に就いたという。大司寇は世襲の官ではないはずだが、それだけ彼がこの仕事に適任だと判断されたのか、何か事情があるのか。理由が前者だとすれば、三十前後でこの大任に就けられた彼は相当優れた人物に違いない。

 彼について、私にはそのくらいの認識しかない。

 朝廷で顔は見知っているが、私が武官で相手が文官ということもあってあまり接することはなかった。ただ法令に詳しく、公正な判断を行える人だという評判は聞いている。


 その人は、挨拶に来た私と相対するなり、こう言った。

「貴方の欲とは何か」

「は……」

 いきなりの問い、それも意味のよくわからない問いに、私は咄嗟に言葉が出ずに固まった。そんな私を、至鶯は無表情に見ている。

 凪いだ水面を思わせる、静かな目だった。

「貴方を無欲と言う人がいる。貴方は利を貪らず、功を誇らない。しかし無欲はより大きな欲でありうる。欲の無い人間などいない。とすれば、貴方の欲とは一体何か」

 淡々と、至鶯は言葉を綴った。私は問われていることも忘れてその言葉に感心してしまった。

 そういう見方があるのか。

 しかも至鶯の言葉は、大筋の所で真実を掴んでいる。


 私は覚悟を決めた。

 全てを言うわけにはいかないが、この人に嘘やごまかしは通用するまい。だとすれば、真っすぐに受け止めながら対峙するしかない。

「より大きな欲とは、何ですか」

 逆に問い返した私を、至鶯は表情を変えずに見据える。

「目先の利を貪り、一時の功名を誇るのは、小さな欲である。大きな欲は目に見えない。小さな利を追わず、遠大な利を求めんとする、それが大きな欲である」

「それを私が抱いているとお考えですか?」

「貴方は小さな利を追わない。貴方の求めるものがその先にあるとすれば、貴方の行動に説明がつく」

「その先、とは?」

 私が問うと、初めて至鶯の表情が僅かに動いた。何かを見極めるように、すうっと目が細まる。

「小なれば国家、大なれば天下」

 私は何も言わず、表情も動かさなかった。至鶯も暫し動かず、じっとこちらを見つめる。

 その状態が続いたのが数秒だったのか、数分だったのか、私にはわからない。

 至鶯の口が、再び動いた。

「貴方の欲とは何か」

「何故、それを訊くのです?」

 いつまでも問いに答えずに問い返し続ける私に怒るでもなく、至鶯は平坦な声で答える。

「貴方の欲は、貴方を碧に叛かせるか、否か。それが知りたい」

「否」

 間髪をいれずに、私は答えた。

 嘘ではない。私の構想の中に、碧への謀反など無い。

 私の解答の早さに虚を衝かれたのか、至鶯はまじまじと私の顔を見つめた。次いで、頷く。

「貴方の欲は、最も大きい」

「そうかも知れません」

 頷いた私を更に暫くじっと見て、至鶯はふ、と目元を緩めた。

「その欲を、訊いても?」

 ほんの少しだが、至鶯の声音が和らいだのを聞いて、私は微笑を浮かべた。


「天下万民の、平安です」


 窓から差し込んだ夕陽の緋色が、室内を柔らかく照らし出していた。


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