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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之肆 奇縁錯綜
59/115

炎狂、再び

 昏の都城、将軍府にて。

 絡嬰は部下のもたらした情報に接していた。

「碧の使いが国境を越えたそうだ」

 部下を下がらせた彼が言うと、短い笑いが返ってくる。

「いっそそのまま潰しちまえばいいんじゃねぇか。約束がどうのと綺麗事ぬかしてられる時勢じゃねぇだろ」

 そう言い放ったのは、言うまでもなく束憐である。赤銅の隻眼が剣呑に光った。

「やめておけ」

 絡嬰があっさりと言う。

「せっかく碧が自ら瓦解しそうになっている状況なのだ。こちらが強硬手段に出れば却ってあちらの内部を団結させてしまいかねん」

 現在、碧では王と太子が水面下で睨み合っている。そこに国外から脅威が迫れば、ましてその脅威が一方の領袖である太子を殺したともなれば、国内でいがみ合う者達が手を取り合う可能性は高い。

「第一、貴様もそれでは楽しくないだろう」


 鴻宵を、そんな風に潰してしまっては。


 その言葉に、束憐は目を細めた。

「それもそうだ」




 同じ頃、離宮では。

「鴻宵が、来る……」

 一人長椅子に座った璃黒零が、腕輪を握り締めていた。

 彼の肩には、大柄な烏が留まっている。

「和平の締結に来るって話だが」

 烏が声を発した。言うまでもなく蕃旋である。

「昏が本気で碧と和平を結ぼうって考えてるとは思えねぇな。裏がありそうだ」

「……絡嬰か」

 黒零が低く呟く。

 黒零は絡嬰と直接に関わる機会が殆ど無いが、籠の中で育った彼にとって、ああいう腹の中に一物も二物も抱えていそうな男は苦手な部類に属している。

「誘き出して殺そうとでもいうのか」

「普通に考えりゃそうなるが……どうもそういう単純な策は立てそうにねぇな、ありゃあ」

 蕃旋にも、絡嬰の意図など測れない。そもそも彼には人間が腹の中に忍ばせている複雑怪奇な思考回路や駆け引きといったものが理解しきれなかった。

「とりあえず、お前は動かねぇ方が良い」

 絡嬰の狙いもわからないままに手を出せば、ろくな事にはならない。

「わかっている」

 頷いた黒零は、蕃旋を睨むように見た。

「第一、吾が手を出す理由など無い。鴻宵が生きるも死ぬも、吾にはもう関わりの無い事だ」

「……そうだったな」

 蕃旋は溜息混じりに言うと、ばさりと羽を広げた。

「じゃあまあ、おとなしくしてろ。俺はもう少し探ってみる……つっても、あの絡嬰って奴には何かあんま近づきたくねぇんだよな」

「無理をするな。吾もあの男はあまり気に入らん」

 蕃旋が黒零の肩から飛び立つ。


 様々な思惑が錯綜する中、碧の一行は昏の都に近づいていた。




 碧のそれよりずっと冷たい空気に肩を竦めながら、私たちは都の城門をくぐった。

「お待ち申し上げておりました」

 昏側から派遣されてきた大臣が私たちを迎え入れ、王城へと案内する。私は油断なく目を配りながら進んだ。

 何事もなく王城へ着き、一度客舎に案内される。

 正式な会見は明日の朝会で行われることになった。

「長旅でお疲れでしょう。本日はこちらでゆるりとお休みください」

 そう言って、案内の大臣は立ち去る。


 私は即座に蒼凌にあてがわれた部屋の中を調べた。


 蒼凌がこの部屋、私が隣の部屋、外交官と暦監は向かい側の部屋で、その他の随行者達は一つの大部屋を与えられている。普通に考えて、一番危険なのはこの部屋ということだ。

 調べた限り、特に怪しいところは無い。甕の水も大丈夫そうだ。

 私が覗いているのに気づいた水精霊達が顔めがけて飛び付いてくる。


 いや、顔に飛び付くな!

「きゃ~」じゃない、私は忙しいんだ!


「……他の部屋を見て参ります。太子は此処にいらして下さい」

 何とかさりげない動作で張り付いた水精霊を引き剥がし、私は蒼凌に言った。部屋の前に漣瑛を置いておけばまず大丈夫だろう。

「鴻宵」

 不意に腕を掴まれて、心臓が跳ねた。

 そういえば、他の者達は警備の配置に当たってるからさっきからこの部屋には二人きり……って、いや、何を考えているんだ、私は。

「……?どうした?」

「いえ、何でも。それより、何でしょう」

 私は咄嗟に取り繕った。蒼凌は怪訝そうにしながらも話を切り出す。

「お前、やたらと肩に力が入っていないか」

「はい?」

 何か変だと思ったら、蒼凌がさっきから素だ。

 この部屋には他に誰も居ないとはいえ扉の外には従者達が居るのに、いいのか。

「いいか、用心するのは良いが、あまり気を張りすぎるな。却って隙ができる」

 宥めるように肩を叩かれる。

 物凄く真面目な忠告をしてもらっているところなのに、酷く落ち着かない気分だ。

「俺は心配無い。何かあっても自力で何とかなる。お前に全面的に守られる程か弱くはないぞ」

「う……」


 それは……知ってる。

 でも、つい、守らなきゃ、と……そう、思ってしまったんだ。


 蒼凌は追い討ちをかけるように、懐から私が渡した玉を取り出した。

「これは、春覇がお前にやったものなんじゃないのか」

「……」

 何故ばれたんだろう。

 私が目を瞬かせていると、蒼凌は玉を握った手で私の額を小突いた。

 あう……今のは意外と痛かった。

「俺は春覇からもう貰っている」

 あ。

「第一春覇が俺に渡す物をお前に託ける理由も無い」

 う。

「これは返すぞ」

 最後にそう言って、玉を差し出される。

 木精霊が嬉々としてこちらに飛び戻って来ようとした。

「……駄目だ」

 絞り出すように、私は言った。

「なに?」

「それは……蒼凌が持ってて」

 蒼凌の言い分もわかる。私のやり方は春覇の心遣いを無下にするような事かも知れない。

 でも。

「それには、私の加護も籠めてあるんだ。だから……」

 私は何とか顔を上げて、ぎこちなく笑った。

「頼むよ」

「鴻宵……?」

 何か問いたげな蒼凌の視線を振り払うように背を向ける。

「他の部屋を見て参ります」

 そう言って、足早に部屋を出た。

 漣瑛にそこに残るよう指示をして、他の部屋へ向かう。落ち着かない胸に手を当てて、深く息を吐いた。


 もっと、揺らがない強い心を持てればよかったのに。




 同じ頃、碧の都、翠。

 とある高官が、密かに邸に兵を集めていた。

「よいか、これは好機だ」

 高揚を抑えきれない口調で、兵士達に言い含める。

「大宗伯は留守、覇姫も家中の事で忙しい。加えて、奴をよく知る味方も居る」

 彼がちらりと視線を向けた先。

 部屋の隅の暗がりに、少年が端座していた。

「そもそも我が碧に、小賢しい方士など必要ない」

 この高官は、碧きっての方士嫌いであった。これまで国を支えてきた覇姫に対してすら心服していないきらいがある程である。

「炎狂など危険分子でしかない……おとなしくしているうちに殺してしまうのが我が国の為なのだ!」

「その通りです」

 少年の声がするりと滑り込む。

「消すならば今のうち……私が間違いなく手引き致します」

 冷え冷えとした口調でそう言いながら、少年は暗がりからにじり出た。未だどこかあどけなさを残した容貌があらわになる。

「ですから、成功の暁には、私の身分を保証してくださること、お忘れなく」

 高官はにやりと笑う。

「無論心得ておるとも……錫雛殿」

 高官が手を振ると、兵士達が一斉に姿勢を正す。


「では」

 立ち上がった錫雛は、艶やかに微笑んだ。

「参りましょうか」




 闇に紛れて、兵士達が駆ける。


 ――今宵、炎狂は宗伯府の一室でぐっすりと眠っているはずです。茶に薬草を混ぜておきましたから。


 暫く前から高官の邸に出入りするようになっていた錫雛は、そう告げてきたのである。

 高官は当然問い返した。

 薬草を混ぜられるなら、何故毒殺してしまわなかった、と。

 ――あれ程の方士になると、毒殺は無意味です。

 錫雛は解説した。

 ――眠り薬くらいなら大丈夫ですが、命に関わるような毒となると精霊が教えてしまいますから。

 それに、と続けて、錫雛は少し不安げな顔を見せる。

 ――私が炎狂を殺してしまえば、誰も私のその後を保証してはくれません。ですから、貴方様におすがり致した次第なのです。


 そのようなやり取りを経て、今彼らは宗伯府に向かっている。兵士を集めたのは念には念をという錫雛の助言による。また高官が自ら指揮を執るのも、人に任せるのは信用ならないと錫雛の勧めた事だ。


「ここです」

 錫雛は宗伯府の裏道を通って彼らを導き、炎狂の居る部屋の裏手へと辿り着いた。宗伯府の離れに位置するその部屋は、普段あまり人の来ない場所であるせいかやや寂れた雰囲気で、裏手には様々な木箱や包みが積み上げられていた。

 その荷の山に身を隠しながら、錫雛が部屋の窓を指し示す。

「あの窓を破って中へ入れます」

 高官は頷き、兵士に手で指示をした。大柄な兵士が逸早く窓を破り、突入する。高官もそれに続いて中を覗き込んだ。

「な……」

 思わず声を上げる。

 室内はもぬけの殻だった。

「馬鹿な……!」

 高官はさっと振り返った。第一に疑わしいのは、無論錫雛である。

 しかし。

「そんな……!」

 高官に続いて窓を覗き込んだ錫雛もまた、目を見開き唇を震わせていた。

「そんな……私は確かに……!」

「錫雛」

 ひやりとした声が、彼らの耳に滑り込んだ。

「ひっ」

 高官は思いきり後ずさって錫雛から離れ、振り向いた錫雛もまた息を飲んでその場から飛び退いた。


 いつの間に現れたのか。

 錫雛の背後には、他ならぬ炎狂、依爾焔が立っていたのである。


「な……何故……」

 錫雛が震えながら後ずさる。その背が、積み上げられた荷にぶつかった。

「何故?」

 爾焔は懐から丸めた布を取り出した。それはぐっしょりと濡れている。

「私は君が思うより精霊に好かれているようでね」

 爾焔が布を地に落とした。

 出された茶を飲むふりをして、実際には布に吸わせていたのである。

「まさかとは思ったけれど」

 爾焔はぐるりと周囲を見渡した。その視線の鋭さに、高官も兵士達も一斉に硬直する。

「……君が、我が身の為に私を売るとはね」

 錫雛に目を戻した爾焔は、常から浮かべている笑みをいっそう深くした。

「家族を喪い、国も失い……」

 ゆっくりと錫雛に歩み寄り、彼が背にしている荷に片手をつく。

「――君もまた、私を裏切ったというわけだね?」

 真っ青になった錫雛の眼前で、爾焔が益々笑みを深くする。


 次の瞬間、その顔から一切の表情が抜け落ちた。


「――清めの炎よ」

「い、依氏!お赦しくださ……」

 言葉の半ばで、錫雛の体が炎に包まれた。


「ひぃっ」

 高官はひきつった声を上げた。

 一瞬で人一人燃やしてしまう、それが炎狂の力。

「燃えてしまえ」

 燃え尽きてぼろぼろと崩れ落ちてゆく様を見詰めながら、爾焔が低く呟く。

「何もかも、全て」

 俯いたその肩が、小さく震える。それに伴い、喉から細い声が漏れ聞こえた。

 笑って、いるのだ。

「燃え尽きてしまえ……もう誰も信じるものか!」

 ついに爾焔は、大声で笑い始めた。その頬に、光るものがある。

「炎、狂……」

 高官はぞっとした。

 これこそ、彼の二つ名の所以なのだ。

 何と恐ろしく、おぞましい姿か。

 はっと我に返った高官は、手近にいる兵士の襟首を掴んだ。

「何をしている!今だ!奴を殺せ!!」

 兵士もはっとしたように矛を構える。

 しかし、未だ笑い続ける炎狂の姿と、彼の足元で灰と化したものを見て二の足を踏んだ。

「えぇい、怯むな!」

 高官が再び声を上げた時。

「何事だ!」

 凛とした声が空気を切り裂き、彼らを凍りつかせた。

 静まり返った中に、炎狂の笑い声のみが響く。

「何事だ、これは」

 松明を手に現れたのは、紀春覇である。何故ここに、と高官は身を震わせた。

「炎狂……?」

 笑い続ける爾焔を目にした春覇は眉を寄せ、ぐるりと辺りを見渡した。

「どういう事だ」

「ひっ」

 問いかけられた兵士は身を固くした。無意味にぱくぱくと口を開閉させる兵士を、春覇が睨み付ける。

「答えろ!」

「はいっ!炎狂の側仕えが炎狂殺害の計画を我々に持ちかけ、炎狂に気取られて燃やされたのであります!」


 緊張の極限にあった兵士は、後に述懐する。

 この時ほど簡潔で要を得た報告ができた事は無い。人間本気で恐怖を感じると信じられないほど思考が明晰になることがあるのだ、と。


「そういう事か……」

 紀春覇は眉を寄せて呟くと、躊躇い無く爾焔の方へ向かっていった。

「おい、炎狂!!」

 爾焔に声を掛けるが、彼に届いた様子は無い。ただひたすらに笑い続けるのみである。

 春覇は舌打ちを溢し、松明の炎を爾焔に突きつける。

 爾焔の笑いは止まず、ただ炎の方が彼を避けて歪んだ。

「駄目だな、これは」

 呟いた春覇は、振り返って章軌に命じた。

「こいつを神殿に放り込め。彼処なら問題は起こるまい」

 章軌は目で頷くと、爾焔を荷物のように肩に担いだ。


「さて」

 歩き去る章軌の背を見送って、春覇の視線が高官に注がれる。

「王都の内において勝手に私兵を動かすことは禁じられている。司冦の立ち合いのもと、詳しく話を聞かせてもらおう」

 高官はがっくりと項垂れた。


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