自覚、決意
閲兵式が終わると、間もなく春覇との婚儀の準備が大詰めを迎えた。
とはいえ、正直上流階級、それも王族相手の結婚なんて手続きが複雑すぎて、軍務の方が忙しい私は早々に把握を諦めてしまっていた。外向きのことを担当している尉匡が、笑いながら「私に任せて頂ければ間違いなくやり遂げますからご心配なく」と言ってくれたのでそれに完全に甘えている。
頼もしくて何よりだ。
軍の改編が一段落したのは良いけれども、今度は昏へ使いする準備をしなければならない。
話し合いの為に、私は正使となる蒼凌のもとへ向かった。
東宮で私を接見した蒼凌は、何故かどこか不機嫌そうだ。
「あの……何か不備でもございましたでしょうか」
私が問うと、首を横に振る。
「そういうわけではない」
太子として振る舞う時には珍しい、憮然とした口調で言って、蒼凌は雪鴛を呼んだ。
「人払いを。暫し誰も通すな」
「畏まりました」
折り目正しく頭を下げて、雪鴛が部屋を出ていく。
周囲から人の気配が完全に消えるのを待って、蒼凌は徐に口を開いた。
「何故、春覇との結婚を決めた」
「え?」
予想外の問いに、私は思わず疑問の声を上げる。
蒼凌は眉間にしわを寄せた。
珍しく、かなり不機嫌らしい。
「わかっているのか?お前は体よく利用されることになる」
何だか似たような台詞を最近聞いたな。
「承知の上だ。第一、俺にも利点はある」
私は家臣達と交わした会話を繰り返した。蒼凌はやはり不機嫌そうだ。
「お前、春覇と章軌の事は……」
「知っている。その上で、この話を受けた」
私がそう言うと、蒼凌は何とも言えない顔をした。
「一体どうしたんだ、蒼凌」
私は思わず問いかけた。彼がこんな風に苛立ちを露にするところなど、初めて見る。
「……俺は、お前をそれなりに大切な友人だと思っている」
組んだ手を額に当て、自分自身を落ち着かせるように俯きながら、蒼凌はゆっくりと言った。
「大切な友人が、みすみす自由を失うところなど、見たくはない」
「自由を?」
そんな大袈裟な、と笑い飛ばそうとした私は、顔を上げた蒼凌の鋭い視線に射抜かれて言葉を無くした。
「いいか、鴻宵。よく考えろ」
蒼凌は執務机から立ち上がり、こちらへ歩み寄ってきて言った。
「相手は春覇だ。この先妾一人囲うのも至難の業だぞ。本人はともかく、周囲が許すまい。お前は生涯独身で、世継ぎも無く過ごす気か」
「しょ……」
妾って。
蒼凌の口からそんな言葉が出たことに、わけもなく不快になった。不意に、白の太子と沃季の事を思い出す。
白の太子と蒼凌は同年代だ。もしかすると、蒼凌にも……
そんな思考を巡らせながら不機嫌な蒼凌の顔を見上げていると、何故か無性に腹が立ってきた。
何なんだ。
何だと言うんだ。
「妾なんて持つ気は無い。あんたはどうか知らないけど、俺にはそんなもの要らない!」
「何だ、突然怒り出して。大体何故そこで俺の話が出てくる」
蒼凌も苛立ってきたらしい。互いに語気が荒くなる。
「あんたが妾とか言うからだろう!」
「だったらお前は将来的にどうするつもりだ。春覇はお前の妻にはならないんだ、代わりが必要だろう!?」
「要らないと言ってるんだ!大体……」
感情のままに口走りかけて、はっと口をつぐむ。
私は今、何を言おうとした……?
「『大体』何だ」
蒼凌が不愉快そうな表情を隠しもせずに私を見下ろす。
すっ、と頭が冷えた気がした。
私は馬鹿だ。
蒼凌の言っている事はこの国では確かに常識で。私が女だなんて知らない蒼凌は、ひたすら私を心配してくれただけなのに。
私が勝手に癇癪を起こしたせいで、いつも落ち着いているはずの蒼凌の灰色の瞳が、こんなにも冷たい光を宿している。
「……ごめん」
消え入りそうな声で、私は謝った。
「どうかしてた……ごめん。とにかく、わた……俺の事は心配要らないから。春覇の為に祝ってあげてよ」
「鴻宵……?」
蒼凌が訝しげに私の顔を覗き込もうとする。
私はすっと目を逸らし、俯いた。
今目を合わせたら、泣いてしまいそうな気がした。
「俺は大丈夫……。申し訳ありませんが、今日はこれにて失礼致します。また後日改めて参ります」
言葉遣いを戻して、無理矢理に壁を作る。
呼び止める声は聞こえないふりをして、私は東宮から足早に立ち去った。
それから宗伯府に戻っても、私はどこか上の空だったらしい。
気を使った部下達に促されて、私は少し早めに家路に就いた。
「情けないな……」
思わず、呟きが漏れる。漣瑛が気遣わしげにこちらを見ているのには気づいていたけれど、敢えて気づかない振りをした。
今は、少し気を落ち着けなければ。
沈んだ気持ちのまま帰宅した私を出迎えたのは、対照的に能天気な声だった。
「あ、鴻宵。おかえり~」
こんな緩い挨拶を寄越す相手は一人しか居ない。
「慎誠……戻ったのか」
「うん。だって鴻宵が結婚するなんて大事、放っとけないしね」
私は苦笑を浮かべようとして、失敗した。
「鴻宵……?」
「……いや……ゆっくりして行け。悪いけど、俺は少し部屋に戻る」
怪訝そうな慎誠に背を向け、自室に向かう。
本当に、今は駄目だ。
鴻宵の立ち去った居間で、慎誠は漣瑛に目を向けた。
「鴻宵、何かあった?」
漣瑛は黙って首を振る。
何かがあった事は間違いないが、一体何があったのか、彼には見当もつかなかった。
「今日は昼前からあのようなご様子で……何かあったのかお訊きしても、何でもないとしか」
「何でもない、ねぇ……見るからに落ち込んでるみたいだったけど」
ふむ、と小さく唸って考え込んだ慎誠は、再び漣瑛に質問した。
「鴻宵、誰かに会った?」
「一度、太子にお目にかかると仰って出掛けられました。私は宗伯府で留守を預かっていたので、その途中でどなたかにお会いになったか否かは……」
漣瑛はそう説明したが、彼の言葉の半ばで慎誠がああ、と納得したような声を上げたので、言葉を切って眉を上げた。
「何かおわかりで?」
「いや、何かも何もさ……」
肩を竦めて、慎誠は立ち上がった。
「太子に会った後から様子がおかしいんでしょ?だったら、多分……」
やれやれという風に首を振って、居間を後にする。
「ちょっと様子を見てくるよ。鴻宵ってああ見えて、落ち込むと浮上に時間かかるから」
「はぁ……」
不得要領のまま、漣瑛は慎誠を見送った。
扉を叩く音を耳にして、私は枕に埋めていた顔を上げた。
自己嫌悪に陥っていた思考を引き上げ、小さく返事をする。
「入るよ」
扉を開けたのは、慎誠だった。
「お前か……何か、用事?」
「いや、そうじゃないんだけど」
慎誠は苦笑気味にそう言うと、扉を閉めて私の傍に歩み寄ってきた。
「泣いてた?」
「泣いてない」
前髪をかきあげようとする手をさっと避け、私は憮然と答えた。
実際、落ち込んではいたが泣いてはいない。
「……太子と喧嘩した?」
ずばりと言い当てられて、私は思わず目を丸くして慎誠の顔を見た。慎誠が苦笑する。
「図星か……まぁ、そんなとこだろうと思ったけど」
「……なんで」
問いかけたら、額を小突かれた。
「昼間太子に会いに行ったって聞いたし。第一、鴻宵がそんな顔する相手なんて決まってるし、ね」
そんな顔?
「ねぇ、鴻宵」
慎誠の声が、不思議と柔らかく耳に滑り込む。
「何で喧嘩したの」
私は寝台に座り、靴を脱いで膝を抱いた。
「……春覇との結婚に、反対だって」
「うん」
隣に座った慎誠が、軽く相槌を打ちながら先を促す。私は膝に顎を埋めた。
「私の自由が無くなるから……妾も持たずに独り身で生きていくつもりかって、そう言われた」
「ああ……」
慎誠が視線をちょっと上に向けて頷く。
蒼凌の懸念は理解の範囲内にあるということだろう。
「無性に、腹が立って」
「うん」
「……勝手に、癇癪をぶつけてしまった」
きっと、蒼凌にしてみればわけがわからなかったに違いない。
心配してくれたのに、私はいきなり怒鳴り付けてしまった。
「それで、自己嫌悪に陥ってる、と」
慎誠の言葉に、小さく頷く。
慎誠は溜息を吐いた。
「ねぇ鴻宵。鴻宵は、何でそんなに腹を立てたの」
問いかけられて、私は首を振った。それがわかれば苦労はしない。
「ううん……それじゃあ」
慎誠は軽く唸って、問いを変えた。
「腹が立ったきっかけは、どの言葉だった?」
私は膝を抱く手に力を込めた。口に出しにくいその言葉を、思いきって舌に乗せる。
「妾……って、言った。蒼凌が」
「うん。それで、どう思った?」
慎誠の問いに導かれるように、記憶の中からあの時の私の心情を拾い出す。
「何て言うか……蒼凌にも、居るのかなって」
「うん」
「そう思ったら、何か……腹が立って……」
呟くように、言葉を綴る。慎誠が目を細めた。
「何で?」
「それは……」
私は言葉に詰まった。
何で、あんなに腹が立ったんだろう。
「妾……っていうのが、なんか」
「じゃあ、白の太子にも腹は立った?」
う。
「……良いことを教えてあげるよ」
黙ってしまった私に、慎誠はやけに穏やかな口調で言った。
「去年の暮れから今年の正月にかけて……あの時も、鴻宵は同じような顔をしてたよ」
「去年の暮れ……?」
何があったか、と思考を巡らせた私は、すぐに都の浮き足立った雰囲気を思い出した。
そうだ。
あの時、蒼凌の結婚が決まって国中がどことなく華やかな中、私は何となく浮かない気分だった。
白が滅ぶことを予見していたからかとも思ったが、違う。
年が明けて、婚礼の日。蒼凌の婚儀の様を想像すると、苛立って、苦しくて。
夢を見て、精霊の声を聞いて、蒼凌が死ぬかも知れないと思ったら、凄く怖くて。
それから、翌日のやり取り。あの時も、私はよくわからない感情によって東宮から飛び出した。
それは――
「ああ――」
漸く原因に思い当たった私は、思わず呻いて頭を抱えた。
なんだ。
何てことだ。
「やっと気付いた?」
慎誠がちょっと呆れたように言って、笑う。
私は火照った頬を押さえた。
妾が居るかも知れないと思うと腹が立って。
結婚すると聞くと辛くて。
更には、失うことがあんなにも怖くて、助かったことに泣きそうな程安堵して、触れられると居たたまれなくなった、なんて。
そんなの、理由は一つしか無いじゃないか。
「うぁぁ……」
自覚した気持ちと、これまで気付かなかった事への羞恥で悶える私を見て、慎誠が吹き出す。
「ふはっ……端から見て丸わかりなのに、本人全くの無自覚だったもんね。いやぁ、鴻宵があんなに鈍感だとは」
「うるさい!……勘弁して……」
更に顔に血が上るのを感じて頭を振りながら、私は溜息を吐いた。
何てことだ。
「あり得ない……!」
「……あり得ないとくるとは思わなかったよ」
頭を抱える私を、慎誠が呆れ顔で見てくる。
「何がありえないのさ」
「だって……!」
だって、相手はあの蒼凌だ。
「猫被りだし、意地は悪いし、間違っても性格はよくないじゃないか!」
「鴻宵……軽く酷いよ?」
慎誠が苦笑して、私の背中を叩く。
「まぁ、まず落ち着こうか。はい、深呼吸~」
「うぅ……」
段々と混乱が収まって、受け止めるべき現実が実感を伴って胸中に落ち着き始める。
私は……蒼凌が、好き、なのか。
「何難しい顔してんのさ」
落ち着いたら落ち着いたで今度は考え込んでいると、慎誠が横から頬をつついてきた。その手を叩き落としながら、私はじろりと慎誠を睨む。
「難しい顔にもなるさ。なまじ自覚してしまったぶん大変だ。これから隠し通さなきゃならないんだから」
況してや暫く先には昏まで副使兼護衛として同行することになっている。殆ど四六時中一緒に居るということだ。……ずっと平静を装っていられるだろうか。
「隠し通すって……そんなに身構えなくても」
慎誠が苦笑気味に言う。私は首を振った。
「身構えるさ。絶対に態度に出さないように気をつけないと」
だって、と続けて、私はぐっと自分の袖口を掴んだ。
「だって、私は「男」だ」
そう。
私は碧の大将軍を勤める鴻宵という「男」でなければならない。
自分で言うのも何だが、私は戦に強い、武芸の腕も立つ将軍として知られている。もしもしくじって何かの態度の端から女だと知れでもしたら、無用の混乱を引き起こしかねない。
「まあ、それはそうだけどさ……」
慎誠は肩を竦めた。
「別に蒼凌のことが好きだってばれたところで、鴻宵が女だってことに直結はしないんじゃない?男色だって、まあある世の中なんだしさ」
「余計に嫌だわ!」
私は慎誠の頭をべしりと叩いた。
「大体そんな事になったら春覇に迷惑がかかるだろうが。偽装結婚がばれる」
「わかってるよ。冗談だってば」
叩かれた頭を擦りながら慎誠が唇を尖らせる。
私は溜息を吐いて、慎誠の束ねられた髪をつついた。向こうに居た頃栗色に染められていた部分がすっかり毛先に移動して、大部分が地毛の黒髪になっている。
「……変な色」
「仕方ないじゃん、こっちじゃ染められないしさ」
唇を尖らせて、慎誠は前髪をかきあげた。その辺りの毛は邪魔になる度に切っているらしく、既に栗色は留めていない。
「まぁ、いいんだけどね。何となく染めてただけだし」
そう言って、立ち上がる。
「まぁ、とりあえず元気出たみたいで良かった。ちゃんと仲直りしなよ」
「……善処する」
呟くように言った私に苦笑を向けて、慎誠は部屋を出ていった。
その翌日。
うまく機会を捕まえられれば蒼凌に謝りに行こうと思っていたのだが、結果的にそれは果たせなかった。
先手を打たれたような形になってしまったのだ。
要するに、私が行動に出る前に雪鴛が遣わされて来て、事務的な打ち合わせを済ませて行った。
「やっぱり、怒ってるのかな……」
密かに落ち込みつつも、仕事を滞らせるわけにもいかず、筆を執る。
閲兵式が終わって一段落ついたと言っても、軍務はまだあるし、宗伯府の方も留守にするまえに決済しておかなければならない仕事は多い。
結局、仕事に逃避する形で、私は蒼凌との和解を先延ばしにしてしまった。




