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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之肆 奇縁錯綜
55/115

和平の条件

 家へ帰ると、狐狼の子供達が廊下に一列になって正座していた。

「……何これ」

 思わず漣瑛を振り返るが、彼が知る筈もなく首を傾げられる。

「お帰りなさい」

 迎えに出てくれた総華に、私は同じ問いを繰り返した。

「ああ、これね」

 総華は軽く苦笑した。

「母屋に来ちゃだめって言ったのに、来て遊んでたから。省烈さんのお仕置き」

「……ああ」

 いつものパターンですね。

「しかし一日目からこんな様子では……覇姫様が来られるまでにちゃんとできるのかな」

「その必要は無い」

 いきなり口を挟まれて、私は思わず肩を跳ねさせた。首を巡らせてみると、居間の戸口のところに長身の影が立って私を出迎えていた。

「そうそう、兄様が来てるの」

 早く言って下さい。

 驚きで寿命が縮むかと思ったよ。

 私は思わず胸元を押さえながら、章軌に会釈をした。

「章軌殿が弊宅にお越しとは珍しい。覇姫様から何か」

 家臣達の手前、外向きの言葉で話しかける。章軌は一つ頷くと、未だ正座を続けている子供達に目を向けた。

「邸を、変える必要は無い」

「はい?」

 そういえばさっきも「必要無い」と言っていたけれど、どういうことなのだろう。

 首を傾げる私に、章軌は補足した。

「この邸の状態を、春覇は粗方把握している。このままでいい」

 どうやらうちの現状はばれていたらしい。さすがは春覇というか何というか。

「しかし……」

「侍女も最低限、話のわかる者のみを連れてくる。心配は要らない」

 畳みかけるように言われるが、私は困惑を深めるばかりだった。


 春覇がこちらを気遣ってくれているのはよくわかる。春覇には、今回の偽装結婚を持ちかけた負い目があるに違いない。

 しかしこちらとしては別にこの話に何ら不服は無くそんな負い目は不要だと思うし、逆に春覇に気を遣わせる事こそ不本意だ。


 私はとりあえず立ち話も何だからと章軌に席を勧め、自分も座ってから会話を再開した。

「覇姫様のお心遣いには感謝致します。しかし、そのようになされては覇姫様がご不便でしょう」

 何といっても春覇は歴とした王族で、尊貴な育ちをしてきた筈だ。周りに多数の侍女がいて当たり前の暮らしだっただろうし、それらの侍女達を連れて嫁ぐのはごく自然な事だ。それを無理にうちの生活に合わせさせたくはない。

「心配ない。寧ろ春覇は、この邸で子供達の面倒をみてくれている事に感謝している。無論、俺からも礼を言いたい」

「そのような……」

 遜って礼をしながら、私はふと、章軌がこんなに喋るのを聞くのは初めてかも知れないな、なんてどうでもいい事を考えた。

 普段とにかく寡黙な男だが、必要な時にはちゃんとそれなりの口をきけるという事なんだろう。


 内心感心する私の前で、章軌は更に口を開く。

「侍女を減らす事も、問題は無い。春覇は軍中の生活にも慣れている」

「それとこれとは……」

 総華が出してくれたお茶を章軌に勧め、自分も湯呑みを手にしながら、私はまた反論する。

 確かに軍中の生活に慣れている事で不便への耐性はあるだろうが、普段生活する家の中で感じる不便はまた別物だ。

 家はやっぱり、安らげる場所であって欲しい。

 そんな思いを込めた私の視線を受け止めて、しかし章軌は頭を振った。

「侍女などいなくても、別に大丈夫だ。……春覇は、俺が居れば不便は感じない」

「……っ」

 ちょうどお茶を啜ったところだった私は、危うく吹き出しかけてすんでのところで堪えた。


 な……何食わぬ顔でのろけられた……!?


 ちらりと章軌の顔を窺うが、相変わらずの無表情だ。

 まるで、わかりきった決定事項を述べただけ、とでも言うような。


 ああ、そうか。

 何だか腑に落ちて、肩から力が抜ける。

 本当に、何のてらいも無く、章軌はそう思っているんだ。そしてたぶん、それは春覇にとっても、自明の事実で。


 まったく。

 何だか羨ましいじゃないか。


「……承知致しました。ならば、無理に変える事はいたしますまい」

 結局、私は折れた。完敗だ。

 章軌は軽く頷くと、お茶を一口飲んで話題を進めた。

「婚儀も、大仰にはしない。異存は無いな」

「はい」

 私は頷く。元より、派手にする気は毛頭無い。相手が王族だから手順を疎かにするわけにはいかないが、元々この国の結婚式は派手ではないから、最低限の身内だけでひっそりと済ませるつもりだ。

 章軌は私の同意を確認してから、ちらりと邸を見渡すような素振りを見せた。

「しかし、いくら規模を小さくしても、媒人と、各家最低一人、近しい肉親が必要だが……」

 語尾を曖昧に濁して、章軌は言葉を切る。


 媒人はひとまず置くとして、近しい肉親か……。


 章軌は私が春覇に拾われた所に立ち会っているから、私に肉親が居ない可能性が高い事を知っていて、だからこそこうして確認に来たのだろう。事実、この世界に近しい肉親など居ない。

 いっそ慎誠にでも頼むか、と一瞬考えた私の脳裏に、つい先日再会した人物が浮かんだ。

「ああ……肉親なら一人、ちょうどこの邸に滞在中ですので、問題無いかと」


 居るじゃないか。

 私の「従兄」が。


 私の答えが予想外だったのか、章軌が僅かに速く瞬きをする。

 章軌は基本的に無表情だが、何だかんだでそれなりに長いつきあいなので何となく僅かな表情から感情が読めるようになってきた。

「実は、先日覇姫様がこちらにお預けになったのは、私の従兄でして」

「……轟狼が?」

 さすがに驚いたらしく、琥珀色の瞳が見開かれる。私は頷いた。

 不思議と、嘘を言っているという感覚は無かった。私はもう、鴻耀を本当の親類のように思っているという事かも知れない。

「長いこと疎遠だったのですが、奇しくも覇姫様の御処置によって再会した次第でございます」

「……そうか」

 章軌はふ、と小さく息を吐いた。それは安堵の溜息にも似ていて、ひょっとしたら章軌と春覇は、私に親類が居ない場合の対処に頭を悩ませていたのかも知れない。

「なら、問題は無いな。日取りは、宗伯府で吉日を占って貰う事になると思う」

「畏まりました」

 普段は一家臣としての態度を崩さないが、春覇は王族の姫君だ。その婚礼は、国家の大事に属する。よって、当然の事ながら宗伯府の役所で責任をもって占を行う事になる。

 今回はたまたま、私が自分の婚儀の為の占に責任をもつ事になるわけだが。

「では、春覇にそう伝えておく」

「はい」

 話を終えて立ち上がった章軌を門まで見送り、私は一つ息を吐いた。


 さて、章軌にはああ言ったが、親類が居るという事と、その親類が婚儀に立ち会ってくれるかという事はまた別問題だ。

 平たく言えば、私はこれから鴻耀を説得して婚儀に出て貰わなければならないのだ。

「あいつ面倒くさがりだからなぁ……」

 そもそもそういう格式張った席も嫌いそうだし。


 頭を悩ませながらも、私は善は急げとばかりにその足で鴻耀に会いに行った。




「……というわけなんだが……」

 章軌からお許しが出た事を知って堂々と本邸を走り回る狐狼の子ども達を眺めていた鴻耀を捕まえて、私は事情を説明した。無理な願いをしている自覚はあるので、伺うように鴻耀の顔を覗き込む。

「わかった」

 さして間を置かずにあっさりと頷いた鴻耀に、私は目を丸くした。

「いいのか?」

「お前が頼んできたんだろうが」

 いや、それはそうだが。

「てっきり嫌がると思ってた……」

「……そりゃあまあ、俺はそういう面倒そうな事は嫌いだけどな」

 自ら認めながら、鴻耀はぽんと私の頭に掌を乗せた。

「『妹』の人生の大事くらい面倒見てやるのが人情だろうが」

「……今回の立場は『弟』だけどな」

 お嫁さんを貰うわけだし。

 そう返した私に、鴻耀は、違いない、と言ってがしがしと私の頭を撫でる。

 いつになく優しい鴻耀に、私はふと不安になった。

「鴻耀」

 漠然とした不安が、私の口を開かせる。

「どこにも、行かないでくれ」

 私の言葉に、飴色の瞳が見開かれた。

「……何言ってんだ、馬鹿」

 ぐっ、と頭に置かれた手に力が籠もる。

 その仕草にわずかな動揺を見て、私は鴻耀の袖を掴んだ。

「どこへ行く気なんだ」

 詰問する。

 鴻耀は少し間を置いて、溜息を吐いた。

「無駄に勘の働く奴だな」

 そう小さく嘆いてから、意を決したようにこちらに向き直る。

「お前の婚礼が終わって、じじいの足が治ったら、俺はここを出ていく」

 老人の足が治るまで見届けるのは義務だが、それが済めば留まる理由は無くなるのだと、鴻耀は言う。

「そんな……第一、行き場が無いだろう!」

 私はそう詰め寄った。

 鴻耀の行き場と言えば庵覚のところしか思い浮かばないが、鴻耀はもう橙に戻るわけにはいかないのだ。当然、庵氏の下へも行けない。

「何とかなる」

「何で出ていかなきゃならないんだ。何故ここに居られない?」

 私が更に畳みかけると、鴻耀は深く息を吐いた。

「……俺は、それなりに名の知れた方士だ。ここにいることがバレればまた面倒なことになる」

「私が何とかする。覇姫様も力添えしてくださる」

 心配はいらない、と言い募る私の頭を、鴻耀は軽く小突く。

「お前等に守られる筋合いなんざねぇよ。なめてんのか」


 確かに、鴻耀は自分で何とでもできるのかも知れない。

 でも……!


 更に言葉を続けようとした私は、鴻耀が首を振った事で言葉を喉に留めた。

「心配すんな」

 飴色の瞳が、真っ直ぐに私を見る。

「何かあれば土が報せる……近くに居るばかりが繋がりじゃないだろうが」

 そう言った鴻耀は、私の頭を軽く叩いた。


 そう、だな。

 私は失う事に怯えるあまり、鴻耀の行動を縛ろうとしていた。

 そういうのは、違う。

 私と鴻耀のあるべき形は、多分、そういうものではない。

 普段近くにいるわけではなくても、本当の危機に駆けつけられる。

 それが、私たちの望む関係なんだろう。

 本当の、兄弟のように。


「……約束、してくれ」

 私は鴻耀を見上げて、言った。

「何か危険になったらすぐに連絡すること。俺に頼るのを躊躇わないでくれ。俺も、頼るから」

「……おう」

 真っ直ぐに言った言葉には、鴻耀も真っ直ぐに返してくれる。私は少し表情を弛めた。

「あと、何も無くてもたまには連絡をくれ」

 一言消息がわかるだけで、安心できるから。

「わかったよ。注文の多い奴だな」

 文句を言いながらも、鴻耀の眼差しは柔らかかった。




 我が家でそんなやりとりがあった頃、朝廷では一つの問題が持ち上がっていた。

 かねてより外交官の間では昏と和平の調整が行われていたが、それがようやく合意にこぎ着けたのだ。


 但し、碧にある条件を突きつけて。


「冗談ではない。昏の魂胆は見え透いています!奴らは太子を質に取るつもりに違いありません!」

 激昂した様子で、重臣の一人が抗議する。

「しかしこれを飲まねば和議は決裂します。今戦になれば、不利を被るのは我が国ですぞ」

 渋い顔で、荏宰相が言った。

 そもそも、現状で戦になれば碧が不利な事は誰が見ても明らかであり、和平が合意に至った事自体、外交筋の並々ならぬ努力によるものに違いない。


 そうして漕ぎ着けた和平に、昏の突きつけてきた条件は二つ。

 和平の誓いは昏都、虚にて執り行うこと。

 そしてその使いに、太子を寄越せということ。


「太子が国を空けるなど、碌な事はございません。昏の要求は無茶だ」

 そう言を揚げたのは叙寧だ。彼もさすがに、この条件の無体さには我慢ならないようだ。

「旧白領は未だ安定しておりません。ここは多少の無理を飲んでも、昏との戦を避けるべきでしょう」

 また誰かが発言し、議論の応酬が重ねられる。


 私は口を噤んだまま考えた。

 普通に考えて、昏の要求は無茶だ。

 太子は次代の王となるべき者だから、万一王に何かあった場合にすぐに対処できるよう、原則国元に留まっていなければならない。それがのこのこと敵国に出かけていって抑留でもされようものなら、碧にとっては喉元に剣を突きつけられるようなものだ。いくら今の碧の太子である蒼凌が通常の決まりに捕らわれずしばしば国を空けるといっても、今回ばかりは進んで虎口に飛び込むことになる。そんな条件が飲める道理も無かった。


 しかし、この条件をはねつければ、恐らく和平は決裂する。そうなれば、白の旧領が安定しきっていないまま昏と開戦する羽目になりかねない。荏宰相の言うとおり、圧倒的にこちらが不利な戦になる。


 だったら、どうする?


「王よ」

 ついに、話題の当人である太子、蒼凌が声を上げた。彼がどういう判断を下すのか、注目が集まり、堂上は静まり返る。

 その中で、蒼凌は変わらず穏やかな表情のまま、静かに言った。

「私が参りましょう。今、昏と戦を起こすわけには参りません」

 誰かが反論しかける。しかしそれを抑えるように、蒼凌は群臣を見渡した。

「必ず、無事に戻ろう」

 意志の籠もった言葉に、誰もが怯む。


 私は小さく息を吐いた。

 蒼凌の決意がそれならば、私のする事は一つ。


「ならば、副使として私をお連れください」

 唐突に声を上げた私に、視線が集まる。蒼凌も、じっと私を見た。

 私は静かに立ち上がり、深く礼をする。

「不肖鴻宵、大将軍の末席を預かる者として、必ずや太子をお守りして参ります」

 和議は壊せない。

 太子を危地に差し出す事が避けられないのなら、守るまでだ。

「――よかろう」

 王が頷いたことで、私の昏への使いは決まった。


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