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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之肆 奇縁錯綜
51/115

外へ

 同じ頃、橙の都から数百の兵が出た。彼らは武器の代わりに、炬火に使う薪を大量に担いでいる。

 それを遠巻きに見ている住民達は、こそこそと何やら囁き交わしては眉を顰めていた。

「もはや形振りを構っている余裕など無い!」

 兵を率いている男のだみ声が、周囲に響きわたる。

「己山に潜んでいる事はわかっているのだ!炙り出してでも出て来させよ!」


 つまりは、この一隊は山狩りに向かう兵なのである。


 紅に続いて白も滅び、大きく変化する世の中に危機感を募らせた橙政府は、二大国に挟まれる弱小国家として、何とかして対抗策となりうる力を手に入れようと躍起になっていた。

「何としてでも、轟狼を引きずり出すのだ!」

 たった一人の方士を探し出す為に、数千の兵士達が薪を背負って山へ向かっていく。そんな異様な光景を眺めていた者達の中に、そっと小さな鳥を空に放った者がいた。

「やれやれ……ついに鴻耀さん、出てっちまうかなぁ」

 そう呟いて飛び去る鳥を見送った男は、軽く伸びをして人混みに背を向けた。




 所変わって、再び角邑。

 必要な議論を一通り終え、私たちは雑談になだれ込んでいた。

「朱雀は元気か?」

 文机の方へ行き筮竹を見せてもらいながら私が問うと、爾焔は穏やかな顔をして頷いた。

「どうやら錫雛のことも気に入ったようでね。しょっちゅう顔を出すよ」

「そうか」

 短気な朱雀のことだから、しょっちゅうと言えばそれこそ文字通り三日にあげず通い詰めているに違いない。

 そう考えて苦笑していると、爾焔が続けた。

「日に三回くらい」

 多っ。

「さすがは神様だな……移動距離はものともしないのか」

「彼らは空間を繋げて飛べるからね」

 なんと便利な。

「お話中すみません。お茶が入りましたので、どうぞ」

 私と爾焔がそんな話をしていると、錫雛がそう言って呼んでくれた。ありがたくお茶をいただこうと卓の方へ戻った私は、隣に立つ錫雛を見て動きを止める。

「錫雛……随分、背が伸びたな」

 最初に会った頃なんて私より頭一つ分小さかったのに。今横にいる錫雛の視線は、私より少しだけ高い。

「私も、もう十五ですから」

 精悍さを加えた容貌の中で、少しはにかむような仕草だけが以前のままだった。

「錫雛はきっとまだ伸びるよ。錫将軍は大柄だったからね」

 そう言って錫雛の肩を叩いた爾焔が、私に視線を寄越す。

 見下ろされている……!

「……そういえば君は伸びないね」

 錫雛の肩から離れた手が、無遠慮に私の頭に乗った。

「こら、離せ!」

「君、歳は幾つだったかな?初対面の頃で十五、六に見えた気がするけれど」

「今年で十九歳だ!」

 因みに初対面時点では十五歳だったので、爾焔の見立ては強ち間違ってはいない。

「……という事は、もう成長期は終わりじゃないか。随分小柄だね、君は」

「余計なお世話だ!」


 別に私は女性の中ではそう小柄な方ではない。日本人の基準からすれば比較的高い部類に入る筈だと思う。

 確か最後に日本で測った時には160センチくらいだった。多分それから大幅に伸びてはいないが、二~三センチは伸びていると思う。

 多分。半ば願望だけど。


 大体が、私の周囲に居る男達は殆どが軍人なので、皆背が高い。その中では小柄に見える範蔵だって、私よりだいぶ高いのだ。その辺りは男女差からくるものなのでどうしようもないのだが、なまじ周りが長身なので私の小柄さはどうしても目に付くらしい。

 余談だが、春覇は多分私より若干背が高い。と言っても数センチの差だと思うが、たかが数センチ、されど数センチ。

 ……今度登蘭に頼んで靴を少し底上げして貰おう。


 爾焔の手を振り払った私は、憮然としたまま席に着いて錫雛の淹れてくれたお茶に口をつけた。

 うん、美味しい。

 さすが幼い頃から従者として教育を受けてきただけのことはある。錫雛に比べると、本業が軍人のうちの従者達はやや無骨な感じが否めない。


 そんなとりとめもない事を考えながら、私はちらりと時計になっている水盤を見た。

「出立は明朝。急だが、大丈夫か」

 私と同じく席に着いてお茶を啜っている爾焔に問うと、含むような微笑が返ってきた。

「私はいつでも動けるよ。持ち物など多くはないからね」

 私は頷いた。

 爾焔がここを出ればすぐにでも、彼を利用しようとする政府と水面下の攻防が始まる。

「頼むぞ、二人とも」

 呟くように言った言葉に返ってきたのは、穏やかな頷きだった。



 爾焔との面会を終えて客舎に戻ると、哀が窓辺でくつろいでいた。

「あら、お帰りなさい。首尾はどう?」

「ただいま……まあ、何とかなりそうだ」

 と言っても、全ては爾焔と錫雛次第だが。

「そう」

 哀は深くは訊かずに一度伸びをすると、窓から床へ飛び降りてこちらへ駆けてきた。私はその小さな体を抱き上げ、寝台に座る。

「さっき情報収集に出てきたの」

 ついつい普通の猫にするように頭や喉を撫でる私の手を甘受しながら、哀は話し始めた。

「何かめぼしい情報はあったか?」

「いいえ、特には……ただね」

 二本の尻尾がふさりと揺れる。撫でるのをやめようとしたら手を軽く叩かれた。

 もっと撫でろって事ですか。

「橙で動きがあったみたいよ」

「橙で?」

 ご要望にお応えして、柔らかな毛並みをわしゃわしゃと撫で回す。どうでもいいけど、哀って凄く手触りのいい毛並みしてるよね。

「やっぱり橙も焦ってるのね。轟狼がでてこないのに業を煮やして、山狩りを始めたそうよ」

「山狩り……」

 三年前の騒動以来姿を消している鴻耀だが、恐らく己山に居るだろうという事は囁かれていた。私もそう思う。己山というのは他でもない、あの狐狼の老人の住んでいる山だ。鴻耀が身を隠すとしたら、あそこに違いない。

「徹底的に探す気みたい……出てこなければ山を焼いて炙り出すつもりよ」

「そんな……」

 私は眉を寄せた。

 鴻耀一人出てこさせる為に山一つ燃やすのか。第一、そんな事をすれば、鴻耀の心証を致命的に悪くしてしまうのは明白だった。そして鴻耀にはもはや、橙国内での居場所が無くなってしまう。


 鴻耀は橙を見捨てるかも知れない。

 そうなれば、橙はいよいよ衰退するだろう。


「焦る者に大局は見えない、か……」

 私は嘆息して、哀の背中に頬を埋めた。



 そうして翌日、私たちは角邑を発った。

 私の車のすぐ後ろの車に爾焔と錫雛を乗せてある。脱走の心配など無いのだけれど、一応兵士達を安心させる為に護衛を厳重にした。

 問題は御者だ。範蔵も漣瑛も私の車に乗ることになるので、誰か御者を選ばなければならない。因みに沃縁には拒否された。曰く、ずっと狭い御者台で馬の機嫌をとり続けるなどごめんだとのことだ。馬に乗るのは平気なくせにわがままな奴だ。

 仕方なく物怖じしない兵士を選んで御をさせようと漣瑛に相談を持ちかけた時。

「我がやろうか?」

 突如声をかけられて、私はがくりと脱力した。

「仮にも大地の守護神に御をさせる奴がどこにいる」

「我は一向に構わんぞ。何なら我が車を牽いてやろうか」

 いや、それ空飛んじゃうから。

 振り向いた先、爾焔達の乗る馬車の横木に腰掛けているのは、案の定赤髪の子供の姿をした朱雀だった。朱雀のその姿を知らない者達は、いきなり現れた子供に警戒を隠さない。

「……そのくらいならいっそ、錫雛に御をさせておまえと爾焔が乗れ」

 溜息混じりに私が言うと、朱雀は軽く目を見開いてから、ぷいと顔を背けた。

「……そういう話のわかるところは嫌いではない」

 この意地っ張りめ。

 そういうことはこっちを向いて言え。

 そんなことを内心思いつつも、しかし朱雀にしては精一杯友好的な発言なのだからと割り切って、私は錫雛に御をさせることにした。但しこの場合、爾焔側の人間が御をすることで脱走を懸念する者も当然多くなるので、常以上に対策しているところを見せておかなければならない。

「沃縁、お前あの車の側に付け」

「僕ですか?金精霊は火とは相性が悪いんですけど」

 私の指示に、沃縁が珍しく少し嫌そうな顔をした。

 確かに方士にとって、相性は重要だ。五国方士程の実力者となれば尚更。だからこそ、木と水を操る春覇は爾焔の天敵たり得たわけだ。

「別に本当に脱走を企てたりはしない。単なる見張りだ」

「わかってますけど……朱雀ほど強烈な火の気配の側に長く居ると周りの金精霊がぐったりしてきて、僕も疲れるんですよね」

 沃縁の言葉に、私は目を瞬いた。

 それほどとは知らなかった。御を断った理由もそのせいなのかも知れない。

「しかし一人は私の腹心を付けておかないと示しがつかないしな……」

 やむを得ないので範蔵か漣瑛を沃縁と交代させるか、と思案を始めた私の袖を、沃縁が引いた。

「少し、よろしいですか」

 目配せする沃縁に従い、兵士の目の届かない場所まで移動する。漣瑛が付いてこようとしたが、手で制して留まらせた。


 建物の陰になる場所まで来て、沃縁と向き合う。

「一つ、方法があります」

 人目を気にしてか、沃縁は囁くように言った。

「確か貴方は水精霊を扱えましたよね。僕に、水の加護をください」

 成る程、と私は思った。確かに、水精霊の加護があれば、火の影響は防げるに違いない。

「でも……生憎水の媒体は持ち合わせが無い」

 剣の帯玉や帯の装飾を探りながら、私は眉を下げた。私が身につけている媒体は鴻耀から貰った土の媒体だけだし、水精霊を宿せそうな青や黒の玉も持ち合わせていない。

 媒体無しで人に加護を与える方法を、私は知らなかった。

「媒体が無くてもできますよ」

 沃縁はそう言って、微かに苦笑した。

「ただ、その方法を見られると漣瑛さん辺りがうるさそうなので、離れていただいたんです」

 何だそれは。

 何か問題のある方法なのか。

 訝しげに見上げる私に、沃縁がそれを告げる。私は眉を顰めた。

「……本当にそうするしかないのか」

「しなければならないわけではありませんが、一番手っとり早いですよ。貴方は慣れていないから、『想う』だけでは加護できないのでしょう?」

 沃縁の言うとおりだった。さっきから加護を与えようと試しているのだが、どうも精霊達がうまく沃縁に付いてくれない。すぐにこちらに飛び戻ってきてしまう。

 私は腹を括った。

「わかった……少し屈め」

「はい」

 腰を屈め、私とほぼ同じ高さまで頭を下げた沃縁のこめかみに手を添え、額にかかった前髪を払う。

「汝に水の加護よあれ」

 霊力を集中して呟き、沃縁の額に軽く唇を触れさせた。するとそこからふわりと冷たい霊力が広がり、水精霊達が沃縁を衛るようにまとわりつく。

「うまくいったな」

 成功を見届けて体を離そうとした私の腰を、沃縁が引き寄せた。

「ちょ……」

「あのね、鴻宵さん」

 とっさに沃縁の肩に手をついて密着を避けた私の肩に顎を乗せ、沃縁が真面目な声色で言う。

「僕、本気ですよ。貴方のこと」

 思わず、どきりとする。心臓の鼓動が跳ね上がった気がした。

「何……」

「函朔さんが貴方を押し倒しているのを見て、正直腸が煮えくり返りました」

 私の背に回された腕に、ぐっと力が籠もる。沃縁の表情は、私からは見えない。

 以前にあった、茶化すような飄々とした雰囲気は、今は無かった。


「貴方が、好きです」


 真っ直ぐな言葉。不覚にも、目頭が熱くなった。

「沃え……」

「すみません、困らせてしまって」

 あっさりと詫びを口にして、沃縁が体を離す。その顔には、既にいつもの読めない微笑が張り付いていた。

「わかっているんです。僕はまず、貴方からの信用を回復することから始めなければいけない事は」

 何しろ、暫く前までは敵だったのだから、と沃縁は苦笑を浮かべる。

「だから、僕がその資格を得る時まで、返事は聞きません」

 柔らかく笑んだ沃縁は、突然の告白に戸惑う私の手を取って、これまでの空気を払拭するかのように明るく言った。

「さぁ、行きましょうか」

 何食わぬ顔で、歩き出す。

 私は頭を振って頬の熱を逃がしながら、その後に続いた。


 唐突すぎて、何が何だか。

 困惑は心の中に押し込めて、私は隊列に戻ると出発を告げた。



 行きと同様のんびりと馬車を進め、数日で帛野にさしかかる。先触れが届いていたのか、街道まで嶺琥が出迎えに来ていた。

「ご苦労様。どうだ、良い馬は見つかったか」

「はい……!」

 嶺琥の表情が輝いている。思い通りの馬が見つかったに違いなかった。

「将軍様に、言われた通り、馬を見立てました。ご覧になりますか?」

「ああ、是非見せてくれ」

 私が言うと、嶺琥は嬉嬉として野の端に設えられた簡素な厩に向かって行った。

「何をしておるのだ」

 ふわりと炎の気配がしたと思ったら、朱雀が側に来ていた。走っていった嶺琥の背中を、訝しげに目で追っている。

「あれは馬に詳しい家臣なんだ。何頭か見立てるように頼んでおいた」

「ほぅ……」

 興味深げに厩の方を見る朱雀の様子は、何だか新鮮に見えた。思わずその頭を撫でて、私は車から降りる。

「お前我を子供扱いしたろう!」

 憤慨された。

「そう怒るな。良いと思うぞ、可愛くて」

「なっ……」

 そういう扱いに慣れないのか、朱雀は顔を真っ赤にした。

 多少ひねくれてはいるが、性格は外見通り子供みたいだ。実際には女神より長生きらしいけれど。


 そうこうしている内に、嶺琥が馬を牽いて厩から出てきた。私は厩の側まで歩いていって、その馬を見る。栗毛の体格の良い馬だ。

「こちらは、棟将軍に。悍馬ですが、あの方なら気が合うでしょう」

 嶺琥が言って、私の顔色を伺う。私は苦笑した。

「そんな風に伺わなくても、私はお前の目を信用しているよ。間違いなく良い馬だ」

 嶺琥の短所は極端に気が弱いところだ。もっと自信を持て、と肩を叩いてやると、嶺琥は決まり悪げに顔を赤くしながら、次の馬を引き出しに行った。

「こちらは、覇姫様と、章軌様にです」

 そう言って示されたのは、鬣の美しいしなやかな体躯の白馬と、賢そうな黒馬だった。

「二頭とも、従順で賢い馬です」

「うん、それに綺麗だ」

 私は白馬の鬣に手を伸ばした。撫でてみても、暴れたりはしない。

 春覇には一種碧軍の旗印的な役割を担う時がある。そういう時、乗馬が美しいというのは案外重要だった。

 今度は帛野の馬を管理する役人が馬を牽いてきて、嶺琥に渡す。

「これは、公子様に、です。まだ若くて戦馬には向きませんが、おとなしく利口な馬です」

 まだ成長しきったばかりといった風情の馬は、私が首を撫でるとなつっこくすり寄ってきた。

 プライドの高い詠翠がこんななつこい馬と気が合うだろうか、と一瞬思ったが、すぐに考え直す。詠翠は確かにプライドが高いが案外子供らしい部分もある。きっと懐いてくる馬は可愛がるだろう。


 今、背後で何となくそわそわしている朱雀のように。


「……触っていいぞ」

「わ、我は別に馬など……」

 目を見て言ってみろ。

 軽く溜息を吐きながら、私は朱雀を馬の方に放り投げた。

「わっ……何を……」

 私に向かって怒鳴ろうとした朱雀が、馬にすり寄られて動きを停止する。おずおずとその鼻面を撫で始めた。

 よし、そこで暫く戯れているがいい。

「ご苦労だったな、嶺琥。贈り物用の馬は私の車の後ろ、他の馬は隊列の後ろに付かせてくれ」

「はいっ」

 私が労いの言葉を掛けると、嶺琥は嬉しそうに返事をして、言われた通りに馬を配置していく。私は隊列を顧みた。

「出発するぞ」

 あとは、都に帰るのみだ。


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