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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之壱 胎動
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新たなる出発

 叙任式が終わり、群臣が退出していく。

 その流れに従って足を進めていた私は、後ろから呼びかける声を聞いて振り向いた。声の主に、略式ながら丁寧な礼をする。

「畏まらなくていい」

 私に歩み寄ってきた相手は、目元に苦笑を滲ませて言った。相変わらず凛然とした佇まいの男装の姫。

 言わずもがな、紀春覇だ。

「本当に一年でここまで来たな、鴻宵」

 その言葉に、私は目を細める事で答えた。


 一年前の約束。

 一年で大将軍まで登ってみせると、無謀な誓いを私は立てた。今回の叙任で、その約束はみごと果たされたことになる。


「よくやった」

 一年でここまで至る事の困難を正確に理解しているのだろう。春覇の言葉には真情が籠もっていた。私は軽く礼をする。

「難しいのはこれからです」

 私はようやくスタートラインに立ったに過ぎない。これから先はこの国を、そして世界を変えていかなければならないのだ。

「わかっている。だが労うくらいは良いだろう」

 春覇は苦笑気味にそう言うと、私と並んで歩き始めた。

 並んで歩けるようになったというこの一事ですら感慨深い。春覇は王族であるとはいえ、朝廷での身分は上大夫、私と同格である。


 堂から出ると、外で控えていた章軌が現れ、春覇の背後に静かに従った。私の後ろにも漣瑛がつき従う。

「覇姫様、鴻将軍」

 回廊を歩いていた時、私達に声を掛ける者があった。振り向いた私達に、少年が深々と礼をする。

 この少年を、私も春覇も見知っていた。彼の名は雪鴛(せつえん)。太子の側に仕えている。彼の出現に、私と春覇は思わず顔を見合わせた。

「太子がお呼びです。東宮へお越し願います」

 果たして、彼は言った。春覇が私と目を合わせ、一つ頷く。

「わかった」

 私が言うと、雪鴛は丁寧に一礼してから先に立って歩き出した。私と春覇は無言でその後に続く。


 太子即ち蒼凌と会うのは久しぶりだ。一年前のあの時以来、私は碧に仕える身となり、身分も立場も遠く隔たってしまった。

 姿を見かけることはあっても、話をする事など到底望めない距離。その溝を、私は自らの官位を上げる事で一歩一歩埋め立ててきた。

 そしてようやくたどり着いたのだ。

 手を伸ばせば、指先の届く場所まで。


 雪鴛は私達を東宮の執務室前まで導いた。重厚だが王宮の本殿よりは幾分簡素な扉越しに声を掛ける。

「覇姫様と鴻将軍をお連れしました」

「入りなさい」

 すぐに返事が有って、雪鴛が扉を開けた。私と春覇は中に入り、腕を組んで礼をする。

「ご苦労。下がっていい」

 私達の礼に応えた太子は、雪鴛にそう声を掛けた。章軌と漣瑛は部屋に入らずに待機している。

 雪鴛が礼をして部屋を出ると、蒼凌は口元を僅かに緩めた。

「久しいな、鴻宵」

「太子にもお変わり無きご様子で、何よりでございます」

 私は礼をしたまま答える。官位相応の態度は、蒼凌の苦笑を買った。

「もう従者も居ないのだ、以前のように忌憚無く口をきいて欲しい」

 困ったような笑みを浮かべて言われた言葉を受けて、私はゆっくりと息を吐いた。それによって、頭の中のスイッチを切り替える。

「来たぞ、ここまで」

 開口一番、私はぼそりとそう呟いた。蒼凌が頷く。

「来たな。約束通り、一年だ」

 あれから一年。

 あの時困難を認識しながらも、そこまで辿りついて見せると誓った場所まで、漸く登りついた。

「まずはおめでとう」

 蒼凌が柔らかい笑みを浮かべて言う。

 最初のうちはこの表情にも慣れなかったが、太子として振る舞う蒼凌はいつもこうなので、今となっては私の知る己凌が本当に蒼凌の素の姿なのか確信が持てなくなってくるくらいだ。

「これからが本当の戦いになるな」

 私は壁に掛けてある地図を見て目を細めた。この一年、碧の国境は一進一退を繰り返しながらも基本的には少しずつ前進してきたし、国内もよく治まっている。軍事費用も十分に蓄えられている筈だ。

「その通り。大陸の統一を成すには一朝一夕にはいかない」

 蒼凌は穏やかに言いながらも、探るような目を私に向けていた。ここからどうするつもりなのか、と問うているのだろう。

「まずは地道に戦うしかないだろう。恐らく、遠からず紅が何か仕掛けてくるはずだ」

「紅、か」

 何故、と問う者はこの場に居ない。

 蒼凌も春覇も、心当たりがあるということだ。


 昨年、紅では内乱が起こった。王を弑して政権を握った依爾焔と錫徹は、これまで碧とは小競り合い程度の戦しか起こさなかったが、それは国内の情勢の安定を待っていただけのことだろう。事実、この秋に錫徹が白を攻撃するという噂も流れている。

 普通なら兵力を分散して白と碧を同時に攻撃するような愚は犯さない筈だが、どうにも爾焔が何かやらかす気がしてならない。

「紅軍は白を攻めるという話だが……」

 自分の考えを纏めるように、春覇が口に出す。答えたのは蒼凌だった。

「噂の流れが早いように思う。意図して流されたのだとすれば、これは陽動かも知れない」

「ああ。それにさる筋から、白攻めは三万と聞いた。紅の国力からすると、これは少ない」

 さる筋、とぼかして私は言ったが、実際には庵氏が碧を訪れる時、大抵私兵団に居る知り合いの誰かが知っている情報を流してくれるのだ。慎誠が持ってくることもある。


 ただ、函朔だけは一度も私のもとを訪れて来なかった。


「白を攻めると見せて、こちらへ攻めてくるか」

 春覇の声に、それていた思考が引きもどされる。私は予見を述べた。

「白攻めの軍がこちらへ来るとは考えにくい。迂路になりすぎる。たぶん、こっちには依爾焔が来る」

「炎狂か……」

 春覇の声が苦味を帯びた。

 紅の依爾焔――炎狂は、春覇とは犬猿の仲だと聞く。以前、春覇の目の前で私を攫った張本人でもある。

「爾焔が何を企んでいるかはわからないが、企みがあるということはこっちの乗じる隙もあるということだ。うまくいけば、紅を大幅に削れる」

 今のところは、情報を待つしかない。

 こういうとき、紅に様子見に行かせられる数の臣下がいれば、と思うこともあるが、しかたの無いことだ。そうそう信用できる有能な人材が転がっているわけも無い。範蔵と尉匡に人集めを頑張ってもらうしかあるまい。

 考えをめぐらす私をじっと見ていた蒼凌は、ふ、と頬を緩ませた。その顔つきは、己凌として私の前に居た頃に似ている。

「逞しくなったようでなによりだ。頼りにしているよ、鴻将軍」

 私は苦笑した。不意に、昏での道中が脳裏に浮かぶ。


 始終子供扱いされていた私だが、ようやく対等に見てもらえるようになったのだろうか。


「申し上げます」

 不意に、扉の向こうから雪鴛の声が響いた。

「荏宰相とのご面会のお時間が迫っておりますが……」

 蒼凌は少し眉を寄せ、水盤の時間を確認した。

「もうこのような時間か……済まない、今日の話はここまでとしよう」

 そう言って椅子から立ち上がる。私と春覇は辞去の礼をした。

「鴻将軍」

 蒼凌も態度を正式なものに切り替え、微笑んだ。

「今後も働きに期待している」

「勿体無きお言葉……」

 深々と頭を下げてから、私は部屋を後にした。

 廊下に出ると、すぐに漣瑛が付き従う。

「一度将軍府に顔を出してから神殿へ行く。宗伯の引き継ぎがある」

「畏まりました」

 まず将軍府に足を向けた私は、上官だった棟将軍に挨拶をしてから、執務に使っていた机の私物と書類を持ち出した。

 これからは大宗伯という職になるわけで、基本的には宗伯府で執務をすることになる。大将軍は官職ではなく名誉号なので、将軍職の執務は基本的に属官が処理し、判断を仰ぎたいときだけ私の所に持ってくるという話だ。

 属官になる武将は、数日中に配置されるはずだ。

 私物や書類はそう大量にあるわけではないので自分で運ぼうとしたら、漣瑛にえらい剣幕で止められた。

「本来ならば将軍ご自身が足を運ばれずとも臣下がやっておく仕事です。手が足りないのでそれは仕方が無いとしても、私がいるのですから荷物くらい持たせてください」

 だ、そうだ。

 これが家の中や誰も居ない場所だったなら説教に発展したことだろう。宮中で良かった。


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