蒼浪
数日後、私は函朔の容態がある程度良くなるのを待って領地へ行くための休暇を申請し、聴き届けられた。
「それじゃ、後を頼む」
「お気をつけて」
見送ってくれる家臣達に軽く手を振って、馬車に乗り込む。御者は範蔵で、陪乗は漣瑛だ。
秋伊は見つかるとまずいので、函朔と共に荷馬車に潜ませた。普段なら馬で出かける私がわざわざ馬車を連ねて出かけるのはそのためだ。荷馬車の側には、念の為に沃縁をつけてある。慎誠も連れていこうかと少し迷ったけれど、やはり都に残って貰う事にした。その方が、何かあった時迅速に対処できる。
それから、今回は珍しく嶺琥が外に出たがったので、供に加えてある。理由を聞いてみたところ、どうやら蒼浪へ向かう途中に碧でも有数の良馬の産地があるらしい。さすが、馬のこととなると目の色が変わる。
馬ではなく馬車で隊列を組んでいる事もあって、近頃になくのんびりとした旅路になった。普段は馬を疾駆させているから、こんな風に物見遊山的な歩き方は久しぶりだ。
「やはり東方は緑が豊かだな」
爽やかな風を浴びながら私がしみじみ呟くと、漣瑛が頷いた。
「この辺りは気候も穏やかで雨も適度に降りますから……やはり、東霊山の膝元という事で加護が強いのでしょうかね」
その言葉に釣られるように、私は東側に見えている山に目を向けた。
あれが東霊山。
青龍の住まう場所。
「……早く、そういう加護を大陸全体にも取り戻したいな」
碧は元々気候に恵まれた土地のようだし、青龍も健在だから良い。しかし、例えば私が朱宿として紅に居た頃、紅の領土の南側は急速に砂漠化が進んでいた。今は朱雀が回復しているから小康を得ているものの、女神が戻らない限り状況を大幅に改善するのは難しいだろう。
そういえば、あれから姿を見ないけれど、朱雀はまだ爾焔のところにいるのだろうか?
「……帰りに、角邑に寄ろう」
紅が滅んでからも、爾焔は警戒されているのか忘れ去られているのか、変わらず角邑に置かれている。
おそらくは、下手に動かそうとすれば脱走の危険があると考えて処分に二の足を踏んでいるだけだろうけれど。碧が爾焔の力を利用しようとしたとして、爾焔が素直に応じるとも思えないし。
そんな風に思考を巡らせながら進む。蒼浪は海にほど近い東の辺境で、この調子だと大体半月ほどはかかりそうだ。
十日ほど進んだ頃、帛野という場所に着いた。嶺琥が心なしか生き生きとし始める。ここが例の良馬の産地らしい。
私達は嶺琥をここに置いて行って好きに馬を仕入れさせ、帰りに合流することにした。
「嶺琥」
水を得た魚のように目を輝かせる嶺琥を呼び止めて、私は何がしかの金を与えた。
「手早く一頭見繕ってくれないか。蒼浪の邑宰に贈りたい」
長いこと私が放置してしまった領地を、ずっと預かっていてくれたのだ。報償はあるべきだろう。
嶺琥は承諾して、近くにいた馬の群を連れた男達に声をかけた。どうやら馬商人らしい彼らと交渉し、馬の群を見せて貰う。
暫くして、一頭の馬を引き出してきた。おとなしいが賢そうな葦毛の馬だ。
「邑宰殿には、このような馬が、宜しいかと」
「ありがとう。流石だな」
その馬の手綱を控えていた兵士に受け取らせ、荷馬車の後ろにつかせる。出立しようとした私に、嶺琥が声をかけた。
「あのっ……他に、どなたか、馬をお贈りになりたい方がいらっしゃれば、お申し付けください。その方に合った馬を、選んでおきます」
そう言われて、私は一考した。
幾人か、馬を贈ろうと考えている相手は居る。
嶺琥が選んできた馬から選ぼうかと考えていたのだが、初めから嶺琥に適当な馬を選んで貰う方が、確かに効率は良い。
「では……棟将軍と覇姫様……できれば章軌殿にも……それから、詠公子に。あとは、良さそうな馬を五、六頭見繕ってくれ」
棟将軍と春覇には先の戦での援軍の礼として、詠翠には兵法の師として贈り物をしようというわけだ。
「承りました」
嶺琥が深く礼をして、私の出立を見送る。馬車二乗と幾ばくかの兵士からなる小さな隊列は、再び蒼浪へ向けて進み始めた。
更に数日、進んだ頃のこと。
馬車から何気なく周囲を見渡していた私は、ふとした違和感を覚えて耳を澄ませた。
「何か来る~」
「来るよ~」
いたずら好き、面白いこと好きの風精霊が、口々に囁き交わしながらくるくるとはしゃぎ回っている。その言葉に耳を傾けていると、漣瑛もまた何かを感じたのか、立ち上がって矛を執った。範蔵が手綱を絞る。
同時に、街道の左右の茂みから集団が飛び出してきた。
ざっと見たところでは三十人近く居る。全員男だ。身なりは決して良くなく、武器を持っている。慣れているのか、男達は素早く隊列を取り囲んだ。
「何だ、お前等は」
先頭にいた兵士が声を上げる。こちらの隊列に十人余りしか居ないのを見て、男達はにやにやと笑った。
「見りゃあわかんだろう?」
正面に立ちはだかっている首領格らしき男が見下すような笑みを浮かべて言う。
「馬車と有り金、全部寄越しやがれ」
寸時、沈黙が降りた。
「……因みによ」
だるそうに手綱を弄びながら、範蔵が盗賊達に声をかける。
「お前等、これがどなたの馬車かわかって言ってんのか?」
その問いをふんと鼻で笑った盗賊は、どうやら範蔵の意図を取り違えたらしい。
「どこのお偉いさんだろうが俺たちにゃ関係ねぇな。ここじゃ力が全てだ」
胸を張って言い切る頭領らしき男。
こちらはまたもや沈黙した。
何故って……
「……いっそ不憫になってきたな」
「不運というか何と言うか……」
範蔵と漣瑛が顔を見合わせ、溜息を吐く。
範蔵は手綱を私に寄越した。漣瑛も馬車から降りる。
「すぐに片づけて参ります」
こちらの兵士の数は僅かなので、範蔵と漣瑛が出て対処するつもりらしい。このくらいの盗賊なら、この二人で十分だ。というより、十分すぎていっそ盗賊の方が不憫だ。
「……なんか可哀想になってきたから、あまり酷い怪我はさせずにおいてやれ」
私が二人に言うと、馬車の傍らからくすりと笑う声がした。
「何なら僕一人で片づけて来ましょうか?」
沃縁だ。
私は首を振った。
「お前が出ていくと無駄な人死にが出る。範蔵と漣瑛で事足りるからおとなしくしていろ」
そんな一連のやり取りを見ていた盗賊が、面白く無さそうに鼻を鳴らす。
「んだと……?調子に乗ってんじゃねえぞ、いいとこの坊ちゃんが!」
どうやら、地位の高そうな馬車や装束その他から見て弾き出された結論はそれらしい。私は苦笑した。
「力が全て、と言ったな」
馬車の中で立ち上がり、首領格の男に目で笑いかける。
「自己紹介をしておこう……私は鴻宵。碧の宗伯大将軍だ」
「……大、将軍?」
盗賊達は顔を見合わせた。
「そ……そんなはったりが通じるか!高々十数人だ、やっちまえ!」
頭領らしき男が高らかに叫ぶ。盗賊達が気を取り直し、武器を構えて殺到した。
「将軍はどうぞそのままで」
漣瑛が言う。
「……加減してやれよ」
私の呟きを背で聞いて、漣瑛と範蔵は駆け出した。
蒼浪に着くと、城門の前で出迎えてくれる一団がいた。先頭にいるのは、邑宰だ。
「お待ち申し上げておりました。ご健勝のご様子、この頼俸、心よりお喜び申し上げます」
「久しいな、息災か」
恭しい出迎えに、私も挨拶を返す。
「長く預けたきりにしていて悪かったな。よく治めてくれて感謝している」
「もったいなきお言葉」
三年間も黙って邑の統治に専念してくれただけあって、ものがたい男だ。私は一時的に漣瑛と頼俸を交代させ、頼俸を隣に乗せて会話しながら役所まで進むことにした。
蒼浪の邑に入ると、比較的こじんまりとした街道を人々がゆったりと歩いているのが目に入る。辺境の邑なので大きな街のような活気は無いが、その代わりごった返してもいない。耳を澄ましてみたが、争いの声は聞こえなかった。
「よく治まっている」
「将軍の輿望の賜です」
頼俸はそう謙遜したが、そうではないだろう、と私は苦笑した。他ならぬ頼俸の政治がうまくいっているからこそ、この邑は平和なのだ。
「私は何もしていない。お前の手柄だ」
私が誉めると、頼俸は畏まって礼をした。こうも恭しい態度を取られると、何だかむずがゆい。
内心少しだけ気まずくなって目を泳がせた私の目に、腕に黄色い布を巻いた数人の屈強な男達の姿が映った。嘗て見慣れたその特徴に、私は目を瞬く。
「庵氏が来ているのか?」
「はい、時折。蒼浪は塩の産地でございます故」
そういえば、蒼浪は海にほど近い。それにしても、庵氏は塩も商っているのか。本当に、何でも売買する商人だ。
「そういえば」
緩やかにすぎゆく景色を見ながら、私は切り出した。
庵氏の私兵を見たことで思い出した事がある。
「ここへ来る途中、野盗に遭遇した。何ということはなかったが……この辺りには、多いのか?」
もし野盗が多いのなら何か対策をたてなければ、と思って訊いた私に、頼俸は首を振った。
「いえ、元々多くはないのです。しかし最近、どうやら北から流れてくる野盗集団がちらほらとあるようでして……」
「北から?」
私は頭の中に地図を描いた。蒼浪は碧の領土のうち北東部に位置するから、北側といえば昏の国境にほど近い。
「はい、どうやら国境の北に勢力を伸ばしている野盗があるらしく……それに逐われた野盗達が、こちらに入り込んでくるようです」
「……野盗にも縄張りがあるのか」
「そのようで」
呆れ混じりの私の呟きに、頼俸が頷く。その表情は、どこか浮かない。
「蒼浪の周辺にもちらほらと現れ始めたので、何か対策を練らねばと思ってはいるのですが……」
頼俸が言葉を濁す理由は、私にもわかった。
蒼浪は辺境の地という事もあり、決して規模の大きな邑ではない。人口も少ない。つまり、武力的にはあまり頼りにならない邑なのだ。野盗対策に回す兵など余ってはいないだろう。
「今のところは警備さえ強化しておけば心配あるまい。もしも邑内まで危険が及ぶようなら、角邑を頼れ。帰りに話をつけておく」
私がそう言うと、頼俸は深々と礼をした。
ちょうど角邑には寄ろうと思っていたし、丁度良い。角邑はこの辺りでは最大の邑で、兵力も充実している。頼りになる筈だ。
その後は他愛もない世間話などしつつ、私達は役所に入った。
大きな邑だと役所も城のようになっているところがあるが、蒼浪は田舎の邑なので役所も比較的こぢんまりとしている。そこで私達はささやかな歓待を受けた。私も、これまでの礼とこれからもよろしくという思いを込めて、頼俸に馬を贈った。
それから、周囲に他人が居ないのを見計らって函朔と秋伊の事を頼む。主君から馬を賜って感動していたらしい頼俸は二つ返事で引き受けてくれた。
そんなこんなでその日は暮れていき、翌日。
私は漣瑛と範蔵を供に連れ、邑内の視察に出かけた。都でもしょっちゅうやっている事なので、二人とも慣れた様子でついてくる。
小さいが穏やかな邑を見て回っている途中、範蔵が口を開いた。
「以前より少し疑問に思っていたのですが」
人目があるので、口調は臣下としての丁寧なものだ。……最近範蔵とは殆ど邸内でしか会っていなかったから、かなり違和感がある。
「身内の欲目を差し引いても、将軍の国に対する功績は大きなものの筈です。それなのに、食邑は辺境の蒼浪ただ一邑。おかしくはありませんか?」
「ああ、それか」
私は苦笑した。
確かに、範蔵の言う事は正しい。大将軍ともなれば、もっと大きな邑を与えられるなり、領地を増やされるなりするのが普通だ。碧では領地の税収と通常の給与を併せて禄となるのだから。
しかしながら、実はそこには家臣達には多少申し訳ない理由があった。
「実は、私自身が覇姫様を通して食邑はたくさん要らないとご辞退申し上げているんだ」
「は?」
怪訝そうな範蔵に、私は、だってそうだろう、と言葉を継いだ。
「ただでさえ家臣の足りていない我が家に、領地まで管理する余力があると思うか」
「……ああ……」
私の言葉を聞いた途端、範蔵は苦虫を噛み潰したような顔になった。現状、我が家の家臣集めは範蔵が担っている。お陰でだいぶ家臣の数は増えたが(但し新参の彼らはうちの邸には住んでいないし、省烈や範蔵達古参より一段低い身分になっている)まだまだ規定数には達していない。
責任を感じているらしい範蔵の肩を、私はぽんと叩いた。
「実のところ私は現状が結構気に入っているんだ。焦る必要は無い。少数でも信頼できる家臣がいてくれれば、それでいいさ」
私が言うと、範蔵は軽く息を吐いて肩の力を抜いた。
「あっ」
その時、不意に漣瑛が小さく声を上げた。私と範蔵の視線が、同時に漣瑛に集まる。漣瑛は慌てて口を押さえた。無意識にでてしまった声らしい。
「どうした?」
「いえ……申し訳ありません。知り合いの姿が見えたように思ったものですから」
知り合い?
私と範蔵は顔を見合わせた。
「知り合いったってお前、出身は西の亢郊じゃなかったか?何でこんな東の果てに知り合いがいんだよ」
私達の疑問を、範蔵が代表して投げかけてくれる。漣瑛は首を振った。
「いえ、郷里の知り合いではなく……私の武芸の師なんです。旅暮らしらしく、不定期に顔を出しては稽古をつけてくれていた人で……」
なるほど、と私達は頷いた。
考えてみれば、漣瑛のあの腕前が、田舎暮らしの独学で身につけられるとは考えにくい。ちゃんと師匠が居たわけだ。それに旅暮らしなら、ここに居ても別におかしくはない。
「追いかけて挨拶してきたらどうだ?こんな機会なかなか無いぞ」
範蔵が言うと、漣瑛は迷うようにしながらも首を振った。
「いえ……仕事中ですから」
あぁ、そういえばこいつ生真面目だった。
「固い事を言ってないで行ってこい。私が許可する」
早くしないと見失うぞ、と急かすと、漣瑛はまだ少し躊躇いながらも、私に一礼して走って行った。
何だかんだ言って気になっていたんだろう。旅暮らしの師匠なら、ひょっとすると仕官の報告もできていないかも知れないし。
「さて」
私は範蔵を見た。何かを言う前に、範蔵がにやっと笑う。
「つけるんでしょう。行きますよ。見失っちゃ詰まらない」
ここが、漣瑛と範蔵の違うところだ。
範蔵はいたずら心の解る男なのだ。
漣瑛の武芸の師。
一体どんな人物なのか、気にならない筈がない。
私と範蔵は、一見そのまま悠々と歩いていくように見せかけながら、目と感覚で漣瑛の動きを追った。心持ち足を早め、つかず離れずの距離を保って後をつける。
更に前方にいる師匠を追って行った漣瑛は、一軒の店に入った。
「……酒屋?」
「まさかあいつ自分がさぼるために一芝居打ったんじゃないだろうな」
範蔵がぼそりと呟くが、あの漣瑛に限ってそれはないだろう。範蔵ならともかく。
「将軍?今失礼な事考えやがりませんでしたか?」
「気のせいだ。あと敬語になってないぞ」
軽口を叩きながら、そっと戸口を潜る。
いきなり高官の装束を纏った人間が入ってきた事に目を見開く店員と客達に静かにするよう手真似で指示して、私は歩を進めた。漣瑛はどうやら奥の衝立で仕切られた席の方に居るようだ。狭い店内なので、声が漏れ聞こえてくる。
「久しぶりだというのに変わりませんね、貴方は。昼間から酒ですか」
「そう言うお前も変わってねぇな。師匠に久しぶりに会ったってのに第一声が小言かよ」
まったくだ。
漣瑛の師匠らしき男の声は、やや掠れた低い声だった。若くはないが、そう年でもなさそうだ。
「で、何でお前こんな東の辺境に居んだ?亢郊のお前の家族にゃ都で仕官したって聞いたが、三年足らずでクビか?」
「人聞きの悪い事を言わないでください。主君のお供で来ているんです」
私は吹き出しそうになった。漣瑛の師匠は、何ともざっくばらんな性格らしい。
それにしても、この声、どこかで聞いた事があるような……
「ほぉ……」
師匠は、漣瑛の言葉にそう声を漏らすと、不意に溜息混じりに言った。
「その主君ってのはそこでこそこそ見物してる奴か?」
「は!?」
慌てたような声がして、衝立から漣瑛の顔がのぞく。
「あ、ばれた」
特に気配を消したり息を潜めたりもしていなかったからな。武芸に長けた相手ならばれて当然か。
「~っ、何をしておられるんですかっ」
憤りと気恥ずかしさと呆れを綯い交ぜにしたような顔で、漣瑛が言う。
「いや、気になったものだから」
ばれたのでは仕方ない、と、私は衝立の向こうへ回り込んだ。
漣瑛と向かい合って座る人物と、ばっちり目が合う。
数瞬、沈黙が降りた。
「……将軍……?」
固まっている私に異変を感じたのか、範蔵が声をかけてくる。
私はおもむろに口元に手をやった。
「――っ」
口元を押さえて背中を丸めた私に、漣瑛と範蔵がぎょっとする気配を感じる。しかしそれに構う余裕もなく、私は――
「っははははは!」
爆笑した。
「え!?」
「はぁ!?」
従者二人の戸惑いの声を聞きながら、腹を抱えて笑う。正面から、憮然とした声が聞こえた。
「なに笑ってんだよ」
「いや……だって……っ」
何とか笑いを押さえ込みながら、顔を上げる。
「あの生真面目漣瑛の師匠が、まさか庵氏兵団随一の適当人間とは……っ」
これを笑わずして何を笑えと。
「うるせぇ。お前こそ将軍様って柄じゃあねぇだろうが」
「まぁそこはそれ」
ようやく笑いを収めて息を吐きながら、私は目を細めた。
「久しぶり。元気にしてたか――支源」
そこに座って酒器を傾けている四十がらみの男は、庵氏兵団に居た頃に親しくしていた人物だった。
私は支源の斜向かい、漣瑛の隣に腰を下ろす。支源は杯片手に口角を上げた。
「見ての通りぴんぴんしてる。お前も元気そうだな」
「矢傷が治ったばかりだけどね」
左肩を軽く押さえて見せ、私はまじまじと支源を見た。こうして会うのは、三年ぶりくらいだろうか。
「少し老けたか?」
「やかましい。お前は相変わらず女顔だな」
余計なお世話だ。
「ちょっと師匠……あの、お二人はお知り合いで……?」
ようやく驚愕から我に返ったらしい漣瑛が、支源の遠慮ない発言を窘めながら訊いてくる。私は頷いて、支源の腕に巻かれた黄色い布を指し示した。
「庵氏兵団に居た頃の仲間だ」
「……まず、将軍が庵氏兵団におられたという事が初耳なのですが」
「そうだったか?」
とぼけたわけではなく、本気で首を捻った。
慎誠が庵氏兵団に入り浸っていたからみんなが知っているように錯覚していたけれど、よく考えたらそこに至る経緯を家臣達は知らなかった。
「まぁいろいろあったんだ」
「便利な言葉で片づけやがりましたね」
口調が半ば崩れている範蔵は、私の適当さに呆れたのか眉間に皺を寄せている。だが説明が面倒なのも確かなので、私は敢えて無視した。杯に口をつけていた支源がにやりと笑う。
「そいつは庵氏兵団じゃちょっとした有名人だぜ」
「その辺りの話はしない方向で頼む」
「……もの凄く気になるんですが」
漣瑛がじと目で見てくる。しかし支源もわざわざ暴露するつもりは無いのか、話題を変えた。
「……そういや、あいつはどうなった」
やや低く落とされた声。周囲をはばかるようなその様子に、話題の人物が誰なのか悟った。
「命に別状は無い。蒼浪に預けるつもりだ…届けてくれたのは、お前だったのか」
「ああ、衛長と俺だ」
漣瑛と範蔵には何の話だかさっぱりわからない筈だが、賢明な従者達は真剣な空気を察して口を噤んでいる。
「ま、無事なら良い。俺はそろそろ行くぜ。不肖の弟子をよろしくな」
酒を飲み干し、ふくべをぶら下げた支源はそう言って席を立った。私は頷きを返し、漣瑛は深々と頭を下げた。
「たまには弟子を鍛え直しに来てやってくれ」
「ぁあ~……気が向いたらな」
だるそうに答えを返し、支源は去っていく。私達も酒屋を後にした。
そんな小さな出来事にも出会いつつ、私達は数日蒼浪に滞在してから角邑に向けて出発した。
「では、後を頼むぞ、頼俸」
「お任せください」
頼俸に別れを告げ、ひっそりと見送りに来ていた二人に目を向ける。
「ほとぼりが冷めたら迎えに来る……元気でな」
「うむ」
私の言葉に、秋伊は笑顔で頷き、函朔は目礼した。
静かに、馬車が動き出す。
海が近いせいか、微かに潮のにおいを纏った水精霊達が私達を見送っていた。




