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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之参 秋潦
48/115

涙声

 それから数日で、私の体調はほぼ回復した。まだ念のために左腕は吊っているが、肩の矢傷は時折疼く程度だ。ちゃんと毎朝朝会にも行けるようになった。

「将軍」

 そんな頃、帰宅した私に尉匡が耳打ちしてきた。

「客人の目が覚めました。今は総華殿が世話を」

 総華は見た目はあれだが長く生きているうちに身につけたらしく医学の素養がある。相手と面識もあるし、正しい人選だ。

「容態は?」

 廊下を歩きながら小声で問う。

「これまでの治療の甲斐あって少しは動けるようだとの事です。しかし何分酷い怪我でしたので、暫くは静養が必要かと」

「そう……」

 私は少し考えた。

 絶対安静という事なら、まだ会わない方がいい。しかし一応動けるのなら、一度会って現状を把握させた方がいいかも知れない。

「会おう。すぐに行く」

 結局私はそう判断を下した。

 事情を知らない臣下達には部屋に戻る風を装って、足早に回廊を進む。それにしても、邸にけが人を二人も受け入れておいて数人の家臣以外に全く悟らせないというのは…尉匡が凄いのかうちの家臣達が抜けているのか。

 前者であって欲しいような欲しくないような、と勝手な事を考えながら、私はその部屋の扉を開けた。


 丁度夕暮れ時、西日の射す部屋に、簡単な寝台が設えられている。そこに横になっている男は、腹といわず胸といわずあちこちに包帯を巻かれているのが、白い寝衣ごしにもわかる。額に巻かれた包帯の下から、鋭い目が警戒するようにこちらを睨み、一瞬で大きく見開かれた。僅かに遅れて、寝台の傍らに座っていた少年が振り返る。

「鴻宵!」

 少年は目を見開き、安堵とも歓喜とも緊張ともつかない感情を表情に溢れさせ、すぐに泣きそうな顔をした。

 これまで、不安でたまらなかったのだろう。

 私はゆっくりと一歩進んで部屋に入り、少年に薄く微笑みかけた。

「ご無事で何よりです――秋公子」

 秋伊が立ち上がり、こちらに駆け寄ろうとする。その腕を、寝台から伸びた手が掴んで引き留めた。

「……鴻、宵」

 こちらを睨みつけながら、傷だらけの体をゆっくりと起こす。

 やはり、秋伊のようにすぐ打ち解けるとはいかないか。

「お下がりください、公子」

「函朔……」

 秋伊が戸惑ったように函朔を見る。函朔は険しい視線を私から外さずに言った。

「あれは……敵です」

 まっすぐにこちらを射抜くその視線に、私は嘗て畢で過ごした夜を思い出していた。

 白に害なすならば許さないと、そう言って私を睨み付けていたあの日の函朔。

 今も、変わってはいない。

「しかし函朔。鴻宵は……」

「敵です。あいつが白に仇なす限り」

 今の函朔に、函猛の見舞いに訪れた時に垣間見せた迷いはもう無いようだった。恐らく、あれからまた多くの想いを背負ったのだろう。

「席を外して頂けませんか、秋公子」

 ここからのやり取りは、板挟みになる秋伊には辛いだろう。私は数歩歩み寄った。

 秋伊が迷うように私と函朔を見比べて、それからそっと、腕を掴んでいた函朔の手を外す。函朔は少し眉を寄せたが、部屋を出ていく秋伊を呼び止めることはしなかった。

「話をしよう、函朔」

 ゆっくりと近づきながら、努めて静かに話しかける。

「敵と話す事など無い」

 けんもほろろに言われても、私は足を止めなかった。

「函朔」

 どう切り出そうか迷ったが、言葉を飾っても意味は無いと腹を括る。

「白は、もう無い」

 寝台のすぐ傍まで来て立ち止まり、そう言った私に、函朔が息を呑む。

 私は覚悟を決めて、告げた。

「私が滅ぼした」

 次の瞬間、重傷人とは思えない俊敏さで函朔が動いた。敢えて微動だにしなかった私は、背中を床に叩きつけられて息を詰める。

「将軍!」

「来るな!」

 戸口に控えていた尉匡がとっさに動こうとしたのを、私自身が鋭く制した。私の喉元に剣の切っ先が擬されている。函朔が私の腰から抜き取った剣だ。

「鴻宵……俺は言った筈だ」

 私に馬乗りになって剣を突きつけている函朔が、低く言う。

「白に害なせば、たとえお前でも赦さない……」

「ああ、言った。よく覚えているよ」

 私は静かに剣刃の向こうの鳶色の瞳を見つめた。

「わかっていて何故、お前は……お前が……」

 喉元の切っ先が微かに震える。呟きにも似た函朔の口振りに、函朔自身も白の滅亡は避けられないとわかっていたのかも知れない、と思った。

「避けられなかった。白は滅ぶしかなかったんだ……太子を神殿で殺めた、あの時から」

 函朔が辛そうに息を詰める。食いしばられた歯の軋む音すら聞こえてきそうだった。

「白虎は衰弱して加護を放棄した。妖魔に蹂躙される白を、そのままにしてはおけなかった」

「わかってる!」

 不意に、函朔が叫んだ。

「わかってるんだ!どうしようもなかった事くらい!それでも……」

 剣を握り締めて私を見下ろす函朔は、今にも泣きそうに見えた。

「それでも……!お前が、手を下した……!」

 剣先が私の喉に触れる。ちくりとした痛みが走った。

「……憎めばいい」

 私の言葉に、函朔がはっとしたように目を見開く。私はようやく動かせるようになったばかりの左腕を持ち上げ、喉に当たる白刃を握った。

「将軍!」

 咎めるような尉匡の声が耳を打つが、無視する。掌から溢れ出した血が一滴、喉に滴り落ちた。

「悲しいから、誰かを憎まずにいられないんだろう。私を憎め。構わない」

 函朔の手が震える。私は真上にある函朔の目を強く睨み返した。

「好きに憎めばいい。受けて立とう。けれど、ここで私を殺して済む事か?お前も秋伊も死ぬことになる」

 函朔自身もわかってはいたに違いない。しかしいくら理屈でわかっていても抑えきれない心と闘うように、函朔はきつく目を閉じた。緩んだその手から、剣をもぎ取って傍らに投げ出す。上体を起こして、函朔の襟を掴んだ。

「思い出せ。お前の今すべき事は何だ?ここで犬死にする事じゃないだろう!」

 うなだれる函朔を、掴んだ襟に力を込めて揺さぶる。

「憎ければ憎め。悲しいなら泣け。だけど無駄死にだけは絶対に赦さないからな……!」

 函朔は何も言わない。私に胸ぐらを掴まれたまま、じっと俯いている。言いたいことを言い切った私は、掴んでいた胸ぐらを放そうとした。

 あとは、函朔自身の考えることだ。

 しかし、離れようとした手を、不意に函朔が掴む。驚く間もなく背中に函朔の腕が回り、強く抱き締められた。まるで、すがりつくかのように。

「故郷が……もう、無いんだ」

 小さな声が、辛うじて耳に届いた。

「よりによってお前が……国も、お前も、どうしていいのか……っ」

 私はそっと函朔の背に手を回し、子どもをあやすように軽く叩いた。

 行き場を失って蟠る思いは、一度吐き出した方がいい。

「ちくしょぅ……ッ!」

 強く私の体を抱き込んで、函朔は肩を震わせた。気を使ったのか、尉匡がそっと部屋を出ていくのが目に映る。

「泣いていいよ」

 私は小さく囁いた。

「恥ずかしい事じゃない。一度吐き出してしまえ……ここにいてあげるから」


 滅びていく国の中で、死んでいった人々、たくさんのものを失った函朔や秋伊。

 彼らを思うと、私だって泣けてきそうになる。況して、函朔は当事者なのだ。


「鴻宵……ッ!」

 堰を切ったように、函朔の喉から嗚咽が漏れた。

 私はその背中を、そっとさすり続けていた。



「……悪い」

 一頻り涙を流した函朔は、私の肩から顔を離すと決まり悪げに掌で涙を拭った。私は懐から布を出して拭いきれなかった涙を拭いてやる。

「落ち着いたか」

「ああ」

 函朔は少しの間目元を覆って俯いていたが、やがて顔を上げた。至近距離で目が合う。

「……悪かった。お前を憎むのはただの八つ当たりだって、気づいてたのに」

「そうしないと収まらない時もある。仕方のない事だ」

 私がそう言うと、函朔は罰悪げに私の左手を取り、もう血の止まっている傷口をそっと拭って布を巻いた。

「ありがとう」

「お前が礼をいう事じゃないだろ」

 目を伏せて言った函朔は、もう一度私の肩を抱き寄せた。

「本当に、悪かった……」

「憎いものはしょうがない。私がお前の仇なのは確かだ」

 その言葉に、函朔は少し嫌そうに身じろぎした。

「……俺がお前を本気で憎めるわけが無いんだよ」

 微かな声で呟いて、函朔は腕に力を込める。

「今だって……結局、最後までおまえに助けられた」

「私は自分のしたいようにしただけだよ」

 私は函朔の肩を軽く叩いた。それは、函朔を宥めると同時に、落ち着いたなら離れてくれという意味も含んだ動作だったのだけれど。

 その手を取られて、私は首を傾げた。

「函朔……?」

「……鴻宵……」


 あれ

 顔が、近い……?


「ぁ……の……函朔……?」

 近づけられる顔を避ける形で上体を仰け反らせていった私は、いつの間にか背中が床についてしまった事に気づいた。目の前には函朔の顔。

 えぇ……つまり、いわゆる、押し倒されているという状況ですか?

 先ほど剣を突きつけられた時もこういう体勢にはなったが、あのときとは函朔の雰囲気が違う。

「え……と……」

「鴻宵……」

 顔の横に突かれた函朔の手が、そっと私の頬を撫でる。

「ずっと……自分の中で悩んで、誤魔化してきたんだ」

 少しかさついた、案外大きな掌が頬を包んだ。

「相手は男だから、そんな筈はない、この気持ちは間違いだ、って……お前が碧に行ってからは尚更、お前は敵だ、って自分に言い聞かせて」

 私は何も言えない。函朔の鳶色の瞳が、嘗てないほどに優しい色合いを帯びて見えた。

「けど……やっぱり誤魔化せなかったな」

 まっすぐに目を見て言われて、どきりとする。さすがに、函朔の言わんとすることが予想できて、私は身じろいだ。それを押さえるように、函朔が私の顎を持ち上げる。

「――お前が、ずっと好きだった」

 真摯な瞳。

 さっと顔に熱が集まるのを感じた。

「か……函さ……」

「鴻宵……」

 ゆっくりと、函朔の顔が近づいてくる。


 ど、どうしよう。

 嘗て無いほどに動揺している自分が居た。心臓が音を立てて脈打っているのがわかる。

 函朔をそういう目で見た事はない。そのせいか完全に戸惑いが先に立ってしまって、私はどうする事も出来ずにただ慌てふためいていた。そうこうしているうちに、今にも唇が触れそうな程に近づいてしまう。


 思わずぎゅっと目を瞑った時。


「そこまでです」

 誰かの声と同時に、函朔の顔がぐっと遠のく。見ると、声の主は函朔の襟首を掴んで引き離したらしかった。函朔がその手を振り解こうともがきながら後ろを振り返り、驚愕の声を上げた。

「てめえは……!」

「はいはい、怪我人はおとなしく寝て下さいね」

 函朔はまだもがいているが、やはり傷に障るようであまり抵抗できずにずるずると寝台まで引きずられていく。それを見ながら、私は内心ほっとしていた。


 あのままだったら、たぶん私は函朔を突き放してしまっていた。

 それは、きっと第三者が介入するよりもずっと深く函朔を傷つける。

 傷つけたいわけではないから、正直、助かった。


 助かったのだけれど。


「よりにもよってお前か……」

「あれ?ご不満ですか?助けて差し上げたのに」

 函朔を寝台に放り込んでにこりと笑ったのは、事もあろうに沃縁だった。

 お前が函朔の前にでてくると話がややこしくなるだろうが!

 ちらりと見ると、案の定函朔は警戒心全開で沃縁を睨み付けている。

「沃縁、何で貴様がここに……」

「話せば長いんですよ。面倒だからおとなしくくたばってて下さい」

 おいおい。いや、くたばっちゃだめだろう。

「鴻宵!」

 函朔が説明を求めるようにこちらを見る。私は苦笑ぎみに答えた。

「元々、こいつは本気で反太子派だったわけじゃないらしくて……」

 沃縁の事情と臣下になった経緯を掻い摘んで話す。ただし勿論、沃縁が二度に渡って私を襲いかけた事は伏せた。

「……そうか」

 納得したのかどうかは定かではないが、一応頷いた函朔はしかし、再び沃縁を睨んだ。

「それはわかった。が、何で邪魔をするんだ」

 お前には関係無いだろう、と食ってかかる函朔に、私は苦笑いを浮かべた。

 関係無くても、助けるのが正解なんじゃないかな。

「関係ならありますよ」

 そう言いながら、沃縁は何故か偉そうに腕を組んで函朔を見下ろした。

「僕も鴻宵さんの旦那に立候補中ですから」

 待て待て待て。

「旦那って……そもそもいつ立候補した!?」

「今です」

 さらりと答えられて、私は額に手を当てた。こいつと話していると頭痛がしてくる。

 頭を抱えたままちらりと見ると、沃縁の発言に目を見開いていた函朔が我に返って沃縁を睨み付けたところだった。

「どういうつもりだ」

 その鋭い視線を受けながらも、沃縁に動じた様子は無い。

「どうもこうも」

「わっ」

 肩に腕を回して抱き寄せられ、私はたたらを踏んだ。

「僕も鴻宵さんが欲しい。それだけの話です」

「ちょ……お前……」

 こいつのタチの悪いところは、どこまで本気でどこまでが人をからかっている言葉なのか判別しにくいところだ。

「貴様……」

 函朔が不機嫌そうに沃縁を睨む。あろうことか、沃縁はそれを鼻で笑った。

「ずっと悩んでた、ねぇ……そもそも貴方、さっきあれほど密着していたくせに気づかなかったんですか?」

 沃縁の手が、私の首もとを思わせぶりになぞる。

 セクハラ禁止と言った筈なのに!

「気づく……?」

「ええ」

 眉を寄せる函朔に、沃縁はにこりと笑ってみせた。


「この方、女性ですよ?」


 あまりにもさりげなく口にされたせいで、反応が一拍遅れた。

「おい沃縁!」

「構わないでしょう。貴方も明かすつもりだったんじゃないですか?」

 私はぐっと詰まった。悩み抜いた挙げ句に真摯に想いを告げてくれた函朔に黙っておくのはフェアじゃないと思っていたのは事実だ。

 だけど、なにもお前があっさりばらさなくても!

「……女?鴻宵が……?」

 函朔が呟く。気まずくなって目を逸らす私を見て、何か考え込むようにしてから手招きした。意図が読めないながらも、その手に従って歩み寄る。

 寝台の脇に到達した瞬間、腕を掴んで引き寄せられた。

「わっ!?」

 半ば寝台に乗り上げるように倒れ込んだ私を、函朔が片腕で抱き寄せる。慌てて離れようとした時、函朔のもう片方の手が、私の脇腹から胸元まで探るように撫で上げた。

「ひゎっ!?」

 突然の事にびくりと体を震わせる私を見、感触を確かめるように自分の手に目を落とした函朔は呟く。

「……確かに女だ」

「お……お前~っ」

 至近距離で睨み付ける私の頬に函朔が触れようとした時、私の体がぐっと宙に浮いた。

 私を抱き上げて函朔から引き離した沃縁が、にこりと笑う。

「安易に手出ししないで下さい、死に損ないが」

「……お前、なんか随分口悪くなってないか?」

 引き気味に言いながら床に下ろして貰い、函朔に目を戻す。何と言葉をかけるべきか迷い、結局この問題からは逃げることにした。

「とにかく、私はお前達を匿う手段を考えるから。暫くおとなしく養生してろ!」

 言い逃げするように、足早に部屋を出る。


 何だか、色々ありすぎて頭が茹で上がりそうな気分だった。




 その後、私はまた尉匡にこっぴどく叱られた。

「貴方はまた無茶な事を……もう少し慎重に行動して下さい!」

 憤然とした口調で言いながらも、掌の傷に薬を塗ってくれる手つきは案外優しい。

「それで、今後はどうなさいますか?」

 手当を終えた傷口に丁寧に包帯を巻きながら、尉匡が問う。無論、秋伊と函朔の処遇についてだ。

「ここに置くのは危険すぎる。蒼浪に移そう」

 私は前から考えていた措置を口にした。函朔はともかく、秋伊を都に置いておくのはまずい。誰か顔を見知っている者がいないとも限らないからだ。

「幸い、白の事後処理も棟将軍や覇姫様の麾下でなさるようだし、この機会に私も蒼浪を見に行ってみたいと思っている」

 そもそも、いくら転戦に忙しかったからといっても、自分の領地に一度も足を運んでいないというのも変な話だ。せっかく時間が取れそうなのだから、行っておかなければ。

「わかりました。準備を進めます」

「頼む」

 手当を終えた尉匡が立ち去るのを見送って、私は自室の窓から空を眺めた。

 昏も碧も、今は互いに警戒して静観を保っている。暫定的な和平を模索する動きもあるようだし、暫く大きな戦はあるまい。

「束の間の平穏、か……」

 小さく呟いた声は、爽やかな秋風にさらわれていった。


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