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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之参 秋潦
47/115

療養

 白の神殿に立った私は、そこにあった筈の神聖な気が失せていることに眉を下げた。

 血で汚すとは、こういう事だ。

「本来なら正式な祭りは宗伯府から専門の役人を連れてきてやるのがいいんだろうが…」

 私が呟くと、隣にいた春覇が難しい顔をした。今回は妖魔の件もあるし、白虎の祭り直しは急を要する。私は春覇に向き直った。

「幸い、私は儀礼を心得ております。この場で済ませてしまうのがよろしいかと存じますが」

「ああ、私もそう考える」

 そう言った春覇に、私は頷き返した。

「では、早急に。覇姫様にもお力をお貸し頂きたく」

「無論だ」

 まず、神殿内の空気を清めなければならない。酒と枝を調達しに動き回る私たちを、精霊達がじっと見つめていた。

「この地のまがき汚れ、払い清めたまえ」

 皓太子、どうか安らかに。私はあなた方の思いを忘れない。

「――白虎」

 遠く東霊山にある気配に、呼びかける。

「帰っておいで」

 きん、と耳鳴りがするほどに、空気が張りつめるのを感じた。清められた空気に、一気に厳粛さが加わる。

 主の帰還だ。

「――苦労をかけた」

 獣の姿で現れた白虎は、その静かな瞳で私を見据えた。私は黙って拝礼する。


 白は滅んだ。


「碧に、おいで願えますか」

「……『(ぬし)』に與そう」

 微かに、春覇が息を呑む気配がした。

 白虎は宣言したのだ。彼が付くのは碧という国ではなく、鴻宵個人であると。

「……白虎」

「国に與せよと言うなら、国の意を纏めて後にせよ」

 そう言われて、私は言葉に詰まった。確かに今、碧は一枚岩とは言えない。王と太子の対立は深刻さを増すばかりだ。

 返答に窮した私は、ちらりと春覇を見た。春覇は難しい顔をしたまま、仕方がない、といった様子で頷く。

「――承知致しました。国の纏まる折まで、宗伯たる私が責を負いましょう」

 頭を下げた私の肩に、白虎の手――いや、前足か――が乗る。

「要あらば、主に助力しよう」

 触れた部分から、すずやかな何かが流れ込んでくる感覚があった。

 私は再度拝礼して、神殿を後にした。

「残るは昏ですね……」

「ああ、だが……」

 私の言葉に、春覇はきっと前を睨むような目つきをした。

「我が国の内側でも、乱があろう……大事にならなければいいが」

 まったくだ。

 私は小さくため息を吐いた。同じ国の人間同士、なぜ争わずにいられないのか。


 不安を抱えながらも、六月に入る頃、私たちは凱旋した。




 寝台から上体を起こし、窓の外を眺める。眩しい日差しが燦々と降っているところから見て、もう昼間のようだ。

「ご気分は如何ですか」

 水と粥を携えてきた淵珪――淵央の奥さんだ――が、盆を寝台の側の棚に置きながら声を掛けてくる。私は無意識に傷口に手をやった。

「もうだいぶいい。ありがとう」

「無理なさらないでくださいよ、昨日は心臓が止まるかと思ったんですから」

 淵珪の言葉に、私は苦笑した。


 昨日の夕刻、私たちは朝廷への報告を終えて帰宅したのだが、矢傷を負ったまま無理を重ねてきた私は、邸に辿り着くなり倒れてしまったのだ。平時から過保護気味のうちの臣下達がさぞかし大騒ぎしただろう事は想像に難くない。

「将軍がお帰りになるっていうんで子どもたちも待ってたものだから、小さい子なんか大泣きして……総華さんと籐備くんが必死に宥めてましたよ」

 それは本当に悪いことをした。

「まぁとにかく、暫くゆっくりなさいな。お粥ですけど、食べれます?」

「いただくよ」

 厚意に甘えて、暫く休ませて貰うことにする。昨日よりはましになったとはいえまだ熱は下がりきっていないようだし、傷も痛む。

 粥を食べ終わり、薬を飲んで横になっていると、外から声が掛かった。

 この声は、尉匡だ。

「入れ」

「失礼します」

 部屋に入ってきた尉匡は、まず私の体調を確認するように顔をのぞき込み、額に手を当てた。その手のひんやりとした感触が心地よくて、つい目を閉じてしまう。

「まだ熱がおありですね」

「うん……でも、だいぶ楽になった」

 頭を一撫でして、尉匡の手が離れていく。

「今の所、各家からのお見舞いはお断りさせていただいています。将軍のお体に障りますから」

「気を使わせて済まない」

 そう言う私に、尉匡は苦笑してみせた。

「そう申し上げておいて何ですが、実は将軍がお戻りになる前に客人が見えまして」

「客人?」

「ええ、それが……」

 ぐっと声を潜め、尉匡が耳打ちしてきたその内容に、私は目を見開いた。

「それは本当……ぅっ」

「わっ、まだご無理をなさっては……」

 思わず跳ね起きようとして肩を押さえた私を、尉匡が慌てて寝台に押し戻す。

「どのみち、お一方はまだ意識が戻りません。もうお一方が付きっきりで看ておられます。一応極秘扱いなので、知っているのは省烈殿と私の他は門を開けた衙楠だけです」

「そう……か……」

 私は腕で顔を覆った。何だか無性に泣きたい気分だった。

「目を覚ましたらすぐに報せてくれ。それから、庵覚に礼を……内密にした方がいいかも知れないが」

「畏まりました。慎誠殿を使っても?」

「構わない。頼む」

 尉匡が退室した後、私は窓から差し込む陽光に目を細めた。




 数日して私の熱が下がり面会謝絶を取り消すと、真っ先に現れたのは檄渓だった。

「お倒れになったと聞いた時には背筋が冷えましたよ」

 苦笑混じりに言う檄渓は、片手に書類を抱えていた。

「戦後処理は粗方終わりました。あとは失った人材の補完ですが、これも大体目星がついています」

「すべて任せてしまって済まない」

 私が言うと、檄渓は軽く笑った。

「とんでもない。私の仕事ですから」

 それから、と報告を続けようとした檄渓は、少しだけ私の心情を慮るように声を低めた。

「捕虜になっていた白王と公子夷鉄ですが……処刑が決まったそうです」

「……そうか」

 私は視線を遠くに投げた。

 ついに、白も滅んだ……収束に向けて、世界は益々激動の渦に巻き込まれていくことになるだろう。

 感慨に耽る私の思考を散らそうとするかのように、檄渓はまた笑みを浮かべた。

「とにかく、将軍は今は休養に専念なさってください」

 一応置いておきますが無理に仕事をなさってはいけませんよ、と念を押して卓の上に書類を置き、慇懃に一礼してから檄渓は去っていった。


 その後、春覇、棟将軍、角容などが次々に見舞いに来て、有り難いけれど少し疲れてしまった。


「……食欲無い」

 淵珪が持ってきてくれたご飯を前に、私は力無くそう言った。眉を下げた淵珪が、私の額に手を当てる。

「熱は出てないみたいですけどねえ……」

「疲れたんだ。悪いけど、少し寝る」

 布団に潜り込む私を、淵珪が困ったように見つめる。

「でも何か食べないと……」

「欲しくない……ごめん」

 あまり気分が良くない。ぐらつく視界から逃げるように、私は目を閉じた。




 雨が、降っている。

 時にたたきつけるように、時にそぼ降るように、雨は私の全身を濡らしていた。

 目の前に、誰かが立っていた。不思議な事に、姿は見えているのに顔がわからない。夢には時折こういう事がある。ただ長身の相手の琥珀色の髪が、妙に意識に焼き付いた。

 ――誰?

 問いかけようとして、私は夢の中の「私」の体が、私の意思では動かせない事に気づいた。私は私の視点でものを見ているものの、実質的には傍観者でしかないらしい。

 そんな私に向かって、目の前の「誰か」が言葉を掛けた。

「ならば、せめて俺の手で――来世にまた、お前との縁を繋げることを願う」

 何を言っている?

 首を傾げた私の視界に、鈍色に光るものが見えた。

 雨に濡れ、雫を滴らせる剣。

 その切っ先が、過たず私の胸元に向く。

 え?

 何、これ?

 殺される、と慌てふためく私の意識を余所に、そこにいる「私」は落ち着き払ってその刃を見ていた。私の意思と無関係に、口を開く。

「――ありがとう」

 次の瞬間、白刃が心臓を深々と貫いた。




 勢い良く目を開けた私は、暫し自分がどこにいるのか把握し損ねていた。やがて早鐘を打っていた心臓が少し落ち着き、そこが自分の部屋の寝台であることを認識する。思わず胸元に手をやったが、無論そこに異常は無かった。

「何なんだ、今の――」

 呟きかけて、あれ、と首を傾げる。

 確かに何か夢を見て飛び起きた筈なのに、どんな夢だったか覚えていなかった。何故自分が胸元を気にしたのかもわからない。

 まぁ、いいか。夢は夢だ。

 そう結論づけて辺りの様子を見ると、どうやら夜になっているようだった。室内に闇が降り、窓の外も静か。

 目が冴えてしまったけれど、安静にしていろと言われたし夜中ではする事もない。もう一度眠ろうと布団を被り直した私は、微かに木が軋む音を聞いて飛び起きた。

 窓が開いている。

 片手で剣を探りながら、私は寝台から下りようとした。

「起きてたのか」

 私の警戒とは裏腹に、ひょいと軽い調子で、その男は窓から顔を覗かせた。

「そっ――!?」

「しっ!騒ぐな。お前の臣下が来るだろうが」

 思わず声を上げかけた私を制して窓から入ってきたのは、どう考えてもこんな時間にここにいていい筈の無い男だった。

「……何でお前が」

「見舞いに来たんだ。公式に来ると鬱陶しいだろう、色々と」

 事も無げに言い放つ蒼凌は、よく見ると太子の装束ではなく庶民の服を着ていた。髪も、旅をしていた頃と同じように首の後ろで無造作に括っている。

「でも……こんな時間、王城の門は閉まってる筈じゃ……」

 以前、蒼凌を助けに行こうとして出来なかった事を思い出す。日が暮れて役所の宿直以外の役人が帰ってしまえば、城門は夜明けまで堅く閉ざされてしまう筈だった。

 しかし蒼凌は窓から差し込む月明かりの中、あっさりと事実を口にした。

「何年彼処に住んでると思ってるんだ?抜け道の一つや二つ……っと」

 とぼけたように目を泳がせて口元を押さえる。私は深い溜息を吐いた。

「この不良王子……」

 普段の人格者ぶりは何処へ失せた。

「お前はそう言うが、これは必要な事だぞ?城を囲まれた時に王を逃がしたり密かに使者を出したりという役目もある」

 確かにそうなんだろうけど。

「だからそれを私用に使うな」

「まぁそう堅いことを言うな」

 ひらりと手を振った蒼凌は、寝台から立ち上がりかけていた私の姿勢に目を留めると軽く眉を上げた。

「脅かして悪かったけどな。横になれ。まだ具合が悪いんだろう」

 言いながら歩み寄ってきて、私から剣を取り上げ、肩を軽く押す。私は素直に寝台に戻ったが、完全に横にはならずに背中に枕を敷いて身を預けた。取り上げた剣を枕元に置く蒼凌を見上げていると、目が合った。

「どうした?」

「いや……私の留守中、蛇に襲われたと聞いたけど、それ以後何も変わった事はないか?」

 何故だか少し焦りながら、私は思い当たった話題を口に出す。べつに悪い話題ではなかった筈なのに、ぺしっと額を叩かれた。

「痛っ……何……」

「怪我人が他人の心配してる場合か」

 溜息を吐いて、蒼凌の目が部屋の脇にある卓へ向く。

「お前飯食ってないだろ」

 指摘されてそちらを見ると、卓の上には蓋付きの器があった。更に蒼凌が指さした先、私の枕元に、書き置きがしてある。周囲に蒼凌の来訪がバレないよう燭を点けていないので頼りは月明かりだけだが、闇に慣れた目には十分読みとれた。

『お粥、卓に置いておきます。目が覚めて食べられそうなら食べてください』

「あ~……」

 私は小さく呻いた。

「食うか?」

「……食欲無い」

 胸焼けがするというほどではないけれど、何となく不快感がある。物を食べる気にはなれなかった。

 食べたくないと言い張る私に、蒼凌は溜息を吐いた。

「だったらこれなら食えそうか?」

 そう言って懐から出したのは、拳大の果物。私は目を瞬いた。

「苫果?」

「ああ。これなら栄養あるし。好きだろ?お前」

 ん?

「何で知ってるんだ?」

「独自の情報網」

 おい。

「そんな個人的にも程がある情報流す奴があるか」

「細かい事は気にするなという事だ」

 しれっと言って寝台の端に座った蒼凌は小刀を抜き、苫果の皮を剥き始めた。いつもは大体丸かじりするけれど――それをやるとよく漣瑛あたりに身分を弁えろと怒られる――体のだるい今はそれは辛い。剥いてくれるのは正直有り難かった。

「……あの時」

 手際よく小刀を滑らせながら、蒼凌がぼそりと言った。

「蛇が来た時、詠翠も居たからな。正直、危なかった」

 剥いた皮を膝に敷いた布に落としながら、低い声で続ける。

「……また、お前に助けられたな」

 深紫の皮を剥かれて白い実を晒す苫果を手の上で器用に切り分けながら、蒼凌はそこでようやく私の方に目を向けた。

「礼を言う」

「いや……私はただ……」

 ただ、何だと言うのだろう。言葉を見つけられずに目を逸らす私の前に、蒼凌が小刀に刺した苫果を差し出した。

「まあ食え。水飲むか?」

「ん、いや」

 小刀を受け取り、一口大になった苫果を口に入れる。しゃくしゃくと歯切れのよい果肉から滲む甘い果汁が、喉に染みた。


 暫く私は無言で苫果を咀嚼し、蒼凌は私が一切れ食べ終わる度に次を渡してくれた。


 穏やかな時間。

 ふと不思議な気分になる。普通なら、この国の太子である蒼凌と、将軍である私がこんな風に一緒にいる機会など無い筈なのに。


「蒼凌」

 苫果を食べ終わり、皮や種を捨てたり小刀を濯いだりしている蒼凌を見ていると、自然に口から言葉がこぼれた。

「ありがとう、来てくれて」

 蒼凌が振り返る。ちょうど月が陰ってしまったようで暗くてよく見えないが、何だか何ともいえない顔をしているような気がした。

「……お前は……」

 何か言いかけて、首を振る。歩み寄って来たと思ったら、べしっと私の額を叩いた。

「痛っ」

「もう寝ろ。背が伸びないぞ」

 今一話題に脈絡がありませんけど。

 そして私の背は多分もうあまり伸びないから!

 そう言い返しかけて、私は口を噤んだ。背はもう伸びない。男にしては大分小柄に見えるに違いない。体格も、顔立ちも、大人になりきってしまえば、いつまで性別を誤魔化せるかわかったものではない。

 無性に、蒼凌に真実を告げたくなった。衝動のままに開いた唇はしかし、すぐに力を失って閉じる。

 何て言うつもりだ?私は女なんです?だから何?何で今?

「……鴻宵?」

 黙り込んだ私を、不審げに蒼凌が見下ろす。私は軽く目を閉じて混乱した思考を追い払った。

「……何でもない」

「……そうか?」

 変に思いながらも追及はしない事にしてくれたらしく、蒼凌が私の頭を撫でる。その温度に眠気を誘われて、まだ体調が戻っていないことを思い出した。

「……おやすみ」

「ああ、おやすみ」


 静かなやり取りが、こんなにも心を満たしてくれるなんて。

 不思議な安堵に包まれながら、私は眠りに落ちていった。


「……餓鬼みたいな顔で寝やがって」

 そんな呟きが、聞こえた気がした。


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