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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之参 秋潦
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秋霜潰ゆ

 白軍によって堰を切られた濁流は多くのものを飲み込んでいった。

 大損害を覚悟した私は、渡渉してくる兵の先頭に檄渓がいるのを見て、少しだけ安堵した。

「無事だったか」

「将軍も、大事無いようで安心しました」

 流れを渡りきって馬から下りた檄渓は、私が負傷しているのに目を留めると、自ら部下に指示を出して生存者の確認に当たらせた。

「済まない、こんな有様で」

「いいえ、生きておられただけで安心しましたよ。ああ、襄斉と汪帛も無事のようです」

 白の右翼を相手にしていた襄斉と汪帛の部隊、それに左右から迂回していた私と檄渓の旗下は、半数は残ったらしい。

 しかし、中軍は全体が押し流されてしまった。

「とにかく、生存者の救出にあたってくれ。白兵でも、生存者がいれば保護しろ」

 今回は彼らも被害者だ、と私が言うと、檄渓は心得たように頭を下げた。




 微かに上げた自分自身の呻き声で、函朔の意識は浮上した。

 目を開けた瞬間、濁った水面に浮かぶ兵車の破片と、それにうまく縋りつく形になったらしい自分の腕が見えた。無意識の執念で生き残る可能性を掴み取ったらしい、と、我が事ながら少し感心する。


 しかし、もう駄目だった。

 どんなに動かそうとしても、腕に力が入らない。どこかに打ちつけたのか頭も酷く痛むし、胸と言わず腹と言わず、今呼吸が出来ているのが不思議なほど痛みと違和感に支配されている。流された瞬間に水を飲んだだろうし、衝撃で肋の数本はやられているかも知れない。

「う……ごほっ、な、にが……」

 どこか冷静に自分の現状について考えていた函朔は、耳に届いた声に反応して目だけを動かした。浮遊する板に乗り上げるように縋った自分の上体。その下、板との間に、小柄な体が挟まれている。

 その人物を喪わずに済んだらしい事に安堵の息を吐こうとして、弱々しい咳が漏れた。

「あ……函朔?」

 顔を上げ、自分を抱えている相手を認識したその少年――秋伊が、函朔の名を呼ぶ。その声色から察するに、重い怪我を負ってはいないらしい。

「公子……ご無事、で……」

 絞り出した声は、呆れるほど掠れていた。視界もぶれてくる。その中で、秋伊がはっと青ざめたのだけは何故かよく見えた。

「函朔……函朔!しっかりせよ!怪我は……どこが痛む!?」

 慌てて飛び起きようとして、その身の上にある函朔の体を気遣うように動きを止める。函朔は、意識が薄れていくのを自覚しながら、これだけは、と思っていた言葉を舌に乗せた。

「申し訳、あり、ま……」

 碧、白両軍を押し流してしまうような、こんな非情な策を実行したのは、弟の函逸に違いない。その背後に公子夷鉄とその一党の策謀があったとしても、弟が手を下した事で秋伊の命を危険に晒した事は、詫びるべきだと思った。

 そして、秋伊を守りきれなかったことも――。

「嫌だ……いやだ、しっかりせよ!函朔!」

 置いていくな、と、子供の気性そのままのような言葉を叫ぶ秋伊に微かに頬を緩めながら、函朔は意識を手放した。



 自分を守るようにのしかかっていた函朔の体が、急にずしりと重くなる。秋伊は息を呑んだ。

「函朔ッ――」

「しぃっ!あんまり騒ぐと兵士が来ますぜ」

 不意に声を掛けられて、秋伊は身を強ばらせた。起きあがろうと函朔の体を持ち上げかけた時、自分達の縋っている板の端に、どこからか投げられた縄が絡みつくのが見えた。その縄が、板きれごと秋伊と函朔を引っ張っていく。

「しっかしこいつは大物ですぜ。バレるとヤバいんじゃないですか」

「だからお前さんしか連れて来なかったんじゃないか。お前さん、函朔を死なせたいのかい?」

 耳に馴染まない声達の会話に、聞き慣れた名前がでてきてびくりとする。

「それに、なにもうちで匿おうってわけじゃない。あの人のとこへ内密に届ければあちらでうまく計らうだろうさ」

「わかっちゃいますけどね……」

 二人分の声のうち、年かさらしい低い声がため息混じりに言い、逞しい手が板を岸に引き上げる。それごとずり上げられるようにして、秋伊と函朔も陸に上がった。

「だって、函朔がこうも大事に庇ってるって事はこれ、あれでしょう、王子様でしょう?」

「わかってるよそのくらい」

 褐色の手が、そっと函朔の体を秋伊の上から退かした。ようやく拓けた視界に、軍人ではないようだが鍛えられた体躯を持つ二人の男が映る。

「函朔生きてますかい?」

「まだ助かるよ。そっちの車に乗せな。そうっとな」

 褐色の肌に白い髪をした、三十前だろう男が、四十がらみの無精髭の男に函朔を預け、指示を与える。秋伊と目が合うと、僅かに口角を上げた。

「運が良かったようだね、公子さん。流れ着いた先がちょうど俺達の通るすぐそばでなかったら、そのままのたれ死ぬか兵士に見つかって捕虜になってただろうね」

 秋伊を公子だと認識しているくせに、ざっくばらんな口調のまま言うと、男は呆然としている秋伊を担ぎ上げた。

「頼むから騒がないでくださいよ。悪いようにはしないから――俺達だって、危ない橋を渡ってるんだからね」

 そう言って、男は軽く秋伊の負傷を確かめながら鎧を取らせ、大きめの行李に押し込んだ。彼らが何者か問おうとした秋伊が口を挟み損ねるほどの手際の良さだ。

「若旦那にでもバレたらどうすんです?」

「将来への投資だって言うさぁ」

 そんな会話を交わしながら、男達は馬車を操ってその場から駆け去っていった。




 出陣時の兵力、五万。

 戦死、行方不明者三万弱。


「あれだけの策にかかったにしては、残った方でしょう」

 そんなすげない事を言いながら、檄渓は捜索に当たっている兵士の報告を聞き、指示を出す。

「それはそうだが……」

 肩の傷口に薬草を貼り、布を巻いて貰いながら、私は苦い顔をした。


 左右に展開していた騎兵隊と、白軍の右翼を押さえていた兵は大部分が濁流に流されるのを免れたので、被害は比較的少ない。問題は、中央にいた本隊だった。


「背後から一気に被ったようなものですからね。どうしようもありません」

 どうやら、この場所は数十年前までは西の川と東側の湖を結ぶ水路だったらしい。それを交通の便が悪いからと川の流れを変えて水路を埋めてしまったのだけれど、元々の流れがそうだったために、西側で川をせき止めておいて堤を切ると一気に東に向かって水が流れ込む――という場所らしい。

「調べを怠った……情けない」

 自分の失態によって多くの兵を喪ってしまった。私はうなだれて頭を抱える。

「気に病むことはありませんよ」

 勢いの衰えた流れの中から遺体や生存者を引き上げている兵士達を眺めながら、檄渓が穏やかに言った。

「たとえそれを知っていても、この策は予想出来なかったでしょう――自軍諸とも敵を屠るようなこの策はね」

 数で言えば白軍の方が大損害です、という言葉に、私は目を伏せた。


 函朔と秋伊は、まだ見つかっていない。

 生きていると思いたいけれど――


「将軍!あれを!」

 不意に、檄渓の側で作業していた兵士が声を上げて東側を指さす。そちらに目を向けると、小さな集団が見えた。その周囲に居る兵士達から波及するように、歓声が伝わってくる。

「角将軍だ!角将軍がご無事だ!」

 その言葉を聞き取った時、私は思わず立ち上がった。くらりとよろめいて、漣瑛に支えられる。

「まだ急に動かないでください!矢傷のせいで熱が出ているんですよ!」

「済まない……」

 漣瑛の叱声に謝りながらも、私はその集団から目を離さなかった。代わりのように、檄渓がそちらに走っていく。

 ややあって、檄渓は本当に角容を連れて戻ってきた。私は今度はよろけずに立ち上がり、角容の手を取る。

「よく生きていてくれた……!」

「将軍もご無事で……手傷を負われたと聞きましたが」

「大事無い」

 私と言葉を交わし、爽やかに笑う角容は、しかしやはり一度は濁流に呑まれた為にずぶ濡れだった。話を聞いてみると、先ほど見えた集団は角容の側近やあの時傍にいた者達で、彼らは水流の直撃を受けたにも関わらず奇跡的に助かったらしい。

「覇姫様に感謝しなければなりませんね」

 そう言って角容が見せてくれたのは、剣につけていたらしい大きめの佩玉だった。元は澄んだ緑色をしていたと思われるそれは、今は白く濁ってひび割れている。その傍ら、角容の手の上で、何匹かの木精霊がくたっと伸びていた。

「これは……」

「以前覇姫様に頂いたものです」

 今は私の下に貸し出されているものの、角容は元来春覇付きの武将だ。お守りとして木精霊の媒体を貰っていたらしい。

 これが、僅かながら水勢を殺いで守護してくれたお陰で、彼らは生き残ったのだ。

「将軍格が全員無事だったのは不幸中の幸いですね……さて、これからどうなさいますか?」

 檄渓が浮かべた含むような笑みに、私は思わず背筋を伸ばした。


 将軍格が無事。手元に残った兵は二万余り。

 ――退却した白軍は、こちらが動けないものと思っている。


「白軍を追う」

 しっかりと息を吸って、私は檄渓が期待していたのだろう言葉を吐いた。

「あちらは今油断しきっている筈だ。こちらは我々三人に、手負いとはいえ二万の兵…まだ十分に戦える」

 このままただで引きさがれるものか。

 私の言葉を聞いて、檄渓が目を細めた。

「二万どころではありませんよ」

「え?」

 檄渓の視線が流れた先を追うと、碧兵に手当を受けている白兵の集団が居た。

「信じられない……函将軍は俺達を見捨てたんだ!」

「公子まで敵諸ともに……」

 函逸の仕打ちを怨み、自軍に切り捨てられたことを嘆く声が満ちている。

「彼らは我々に手を貸すと言っています」

 檄渓の言葉に、私は表情を引き締めた。多少の無理は承知で立ち上がる。漣瑛が慌てて後に続いた。

「白の諸君」

 息が乱れないように気をつけながら、なるべく毅然として見えるように私は口を開く。

「函逸のしでかした事を遺憾に思う。公子夷鉄を戴く白はかくも非情だ」

 今に至るも、大半の兵士が濁流に呑まれたまま行方知れずだ。秋伊と函朔も。

「私は……碧はこの暴挙を赦さない。今ここに於いて、諸君と我々の抱える憤りは同じだ」

 吊った左肩がずきりと痛む。

「白の現政府は太子を殺め、妖魔の跋扈を引き起こし、今また自らの民を棄てた。これが赦せようか」

 太子の、沃季の、函猛の顔が、次々に脳裏に浮かんでは消えた。

「白の為に死んでいった人々の思いすら踏みにじる者達を、我々は討とうと思う。想いを同じくする勇猛な兵士達よ、我々と共に行こう」

 矢傷の熱で視界がぐらりと揺れる。何とか踏みとどまった私の前に、白兵達は膝をついた。

 これで、碧軍の二万と、助け出された白兵約一万、計三万余りの兵が確保できた事になる。

「軍備が粗方整い次第、すぐに出る。函逸に身構える暇を与えるな」

「はい」

 檄渓が頭を下げて駆けていった後、ふっと息を吐いた私は熱に足下をふらつかせた。

「将軍!」

 すぐに漣瑛が支えてくれる。その腕に縋りながら、私は荒い呼吸を繰り返した。


 あまり傷の状態が芳しくない。

 間近から射かけられたらしい矢は案外深く食い込んで骨に当たりかけていたらしい。しかも鏃に毒でも塗ってあったか、或いは直後に濁流に落ちた不衛生さ故か、悪化しているようだ。

 肩に乗った木精霊が心配そうに見上げてくるが、彼らには単独で傷を癒す力は無い。そして私にも、彼らを使役する余力は無かった。


 あの時、濁流を認識した瞬間。私はとっさにその場のすべての水精霊に加護を願った。半ば無意識の行動だった。そうしなければ、多分あの勢いで流れてきた水は更に広がり、両翼の兵も助からなかっただろう。但しそれと引き替えに、私は莫大な霊力を消費することになった。それはすなわち体力の消耗にもつながる。そのせいもあるのか、矢傷の悪化を防げないようだ。

「将軍、少し横になられた方が……」

 気遣う漣瑛に、私は首を振った。

「あれだけの演説をぶったのだ。その私が伸びていては格好がつくまい」

 気合いで背筋を伸ばし、ふらつきそうになる足元を踏ん張る。後ろにいる漣瑛の腕をさりげなく掴んで体を安定させた。

「悪いが暫く腕を借りる」

「このくらいいくらでもお貸しします。あまりご無理はなさらないでください」

 そう言った漣瑛は一歩前に出て私の斜め後ろに寄り添うように立ち、腕に私の背を寄りかからせてくれた。

「ありがとう」

 今や碧兵と肩を組み合い、助け合いながら進軍の準備を始めている白兵は、ちらちらと私を見ている。

 両軍を繋ぐ旗幟になったつもりで、私はそこに立ち続けた。




 私達はその日のうちに進軍を始め、翌日には函逸の軍を視界に捉えていた。まさか我々が追ってくるとは思わなかったのだろう、完全に油断している。

「我らが同胞達の無念、思い知らせてやれ!」

 喚声と共に襲いかかった兵士達の前に、函逸の軍は呆気なく砕け散った。

「函逸は捕らえよ」

「それは無理ですよ、将軍」

 私の出した指示に、馬を並べていた檄渓が首を振った。

「あの男は恨みを買いすぎました。我々の兵はともかく、白兵が生かしておかないでしょう」

 その言葉通り、程なく函逸を討ち取ったという報せが入った。

 呆気ない最期だった。

「済まない、函朔、函猛……」

 小さく呟いて、私は短い黙祷を捧げた。

「将軍」

 後詰めにいた角容が、私のところまで馬を走らせてきた。

「今使いが来ました。覇姫様と棟将軍が兵を合わせ、こちらに向かっているそうです」

「申し上げます!」

 角容の報告が終わるより早く、別の急使が駆け込んでくる。

「昏軍が再び白の国境を侵しました!」


 やはり、昏も来た。


 しかし、春覇と棟将軍の兵が来てくれるという事は。

「このまま白の都へ向かう」

 即座に、私は判断を下した。

「昏が来た以上、うかうかしていると白を横からさらわれかねない。先に白の喉笛に噛みついた方が白を手にすることになる」

 今なら、我々の方が先に都を攻められる。

「噛みつきさえすれば、あとは覇姫様と棟将軍の兵が止めを刺してくれよう」

 函逸の軍を蹴散らした勢いのまま、私は兵を進めて白の都、昴を急襲した。



『王暦一二八三年夏五月、碧、白を滅ぼす。昏、白の北十数城を取るも、碧軍を避けて還る』


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