表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之参 秋潦
41/115

兵難

 叙寧が昏の邑をいくつか落とし、白軍が昏軍と激闘を繰り広げた末に追い返した。

 そういう報せが、私の下に入る。

「次はどう動くだろうか……」

「外患が片づけば内憂が形を顕すでしょう」

 私の呟きに答えたのは檄渓だ。私は眉を寄せて、広げた地図を眺めた。


 将軍府の一角、作戦室として使っている小さな部屋である。


「対立が激化するか」

「少なくとも、反太子派が何かしら動きを見せるでしょうね」

 紅の滅亡によって世界全体が動き出したことを、誰もが感じ取っている。ここで国を強化しなければと皆が考える中で、白の反太子派が今の内に太子の隙を突こうと動くのは明白だった。

 変化を起こすなら、国が揺らいでいる今の内というわけだ。

「こちらも動きたいところだが……」

 碧は逆に内憂が小康を得ている。できればここで王の目を外に向けたい。


 白の内乱につけ込む為に国境付近に兵を置きたいが、それをすれば白から抗議がくるだろう。こちらから同盟に背くような真似は避けたい。信義が無いと見なされれば、それはそのまま民情の悪化となって跳ね返って来る危険がある。


「要は大義名分ですね」

「有り体に言えばな」

 何か手は無いかと地図を睨む私の手元を、ついと檄渓が覗き込んだ。片側に寄せて束ねられた白銀の髪が私の肩に落ちる。そのごく近い距離のまま、檄渓が口を開いた。

「橙に動いて貰いますか」

「何?」

 突拍子もない言葉に、私は眉を寄せた。

 橙は依然大陸の中央に領土を持ちながら、まるで忘れ去られたように他国との争いに巻き込まれていない。それは橙が小国であるが故に、いつでも潰せると考えられて返って放置されているというのもあるだろうが、より切実には妖魔が出るからだ。加護を持たず妖魔がのさばる地を自国の領土に加えたりしたら何が起こるかわからない、と他国が慎重になった結果、橙は今の所安寧を保っている。


 それを動かすと、檄渓は言う。


「どういうことだ」

「正確には、橙の妖魔を動かすんです」

 す、と檄渓の指が示したのは、白、碧、橙の国境が接する地点。

「この付近の碧領内に妖魔が出たとなれば、大宗伯である将軍が対策に向かうのはごく自然でしょう。妖魔への対抗手段として兵を二、三万引き連れて行っても何らおかしくはありません」

 檄渓の言っていることはわかる。確かにそれならばこちらの大義を立てながら白の国境近くまで軍を進める事ができる。

 しかし。

「そう都合良く妖魔がこちらへ来るか」

「勿論、来て貰うわけです」

 檄渓は目を細めた。

「貴方ならできるでしょう……この付近の加護を弱めて貰えばいい」

 私ははっとして、次いで苦い顔をした。


 確かに朱雀に頼めば不可能ではない。でもそれは、その土地の人々を危険に晒す。

 第一、それは詐術だ。


「人の居ない地を選べば被害も出ずに済むでしょう。……将軍」

 難しい顔を崩さない私に、檄渓は笑みを見せた。

 どこか酷薄な、有無を言わせない笑みだ。

「あれだけの大国を一気呵成に滅ぼそうというのです。詐術の一つや二つ、使わなければ成し遂げられはしませんよ」

「それは、そうだが……」

 どうにもすっきりしない。この策には朱雀を使わなければならない。

 人の謀に朱雀を使うのは、気が進まなかった。

「……もう少し、考えさせてくれ」

 結局、私はその策を保留した。



 白の都、昴の王城、正殿よりも奥まった場所に、白虎を祭る神殿はある。


 その神殿で、白の太子皓武は祈りを捧げていた。


 白の国が安寧を得られますように。

 民が健やかに暮らせますように。


 この不安定な時だからこそ、祈らずにいられなかった。

 太子にはわかっていた。恐らく白には後継争いが起こるだろうし、そうなれば自分は公子夷鉄の勢力には勝てまい。

 できるのはただ、祈ることだ。この国の未来の為に。


 静謐な祈りの場を、荒々しい足音と、扉を破る音が乱した。

「廃太子皓武!王命により、お命頂戴仕る!」

「……思ったより早かったな」

 白刃を提げた兵士達を一瞥して、太子は祭壇を仰いだ。

「せめて、ここを出るまで待って貰えないか。ここは神の居ます場所だ」

 太子の静かな要望に、兵士を率いてきた男は剣を抜くことで答えた。

「その願いは聞けぬ。今すぐ討ち取れとの仰せだ――かかれ!」


 動乱の幕が、切って落とされた。




 宗伯府の執務室で一人執務をこなしていた私は、不意に何かを聞いた気がして顔を上げた。

「今――」

 呟くより早く、今度は鮮明に聞こえる、獣の咆哮。

 はっと立ち上がりかけた私の傍らを何かが風のように横切った。壁も棚も存在しないかのように空間を横切ったそれは、私の前に降り立つと金色の瞳をこちらへ向けた。


 虎だ。

 真っ白な毛皮に、艶やかな縞を持つ、大きな虎。


「これは……」

 呆然とする私を前に、虎は口を開いた。

 ――白は滅ぶ。

 私ははっと虎の目を見た。その静かな目に見覚えがある。姿から大方予想はついていたものの、その瞳は私に確信を与えた。

「白虎……」

 ――愚かな人間もいたものよ。

 白虎は私をじっと見据えると、ぶるりと身を震わせた。燐光がその体を包み、凝縮していく。

 光が散った後に、見覚えのある少年の姿が残った。その姿を目にして、私は息を呑んだ。


 白虎の纏う白い上着の右袖が、べったりと赤く汚れている。


「白虎、それ……」

(おれ)の血ではない」

 無表情だが、どこか不機嫌そうに言って、白虎は袖を振るった。

「愚か者が、我が神殿を血で汚しおった」

「血……」

 その意味するところを推測した私は、事態が動き出したことを悟った。白虎が、袖を汚す血を見ながら淡々と語る。

「神殿を人の血で汚した国は加護を失う。例外は無い」

 はっとする私に、白虎はまっすぐに言った。


「白は滅ぶ。(ぬし)が滅ぼせ」


 ずしり、と両肩に何かを乗せられた気がした。


「な……ん」

「加護を失った地に加護を取り戻すには、加護を失わしめた者を排除し、天地に愛される者が改めて神を招くしかない」

 白虎の言葉に、なぜか頭の隅が痛む。恐ろしく重要な事を言われている感覚。しかしその内容を考える前に、私の思考は驚愕に塗り変えられた。

 不意に白虎が足元をふらつかせたのだ。

「白虎!?」

 私は慌てて駆け寄って、倒れそうになった体を支えた。無表情の白虎は、よくよく見れば額に汗を浮かべ、苦しげに呼吸している。

「……血は嫌いだ」

 やや掠れた声が、呟くように言う。

「特に、祈りを捧げた者の血は……」

 意識が遠のきかけているのか、金色の瞳がぶれた。何とかしなければ、と呼び声をあげようとした瞬間に、求めていた二つの気配が間近に現れる。

「青龍、朱雀」

 傍らに人型で姿を見せた二人は、私の腕に凭れている白虎を見て眉を寄せた。

「白虎……」

「何だ、この弱々しさは」

 青龍が腕を伸ばして私から白虎を受け取る。朱雀はまだ軋轢が意識から消えないのか、一歩下がった所から見ていた。朦朧とした様子の白虎の額に手を当て、血に染まった袖を見た青龍は、状況を理解したように一つ頷く。

「心配無い。祈りを捧げた者の血の穢れに当てられただけだ。暫く俺の山で療養させれば癒える」

「そうか……」

 私はほっと息を吐いた。

「安心しておる間は無いぞ、鴻宵」

 気を抜いたところに、朱雀の言葉が突き刺さる。

「白虎が加護を捨てたという事は、つまり白の地も橙と同じくなるという事だ」

「それは……」

 加護を失った地の成れの果て。

 妖魔が蔓延り、人々を脅かす。

「何とかならないのか」

「何とかできるのはお前だ」

 白虎を抱え上げながら放たれた青龍の言葉に、私は目を瞬いた。説明を求める視線を受けて、青龍は続ける。

「現状、俺達はそれぞれの国で祭られている。故に、俺達の加護は国境で区切られる」

 だから国を滅ぼした後にはその国の守護神を自国で祭り直さなければならない、と言った青龍の視線が、一瞬朱雀に流れる。

「つまり、白に加護を取り戻すには……白を滅ぼし、自国に加えるしかない」

 今白の領土になっている所を碧の領土にしてしまえば、青龍や朱雀の加護が届く。最終的には、碧で白虎を祭り直すことで西側の加護は取り戻されるわけだ。

「民を徒に死なせたくなければ、可及的速やかに白を滅ぼせ」

 厳しい内容を静かに言って、青龍は踵を返した。

「俺は暫く白虎の面倒を見る。後を頼むぞ、朱雀」

「言われずとも」

 朱雀が力強く頷き、青龍が姿を消す。私は暫時事の重さを噛みしめて、地図を取り出した。

「同盟があるから、いきなり白に攻め込むわけにはいかない。まずは国境に兵を置きたいんだけど、そこにも大義名分が必要なんだ」

 そう前置きした私は、檄渓の策を掻い摘んで朱雀に話した。朱雀が頷き、ついで地図を眺める。

「無論たやすい事だ。しかしわざわざ国内を荒らす事もあるまい」

 朱雀が指さしたのは、国境ぎりぎりの白の領内。かつて紅領だった場所だ。

「白に出始めるであろう妖魔をこの辺りにおびき寄せる。国内ではないが危機感を煽るには十分であろう」

 確かに、その近さで妖魔が出たとなれば、国境守備兵の配置という名分は通る。私は朱雀と目を合わせた。

「……頼めるか」

「元は我の預かっておった地だ。わけはない」

 しっかりと頷いてくれた朱雀に感謝しながらも、私はやや憂鬱なまま地図を見下ろした。

「こういう詐術はあまり使いたくなかったんだけどな……」

「仕方あるまい。今は、白の地の為と思って耐えよ」

 朱雀が手を伸ばして、私の頭を撫でてくれる。私は苦笑混じりに頷いた。


 綺麗事で片づくほど甘い問題ではない。


 一度目を閉じて切り替えた私は、すぐに兵力と白領内で通るべき道筋を考え始めた。




 一方、白では。

「申し上げます!」

 彌信の屋敷に、殆ど転がり込むようにして家臣が急報を届けた。

「つい先ほど、神殿にて太子が……太子が、お亡くなりに……!」

 退朝してきたばかりだった彌信も、ちょうどその場に居た函朔も、一瞬凍り付いた。

「な……に……?」

「既に公子夷鉄の兵が太子派の大夫達に向けられております。お逃げください……!」

 先に我に返ったのは、函朔だった。周囲のざわめきに耳を澄まし、表情に険しさを加える。

「多分本当だ。精霊が騒いでる……彌信」

 未だ驚愕から醒めない彌信の肩を掴んで、しっかりしろとばかりに揺すった。

「兵が出たという事は、王が向こうに付いた可能性が高い。王の兵に抵抗するわけにはいかないだろう。一度逃げるぞ!」

「……函朔」

 ようやく少し平静さを取り戻したらしい彌信は、しかしゆっくりと首を振った。

「王が公子に付き……太子が亡くなったというのなら、逃げたところで何になる?第一どこへ逃げるというんだ?行く場所など無い」

「彌信!」

 悲観する彌信を、函朔が咎めるように呼ぶ。

「降ったところで公子夷鉄がお前を助命するとは思えない。犬死にする気か!」

「太子に殉ずるなら犬死にではない」

「馬鹿を言うな!」

 怒鳴る函朔に構わず、彌信は臣下に命じた。

「庫を封じ、屋敷内を掃き清めよ。兵が来ても手向かいするな」

「彌信!」

「函朔」

 憤りを隠さない函朔の目を、彌信の静かな瞳がまっすぐに見据える。

「太子の与党だった大夫達は、皆こうするに違いない。我々は無抵抗の死を以て、公子夷鉄の非を明らかにする」

 それが太子の与党として名の知れた自分達の役目だ、と彌信は言う。

 函朔は首を振った。理解できないわけではない。むしろ彌信達の気持ちは函朔にも痛いほどにわかる。

 今回の事は明らかに、神殿に祈りを捧げていた太子を暗殺した公子夷鉄に非がある。しかしながら、公子夷鉄側に王が付いたとなれば、公子夷鉄の差し向けてくる兵に刃向かう事は、王への反逆という汚名を着る事に……ひいては、太子にもその汚名を着せる事に繋がる。

 だからこそ、手向かわずに従容として殺される事が、他でもない最大の批判となり抵抗になるのだ。


 わかってはいる。それでも。


「死んでしまったら、何にもならないじゃないか……!」

 函朔は絞り出すように言った。


 太子を暗殺した公子夷鉄や、見殺しにした王を批判する。しかしその後はどうなる?皆が死んでしまってはどうにもならない。公子夷鉄が好きに振る舞う未来が待つのみである。やはり犬死にではないか。


 そう主張する函朔に、彌信はやんわりと笑んだ。

「その通り。だからお前は逃げろ」

 函朔が目を見開く。その肩を、彌信は強めに押した。

「お前は生き残れ。そして……秋公子をお守りしろ」

 それは、亡き函猛の遺言でもあった。

「公子夷鉄には道が無い。遠からず自滅する。その時、代わりに秋公子を立てられるように」

 兵が近づいている、と家臣が告げる。

「我らの無念、お前と公子に託す」

 白を頼むぞ、と言って。

 彌信は家臣に命じて函朔を屋敷から出させた。

「彌信――」

 裏手から外に出された函朔は、唇を噛みながらも、託された未来をむげにする事はできなくなった。静かに死を待つ屋敷に向かって、万感の思いを込めて拝礼する。

 そして、どこへともなく行方をくらましていった。




 白虎の来訪に遅れること七日。

 私のもとに、慎誠に派遣された哀が飛び込んできた。

「ついに白で乱が起こったわ。公子夷鉄の手の者が太子を……」

「ああ――知ってる」

 静かにそう言った私に、哀は目を見開いた。

「何で!?どこの使者よりあたしが速かったはずよ!」

 詰め寄ってくる哀に、私は広げた書類から目を離さないまま答える。

「白虎が来た。多分、直後に」

「はぁ!?」

 いくら哀の足が速くても、神殿から直接飛んできた白虎より早いという事はない。

 ただ、情報は詳しいはずだ。

「それで、現状は?」

 飽くまで冷静に促す私に、哀も何とか驚愕を収めて報告を始めた。

「公子夷鉄の兵が太子派の大夫達を討ったわ。洋耶、軒氾、楠桔、庚炉、均査……それに、彌信」

 太子派の大夫達の名前を挙げた哀が、辛そうに俯く。

「全員、手向かいせずに死んでいったそうよ」

 私は書類を整理していた手を止めた。重かった気分が、更に沈むのを感じる。

 とっさに喉から出かかった問いを、敢えて飲み込んだ。


 訊くのが、怖かった。


「……函家は?」

 飲み込んだ問いとは、似て非なる問いを口に出す。函猛亡き後、函家は次男の函逸が継いだと聞く。函猛は太子派の有力者だった筈なのに、討たれた中に函家の名が無い。

「それが……」

 哀の尻尾が、どこか悔しげに揺れる。

「函逸は、前々から公子夷鉄に通じてたらしいわ。函家は、公子側に回ってる」

「そうか……」

 函逸は、父や兄の思いを引き継ぐ人物ではなかったらしい。病床にあった函猛の面影を思い出して、つきりと胸が痛んだ。

「あの……あのね、鴻宵」

 哀が私の手元に近づき、見上げてくる。その言いにくげな様子に、胸が騒いだ。


 もしも、悪い知らせだったら……


「函朔のこと」

 ついに哀の口から出た名前に、私の肩がびくりと跳ねる。それを宥めるように、哀の尻尾が私の手の甲を撫でた。

「彌信邸からは、逃がされたみたい。でも、行方がわからないの……」

 耳を垂れさせる哀を、私は抱き上げた。潰さない程度にぐっと抱き締めて、詰めていた息を吐き出す。


 安堵の、息だった。


「鴻宵……?」

 函朔が行方不明だというのに安堵した様子の私を怪訝に思ったのか、哀が顔をのぞき込んでくる。

 私はそれに微笑を返した。

「よかった」

「え?」

「逃げたなら……生きようとしてるなら函朔は大丈夫。そんなに柔じゃない」

 あの庵氏兵団の中でも指折りの実力者だ。頭も悪くない。それに、多分公子夷鉄の警戒対象からは漏れているだろうから、当面命の心配はあるまい。

「どこの使者より早く来たと言ったな、哀」

 呆気に取られている哀をよそに、私は話題を切り替えた。脳裏には既に地図が浮かんでいる。

「他の各家の使者は今どの辺りだ」

「……早いところがそろそろ国境にさしかかるところだと思うけど」

 何でそんなことを訊くのかと不思議そうにしながら哀が答える。それを聴いた私は哀を机に下ろして立ち上がった。

「なら間に合うな…その使者達に見せておくか」

 そのまま彼らから報告が届けば、こちらとしては次の使者の往来を待たずに済む。

「哀」

 部屋を後にしようと背を向けたまま、私は声をかけた。

「白は滅ぶ……私が滅ぼす」

 目を見開いているだろう哀に、宣言した。

「慎誠に引き上げるよう言ってくれ。白にはもう加護が無い」


 滅びるべくして滅ぶ。

 昏に取られないうちに。今のうちに、この手中に収めてしまわなければ。


 私は神殿に向かった。

 朱雀が、そこで待機している筈だ。



 同じ頃。

 昏の都、虚において、璃黒零もまた白動乱の報せに接していた。蕃旋の一族が、誰より早く情報をもたらしてくれる。

「白が乱れるか……この機を我が国も碧も逃すまい」

「だな。でも碧は白と同盟関係にある。それが兵を動かせばつけ込む隙になるだろ」

 地図を広げる黒零の肩に止まりながら、蕃旋が言う。

 ただの建前に見えても、そういった信義というものは案外重要になることがある。信義を失うということは民の信用をなくすことでもある為、士気にも大きく関わってくるのだ。

 この場合、よほど巧みに大義名分を建てない限り、碧は白に手を出せない。

「循貴に言って兵を出そう。またとない機会だ」

 そう言った黒零の手元にある地図は、大きく塗り変えられている。紅の領土の過半を併呑した碧は、五国最大の昏に迫る国力を付けつつある。これ以上大きくなれば間違いなく脅威になる。

「しかしすぐに兵を出せるか?確か軍師が変わっただろ」

 蕃旋がばさりと羽を振るった。昏では、峰晋、すなわち玄武の一件以来、軍師の地位が空位になっていたのだが、紅が滅び碧や白の領土が増えたことに危機感を覚え、数年前から北の辺境に反乱鎮圧のために送られていた将を呼び戻し、軍師に据えた。その将がどういう人物なのか、黒零も蕃旋もよくは知らない。

「否とは言うまい。誰の目から見ても好機には違いないのだからな」

 黒零はあっさりとそう言った。

「白は昏が貰う……それが終われば、昏と碧、二大国の争う図式ができるだろうな」

 世界は動いている。纏まりに向けて、急速に。

「とはいえ白の余力を舐めない方がいいぜ。なんせ函猛が死んでもその麾下で鍛えられた将兵が残ってる」

「わかっている」

 蕃旋の指摘に頷いて、黒零は地図を眺めた。

「それに」

 一瞬躊躇うような気配を見せて、蕃旋が続ける。

「碧もどうでるかわからない……昏が白を奪うのを指をくわえて見てるとは思えねえし」

「しかし同盟という制約がある。出遅れるのは間違いあるまい」

 その隙に迅速に兵を進める、と言って道程を考え始める黒零に、蕃旋は渋い顔をした。

「どうかな……こっちの想定を越えてくるかも知れねぇ。なんせ碧には鴻宵が居る」

 ぴくり、と黒零の肩が動く。

「鴻宵、か……」

 呟いた声は低い。ぐっと眉を寄せて、黒零は地図を睨みつけた。

「とにかく、循貴を呼べ。我らは我らで動く」

 その手首には、まだ翠玉の腕輪が淡い光を湛えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ