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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之参 秋潦
37/115

白の太子

 あの後。

 複雑な表情を見せる函朔と別れて、私達は客舎へ戻った。

 函朔は特に何も言わなかった。何か考え込んでいるみたいに見えたけれど。


「将軍」

 扉の外から、控えていた漣瑛の声が聞こえた。

「皓太子から、使いがお見えです」

「太子から?」

 太子皓武(こうぶ)。今まさに権力闘争の当事者になろうとしている白の太子が、私にわざわざ使いを寄越すとは……何の用だろう。

「……会おう。近くに客間があったな。そっちへお通ししてくれ」

「はい」

 漣瑛に案内を指示して、軽く身支度を整えてから使者に会いに行く。白の太子に直接会ったことはないが、今朝王に謁見した際にその場に居たのをちらりと見かけた。穏やかそうな風貌の青年だったと記憶している。


 公式にではなくひっそりとやってきた事を考慮して、副使には知らせずに個人的に引見した。どうやら太子の側近がじきじきに来たようだ。身分を感じさせる穏やかな初老の男が告げた用件は、太子が内々に会いたがっているという事だった。


 私は少し考えたが、結局承諾した。

 白の太子が実際のところどういう人間なのか興味があったし、わざわざ私に使いを寄越したというのも気になる。


 そういうわけで、私は明日盟約を終えてから個人的に太子を訪ねる事を約束して、使者を帰した。



 そして翌日。

「白、碧両国はこれより後、互いに護り合い協力してゆく事をここに誓わん」

 両国首脳の内心はともあれ、盟約は無事に結ばれた。役目を果たした私達は、夜に盟約の締結を祝う宴に参加し、明日帰国の途に就くことになる。

 逆に言えば、夜までの時間は特に拘束されてはいない。その時間を利用して、私は目立たないように太子を訪ねた。


「お待ち申し上げておりました」

 東宮の入り口で出迎えたのは、昨日使いに来た男だった。その男によって奥へ案内される。既に人払いが為されているらしく、誰にも会わなかった。

「お連れいたしました」

 奥まった部屋の前で立ち止まり、男が声を掛ける。

「これへ」

 想像していたよりは快活な声が答えて、扉が開かれた。

「お待ちしておりましたよ、鴻将軍」

「お目通りがかない、光栄に存じます」

 白の太子は、穏やかだが蒼凌のような沈毅な雰囲気を纏っているわけではなく、明朗な穏和さを感じさせる人だった。やや色素の薄い髪が当人の動きに合わせて揺れる。その太子の側には、四十前後だろう男が控えていた。

「いや、突然呼びつけるような真似をして申し訳ない。将軍と内々にお話ししたい事があるので」

 すい、と太子の視線が私の背後へ向く。私はああ、と一つ頷いた。私の後ろには、例によって漣瑛と慎誠が控えている。

「この二人なら信の置ける者です」

「そう……か。しかし……」

 どうやらかなり内密にしたい話らしい。私は少し逡巡したが、太子側に害意が無さそうなのを見極めて二人に声をかけた。

「漣瑛、慎誠。悪いが二人とも少し外してくれ」

 私の指示に軽く一礼して、二人が出ていく。太子が眉を下げた。

「済まないね」

「いえ。それで、お話とは」

 私が促すと、太子は頷いて後ろにいた男を指し示した。

「この者は彌信と言って、私に与力してくれる大夫だ」

 紹介された男が頭を下げる。礼を返しながら、私は記憶を探った。

 彌信という名には聞き覚えがある。そうだ、確か畢の盗賊騒ぎの時に襲われかけた太子派の重臣だったはずだ。

「実は、彌信は函家の長男と懇意にしていてね。将軍の事も、彼から色々と聞いているそうだ」

「……は?」


 函朔と懇意に……?

 いや、っていうか色々って何だ、何を聞いた。


 内心焦る私の前で、彌信は再び頭を下げた。

「畢の盗賊事件の折、貴方の協力が無ければ犯人を止める事はできなかったと聞き及んでおります。幾重にも御礼申し上げます」

「あ、いや……」

 彌信がどこまで知っているのか測れない私としては、煮えきらない答えを返すしかない。そんな様子を見て、太子が彌信の肩を叩いた。

「まあ本題に入らせて頂こうじゃないか」

 そう言って彌信と私の対話を打ち切らせた太子は、私をまっすぐに見てふわりと笑った。

「貴方をお呼び立てしたのは、貴方にしかできないであろう事をお願いしたいからだ」

 太子が彌信に目配せすると、彌信は懐から一通の書簡を取り出した。それにくっついていた金精霊が、わぁんと声を上げて私に泣きついてくる。

「この彌信は謡弦殿とも親しくしているのだが、この度大変な報せが届いてね」

 謡弦、という名の示す人物を、私は一瞬浮かべ損ねた。泣きついてきた金精霊の尋常でない嘆き方を見て、ようやく思い出す。


 白の刃仙。五国方士の一人だ。


 彌信から書簡を受け取った太子は、愁顔を伏せた。

「謡弦殿が、病に伏せっておられるらしい」


 がん、と頭を殴られたような衝撃が走った。

 病?刃仙が?


「何分お歳なので心配なのだが……」

 ちらりと彌信に目をやった太子は、再び私に視線を向けてきた。

「もしもの時の為に、貴方とご相談したくてお呼びした」

「私と……?」

 驚愕から立ち直る間もなく言われた事に私が首を傾げると、太子は深刻な顔を見せた。

「今謡弦殿を失えば……白虎は我が国から離れてしまうかも知れない」

 太子の懸念とはこういうものだった。


 現在、白の神殿でももちろん定められた祭祀は行われているけれど、実際に白虎と繋がっているのは刃仙ただ一人だ。紅の滅亡を鑑みるに、守護神と正しく接する人間がいなくなれば、加護が失われてしまうのではないか。

 そして加護が失われれば、国は滅ぶしかあるまい。


「それは心配しなくてもいいでしょう」

 私はあっさりと言った。

「白虎は大陸西部のこの地の守護神です。よほど何か怒らせるような事でもない限り、加護を放棄するとは思えません」

「そうだろうか……」

 ふむ、と考え込んだ太子は、少し感心したような目で私を見た。

「流石は朱雀を喚びだしたほどの宗伯。守護神へのご理解が深いようだ」

「いえ、そのような事は」

 私は恐縮して頭を垂れた。太子が軽く笑う。

「しかし、誰かが白虎を怒らせないとも限らないのがつらいところだ……鴻将軍」

 ふ、と太子が声の調子を落とした。

「加護を失えば民が苦しむ……それだけはないように、気を配っていただけないだろうか」

 そんな事をなぜ他国の者に頼むのか、と思う以前に、そこに込められた諦めを見た気がして、私ははっと顔を上げた。


 その諦めは、白に乱が起こるのは避けられず……もっと言えば、太子自身も安全ではいられない事を想定している。更に踏み込めば、白が加護を失った時、橙のように民が妖魔に苦しむ前に、白を滅ぼし庇護下に置いて欲しいと言っているようにも聞こえた。

「太子、それは……」

「貴方もわかっておられよう、この国の危うさは」

 声を潜めてそう言った太子は、苦笑した。

「残念ながら、私は蒼太子のような強さを持たない……だからせめて、貴方に託したい」


 それは、自分が敗れた時を想定した太子のささやかな抵抗だった。

 王位継承権を奪い取る者達に、民は渡さない。そうするくらいなら、唯一気を許した者が太子の地位にいる国に、自分の亡き後の国を託してしまおう。どのみち、内乱で乱れた国を他国が放っておく筈もないのだから。


「蒼太子によろしく。あの方は、私が唯一友と呼べる人だったよ」

 にこっと笑った太子は、既に覚悟を決めたような爽やかさを見せていて。

 私は何も言えずに、ただ拝礼した。


「さて、難しい話はこれくらいにして」

 空気を切り替えるように太子が言い、彌信に目配せする。心得た様子の彌信が出ていって暫くすると、慎誠と漣瑛が入ってきた。

「君達も座ってくれたまえ。せっかくだから、お茶でも馳走しよう」

 朗らかにそう言った太子が手を叩くと、私達が入って来たのとは反対側にある扉が静かに開いて、一人の女性が姿を現した。

 歳の頃は私より少し上くらいだろう。色素の薄い髪と白い肌が印象的な美人だ。

 彼女は茶器を載せた盆を持って太子の傍らに立つと、優雅な仕草で頭を下げた。

「沃季と申します」

 私は内心であっと声を上げた。

 この人が、沃縁の妹。

 沃季は盆を傍らの台に置くと、茶を煎れ始めた。動作の一つ一つが美しい。

「沃季は私の最も愛している妾でね……できれば、安全な所へ移してやりたいと思っているのだが」

「とんでもない事ですわ」

 私、太子、慎誠達の順にお茶を差し出しながら、沃季は首を振った。

「私は何があろうとも、最後までお側におります」

「……この通り強情でね」

 苦笑気味に、太子が肩を竦める。

 賢そうな人だから、沃季もきっと今の太子の危うい立場を理解しているんだろう。その上で、決して離れないと決断したんだ。


 どうして。

 どうしてこの国で会う人々は皆こんなに悲しいんだろう。


 自分の無力を突きつけられたようで、私はそっと出されたお茶を口に含んだ。




 西霊山の中腹。

 決して大きくない小屋の寝台に、一人の老人が横たわっている。顔色は紙のように白く呼吸も細いが、浮かべる表情は不思議と穏やかだった。その老人が、ふと思い出したように、側にうずくまっていた白い虎の背を軽く叩く。虎がのそりと顔を上げた。

 ――……逝くのか。

 虎から、人の言葉が発せられる。口から出たというよりは直に響いてくる淡々とした声に、老人は頷いた。

「わしの役目は終わったからのぅ……あとはあやつらの手に任せるがよかろう」

 それを聞いた虎が、鼻先に皺を寄せる。

 ――己は主の後の者を好まぬ。あれは手を汚しすぎている。

「まぁそう言うな。この時世に生きる者は皆必死じゃ」

 宥めるように言って、老人はふっと笑った。

「いよいよじゃのう……」

 小さな呟きは、冬の乾いた風の中に溶けていった。





 白での役目を終えた私達が帰国する頃、碧では雪が降った。

 もう十二月も半ばだ。もうじき、今年が終わる。

「……は?」

 どことなく浮き足だった雰囲気の都に首を傾げていた私は、尉匡から知らされたその理由に頭を真っ白にされた。


 だって、何で……


「……何で、そんな急に?」

「それは私にも……どうやら絽氏が絡んでいるようですが」


 碧の都がざわめいている理由。

 それは、年が明けてすぐに予定されている婚礼のためだった。


 婚礼。


 太子が……蒼凌が、結婚する。





 頭が真っ白になってしまった私は、自室に籠もって窓から雪を眺めた。何でこんなにも驚いているのか、自分でもわからない。

 蒼凌ももう二十三だ。太子という立場から考えると、この結婚は寧ろ遅いくらいだ。何も驚く事はない。


 その、筈なのに。


「蒼凌が結婚、か……」

 一緒に旅をした頃の事を思い出す。

 あの破天荒な男の隣に女性が寄り添うところが、うまく想像できない。

 何だか蒼凌がひどく遠いところへ行ってしまうような気がして、私は額を押さえた。

 何を考えているんだろう。

「とりあえず、祝いの使者を出さなきゃだよね……」

 呟いた息が白く滞って、名残惜しげに霧散していった。


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