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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之参 秋潦
33/115

襲撃

 朝会は大した内容も無く、私は宗伯府で執務と勉強に勤しんでいた。朱雀も祀る事になったので、こなさなければならない執務は多い。

 開け放した窓から入る空気は冷たいが、寒い程ではない。寧ろ心地よく眠気を覚ましてくれる。

「申し上げます。大宗伯にお目にかかりたいという者がいるのですが……」

 漣瑛の取り次ぎに、私は書物から顔を上げた。

「誰だ」

「それが、将軍の知り合いだと言っておりますが、名乗らないのです。会えばわかるの一点張りで……」

 普段、怪しい客や素性の知れない者、用件の不適当な者は漣瑛が追い返す。今回そうしなかったのは、私の知り合いだと主張している事を考慮してだろう。

 私は首を傾げた。名乗りもしないとなると、明らかに怪しい。そんな風に訪ねてくる知り合いがいるだろうか。

「用件は?」

「火急にお伝えしたい事がある、と。将軍に直接でなければ言わないと申しております」

 益々怪しいといえば怪しい。危険かも知れない。

 しかし。

「……会ってみよう」

「よろしいので?」

「会わないと目的もわからないからな」

 素性のわからない来客の武器は漣瑛が取り上げるだろうが、念の為に腰に提げた剣を確かめる。相変わらず二本提げている剣は、一本を尉匡に貰った紐で封じ、もう一本はすぐに抜けるようにしてある。


 外で漣瑛が何か言う気配がして、扉が開く。

 入って来たのは、若い男だった。身なりは碧の比較的裕福な庶民のもので、当然武器は持っていない。短髪というには少し長い髪を纏めずにさばいて俯いているので、顔はよく見えない。

「それで、用件は……」

 私の背にした窓の外で、烏が鳴いた。


 反射的に身をかわしたのは、場数を踏んだが故の勘だろうか。


 危うく避けた私のすぐ脇を、窓から飛び込んできた数羽の烏が突っ切っていく。烏達は男の真上で、足に提げていた物を離した。間髪入れずに、男が左腕を挙げてそれを受け取る。


 細長いそれは、鞘に収まった刀だった。


「蕃旋――」

 烏に、刀。

 それが誰なのかに気づいた私が名を呼ぶと同時、刀が閃いた。とっさに身を引いた私の袂が切れる。

「将軍!?」

 異変に気づいた漣瑛が扉を開く。

「来るな、漣瑛!」

 考えるより先に、私は叫んでいた。追うように閃いた刃を、剣を抜いて止める。

 蕃旋の相手は、漣瑛では無理だ。圧倒的な速さを誇る居合いの白刃は、武器の扱いが得手でない漣瑛にとって相性が悪すぎる。

 既に鞘に収めた刀の柄に手をかけて呼吸を計る蕃旋に向き合って、私は剣を構え直した。

「久しぶりの再会なのに、随分な挨拶だな」

「殺しに来いって言ったのはお前だ」

 蕃旋が踏み込む。下がって避ける程の空間は無いので、剣で止めた。

 続いて第二撃。これも何とか受ける。

 蕃旋が再び間合いを取った時、蕃旋の背後から斬りかかる漣瑛が見えた。

「馬鹿――」

 蕃旋が振り向きざまに刀を抜く。漣瑛には反応できない。迷う暇も無く、私は思いきり床を蹴って漣瑛に体当たりをかけた。

 折り重なって倒れた私達のすぐ上を刃が通過し、漣瑛の鼻先を紙一重で掠めた。私の髪を纏めていた布が斬られ、髪がこぼれ落ちる。

「来るなと言ったろう!」

 叱りつけながら、私は振り向きざまに蕃旋の第二撃を止めた。


 きし、と剣が軋む。

 そういえば、こっちは以前蕃旋の刀を受けて鞘諸共に傷つけられた方だ。まずい。


「はっ!」

 こちらがうずくまった体勢なのを良いことに、足払いをかける。蕃旋はそれを避けて後退した。刀を鞘に収める。その僅かな間に私は立ち上がり、漣瑛を扉の方へ押しやった。

「あれはお前には無理だ。出ろ」

 剣を構えたまま、背中越しに厳しく言い放つ。実際さっき私が飛びつかなければ、漣瑛の胴は両断されていただろう。そのくらいは理解している漣瑛は、素直に引いた。漣瑛は私の盾になれと言われれば進んでなりそうだが、今の状況では足手まといにしかならないのがわかっている。無駄に命を捨てようとしないのが、我が家の鉄則だ。

「部下思いだな」

「うちは人手が貴重だからな」

 軽口を叩きながらも、油断はしない。

「お前、何故今来た?朱雀はもう――」

「朱雀の国を滅ぼしといて何を言う!」

 吼えると同時、刀が鞘走った。その鋭い太刀筋を、私は剣で遮る。


 ぎしり、と掌に嫌な感触が伝わる。

 金属の、砕ける音がした。


 私の剣をまっ二つに叩ききった太刀筋は私の身に届かなかったが、そのまま返す刃が私の肩口に迫る。私は折れた剣を捨て、もう一本の剣に手をかけた。


 駄目だ、間に合わない。


 思わず目を閉じかけた私の前で、火花が散った。


「あ……」

「ご無事ですか、将軍」

 目の前の背中が、緊迫した状況に似合わない軽い口調で私の安否を問う。目を上げると、白銀の髪が見えた。

「檄、渓……」

「やれやれ、妙な気配がすると思って来てみれば」

 檄渓の言葉と共に高い金属音が響き、蕃旋が下がる。檄渓は軽く剣を振った。

「変わった武術を使う相手ですね」

 す、と片手で剣を構えた檄渓は、もう一方の手で私の肩を押した。

「ここは私が引き受けます」

「しかし――」

 これは私が播いた種だ。檄渓に押しつけるわけにはいかない。それに、蕃旋の武術は一流である事は間違いない。檄渓は優秀な将軍だが、危険だ。

「大丈夫ですよ」

 私の心情を汲み取ったかのように、檄渓の背中が語る。

「鴉ごときに、負けはしません」

 さぁ、と檄渓の手が私を促す。

「逃がすか!」


 蕃旋が吼え、床を蹴ろうとした、その時。


 炎精霊が、異様にざわめいた。


「――やめぬか、赤鴉」

 蕃旋の腕を、少年の左手が押さえた。蕃旋が目を見開く。

「朱、雀……?」

「他に誰に見える」

 相変わらず不機嫌そうに言って、朱雀は蕃旋の腕を離した。次の瞬間、強かにその頭を叩く。

「いっ――」

「我の為というなら我の意向をちゃんと把握せよ、馬鹿者」

 蕃旋を叱りつける朱雀を見ながら、私と檄渓、それに扉のところにいる漣瑛は、揃ってぽかんとしていた。

「……これは解決した、って事でいいんでしょうか」

「いいんじゃないか?」

 檄渓の呟きに、私も呟くように返す。檄渓は軽く息を吐いて、剣を鞘に収めた。

 あちらでは、朱雀が蕃旋に近況を説明している。

「だからもうよいのだ。鴻宵を付け狙うのはやめよ」

「……朱雀がそう言うなら……」

 朱雀に叱られてしょげた蕃旋は、力無くうなだれた。


 蕃旋が納得したのを見て、朱雀はこちらに目を向けた。何かに一瞬目を細めたが、何も言わずに私と目を合わせる。

「鴻宵」

「あ、うん……どうした?」

 どうやら元々蕃旋を止めに来た、というわけではないようだ。

 朱雀は何故かふい、と目を逸らしてから、ぼそりと言った。


「……会いに来た」


 ……今、一瞬不覚にも可愛いと思ってしまった。

 何て言うか、懐かない猫がさりげなくすり寄って来た時みたいな。


「ああ、うん……調子はどうだ?」

 気を取り直して、体調を問う。すると、何を思ったか朱雀は私の目の前まで歩み寄って来て、包帯を巻いた右腕を突き出した。目を瞬く私の前で、包帯を解いていく。


 あれ、そういえばこの間まで、朱雀の右腕って全く動かせなくてぶらさげてるだけみたいな有様じゃなかったっけ?


 首を傾げながら見ていると、包帯を解き終わった朱雀は、露わになった右腕を差し出した。

「治った」

 ぼそりと言うその声は、どこか嬉しそうだ。その右腕を見た私は、目を見開いた。

 五百年経ってなおあんなに酷かった傷が、消えている。目を凝らさなければうっすらと残る傷跡を見分けられないほどになっていた。

「たぶん、あれは戒めだったのだ」

 そう言った朱雀は、包帯を手に乗せてぼうっと燃やしてしまう。

「……お前が、気づかせてくれた。礼を言う」

 朱雀が、初めて微かに笑った。

「朱雀……」

 ここまでやってきてよかった。そう思わせてくれる笑顔だった。


「それで……」

 言い淀むように視線を泳がせながら、朱雀は口を開いた。

「我を、青龍に会わせてくれぬか」

 話をしたい、と言った朱雀が十分に落ち着いているのを見極めて、私は大きく頷いた。

「勿論。きちんと話してみるのが一番良い。それと、私からも一つ頼んでいいか」

「何だ」

 見上げてくる朱雀に、微笑みかける。

「爾焔に会いに行ってやってくれ。ずっと朱雀のことばかり気にしていたから」



 檄渓と漣瑛に事後処理を頼んで、朱雀と共に神殿に向かう。蕃旋は黒零の元に戻るそうだ。蕃旋が黒零を狙うのをやめて以来、二人は無事友好関係を築いているらしい。

「言っておくが、我は青龍を赦したわけではないからな。ただ、あやつの話を聴いて、こちらも言いたい事を言ってやろうと思うだけだ」

 念を押すように言う朱雀がおかしくて、私はくすりと笑う。

「十分だ」

 神殿の扉を開けると、朱雀の来訪を察知していたのか、既に青龍が姿を現していた。

「それじゃ、しっかり話し合いなよ。朱雀、終わったら執務室に顔を出してくれ」

 そう言って朱雀を中に放り込むと、私はさっさと本殿を後にした。


 あとは、彼らの問題だ。


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