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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之参 秋潦
31/115

朱雀の心

 儀礼を行う日が来た。

 私は王城の南門近くの開けた場所に壇を作らせ、辺りを桃の枝で掃き清める。白の大宗伯は、城壁の内側に同じく壇を設けている筈だった。互いに検分役として、私の方には公子夷鉄、白の宗伯の方には棟将軍が居る。但し偽証を防ぐため、紅の高官だった人間も何人かずつ置いてあった。買収や脅迫を防ぐため、立ち会う者を決めた日から白、碧双方の兵士が傍に付いている。ここまでしないと公平性が維持できない事に暗澹としながらも、私は準備を進めた。

「鴻宗伯、本当に出来るのでしょうか」

 丞の暦監が、不安げに言う。彼もまた、儀礼で青龍を呼び寄せられたことなど無いのだろう。

「安心せよ」

 私は敢えて笑って見せた。

「我が国に理がある以上、朱雀は現れる。万一の事があっても私が責任をとればよい」

「そのような……」

 心配そうな声を上げた後、暦監は小さな声で、失敗すれば私も共に罪を被ります、と言ってくれた。


 城壁の上に、旗が揚がる。儀礼開始の合図だ。

 私は壇の前に額ずいて、典礼にあった祝詞を粛々と上げた。

「東の祀りを預かりし碧の大宗伯鴻宵、ここに謹みて請い奉るに――」

 目を閉じてつらつらと言葉を並べながら、心の中で呼びかける。


 朱雀、私と話をしよう。

 憎いのだろう、哀しいのだろう。

 私にぶつけてくれないか。力の限り背負うから――。


「――請うらくは今、我が前に顕現し給い、我が祀りを受け給え」

 唱え終わって、ゆっくりと顔を上げる。祭壇の周囲に集まりすぎて蟠った炎精霊が、弾けるように動き出し、渦を巻きながら上昇する。

「おお――」

 声を上げたのは、誰だったか。

 目を上げた我々の頭上に、炎を纏った赤い鳥が舞った。

 歓声と驚愕の声の中、私は無言で朱雀を見上げる。よく見るとその片翼は傷ついて羽根を散らしていて、炎精霊に支えられて空に浮かんでいた。その光景に胸を痛める私の前に、朱雀がゆっくりと舞い降りる。

 ――我、を、喚ぶか、お前が……

 苦しげに、言葉が絞り出される。私は眉を寄せた。

 朱雀は弱り切っている。長く外に居るのは無理だ。

「我ら碧の国の者、不幸にも朱雀の護り給う国を滅ぼすに至りました。これより我らが朱雀を祀る事をお許しください」

 一方的に言って、朱雀にそっと頭を下げる。朱雀の体は、怒りたいのにその体力が無い、とでもいうように震えていた。

「今は国が滅んだばかりでお疲れでしょう。――後ほど、改めて神殿に伺います。お休みください」

 私がそう言うと、朱雀は二、三度羽ばたき、周囲を見回した。

 ――鴻、宵。

「はい」

 朱雀が私の名を呼んだ事に、密やかなざわめきが起こる。

 私も内心驚いた。朱雀は私の名前など知らないか、知っていても覚えていないと思っていたから。

 ――力無き者に儀式を、させるな。煩い。

「……畏まりました」

 その場に居た何人かが、城壁の向うへ走って行った。無論、向こうの儀式をやめさせるためだ。

 ――後で、来い。必ず……

「はい」

 その言葉を最後に、朱雀は燐光に包まれて消えていった。その光の粒が全て消えるまで首を垂れていた私は、朱雀が消え去ったのを見届けて立ちあがり、振り返る。

「朱雀は碧が祀る事になりました。よろしいですね、公子」

 公子夷鉄はまるで夢でも見ているような表情のまま、頷いた。



 祭壇を片付けて城門を潜った私達を、棟将軍が迎えた。

「よくなされた。この目で見られなかったのが残念ですわい」

「朱雀が我が国の理をお認めになったのでしょう」

 そう言って頭を下げた私は、今度は形式上の祭祀をするべく宗伯府へ向かった。


 その場に残された公子夷鉄は、茫然と呟いた。

「あれは、化け物か……?」

 その呟きを聞いた者はいない。



 一応の事務手続きを済ませた私は、朱雀との約束に従って本殿を訪れた。付いてきた漣瑛に人払いを命じておいて、独りで中に入る。火の気配に満ちた神殿の空気の中に、知った気配を読み取って、私は祭壇に目を向けた。

「朱雀か……?」

「我以外に誰が居る」

 私は朱雀の人型を初めて見た。人間でいえば十歳弱くらいの、鮮やかな緋色の髪と瞳を持つ少年だ。体力を使いきって苦しいのか、祭壇に凭れた薄い胸が忙しなく上下している。その右腕には包帯が巻かれ、だらりと垂れ下がっていた。

 その傷を見て言葉を無くす私に、朱雀がぎっと強い眼を向ける。

「憐れむな。お前に憐れまれるほど落ちぶれたつもりはない」

 弱っていても強い態度を崩さない朱雀は、私を睨みつけたまま、凭れていた背中を起こした。

「我はお前と青龍に二度敗れた。だが我は屈する気など無い」

 ただ、と言って、朱雀は僅かに眉を寄せた。傷が痛むのかも知れない。

「お前が話を望むから、聞くだけは聞いてやろうと思っただけだ。話せ」

 私は目を瞬いた。続いて、軽く苦笑する。

「それは違うよ、朱雀」

「何?」

 朱雀の眉間にしわが増えた。

「俺は話を聞いて欲しいんじゃない。朱雀に話して欲しいんだ」

「我に?我に、何を話せというのだ」

 緋色の瞳に警戒が宿る。そうしていると、朱雀は毛を逆立てている猫みたいだった。私は敢えて砕けた態度で朱雀に近づき、隣に腰掛ける。

「何でも。朱雀の思いのたけを、話して欲しい」

「ふざけるな。お前に何か話す義理など無い」

 ぷいとそっぽを向く朱雀に、私は思案した。さてどうやって話を引きだそうか。

「……俺はさ、何も知らないんだよ」

 結局、口から出たのはそんな言葉だった。

「あんなに近くにいたのに、朱雀の事を何も知らない。朱雀が青龍を嫌いだってことだって、この間爾焔に聞くまで知らなかった」

 ぴく、と朱雀の肩が動く。気付かなかったふりをして、私は続けた。

「青龍の事だって、何も知らない。五百年前に何があったのかなんて、もっとわからない」

 朱雀の方は見ずに、前を向いたまま私は語る。

「大体の大筋らしきものは爾焔から聞いた。でもさ」

 言葉を切って、寄ってきた炎精霊をつつく。

「朱雀の思いは、朱雀に聞かなきゃわからないんだ」

 私は手を胸に当てた。

「何であんなに青龍を憎んだのか、哀しかったのか」

「あやつは……!」

 思わず、という風に、朱雀が声を上げる。私と目が合うと顔を逸らし、吐き捨てるように言う。

「あやつは圭裳(けいしょう)を護れなかった。あやつは……あやつが、もっと気を付けていれば……!」

 ようやく何かを吐きだし始めた朱雀を、私は黙って見守る。幼さの残る肩が、激情に震えていた。

「圭裳は、圭裳は初めて自分の……世界の為でなく自分の幸せを見つけた所だったのだ。それを……それをあの事件はぶち壊した……!」

 朱雀の左手が、額に押しつけられて緋色の髪を掻き毟る。

「圭裳は誠藍(せいらん)を喪い……誠藍の姉も、あやつらの家族も、凌維(りょうい)まで、皆、皆死んだ!圭裳も我らの手の届かぬ所へ行ってしまった……!なのに天帝は青龍を罰しなかった!」

 大きく肩を震わせて、声を荒げて。朱雀は真情を吐露する。

「憎むなと……青龍を憎むなというなら、我はこの怒りをどうすればいい!この身を灼く程の憤りを、どうせよというのだ!!」

 祭壇に、朱雀の拳が打ちつけられた。

 暫く荒い息を吐いていた朱雀は、やがて落ち着いてきたのかゆっくりと拳を開いた。

「我は……我は圭裳が好きだった。我にとって、圭裳は母であり姉であった」

 それは、先ほどとは打って変わって細い声だった。

「圭裳が見つけた幸せは、我の希望でもあった。なのに……何もかも、手の内から、零れて……憎くて、悔しくて……」

 震える肩を、もう見ていられなかった。気がつくと、朱雀の小柄な体を抱きしめていた。

「な、何をする!離せ!!」

 朱雀がかっと怒鳴って、小さな炎が私の肩口を燃やす。それでも、私は離さなかった。神殿内に僅かにいた水精霊が、大慌てでやってきて炎を消す。

「何を……何なのだ、いったい……」

 やがて朱雀は大人しくなった。私の腕の中で脱力する。

「朱雀はさ、憎かったんじゃない。怒ってたんじゃないんだ」

 朱雀を抱き締めたまま、私は口を開いた。

「希望を失って、哀しかった。圭裳がいなくなって、寂しかったんだ。ただ、それがわからなくて、怒りや憎しみに変えてしまっただけで」

 あいつはきっと寂しかったんだ、という青龍の言葉が脳裏に蘇る。きっとそれは正しかったのだと、今の朱雀を見て思った。

「寂しい……?」

「うん」

 傷ついた右腕に障らないようにそっと朱雀を抱き直しながら、私は頷いた。

「だからさ、朱雀……哀しい時や寂しい時、人間がどうするか知ってるか?」

「知らん」

 憮然とした風に、朱雀が答える。けれども朱雀はもう、私を引きはがそうとはしなかった。

「泣くんだよ」

 朱雀は、何も言わなかった。ただ、不満げに少しだけ身じろいだ。馬鹿を言うな、と言っている風でもあった。

「土地神には涙が無いなんて言わないよな?」

「……馬鹿か、お前は」

 その声が、微かに震えていて。私は朱雀の背中を軽く叩いた。

「哀しいなら泣けばいい。寂しいなら泣けばいい。それから、圭裳を連れ戻そう。一緒に」

「馬鹿か、お前は……っ」

 私の腕の中で、小さな体が震える。

「ふざけるな、ふざけるな……!連れ戻す?人間ごときが、偉そうに……!」

「はは。偉そうでも、言ってみないと始まらないからさ」

 震える背中を撫でながら、私は笑った。朱雀の左手が私の上着を掴み、頭を胸に押しつける。

「……会えなかった。何度も会いに行ったのに……結界が、あって……!」

「うん」

「わからなかった。何で、何で皆死んだのか……!」

「ああ」

「誠藍が姉を庇って死んだ。その姉を凌維が殺した。凌維は自分で……何でっ、何でっ!」

「うん」

「青龍が……青龍がもっと、ちゃんとしておればっ……なのに、玄武も、白虎も……っ、」

「うん」

「我は……我は一人ぼっちだった!ずっと!」

 終いに、朱雀は声を上げて泣き始めた。

 子どものように、私の胸元に顔を埋めて、体を震わせて泣いた。


 ああ、これが、朱雀の心か。


 そのまま朱雀が泣きやむまで、私はずっと背中をさすってやっていた。



 長いこと泣き喚いて、漸く泣きやんだ朱雀は決まり悪そうに目元を赤く染めた。その頬を拭ってやって、頭を撫でる。

「落ち着いたか」

「……ん」

 頷いた朱雀は、目を逸らしてぼそりと言った。

「碧にいてやってもいい」

 その様子が拗ねた幼い子供そのままだったので、私は思わず吹き出してしまった。

「な……笑うな!無礼者!」

「あはは、悪い悪い。うん、もう大丈夫そうだな」

 私がそう言うと、朱雀はぷいと顔を背けた。その横顔からは以前の狂気が消えて、憑き物が落ちたようだ。

「……一つ、訊きたい」

 朱雀が口を開いたので、私は笑いを収めて先を促した。朱雀は暫く言い淀むように口籠っていたが、やがてまたぼそっと言う。

「……依爾は、無事なのか」

「いじ?」

 何のことかわからずに問い返す私に、朱雀はああ、という顔をした。

「依爾焔のことだ」

「ああ」

 そう言えば、爾焔は功績を認められて二字名を与えられたのだと聞いた事がある。多分、元の名は依爾なのだろう。

「元気だよ。辺境の邑に幽閉されてるけど、不自由はしてないようだって、慎誠が……」

 そこまで口にして、私はふとさっき朱雀が口にしていた内容を思い出した。

「朱雀」

 これまで気付かなかったけれど、考えてみればその可能性は十分にあるのだ。

「お前、璃誠藍と面識があるのか」

「ある」

 何を訊くのだ、とでも言いたげな顔で、朱雀は答えた。

「圭裳が誠藍を気に入ったらしいと聞いてすぐ会いに行ったからな。……ふざけた所はあるが、我は嫌いではなかった」

 意地っ張りの朱雀が嫌いではないと言うのだから、仲は良かったんだろう。私は少し考えた。誠藍の生まれ変わりだという慎誠と、朱雀を会わせたらどうなるだろう。

「青龍は姉の方を好いていたようだがな。我は会う機会が無かった」

「好い……?」

「誠藍が言っていたのだから間違いあるまい。もっとも、脈は無かったようだが。宵藍は凌維に好意を抱いているらしいと誠藍が言っていた」

 な、何ていうか……、まあそれは、彼らだって恋はするよな、うん。

 そんな風に苦笑いした私は、ふっと気付いて息を飲んだ。


 圭裳が誠藍を喪ったように、青龍は思いを寄せていた宵藍を喪った。

 そして。

 朱雀の独白から考えて、凌維というのは当時の狐狼の首領の名だろう。


 宵藍は、好きだった相手に殺されたのだ。


 ずき、と胸が痛んだ。


「鴻宵?」

 朱雀が訝しむように顔を覗き込んでくる。何でも無い、と答えて、私は朱雀の右腕に触れた。

「五百年……治らないのか?」

「尋常の傷ならとうに治っておる筈だ。罰のようなものなのだろう」

 包帯を解くと、広範囲に渡って引き裂かれたような傷跡があり、閉じた傷口が引きつれたようになっていた。私は眉を寄せる。

「痛むのか」

「もう痛みは殆ど無い。が、動かせぬ」

「罰、と言ったな。いつ許される」

「さあな」

 朱雀は自嘲気味に笑った。

「千年か、二千年か。永遠かも知れぬし、許される時が来るのかも知れぬ」

「……理不尽だ」

 私は思わず呟いた。訝しげな眼を向けてくる朱雀をよそに、その傷口を撫でる。

「朱雀の傷口も、狐狼の枷も……天の罰は重すぎる。理不尽だ」

 俯いて唇を噛む私の肩に、朱雀が躊躇いながらそっと触れた。

「仕方あるまい。甘んじて受ける他ないのだ……それに、我は」

 何故かまた顔を背けた朱雀は、小さな声で言った。

「お前が心を痛めてくれたから、十分だ」

 私は泣き笑いのような顔で朱雀の頭を撫で、包帯を丁寧に巻き直して神殿を去った。

 またいずれ、必ず会いに来ると約束して。



 回廊に出て暫く歩くと、漣瑛が駆けよってきた。私を見るや否や、何故か顔色を変える。

「将軍、それは……!」

「ん?」

 言われて初めて気付いたが、私の上着の肩の所が焼け焦げていた。多分、抱き締めて抵抗された時のだろう。自分の体には届いていなかったので、気付かなかった。

「心配ない。少し飛び火しただけだ。火傷も無い」

 とはいえ焦げた服を着たままいるのも何なので、着替えようと今泊まっている客舎に足を向ける。付いてきた漣瑛が、後ろからそっと耳打ちした。

「白の内情が少し掴めました。函猛は病のようです」

「病……」

 私は眉を寄せた。

 確かつい先日まで、函猛は錫徹と対峙していた筈だ。戦役が堪えるほどの年齢でもない。急な病と言うのは解せなかった。

「表向き病とされていますが、先の戦で矢傷を負ったという噂があります。それが悪化したのではないかと……」

「ああ」

 それなら、十分にありうることだ。

「容体はどうなんだ」

「詳しくはわかりません。が、芳しくないようです。朝廷では次の大将軍を選定しようという動きもあるとか」

「そんなにか」

 次の大将軍の選定をするということは、つまり函猛は命を落とすかも知れないという事だ。脳裏に、函朔の顔が掠めた。

「引き続き注意しておけ。……それから、慎誠が今どこに居るかわかるか」

「いえ。探しますか?」

 問われて、私は一瞬迷った。しかし、急ぎの用でもないので首を横に振る。現状では朱雀は落ち着いているし、急いで会わせる必要も無いだろう。

 客舎で衣服を換えた私は、翌日朱雀の祀りを終えて帰途に就いた。


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