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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之参 秋潦
30/115

あいつは、きっと

 錫徹が敗れた事を聞いた私は、一人で神殿に入った。意識を研ぎ澄ませると、呼びかけるまでも無く燐光が現れて青龍の姿を形作る。

「青龍。紅が滅ぶ」

「ああ」

 頷いた青龍の表情は変わらない。しかしその目に微かな感傷を見て、私は俯いた。

「私が、朱雀を祀りに行く事になる」

「ああ」

「……私は、どうすればいい」

 朱雀は、青龍を憎んでいる。私の事も怨んでいるに違いない。きっと、こちらへは来たがらないだろう。

 けれども、紅が滅んでしまった以上、朱雀はこのままではいられない。ただでさえ神殿から出られないほど弱っている身だ。正しく祀る者がいなくなれば、更に弱ることになる。

「朱雀を、出してやってくれ」

 青龍はそう言った。

「自力では出られないが、人の呼び声に応えれば出られる筈だ。お前なら、出してやれる」

「でも、朱雀はこっちへ来たくないだろう。説得する自信も、無い」

 私は自嘲気味に笑った。青龍の目に切なさが溜まる。

「俺を憎んでいることは知っている。俺が詫びて済むのなら何度でも詫びたい。しかし朱雀を救えるのは、結局のところ、人だ」

 私は祭壇に座り、頭を抱え込んだ。朱雀の憎しみと悲しみは、どうすれば癒してやれるのだろう。

「腰を据えて、話をしてやってくれ。あいつは……」

 次の青龍の言葉は、私の心に切実な響きを持ってのしかかった。


「あいつは……きっと寂しいんだ」




 棟将軍の兵が紅の都に入ったという報せを受け、私は宗伯府の部下を連れて紅都へ向かった。今回は軍事で行くわけではないので、当然檄溪以下将軍府の部下はおらず、護衛の手勢だけを率いて南行する。


 暫く前に同じ道を軍を率いて通った時は、こんなにも早く紅が瓦解するなどとは夢にも思っていなかった。

 錫徹がもうこの世にいないことも、実感から遠い。

 既に慎誠からは爾焔と錫雛に会ったという報告を受けていた。彼らも覚悟を決めた様子だったという。

 滅び、という言葉に籠る哀切さは、汲みきれない重みを持っていた。


「やあ、鴻将軍。いや、今回は宗伯とお呼びするべきですな。お待ちしておりましたぞ」

 暗さに籠りそうになる私を、棟将軍の明るい声が迎えた。棟将軍はあれから紅都に駐屯し、民衆の慰撫と碧による統治の土台作りに当たっている。神殿に居た神官たちも軍の管理下に移したが、本殿にはまだ踏み込んでいないそうだ。

「紅の大宗伯は……」

「依爾焔が兼任しておったようじゃ。今はおらぬ」

 なるほど、と私は頷いた。朱雀を祀る事に於いて、爾焔以上の適任者はいない。碧の大宗伯が春覇でなかったのが逆に不思議なくらいだ。

「して、祀りの事なのじゃが、少々厄介な事がありましてな」

「厄介、ですか」

 紅の王城に入り、朝会を行う正殿から奥へと進みながら、私は棟将軍の教えてくれる現状に耳を傾けた。


 厄介とはこういうことだ。

 今回、紅の主力軍を打ち破ったのは碧軍だが、降伏した紅王を手中に収めているのは白軍だ。ということは、紅を滅ぼしたのは果たしてどちらの国なのか、という問題が生じる。こちらから見れば、たとえ紅王を捕らえても錫徹が居る限り新しい王を立ててでも紅は再興しただろうから、主力軍を打ち破り錫徹を討ち取った事こそ実質的に紅を滅ぼした決め手だということになる。

 しかし白側はそうは思わない、というのが問題だ。

 白の言い分としてみれば、国の最高責任者は何と言っても王なのであって、王を捕らえた白こそが紅を滅ぼした、という事になる。この問題が実際にはどういう形で表れるかというと、一つには紅の旧領を分割する際の対立。どちらがどれだけ取るか、という現実的な問題だ。そしてもう一つは、どちらが朱雀を祀るか、という対立。滅んだ国の神を祀ることは、その国を併呑したと宣言する事でもある。


「白は鬼陽を落とした以外に何もしておらぬのに、朱雀をよこせと言う。くだらん」

 棟将軍は不快げに鼻を鳴らした。碧側としては、紅の国力を半減させ、紅王と錫徹が争うきっかけを作ったのは碧であって、白はそれに便乗したに過ぎないと考えている。正論でもある。しかし、白としても、建前を振り回してでも取れる利は取っておきたいという心情があるに違いない。


 これから先、碧と白の同盟関係は続かなくなるだろうな。

 そう考えた私の脳裏に、ちらりと函朔の面影が掠めて消えた。


 神殿の奥へ行く前に、紅の宗伯府へ案内された。そこに、白の武将がいる。函猛ではなかった。私は半ば安堵し、半ば落胆した。函猛は私が朱宿と呼ばれる存在だった事を知っているので、そのことを碧人に知られたくない私としてはできれば函猛に会いたくないのだが、同時に函猛なら話が通じるだろうという思いがあった。

「白の公子夷鉄(いてつ)様じゃ」

「碧の大宗伯、鴻宵でございます」

 公子ということは、王の弟か息子だろう。まだ若いようだから、息子の可能性が高いだろうか。私が礼儀に沿って挨拶すると、公子夷鉄は鼻を鳴らした。

「このような若い者に朱雀が祀れるものか。まだ子どもではないか」

「お言葉ですが公子、紅の東辺の邑を悉く落としたのはこの鴻宵なのですぞ」

 面と向かって侮りの言葉を吐く公子を、棟将軍が窘める。

 私は怒るというより呆れた。ここは公式ではないにせよきちんとした話し合いの場であって、相手は他国の卿だ。そういう場で平然と傲慢な言を吐くこの公子の思考回路は、私の理解を越えていた。

 棟将軍の言葉を聞いても、公子は鼻で笑うだけだった。

「紅も腑抜けたものよ。兄上も函猛など重用せず余に任せておれば紅などとうに滅ぼせていたであろうに」

 その発言に、この公子は王の弟だ、と判断する。同時にかちりと符合する物があった。

 確か白では王に可愛がられた王の末弟と太子とで水面下の対立が長いこと続いている筈だ。その王の末弟というのが、この公子夷鉄に違いない。なるほどこのくらい傲慢なら、太子の地位を奪ってやろうという事くらい考えるだろう。

 同時に仄かな懸念が湧く。紅を滅ぼすというこの重要な戦に、大将軍の函猛ではなく公子夷鉄が出てきたという事実を、どう捉えるべきか。公子夷鉄の勢力が優勢になっているということなのか、それともまさか、函猛に何かあったか。

 騒がしくなる思考を振り切って、私はゆるりと頭を下げた。

「此の度は、私は将軍ではなく大宗伯として参りました。本殿にて祭祀を行いたいと存じますが」

「ならぬ」

 公子夷鉄は言下に言った。

「紅王を捕らえたのは我が国だ。よって朱雀も我が国が貰い受けるのが道理である。貴公は無駄足であったな」

「お言葉ですが」

 いらっとするのを押さえて、私は可能な限り穏やかな言葉を選ぶ。

「紅を実質滅ぼすに至ったのは紅軍を破った棟将軍の働きによると存じます。少なくとも両国の外交筋で協議する余地があるかと……」

「じきに我が国の大宗伯が来る。それまで何人たりとも神殿には通さぬ」

 こちらの言葉を丸ごと無視して、公子夷鉄は言い放つと、さっさと出て行ってしまった。

 私が怒りを覚えるより先に茫然としていると、すぐ横で文机が砕けた。

「何じゃあの無礼な若造は!その高慢の鼻へし折ってくれる!」

 その膂力でやったら鼻がへし折れるどころか頭蓋が砕けます、棟将軍。

 哀れにも棟将軍の拳を受けて木片と化した文机を見て顔をひきつらせながら、私は内心そう思った。

 この人これで七十過ぎとか、絶対詐欺だ。

「それにしても困りましたね。朱雀を寄越せと言われてはいどうぞと差し出すわけにも参りません」

「当然じゃ。そんな事をしては紅との戦で死んだ兵士達も浮かばれぬ」

 憤然と棟将軍は言う。私は宗伯府の窓から見える神殿の入り口に視線を飛ばした。ご丁寧に白の兵が見張りに立っていて、それを更に見張るように碧の兵が控えている。

「両国の話し合いすら拒否するとは……公子夷鉄は、力ずくで既成事実を作るつもりでしょうか」

 つまり、こちらを威嚇して無理やり自分達が先に祭祀を行ってしまうという事だ。白の大宗伯が来ればすぐに祭祀をさせるつもりに違いない。無論、外交上の手続きを無視した暴挙だが、あの高慢な公子の事だ。こちらが不満を言っても武力で抑えられると思っているに違いない。事実見たところ、この紅都にいる白の兵は碧の兵より数が多い。但し実際に戦えば碧軍が勝つだろう。将の器が違う。公子夷鉄が兵略に長けているとは聞かないし、ああ傲慢では兵が付いてこない。「神算」棟将軍の敵ではあるまい。

「逆にこちらが神殿を突破して宗伯を送り込んでしまうというのはいかがですかな」

「やめた方がいいでしょう。それではあの公子のしている事と同じです」

 私は顎に手を当てて考え込んだ。私にとってみれば、これは朱雀を説得する恐らく最後の機会だ。それに朱雀を白に取られるようなことになれば、爾焔に合わせる顔が無い。

「こういうのは、どうでしょう」

 一か八かだ。私はじっと神殿を睨みながら言った。朱雀は神殿から出られないと聞いた。しかしそれは「自力では」だ。

「別々の場所で祭祀を行って朱雀を招き、先に朱雀を召喚出来た方が、朱雀を祀る」

 棟将軍がほう、と唸って目を見開いた。


 召喚は、朱雀側から相手を察して拒否することはできない。儀礼の手順を踏んで喚べば、否応なしにこちらへ来る。白の大宗伯がどういう人間か知らないが、以前の青龍の言葉から考えて、私が不利ということはまず無いだろう。

 朱雀の説得は後回しになるが、已むを得ない。


「勝算がおありか」

「五分以上は」

 私が言うと、棟将軍は短く唸った後、頷いた。

「よかろう。白側に提案して調整しよう」

 私は黙って頭を下げた。



 宗伯府を出ると、棟将軍は軍の業務に戻って行った。私はどうにも気になって、漣瑛の肩を叩く。

「護衛の者を使っていい。白の内情を探らせてくれ。函猛が来ていないのが気になる」

「承知致しました」

 漣瑛がさっと走り去って行く。私は空を見上げた。

 相変わらず、この土地の太陽は眩しい。




 待つこと二日、白の大宗伯が到着した。

 老人というには少し若いが、初老はそろそろ脱するだろうという外貌だが、言動を見るに、どうやら精霊は一部見えているらしい。全部見えているというわけではなさそうだ。多分相性の良い精霊……金精霊と土精霊だけ見えている。つまり、方士ではあるけれどもそう力は強くない。五国方士のような力を持つ者は希少な上にも希少だということを考えれば、これは当然のことだった。

「なに、召喚儀礼で先を競うと?」

 碧側の提案に、公子夷鉄は嫌な顔をした。その不機嫌さの裏に、勝手に神殿に大宗伯を入れようとしたところを見越したように呼び止められた事があるに違いない。

「はい。朱雀を呼び寄せることが出来た者こそ、朱雀を祀る権利を持つと存じます」

 私がそう発言すると、白の大宗伯は顔を顰めた。

「妄言はほどほどになされよ。国の神など、一神官が招いて訪れるものではない」

 つまり貴方は白虎には会ったことが無いというわけですね。

 とはさすがに言わずに、私はするりと紅の典礼を紐解いた。

「これを妄言とおっしゃるならば大宗伯の官は意味を失いましょう。典礼の中に、神を招く祀りはございます」

「大宗伯の職責とは折々の祭祀を行って神の加護を願い、また史暦を司ることだ。神を呼びつけにする事ではない」

「しかしこのたびは朱雀を新しい国へ祀り直さねばなりません。とすれば、一度招いてお知らせするのが筋でしょう」

「いい加減になされよ!」

 ついに、白の大宗伯は声を荒げた。

「神を招くのがどれほどの難事か、大宗伯になられて間もない御方にはわからぬのだ」

「つまり白の宗伯殿は朱雀をお招きもせず形だけの祭祀を行うおつもりなのですね」

「なに――」

 意図的に挑発した私に、白の大宗伯はついに怒って剣に手をかけた。私は苦笑して首を振る。

「剣を抜くのはおやめになった方がよろしい。同盟者に武器を向けるのは礼に反します」

「落ち着け、相手は曲がりなりにも碧の将軍だ」

 そう言って大宗伯の手を押さえた公子夷鉄は、こちらを見て鼻哂した。

「そこまで言うのなら、鴻宗伯には朱雀を招く自信があるのだろうな?」

「少なくとも儀礼は心得ております」

 私が慇懃に言うと、公子はふんと息を吐いて、大宗伯を振り返った。

「儀礼の準備をするがいい。ここまで言われて黙ってはおれまい」

「公子――」

「但し鴻宗伯、もしそちらが朱雀を招けなかった場合、ここでの暴言の責任は取ってもらう」

「肝に銘じておきましょう」

 公子と白の宗伯の不快げな背中が去って行くと、棟将軍が私の肩を叩いた。

「お見事ですな。しかし、ここからが責任重大ですぞ」

「はい」

 私は典礼を記した書物に目を落とした。

 どこで儀礼を行うか、紅都の地図を頭に描く。白の選ぶ場所と、程よく離れ程よく近くなければならない。


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