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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之弐 業火
29/115

落日

 東方、角邑。

 蒼浪への使いを難なく終えて邑宰から報告の文を受け取った慎誠は、敢えてふらふらと辺りの邑に立ち寄りながら帰り、途中角邑に立ち寄った。


 依爾焔及び錫雛は、角邑の中心部に程近い館に居た。幽閉と聞いていたが、待遇は悪くないようで、館に漂う空気は陰惨なものではない。恐らく、太子の配慮が行き届いているのだろう。その証拠に、鴻宵の配下と名乗って、用のついでに様子を見に来た、と告げると、大した障害も無く中へ入れた。警備の兵に案内されて奥の部屋へ通される。

「鴻将軍の配下の慎誠と申します」

 名乗ってから部屋へ入ると、文机に向かって書物を広げている男がまず視界に入った。暗赤色の髪を見て、これが依爾焔だろうと見当をつける。依爾焔の視線がこちらへ向く前に、慎誠の前に少年が立った。

「何の御用でしょう」

 依爾焔を護るように慎誠の進路を塞いで、警戒を露わにしている。これが錫雛か、と心中頷いた慎誠は、にこりと笑った。

「お二人ともお元気そうでなによりです。主がしばしば気にかけているもので」

 人を食ったような挨拶に、錫雛が不快感を見せる。

「用が無いなら――」

「錫雛」

 尖った声を放った錫雛を宥めるように、依爾焔が声を上げた。文机から身を起こし、一段高くなっているそこから降りて靴を履いた。錫雛が頭を下げて脇に避ける。

「鴻将軍からの使者か。どうぞ、席に」

「いや、使者ではなくて勝手に様子を見に来たんですけどね」

 慎誠の言いように、錫雛は怪訝そうに眉を寄せ、依爾焔は軽く笑った。

「なるほど。まあ座って話をしよう」

 部屋の隅にある卓を挟んで、二人は椅子に座った。錫雛が茶を淹れ始める。

「思ったより良い所ですね」

「鴻将軍のご高配のおかげかな」

 にこやかに会話しながらも、互いに相手の腹を探るような空気が流れる。慎誠はすっと笑みを収めた。

「とても良い場所です。周囲に余計な人間がいないみたいですね」

 やや低めた声で言いながら、ちら、と錫雛に視線を投げる。意図を汲んだ依爾焔は、目で笑った。

「塀の外には兵が居るけれど、無闇にここへ近づくものはいないよ。それから、錫雛は信用できる。私にできる話なら聞かれても大丈夫と思っていい」

「わかりました」

 頷いた慎誠は、錫雛に差し出された茶を啜ると、単刀直入に言った。

「紅は滅ぶ。もう避けられないだろうね」

 びく、と錫雛の肩が揺れる。依爾焔は落ち着いたまま、少しだけ目を伏せた。

「遠因は私にある。愚かなことをしたと思っているよ」

 錫雛が弾かれたように爾焔を見た。爾焔がこんな風に自分の非を認めるのを見たのは、はじめてかも知れない。

「貴方と言うより朱雀が、だね」

「……碧は、朱雀をどうするんだい」

 爾焔の問いに、慎誠は少し考えるような素振りを見せた。

「慣例に則って、自分の国に祀り直すだろうね。幸い大宗伯はうちの将軍だから、悪いようにはしないと思うよ」

 言って、慎誠は苦笑する。

「甘いからね、鴻宵は」

「……君は鴻宵の臣ではないね?」

 通常、目上の人間の名前を呼び捨てるなど許されない。臣下が主君の名前を呼び捨てようものなら斬り捨てられても文句は言えないものなのだ。

 故に爾焔は慎誠が臣下という位置にはいないと推測したのだが、慎誠は首を横に振った。

「一応臣下って形になってるよ。うちの主君は緩い人だから、臣下が呼び捨てようがため口聞こうが許容しちゃうんだよね。まあ、確かに俺は元々鴻宵の友人だけど」

 何か心当たりがあるのか、錫雛が遠い眼をするのが視界の端に見えた。爾焔は苦笑している。

「なるほど……しかし君は鴻宵に劣らない力があるようだね」

 すう、と目を細めた爾焔の目の前で、炎精霊が踊っている。慎誠はなんでもない事のように笑った。

「まあね。でも俺は鴻宵ほどには精霊に好かれてないよ。……話を戻すと、鴻宵は祀りにかこつけて朱雀を説得する気だ。何か助言とか伝言とか、ある?」

 爾焔は目を伏せ、微かに首を振った。

「今更私に言える事など無いよ……鴻宵に任せよう。朱雀を、頼む。彼は苦しんでいるだけなんだ」

 慎誠は静かに頷いた。それから、脇に控えていた錫雛を見やる。

「君のお父さんは、多分……」

「わかっています」

 やや顔色を悪くしながらも、錫雛は気丈に頷いた。

「国に殉じて死ねるなら、父は本望でしょう。我々に一声かけてくださった鴻将軍の温情に感謝します」

 頭を下げた錫雛の手は震えていたが、慎誠は気付かないふりをして会釈を返した。




 十月辛丑。

 白軍は西から紅へ攻め込み、国境からさして遠くない鬼陽を囲んだ。連動して発した碧軍は張を落とし、都へ迫る。

 都は混乱の最中にあり、籠城は無益と考えた錫徹が撃って出るのと時を同じくして、紅王は白に降伏した。

 錫徹率いる紅軍は、都の郊外で棟凱率いる碧軍と衝突した。さしもの名将錫徹も乱れ切った兵では棟凱の指揮する碧軍に抗しえず、激闘の末戦死した。


 かくして、南方に栄華を誇った紅は滅亡した。


『冬十月。紅、碧・白の滅ぼす所となる』

 宗伯府の歴史記録官、大史令がそう記すのを、鴻宵は複雑な表情で見ていた。


 時に王暦1282年、十月甲辰のことだった。


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