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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之弐 業火
28/115

願い

 紅が滅ぶ。

 あの大国が、こんなにも呆気なく。


 憂鬱な気分を抱えながら、私は紅侵攻の陣中で聴いた碧の前太子の乱について考えた。


 十年前の、凄惨な事件。

 当時まだ十二だった筈の蒼凌が下した決断と、その結末。

 昏で、朱宿としての罪の重さに取り乱した私を宥めた時の、あの言葉。


 蒼凌と話がしたい、と痛切に思った。

 何を話すのか、と言われるとはっきり答えられないが、少なくとも、本人の知らないところで過去を聞いてしまった事は伝えておきたい。その過去を経てきた事で、彼が私を支えてくれたのだから、余計に。


 そんな風に考えていた私は、偶々回廊で見かけた雪鴛をとっさに呼び止めた。雪鴛は振り向き、一瞬怪訝そうな顔をする。

「これは鴻将軍。私めに何か」

「ああ。少し……」

 答えた私は、さっと周囲を確認した。幸い、誰も居ない。

「太子と少しお話ししたいのだが……個人的な用件なので、正面からお訪ねするのもどうかと思ってな」

 蒼凌は、私や春覇を内密に呼び出す時、いつも雪鴛を使う。彼が一番近くに居る従者だという事もあるだろうが、多分雪鴛はそれなりに信用に値する人間なのだろう。

 そうした判断の下に思い切って取った行動は、どうやら間違ってはいなかったらしい。

「承知致しました。太子にお知らせしてご判断を仰いでから、私がお知らせに伺います」

 無論、内密に。

 撃てば響くようにそう答えた雪鴛に、私は頷いた。

「済まないな。面倒な事を」

「いえ、これも私のお役目でございます」

 雪鴛は深く頭を下げると、歩き去っていった。

 この世界の子どもは、本当にしっかりしている。


 その日のうちに、雪鴛はもう一度私の前に現れた。

「近く立冬の節気に、太子は神殿にいらっしゃる事になっております」

 季節の節目に神殿に参るのは、この国では建前上、常に王か太子がすべき事だ。しかし、戦乱の世では執務が忙しい事も多く、大抵は宗伯府の者が簡略な祭祀を行って終わる。

「紅が滅ぶか否かという時期であり、ちょうどこの度は自ら足を運ばれるおつもりだったとか。その際に、宗伯とお話しする時間を取りたいとの事です」

「承知した」

 私は了承の返事をして、お茶だけ振る舞って雪鴛を帰した。お礼をしたいところだが、立場が立場なだけに下手をすると賄賂になりかねない。

 宮中というのも、窮屈な所だ。



 やがて、立冬の祭祀を行う日になった。

 いつもの節気に行っているのと同様の手筈で祭祀が行われていくが、今回は太子が立ち会っているとあって、心地よい緊張感が漂っている。

「願わくばこれから始まる冬の候、我らが国に幸いよあれ」

 暦監が重々しく締め括りの言葉を述べ、祭祀が終わる。

 私は太子を宗伯府の私の執務室に案内し、雪鴛と漣瑛に人払いを命じた。

「何だ、話とは」

 蒼凌が、長い袖を鬱陶しげに払いながら言う。祭祀に立ち会う為に、定められた装束を身につけた蒼凌は幾分動きにくそうだ。

「大した事ではないかもしれないが……」

 私は蒼凌にお茶を出し、自分も席に着くと、真っ直ぐに彼と目を合わせた。

「前太子の乱の話を、聞いた」

 微かに、蒼凌の肩が動く。

「……そうか。誰から聞いた?」

「慎誠が調べてきた」

 私が言うと、一度頷いた蒼凌は、はっと笑った。

 どこか馬鹿にしているような、乾ききった笑いだった。らしくない笑い方だ。

「それで、何だ」

 らしくない笑いを張り付けたまま、蒼凌は私を見据えた。

「お人好しのお前の事だ。同情でもしに来たか」

 試すように私を見るその瞳に、微かな不安を見た気がした。

 私はしっかりと目を合わせたまま、首を横に振る。

「同情なんてしないよ。乗り越えてきたあんたに失礼だ」

 静かに言って、お茶を啜る。

「ただ、お礼を言いたくて」

「礼?」

 蒼凌が目を瞬かせる。

 あ、驚いてる。ちょっと珍しい表情かも知れない。

 その灰色の瞳を見詰めると、共に旅をした頃、昏で私を宥めてくれた時の事が思い出された。

「あんたが、そういう凄惨な経験を乗り越えて、前を向いていてくれたお陰で、俺は支えられた」


 まだ、罪の意識が消えたわけじゃない。

 多分、それは蒼凌も。


 それでも、どんな罪を背負っても、前を向く強さを、彼は身をもって私に示してくれた。


「だから俺も、今、前を向けている」

 だから。

「ありがとう」


 勿論、蒼凌の哀しい過去を喜んでいるわけじゃない。でも、慰めなんて私の口から言う筋合いは無い。

 だから、今は感謝の言葉を。


 私がお礼を口にしてから、暫く蒼凌は固まっていた。それから、小さく笑う。

 さっきのような乾いた笑みではなく、いつも通りの、呆れたような笑い方だった。それはすぐに苦笑に変わり、蒼凌は掌で目元を覆った。

「本当に……お前はいつも、俺の想像を超える」

 笑い混じりではあるが、どこか弱い声。

 私は少し考えてから、静かに立ち上がった。蒼凌の後ろへ回り、椅子の背もたれ越しに背中合わせになる。

「……お疲れ様」

 色々と迷った挙句、結局口に出たのはそんな言葉だった。


 きっと蒼凌は、誰にも弱みを見せないのだろう。

 一人で、苦しんできたに違いない。

 だから、お疲れ様。


「……一つ」

 不意に、蒼凌が言った。

「一つ、勝手な願いをしてもいいか」

「……何?」

 背中越しに、私達は会話する。

「お前は……そのまま、手を汚さずにいてくれ」

「え?」

 予想だにしない願い。私は思わず振り向いた。蒼凌はこちらを向かない。

「俺は十二の歳に、初めて人を殺した」

 私は肩が強張るのを感じた。

 それは――血を分けた兄か?いや、そうとは限らない。その前に、蒼凌は防衛戦を行っていた筈だ。

 しかしいずれにせよそれは、兄から差し向けられた凶刃だった。

「あの時の判断を悔いても迷ってもいはしないが……」

 蒼凌はそう言って、ふっと息を吐いた。

「殺さない道を選んだお前の行く末を、見てみたくなった」

 私は沈黙した。

 躊躇いながら、ゆっくりと口を開く。

「でも、俺は」

 私は将軍だ。戦場で指揮を執る。

 命令を下す度。旗を揚げる度。

 私の指示で兵士達は戦う。敵兵も、味方の兵も、死んでいく。

「わかっている」

 とん、と軽い衝撃があって、蒼凌の頭が私の背に預けられた。じわりと体温が通った気がする。

「それは避け得ない事だ。しかし……」

 蒼凌の髪がさらりと私の背を滑る。

「他人の肉を裂き骨を断つあの感触を、お前は知らないままでいて欲しい」

 私はゆっくりと目を伏せた。

 背に触れる蒼凌の頭に、少しだけ体重を乗せる。

「……わかった」

 小さく、了承の返事。

 覚悟が新たになる。


 私達は何となく、暫くそうして背中合わせになっていた。




 九月己卯。

 紅王は碧を恐れて和睦を望み、降伏の証として錫徹の首を差し出そうと、錫徹に刺客を向けた。しかしその動きは錫徹の知るところとなり、激怒した錫徹は王城を包囲、王の兵を難なく破って紅王に迫った。

 紅王は側近に護られて身一つで辛くも脱出し、西方の鬼陽に逃げ込み、兵を糾合した。


 紅の国内は、二つに割れた。


「紅を滅ぼす好機です。白と連合して紅を攻めましょう」

 朝会で為された提案は、ほぼ満場一致で即決された。紅には、棟将軍が征く事になった。

「棟将軍なら、万が一にも間違いは無い」

 そう呟いた私は、漣瑛を顧みて少しだけ笑った。そうしないと、気分が暗く落ち込んでしまいそうだった。

「北へ行く事になる。昏が動くぞ」

 私はそう言ったが、実際にはその役目は叙寧に割り振られた。


 他国を滅ぼしたなら、戦勝国は滅んだ国の祀る神を鎮め、自国に祀り直さなければならない。それは大宗伯の職責であり、私は都で紅の滅亡を待つことになったのだった。


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