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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之弐 業火
24/115

前太子の乱

 戦力が西に集中している紅を東から侵略するのはたやすかった。

 碧王もそれを心得ているらしく、少しでも攻略に手間取ると早馬が問責の使者を届けてくる為、我々は愁顔を寄せ合いながらも次々に邑を落としていくしかない。


 三つ目の邑に兵を入れた時、棟家の将に本家からの使いが来た。その使者の話を聞いた将は、眉を寄せながらその内容を私に報せる。

「都では、既に兄や覇姫様、太子までも諫言したそうですが、王は耳をお貸しにならぬようです。普段大きな過誤を犯されぬ王が、と兄も首を傾げております」

「そうか……」

 つまり今回の事は、王自身が強い意志で推し進めているということだ。

「また何かあったら報せて頂きたい」

 そう言って武将を陣に帰し、私は腕を組んだ。

 棟将軍の言った通り、今の碧王は普段臣下の言葉をよく聞き、自分の意見を無理に通して過ちを招くようなことはしたことが無い。何が王を今回の行動に駆り立てたのか。それも、相当強引なやり方で。

「将軍」

 幕舎で一人考え込んでいた私の耳に、漣瑛の声が届く。

「邸より、使いが参っております」

「誰だ」

 私の臣下も、都の状況を報せて寄越したのだろう。

 尉匡か、範蔵か。尉匡なら高官の家に何か関係する動きがあるということだろうし、軍や王室の事なら私に付いて朝廷に出入りしていたことのある範蔵が来るだろう。


 しかし、漣瑛の答えた名前は、私の想定を超えた。


「やあ、久しぶり」

 そんな台詞と共に幕舎に入ってきたのは、慎誠だった。尉匡でも範蔵でもなく慎誠が来たというところに、何となく不吉を感じて私は眉を寄せる。

「何が起こってるんだ」

 漣瑛に人払いを命じた私は、単刀直入に訊いた。慎誠は一瞬だけいつものへらへらとした表情を収め、私の前に座った。

「どうやら前回の戦で太子が留守にしていた間に、王の傍に佞臣が入り込んだみたいだね」

「佞臣?」

 低い声で会話しながら、慎誠は懐を探り、一通の書簡を取り出した。

「これ、範蔵さんからの手紙。哀にも調べさせたから、信用性の高い情報だと思う」

 私はその手紙を広げ、目を通した。

 慎誠の言う佞臣というのは、王の側仕えの絽宙と涯仇。太子の留守中に急速に王に接近したのは確からしい。賄賂に目が無い連中なので、出来るだけ王に近づけないように太子が手を回していたらしく、太子を怨んでいると考えられる。

「太子への怨みが何故こういう結果に?」

「尉匡さんの推測によると、こいつらが王の太子への反発を煽って、太子が右と言えば左を向くようにさせてるんじゃないかってこと」

「馬鹿な」

 私は呆れた。嫌いだからとその相手に一々反発するなんて、子どもじゃあるまいし。しかも王にとって太子は息子だ。そんな子どもじみた反発をする必要があるのか。

「勿論それだけじゃないだろうね。ここからは俺の推測だけど」

 慎誠は膝の上に肘をつき、手を組んだ。

 慎誠は普段から諸国を行き来して見聞を広めている。その推測は聞くに値するに違いない。私は耳を傾けた。

「王は太子が怖いんだ。だから自分に与力する大夫を増やそうとしてる。もしくは、自分の言うことをきく臣下に力を付けさせたい。いずれも、臣下に力を与える為には彼らに与える領地が必要だ」

 私ははっと息を飲んだ。手が震える。

「だけど、碧の邑は大体今の大夫に与えられてしまってる。王の直轄領も多くはないし、今いる大夫から土地を取り上げるとなると反発も大きいし王自身の輿望を下げかねない」

「だから、我々に新しい土地を奪わせようということか」

 私が言葉を継ぐと、慎誠は目で頷いた。私は額に手を当てる。

「そんなことで……王は太子の何を恐れてる?」

 普通に考えれば、太子より王の方が力は強い。それに、蒼凌は王に歯向かうようなことをする人じゃない。太子は温厚で何事も卒なくこなし、王に対しては孝行息子。それがこの国の認識じゃなかったのか。

「殆ど本能的な怖れだろうね。太子が王を殺して位を奪うんじゃないかと恐れてる」

「そんな――」

 そんなこと、あの蒼凌がするはずがないじゃないか。声を上げかけた私を、慎誠は手で制した。

「確かに今の太子を見てれば弑逆とは結びつかないし、王も前までは疑ってもいなかっただろうさ。でも、絽宙と涯仇は十年前の事件を持ちだして王の恐怖を焚きつけた」

「十年前?」

「鴻宵は知らないよね。俺もこの間王室の事を調べてて知ったんだ」

 微苦笑した慎誠は、私を伺うように見た。

「鴻宵は、疑問に思ったことない?太子は今碧王の長男ってことになってるけど、君主は十代で子供がいるのが普通なんだよ?」

 私ははっとした。

 言われてみれば、不自然だ。碧王は今、どう見ても五十は超えている。なのに、その長男であるはずの蒼凌はまだ二十代の前半だ。つまり、碧王が三十を過ぎてからの子どもということになる。

「どういう……」

「現太子、紀蒼凌は元々碧王の長男じゃなかったってこと」

 そう言った慎誠は目を伏せて、十年前の「事件」を私に語り始めた。




 十年前の冬。

 碧の都で内乱が起こった。


 当時、碧では数年前に王が亡くなり、今の碧王が即位して内政がようやく落ち着きを見せた頃だった。

 碧王は既に太子を立てていた。蒼凌ではない。正真正銘の碧王の嫡子で、当時既に二十代だった。

 蒼凌は十二歳である。

 当時の太子はこれといって優れた所の無い人だったらしく、特に評判は聞かない。それに対して、その頃既に碧王の姪の春覇には優れた方士の才能が見え、太子の弟の一人である蒼凌は群を抜いて文武に長けていた。


 太子は恐れた。

 自分よりも優れた者が王族にいれば、いずれそちらを奉戴して太子を廃嫡せよと言いだす者がいるかも知れない。そうでなくても、野望を持った弟達が、あるいは叔父達が自分を排除しに来るかも知れない。自分より武術に優れた弟は何人もおり、輿望のある叔父も何人もいるのだ。


 その殆ど被害妄想と言ってもいい想念が、太子を追い詰めた。但し実のところ、彼の懸念も全く根拠の無いものであったわけでもない。時は乱世。どの国でも王位継承の争いは絶えない。王家の者の野望と群臣達の思惑が交錯するのが常である。臣下達も、或る者は国の為に、また或る者は己の為に、誰が次の王位につけば良いか、常に考えている。

 そうした群臣達の月旦評が、ある時太子の耳に入った。

 自分には輿望が無い。

 それを明確に思い知らされた太子が怯えたのも無理からぬことではある。


 そしてその怯えは、苛烈な反動を招いた。


 冬のある日、ついに太子は近衛の兵を動かし、公子達を攻めるという暴挙に至った。

 備えの無かった公子達は、次々に太子の兵に殺された。臣下達は王室の内訌に関わって火傷するのを嫌い、殆どの者が門を閉じて傍観の姿勢をとった。彼らを一概に責めることはできない。客観的に見て非があるのは太子かもしれないが、太子に対抗して公子達を庇えば国への反逆とみなされかねない。何しろこの時、王は全く動きを見せなかった。王の思惑を測りきれない群臣達としては、どちらが正義とも見定めにくい状況だったのである。


 この時、碧の王族の大半は男女問わず殺された。

 僅かに生き残ったのは、章軌に護られて王宮から逃げた春覇と、いち早く情報を入手し、臣下の邸に兵を固めて立て籠った蒼凌のみだった。


 太子は蒼凌に兵を向けた。近衛の兵が一つの邸を囲み、塀の内と外で激しい戦闘になった。


 蒼凌は邸内で兵を指揮していたが、いずれ限界が来るだろうことは嫌でも予想できた。

 ――ここで死ぬのか。

 唇を噛んだ蒼凌の横に、どこからともなく現れた長身の影が並んだ。

「公子」

 視線を向けた蒼凌は、目を見開いた。

「章軌。何故お前がここに――」

「春覇に命じられた」

 それを聞いて、蒼凌はこわばっていた肩から力を抜いた。

「春覇は無事か……」

「ああ。今、司馬に兵を出すよう掛け合っている。それまで粘れという伝言だ」

 春覇からの伝言を聞いた蒼凌は、安心するかと思いきや、力なく笑っただけだった。

「この邸は明日の日没は迎えられない。太子に兵を向ければ司馬とはいえ反乱軍だ。そう簡単には動かない」

 蒼凌の予見は絶望的だった。この事態に至っても、父王に何も動きの無い事が、自分の未来を示している気がしていた。

 ――ここで死ぬ。

 そう考えると、無性に腹が立ってきた。

 蒼凌は別に兄の太子の事が嫌いではなかった。目立って優れた所は無いし性格にも多少癖はあるが、それを援けていく自分を想像することはそれほど苦痛ではなかったのだ。しかし今、こういう形で、兄と自分は敵対している。兄が自分を殺そうとし、自分にはもう打つ手が無い。


 ならば、ただ殺されてやるのか。


 不意に、蒼凌は微笑を浮かべた。やるだけの事はやってやろう、と思った。


 これはもう、戦いなのだ。

 生きるか死ぬか。相手は兄ではなく、敵でしかない。


「章軌」

 隣にいる狐狼に声をかけて、蒼凌は剣を握りしめた。

「明日未明に、邸を出る…付いてきてくれるか」

「……わかった」

 その場にいた臣下は、誰もが蒼凌が未明に敵の目を盗んで逃げるつもりだろうと捉え、それまでは踏み堪えようと互いを励まし、激闘に向かっていった。

 しかし蒼凌に逃げる気は無い。

 逃げ出したところで、また追われ、いずれは消されるのが落ちだろう。


 その決意の在り方を、章軌だけが理解していた。


 翌未明。

 戦いの中断した静寂の中で、蒼凌は密かに塀を越えた。後ろに章軌が音も無く従う。

 邸を囲んでいる兵士達は、無論邸内の者が逃げ出すのを警戒していた。しかしながら、彼らが主に警戒していたのは邸の裏側である。まさか邸を攻めている兵の本陣がある方へ出てくる人間がいるとは、誰も予想していなかった。

 兵士達が気付いた時には、蒼凌と章軌は近衛兵の間を抜けて太子の間近に迫っていた。

「おのれ――」

 怒号を発して二人を止めようとした太子の側近を、章軌が止める。蒼凌はその脇を走り抜けた。まだ十二歳の少年の体は大柄な兵士達には捕らえにくく、太子の側近達の間を滑るようにすり抜けていく。

「兄上――」

 蒼凌の目が太子を捉え、喉が声を発した。

 蒼凌が向かってくるのを見た太子は、剣を抜く。一閃した白刃の下を潜って、蒼凌もまた剣を抜いた。

 白刃がかみ合って火花を散らす。体格に劣る蒼凌を弾き飛ばした太子は、剣を振り上げた。

「お前で最後だ――!」

 瞬間、蒼凌は身を沈め、剣を引いて左手を柄の突端に当てた。


 一瞬、音が消えたようであった。


 剣を振り下ろした太子の懐に滑り込むように、蒼凌の体が密着している。ゆっくりと蒼凌が身を引くと、太子の手から剣が落ちた。

「太子――」

 側近が叫ぶと同時に、蒼凌が剣を引きぬく。


 少年は頭からまともに兄の血を浴びた。


 太子の体がくず折れるのを、誰もが身動き一つできずに見つめていた。


「太子!この……」

 我に返った側近が蒼凌に斬りかかろうとして、動きを止めた。蒼凌の鋭い眼が、射抜くように見ている。側近の背中に冷や汗が流れた。

 蒼凌は鋭利な視線で周囲をぐるりと見渡し、息を吸った。

「王の血筋を絶やしたい者は私を斬るがいい!そうでなければ武器を引け!」

 凛とした声が朝露を揺るがす。その場にいた兵士は力なく武器を落とした。


 かくして王の子の中でただ一人生き残った蒼凌が太子となり、現在に至るのである。




 語り終えた慎誠は、緩く首を振った。凄惨な話に疲れたようでもあった。

「そ……んな」

 私は呟いて、口元を押さえる。

 兄に殺されそうになり、絶望を味わって逆に兄を殺さざるを得なくなった蒼凌の心境は、どんなものだっただろう。ふと私は、昏で蒼凌が言っていた事を思い出した。


 ――赦されてしまえば……そして自分で自分を赦してしまえば自分が良心を失うように思えて、怖い。違うか。

 ――そういうの、何て言うか知ってるか。偽善って言うんだよ。

 ――もう暫く、そうして苦しめ。そのうちわかる。


 あれはきっと、自分自身罪の重さに苦しんだことがあるから出た言葉だったんだ。


「十年前は太子が弟達を恐れ、今は王が息子を恐れてる。血なのかな」

 呟いて、慎誠は振り切るように頭を振った。

「そういうわけで、王は太子が怖い。だけど太子が人望も力もあるのを知ってるから、自分の力を付けたい。そういう王の気持ちを絽宙、涯仇が煽りたてて、今の状況がある、ってとこかな」

「……どうすればいいんだ、私は」

 私が呟くと、慎誠は首を振った。

「現状では、どうしようもないよ……但し失脚はしないように気を付けること。鴻宵の力が無くなると太子はいよいよ危うくなる。蒼凌や春覇あっての鴻宵の計画でしょ」

「ああ……」

 ということは、私はこのまま意に染まない戦いを続けなければならない。王命に背いて帰ったところで、私を貶める恰好のきっかけを与えることにしかならない。そうなれば、私の地位に王の意のままになる人間が付けられる可能性すらある。冗談ではなかった。

「引き続き情報を集めてみる……錫徹と遭遇することになるかも知れない。死んじゃ駄目だよ」

 慎誠の言葉に、私は暗い顔のまま頷いた。


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