巡察、盗賊、再会
日常が元に戻り、仕事も通常の業務になったので、私は宗伯府で執務をしながら祭祀や典礼の勉強を進める日々を送っている。
そして、時折は町に出かける。
漣瑛が私の脱走を常に警戒しているので、三回に一回は捕まって同行する羽目になる。段々私の行動に対する読みが鋭くなってきているのが恐ろしいところだ。一度などちょうど抜け出そうとしたタイミングで、何だかとてもいい笑顔と共に書類の山を持って来られた事もある。
優秀な部下を持つのはいい事だが、時には考え物だ。
捕まった場合、外出自体を阻止される事もあれば、漣瑛がついてくる事もある。が、最近は将軍としての巡察という形にして行く事が増えた。定期的に街の様子を見るのはやめたくないが、抜け出しているのがバレて私を快く思わない者達に痛くもない腹を探られるのもごめんだ、というのがその理由だ。
そういうわけで、今日も漣瑛と部下数人を従えて街を歩いている。将軍の装束のままだから、行き合う役人が皆敬礼していく。
碧の都、翠は、役人がしっかりしている事もあって治安は概ね良い。それでも、表通りから一歩入ればならず者も多く、巡視中に乱暴者を逮捕した事も一度や二度ではない。
「今日は割合落ち着いているか……ん?」
町外れに近づいてそろそろ引き返そうかと思った時、数人で集まって焦ったように言葉を交わす役人達が目に入った。彼らの前には、おろおろと門の外を指さす旅商人がいる。
「どうした?」
私が言葉を発する前に、漣瑛が声を掛けた。大将軍ほどの地位になれば、本来小役人や民衆と直接言葉を交わすものではない……らしい。
「あ……将軍!」
私の装束から地位を悟った役人達が、慌てて礼をする。旅商人も膝をついて頭を地につけた。
「顔を上げてくれ。何かあったのか」
「何を騒いでいたのか、お答えせよ」
私の言葉に続けて、漣瑛が言う。こうして従者を挟んで間接的に会話するのが正式なのだろうが、面倒なことこの上ない。
「それが……」
言いかけた役人が、ちらりと旅商人を見る。
「この者が、郊外で商人の荷が賊に襲われていると…」
「何だと」
私は眉を寄せた。だったら、悠長に話している場合ではない。
「すぐに役所の屯兵を集めよ。街の外であれ、我が国の領内で盗賊を見過ごすわけにはいかない」
私がそう指示を出し、漣瑛が復唱すると、役人は慌てて手を振った。
「しかし相手はかなり大規模のようで……襲われているのはあの庵氏の荷だと申しますし……」
「庵氏の?」
庵氏の荷なら、あの強力な私兵団がついている筈だ。私は目撃者である旅商人に目を向けた。
「どのような状況だった」
「ははっ……それが凄まじい激闘でして……庵氏が苦戦しているようで」
あの庵氏が苦戦しているとなると、確かに手強い相手のようだ。
「すぐに屯兵を」
「しかし将軍……」
「心配するな。私が指揮を取る」
後込みする役人達にきっぱりと言って、私は部下が牽いてきた馬に跨った。
「一刻を争う。もたもたしていると置いて行くぞ」
私がそう言えば、役人達は慌てて役所へ走り出した。
急遽かき集めた兵と役人を率いて、私は城門を出た。旅商人が言っていた方を見ると、なるほど土煙が上がっている。
こうなると小規模ながら立派な戦だ。
「突入する。腕に黄色い布を巻いているのが庵氏の兵だ。誤って殺すな」
そう教えてから、馬の腹を思い切り蹴る。乱闘に馬を乗り入れながら、剣を抜いた。
「翠の役人である!我らが都の膝元で狼藉は許さない!」
庵氏兵団にこちらの立場を知らせる意図も込めて、盗賊団に叫ぶ。数十の兵の乱入によって、盗賊団に動揺が走った。
「今だ!押し返せ!」
その動揺を見逃さずに鋭く叫んだのは、恐らく庵覚だ。
私も役所の兵に指示を出しながら手近な盗賊を薙ぎ倒した。
それにしても、確かに数は多いが、精鋭揃いの庵氏兵団が何故ここまで押されていたんだ?
その答えは、すぐに目の前に現れた。
「衛長、来ます!」
聞き覚えのある声が警告したと同時に、空気が騒ぐ。これは……
「伏せろ!」
私と庵覚の声が、図らずも重なる。風が唸り、避けそびれた兵士達の皮膚が切り裂かれた。
方士がいる。
五国方士の力を見慣れた私にとっては微々たる力の持ち主だが、通常の兵を混乱させるには十分だ。荒れる風をかわしながら、私は盗賊達に目を走らせた。
どいつだ。どいつが、風を使っている?
風精霊の密度が濃い場所を視線で辿っていく。
集団の奥。恐らく、首領だ。
見当を付け、盗賊の主力の方へ突き進む。漣瑛が慌てて引き留める声がするが、放っておく。
方士を先に潰さない限り、こちらの不利は変わらない。
「何だこの女顔……ぐっ」
黙っとけ。
馬鹿にしたように笑った賊の顔面に、鞘を叩きつける。続いて反対側にいた男の鳩尾に剣の柄を埋めたついでに、持っていた棍棒を奪い取る。それで賊をなぎ倒しながら進むと、ようやく風精霊をまとわり付かせた男が見えた。
「お前が首領か?」
男は答えない。返事の代わりに飛んできた風の刃をかわし、私はその男めがけて棒を振った。
「自由なる我が同胞、我が敵を滅せよ」
早口に男が詠唱した瞬間、棒が風で真っ二つに切断される。間違いなく、この場の風はこの男の仕業だ。私は半分になった棒を手放し、剣を構えた。首領の手にした矛と私の剣がぶつかり合う。同時に飛ばされた風の刃を、私は上体を逸らす事で避けた。
「風……」
この風使いは、どうやら風の刃による攻撃しかできないようだ。だったら、防ぐ手はある。
戦いながら馬上で腰を浮かせた私は、隙をついて一息に相手の馬に飛び移った。
「んな……っ!?」
目を見開く相手を勢いのままに突き落とす。とっさの詠唱で生じた風が肩口を裂いたが、上衣が破れただけで皮膚には至らない。追いすがるように飛び降りて地面に組み敷いてしまえば、風を使った攻撃はできない。距離が近すぎるのだ。術を封じられて焦っている隙に口を塞ぐ。これで詠唱自体出来なくなり、完全に風精霊のざわめきが止まる。
「これまでだ」
私は男の鳩尾に剣の柄を叩き込んだ。
「捕ったぞ!一人残らず捕らえろ!」
私の指示に反応して、役人と庵氏の兵団が一斉に賊を圧し始める。捕らえた男を部下に渡し、私も戦闘に加わった。
次々に捕らえられていく賊を見ながら、庵氏の若旦那はほっと安堵の息を吐いた。強力な私兵を有する庵氏には珍しく、今回は危うかったのだ。
それにしても。
「……翠の役所の兵はこんなに強かったかね」
半ば呟くように、傍らの弟に問いかける。
つい先程まで懸命に兵を督励していた彼は、額の汗を拭いながら兄の傍らで戦況を見渡した。
「いや、あれは……」
遠くに目を凝らし、庵覚が口を開く。
彼の目に映るのは、兵士達に迅速かつ的確な指示を飛ばす人物の姿。着物の胸元を綴じる飾り紐には、将軍のみに許された銀の装飾が施されている。そして身を翻す度に宙を泳ぐ、帯の側面に垂らされた玉の飾り。それを身につけることが出来るのは、武官の最高位に君臨する大将軍しかいない。
「どうやら、運が良かったみたいだねえ」
遠目に見る限りでも、明らかに若い大将軍だ。碧の大将軍は三人。その中であれだけ若い者となると一人しかいない。
「鴻宵……」
呟いたのは、庵覚の側で精霊の動きを伝えていた男だ。庵氏兵団の中では、最も鴻宵と親しい。
彼らが状況を分析している間に、件の将軍は賊を一網打尽にしていた。
賊を捕らえ、兵士達に戦場の処理を任せる。目で庵覚を探すと、既に役人が庵氏兄弟に質問を始めていた。どうやら今回、庵氏の私兵団の中に慎誠はいなかったようだ。もしいたならやられっぱなしになっているわけはないが。
「では、突如現れた野盗の数と方術に圧されて苦戦していた、と」
「相違ございません」
役人に深々と頭を下げ、庵氏の若旦那が答える。横で庵覚も同様の所作をしていた。庵氏の私兵達は、傷ついた仲間の収容と手当に当たっている。
「運が良かったな、庵氏。たまたま鴻将軍が近くを巡回しておられた」
「はい。感謝の言葉もございません」
……久しぶりに姿を見たから少し庵覚と話したいなと思っていたけれど、どうも普通に声を掛けられる状況ではなさそうだ。こういう時、自分の地位が少しだけ鬱陶しくなる。
「……鴻、将軍」
割って入れずに遠目に眺めていたら、躊躇いがちに声をかけられた。振り返れば、そこにいたのは懐かしい顔。
「函朔……」
再会を喜びたいところだが、函朔は微妙な顔をしている。私も苦笑を浮かべる他なかった。
現在、碧と白の関係は良好と言っていいが、いつ崩れるかわからない脆い同盟関係に過ぎない。増してや統一を目指すなら、いつか争う事は避けられない。それを重々理解した上で、私は碧を選んだ。それは白を母国として愛着を持っている函朔にとってみれば、恐らく立派な敵対行為だ。
嘗て仲間だった。
返せていない大きな借りもある。
けれども、今の私はもう、函朔に手をさしのべる事は出来ないのだ。
後悔はしない。しかしほんの少しの悲しみを感じながら、私は函朔に背を向けた。
宗伯府に戻った私を、檄溪が待っていた。私は首を傾げる。ここのところ、檄溪が私に持って来なければならないような仕事は無かったはずだ。だからこそ、私は街にでていたのだが。
「巡視に赴かれたようで、ご苦労様です」
へら、といつものように軽い笑みを浮かべて礼をする檄溪に、私は頷きで答えた。
「先程庵氏から使いが参りまして。将軍にお礼をということでしたが、将軍府の方へ来たので私が預かってこちらにお持ちしたわけです」
来訪の目的を告げ、檄溪は私に持っていた匣を差し出した。
「礼などいいのに」
私としては当然のことをしたまでだし、個人的に庵氏には借りも大きい。礼など貰っては返って申し訳ない。そう言って返したいところだが、既に使者が帰ってしまったのではどうしようもない。私が困って小さく呟くと、聞き咎めた檄溪が首を振った。
「お受け取りになった方がいい。相手はあの庵氏です。ただの礼の為に使いを出すでしょうか」
やや低めた声で言われ、私ははっと顔を上げた。
檄溪の言う通りだ。いくら庵氏が如才ないと言っても、あの程度の事で一国の卿に使いは出さないだろう。差し出された匣を受け取り、蓋を開けてみる。中には璧が入っていた。つまり、平たい円環形の玉だ。色から見て、上等な翡翠だろう。意図を掴めずに黙る私を見て、檄溪が助言をくれた。
「璧を贈るということは、友誼を求めるということです。場合によっては、臣従も示す」
私はぎくりとした。掌ほどの大きさの璧に込められた意味の重さに戸惑う。
受け取れば、庵氏との交誼を受け入れると同時に、庵氏の助力を得、逆に庇護を与えるという上下関係をも肯定することになる。咄嗟に蓋を閉め、返してこい、と言いかけた私の腕を、檄溪が押さえた。
「お受け取り下さい。庵氏と友誼を持つのは悪くない」
「しかし……」
「なにも庵氏も将軍も表立って動くわけではない。密かに将軍と誼を通じたいという姿勢です。国外の相手と繋がりを持つのも重要なことです。これを返せば将軍は庵氏の差しのべた手をはねのけることになりますよ」
私は暫く黙っていた。
檄溪の言うこともわかる。庵氏と結ぶことの重要性もわかっていた。ただ、その重さに尻込みしてしまったんだ、私は。
やがて小さく息を吐いて、私はその匣を仕舞った。それからふと、檄溪に目を向ける。
「随分親切に教えてくれたな」
「当然ですよ。私は将軍の佐官ですから」
軽やかに礼をして、立ち去りかけた檄溪は一度振り向いて、こう付けたした。
「我々属官の行く末は、将軍と一蓮托生だという事をお忘れなく」
私は何も言えずに、その背中を見送った。




