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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之弐 業火
21/115

公正の人

 棟家に、珍しい客が訪ねてきた。


 通された部屋に端座して棟家の当主を待つ男は、じっと無表情を保っている。

「これは珍しい」

 やがて出てきた当主は、開口一番そう言ってにこやかに男に挨拶した。

 男は立ち上がり、淀みなく礼をし、挨拶を述べる。

「突然お訪ねする無作法をお許し願いたい」

「なんの、いつでも大歓迎です。して、いかなるご用件ですかな」

 当主、棟凱は、席に着くと男の発言を促した。男は棟凱を真っすぐに見て、口を開く。

「私は司寇の官にあります。法に触れるもの、正しからざるものを摘発するのが私の職務です」

「うむ」

 棟凱は相変わらずにこやかである。

 その穏やかな風貌をひたと見て、男――至鶯は続ける。

「鴻将軍への中傷が流れています」

「うむ」

「貴方ですね」

 棟凱は表情を崩さない。

 至鶯も表情を動かさず、視線を据えたままでいる。

「貴方のなさりようは正しくない。直ちに改めて下さい。今であれば、司寇は動きません」

 それは、今手を引かなければこの国の法を預かる者として裁くという警告だった。棟凱は気にした風は見せず、ただふと首を傾げた。

「至氏は鴻氏と付き合いがありましたかな?」

「ありません」

 至鶯は言下に言い切った。

「ならば何故庇うようなことをなさる?」

「庇っているのではありません。司寇として当然の行動です」

 暫し、無言のまま視線がぶつかり合った。

「わしは何も鴻将軍を害そうとしておるわけではない」

「わかっています。貴方は鴻将軍を取り込みたい」

 初めて、棟凱の眉がぴくりと動いた。至鶯は続ける。

「もう一度言います、やめてください。貴方のなさりようは、あの大才を潰す」

「随分肩入れしておられるようじゃが」

「私は公正にありたい。しかし国の為に、天下の為に、あの才を潰したくない」

「これは面白い。天下の為、ですか」

 棟凱は目を細めた。

 実際、面白味を感じていた。棟凱の知っている至鶯は、司法に厳格で、何事にも公正であるあまり人との付き合い、人への関心をそぎ落としてしまったような男である。それが、今一人の人間を庇って天下の為の才であるとまで言っている。

「棟将軍――」

 なおも言い募ろうとする至鶯に、棟凱は手を振った。

「わかり申した。もう小細工はせぬ。わしも天下の大才を見てみたくなったのでな」

 それを聞いた至鶯は、数秒棟凱を見つめてから、黙って拝礼した。




 平穏が戻ってきた。


 わずか数日で、私に対する誹謗中傷は嘘のように消えた。今は元通り、叙寧やその一派からの地味な嫌がらせが残っているのみである。

「何があったんだ……?」


 首を傾げていた私のもとに、棟燐が訪ねてきた。


「残念ですわ。おじい様は鴻将軍を諦めておしまいになったみたい」

 私に会うなりそう言った棟燐の言葉を聞いて、私は溜息を吐いた。

「やはり、棟将軍でしたか……」

「あら、気付いておいででしたの?」

 棟燐が目を見開く。私は苦笑した。

「家臣が調べてくれました。一時はどうなることかと思いましたよ」

「まあ酷い。そんなに私との結婚が御嫌でしたの?」

「貴方は私などには勿体ないですよ」

 さらりとかわしてから、私はどうしても気になっていた事を訊いてみた。

「それにしても、棟将軍は何故諦めてくださったのです?」

 私の問いに、棟燐は目を瞬いてからくすくすと笑った。

「まあ、それはご存じなかったのですね」

 心底おかしそうに笑ってから、棟燐は言った。

「司寇様のお働きですわ」

「司寇の……?」

 私の脳裏に、あの不思議な問答をした相手の姿が浮かぶ。

 しかし、彼が私を助けてくれる道理は無い筈だが、と首をひねっている間に、棟燐は立ちあがっていた。

「あの方はどこまでも公正ですわ。おじい様の細工がお気に召さなかったのでしょう」

「そういうことですか」

 一応納得した私は、帰って行く棟燐を見送りに出た。棟燐が一度振り返り、私に向かってほほ笑む。

「また気が変わったらいつでも私を貰いにいらしてよろしいんですのよ?」

「はは」

 その言葉に笑いだけを返して、私は棟燐に別れを告げた。


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