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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之弐 業火
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厄介の再来

 都に戻った私達を待っていたのは、民の安堵した顔と叙寧の仏頂面だった。


 今回、北では砦の破損は大きかったものの人的被害はほぼあの門内の白兵戦によるものに限られ、百人に満たない。砦も守りきったのだから、相手の兵が多く、方術まで使われた割には健闘したと言える。


 対して、紅に攻め込んだ叙寧は案の定錫徹の猛攻に遭って惨敗した。辛うじて太子の率いていた一隊が頑強な抵抗を見せ、逃げ散った兵を吸収しながら速やかに撤退したらしい。お陰で太子の兵はほぼ無傷だが、全体として逃亡も含め一万近い兵を失う結果になった。錫徹の方はその後さっと兵を引き、また都に戻ったようだ。


「これで叙将軍も懲りて下さると良いのですが…」

「無理だろうな」

 都に入る手前で詳しい事情を知った私と漣瑛は、そんな言葉を交わして首を振った。懲りないとわかっていても、叙寧を今の地位から下ろす事は王ですら難しい。叙氏一族は旧家であり勢力が大きいからだ。叙寧を敵に回せば、その一族と争わなければならない。

「難儀なことだ……」

 溜息を吐いて、私は都へと馬を進めたのだった。




 都へ帰って復命を済ませると、暫くは戦後処理が通常業務に上乗せされる状態がやってくる。この時期はさすがに軍事関係も将軍府の属官だけでは処理しきれず、檄溪や軍吏の二人が宗伯府を訪ねてくる事が増えた。

 私も幾分かの書類を引きうけて処理していたのだが、途中でふと気づいて、ちょうど来ていた檄溪に声をかける。

「この戦死者の処理は、我々の仕事ではないのでは?」

「その通りですね」

 へら、と笑った檄溪の目が笑っていないのを見て、私は大方の事情を推察した。

「困ったものだ」

「これも若輩者の哀しさというものですかね」

 は、と乾いた笑みを零して、檄溪は書類を纏めた。内容は紅攻めの軍の戦死者の補償その他。言うまでも無く、それは本来叙寧の方で片付けるべき仕事である。

「もう少し私に回して構わないぞ」

「いえ、このくらいなら大丈夫ですよ。では、失礼します」

 いつもながら本音の読めない男だ、と、去って行く檄溪の背中を見送りながら私は思った。

 檄溪は有能なのは間違いないのだが、今一つ性格が掴めない。へらへらしているかと思えば、先日の戦の時のように鋭い一面を発揮する。わからない男だ。



 その日、忙しいながらも夕刻に帰宅した私は、文を認めて紫梗に使いを頼んだ。

「私がお使い、ですか?尉匡様の方がよろしいのでは……」

 相手を知らない紫梗は目を瞬いたが、私は苦笑して首を横に振った。

「女性を使いにした方が障りが無くて良い。相手は棟燐殿だ」

 私が言うと、紫梗はますます驚いたようだった。

「棟燐様に、文を」

「うん……実は先日の戦で棟燐殿に頂いた留め紐が切れてしまって。そのお詫びと、それから、その……婚儀の話は受けられないという意思を伝えに」

 とにかく一度棟燐に伝えてみる他ない、と考えての行動だった。私が自分で棟燐を訪ねて行けば棟将軍に捕まるに決まっているし、やはりあまり頻繁に会うのは障りがある。それでこういう形にした。文にお詫びとしての礼物を添えて、紫梗に預ける。

「そう、ですか……良いお話だと思ったのですけれど」

「俺に棟燐殿は勿体ないよ」

 苦笑してそう言った私に、紫梗はどこか言いにくそうに切り出した。

「あの……このお使い、無事に果たせましたら私のお願いを一つ、聴いていただけないでしょうか」

「何だ?」

 万事控えめな紫梗がお願いとは珍しい、と思って訊くと、紫梗は少し躊躇ってから、困ったように笑って言った。

「お使いから帰ってからに致します」

「そうか……では、頼む」

 私は首を傾げながらも、紫梗を送りだした。




 その頃、尉匡は自室で考え込んでいた。彼の前には、彼自身がこれまで付けてきた記録がある。鴻家の外向きの事を担当してきた彼は、他家との交流の様子を逐一記録に付けていた。

「将軍への中傷が激しくなったのが三月。しかしその前に……」

 記録を丹念に調べなおした尉匡は、はっと思い当った事実にぞわりと鳥肌の立つ思いをした。

「まさか……それでは……」

 頭を抱えた彼は、足早に自室を出て哀を探した。




 使いを終えた紫梗が帰ってきた時、私は漣瑛と一緒に総華が淹れてくれた茶を飲んでいた。省烈と範蔵は今日は子ども達にせがまれて武術を教えているらしい。尉匡は何やら忙しいようでまだ顔を見ていない。

「紫梗。どうだった?」

 私が訊くと、紫梗ははぁ、と生返事をした。

「棟燐様は、将軍の文を見て笑っておられました」

「笑って……?」

 私は眉を寄せた。何か変なことを書いてしまっただろうか、と考えるが、すぐに、棟燐がそういうことで笑って人の面目を傷つけるような人ではないと気づく。

「それで、何と?」

「『留め紐はまた作って差し上げます、お話は諦められません』と……」

 頭痛がする。

 私は頭を抱えて溜息を吐いた。漣瑛も紫梗も、難しい顔をする。

 諦められませんって……。

「……わかった。とりあえず、使い御苦労さま。それで、頼みっていうのは?」

 悩んでいても仕方が無い、と頭を切り替えて私が言うと、紫梗は一度目を伏せた。躊躇うように何度か口を開閉してから、意を決したように私を見る。

「非常に申し上げにくいのですが……実は、お暇を頂戴致したく」

「え?」

 ぽかんと目を見開いて、私は漣瑛と顔を見合わせた。お暇って……辞めるってこと、だよね?

「申し訳ございません。今朝方家から連絡がございまして、父が倒れたと……」

「ええ!?」

 紫梗は翠の少し南にある邑の郊外の農村の出身で、家は地域では一番の豪農だと聞いている。こんなところで住み込みで働いているものの、家族のある身なのだ。父親が倒れたとあっては穏やかではない。

「そういうことなら早く言えば良いのに!漣瑛、省烈を呼んで蔵から幾らか財を出してやれ。総華は家に着くまでの道中の食糧を工面してやってくれないか。馬は乗れるな?嶺琥に言って大人しいのを一頭貰え」

 私が立て続けに指示を出すと、漣瑛と総華は駆けて行った。紫梗はしきりに申し訳ないと詫び、それから礼を言って身支度を始める。退職金代わりに多めの銭を渡して、嶺琥が引き出した馬に食糧と荷物を乗せる。

「本当にありがとうございます。御恩に報いることもできず申し訳ございません」

「構わない。それより、家族を大切に。気を付けて」

 慌しく旅立っていく紫梗を見送ると、私は少しぼうっとしてしまった。

 紫梗が辞めた。家族を大切に、と言った自分の言葉に胸が痛む。

 私には家族が居ない。だからこそ、この家の人々を家族のように思っていたのかも知れない。紫梗がもう居ないという喪失感が、一拍遅れて胸を満たした感じだった。

「困りましたね」

 不意に、漣瑛が言う。駆けつけてきた省烈も頷いた。

「何が?」

 私が問うと、二人とも呆れたように首を振る。

「将軍。紫梗殿はこの家の家事を一手に担っていたのですよ」

「総華がいるとはいえ、手が足りねえだろ。さし当って飯を作る人間が居なくなったって事だ」

「ああ……」

 言われてみればその通りで、慢性的な人手不足に悩まされている我が家に紫梗の代わりに家事をする人間などいるわけがないのだ。

「待てよ」

 腕を組んで唸る二人を見ていた私は、ふとあることを思い出した。

「炊事、家事……いるじゃないか、やってくれそうな人たちが」

 呟いた私を、二人が不思議そうに見つめる。

 私は上機嫌で外出を告げ、一度自室に戻ると庶民の服に着替えた。一人ででかけようとした私を慌てて制して、自分も着替えた漣瑛が付いてくる。

「どうするんです?」

「勧誘しに行くんだ」

 迷いなく巷へ足を踏み入れる私を、漣瑛は不思議そうに見ていたが、辿りついた場所を見てああ、と声を上げた。

「仕えてくれますかね?」

「くれると思う」

 粗末な長屋の一室の扉を叩く。待つ間もなく、扉が開いた。

「おや、鴻宵?どうしたんだい、急に」

 目を瞬かせる淵の奥さんに、私は単刀直入に切り出した。

「うちの使用人になりませんか」

「直入すぎです将軍」

 漣瑛が冷静に突っ込んで、固まっている奥さんに向き合う。

「鴻将軍の家は現在家臣を集めている状態だ。それに本日、家事を担っていた使用人が退職してしまった。急な事で他に心当たりも無く、貴方方に仕官を勧めに来たのだが、どうか」

「え、し、仕官?」

「どうしたんだ?お、鴻宵じゃねえか」

 奥から出てきた淵央も目を瞬く。漣瑛が同じことを繰り返すと、ぽかんとして固まった。

「将軍家の、使用人……」

「悪い話ではないと思うが」

 漣瑛が畳みかける。

 どうでもいいけど、敬語じゃない漣瑛って珍しいな。尉匡ほどじゃないけど。

「も、勿論よろこんで!あ、登蘭さんもいいですかい?」

 淵央の問いに、漣瑛がこちらに伺うような視線を向ける。私が頷くと、漣瑛がそれを伝えて、三人の仕官が決まった。

「では明日、ここを引き払って将軍の邸へ来てもらおう。家宰には話を通しておく」

 漣瑛がそう伝達して、我が家の胃袋は無事確保されたのだった。




 新しい使用人を確保して意気揚々と帰宅した私達は、今日だけなら、と総華が頑張って作ってくれた夕食を摂った。

 食後のお茶を飲んでいた時、尉匡がすっと近づいてきて耳打ちする。

「内密にお話があります。後ほど、お部屋に伺っても?」

 私は目で頷いた。

 内密の話とは何なのか、見当がつかないが、尉匡が内密と言うくらいだ、重要な話なのだろう。



 いつも通りに湯を使った後、私は部屋で尉匡の訪れを待った。寝台に座ってぼうっと虚空を眺めながら、棟燐の件をどうしようかと悩む。何とか諦めて貰いたいが、なんと理由を付けたものか……。


 暫く悩んでも良い案は浮かばず、扉を控えめに叩く音に思考を引きもどされる。扉を開けると、尉匡がするりと部屋に入ってきた。

「何だ、内密の話って」

 部屋の周囲に誰も居ない事を確認して、話を促す。尉匡は深刻な顔をしていた。

「将軍への中傷の件ですが……」

 言葉を濁し、視線を泳がせる。何と言ったものか考えているようだった。

 私は何も言わずに彼が言葉を継ぐのを待つ。

「結論から申し上げれば、誰の仕業か分りました。動機も」

「本当か?」

 私は思わず身を乗り出した。しかし、それがわかったと言う割には、尉匡の顔は憂鬱そうだ。

「……あれは、将軍を失脚させようというものではありません」

「ん?」

 首を傾げる私に、尉匡は渋い顔のまま続ける。

「目的は、将軍を孤立させること……には違いないですが、それで陥れようというわけではなく、将軍を孤立させて逃げ道をなくそうというのが目的です」

「逃げ道……?」

 何からの逃げ道か。

 一瞬考えた私は、どっと冷や汗が吹き出す心地がした。まさか、という思いで尉匡を見る。尉匡は相変わらず苦い顔をしていた。

「事実、八方塞がりでしょう、今」

「まさか……そんな」

「私もまさかと思いました。が、哀殿の調べた人間と、私が持っている情報を突き合わせて、確信に至りました」


 私は頭を抱えた。何ということだ。


 呻く私に、尉匡がとどめを刺す。



「さすがは神算と呼ばれるお方です。獲物の追い込みに慣れていらっしゃる」



 中傷を流していたのは、棟将軍の手の者か。



 そう考えると、全貌が見えた。盲点に気付かなかったために曖昧模糊としていた実像が、急に鮮やかに浮かび上がる。


 新参の私を自分の勢力内に抱き込みたい棟将軍は、孫娘と私の結婚を考えた。ところが、その話をしてみれば私は乗り気でないようだ。

 そこで、一計を案じた。

 新参の若い将軍を良く思っていない者は多い。筆頭が同じ大将軍の叙寧だ。彼はまた、その一族の大きさに於いて棟将軍の政敵でもある。棟将軍が配下を使ってこっそり私を中傷する流言を播けば、私は瞬く間に孤立するだろう。生き残るためには、棟将軍の差し出したこの婚姻という友誼の手を握らないわけにはいかない。

 そして棟将軍の姻戚になってしまえば、流れていた誹謗中傷など誰も表立って口に出さなくなり、結果として悪影響はほぼ無くなるだろう。ひょっとすると棟将軍のことだ、その誹謗中傷の発生源を叙寧一派に仕立て上げて、ついでに政敵を一掃することまで考えているのかも知れない。


 全くの盲点だった。まさかあれだけ友好的な棟将軍が私の中傷を播くとは誰も思うまい。


「やられた……」

 そしてこの策を押し返す手段は、私には無いのだ。正しく、私は追い込まれた獲物だろう。


 呻く私を見ていた尉匡は、静かに口を開いた。

「事ここに至っても、まだ棟燐様とのお話は受けられませんか?」

 私は泣きたくなった。

 確かに他に道は無い。それでも、どうしても結婚は出来ないのだ。

「だめだ……」

「どうしても?」

「無理なんだ」

 頭を抱えて私が言うと、尉匡はふう、と息を吐いた。それから、少し躊躇うような間を開けて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「しかしながら、お断りする理由も……」

「無い……」

 私は力なく答える。

 どうしていいのかわからない。

 尉匡は、もう一度深く息を吐いてから続けた。



「ありませんね……将軍が女性であることを告白する以外には」



 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


 弾かれたように顔を上げた私を、尉匡は静かに見つめている。

「尉匡……?今……何て」

「女性なのでしょう、貴方は。だからそこまで拒まれる」

 声が喉に張り付いたようになった。笑い飛ばそうと思うのに、うまく口が動かない。

「は……何を、根拠に」

「根拠、ね。殆ど勘ですが」

 はっとした時には遅かった。尉匡に肩を掴まれ、寝台に倒される。

「何なら、確かめてみましょうか?」

「――!」

 ぐらり、と、視界が揺れるような不安と恐怖を感じる。


 何で、尉匡は、私の大事な臣下で、信頼を裏切るような人間じゃ……


 真上から見下ろされて、目じりに涙がにじむのがわかる。震える手でもがこうとした時、ふ、と肩が軽くなって尉匡が身を引いた。

「冗談です。そんなに怯えないでください」

 優しい声と共に、そっと引き起こされる。

 身を起こした拍子に、涙が一粒ぽろりと零れた。尉匡が慌てる気配がする。

「すみません、泣かせるつもりは……困ったな」

 本当に困ったような声で言って、俯いた私の頬を袖でそっと拭う。

「妙な人ですね、貴方は……三千の兵で五万の大軍にぶつかるのは怖くないのに、私なんかが怖かったですか?」

「……っ、だって」

 尉匡が、仲間が、違う人間みたいで怖かった。

 女だとバレてパニックになっている所にあんな態度を取られたら、怖いに決まっている。


 言いたいことは色々あったけれど、声に出すと震えてしまいそうで、私は黙って顔を覆った。落ち着いてくると、今度は羞恥心がわきあがってくる。

 仮にも一国の三指に入る将軍が、家臣にちょっと脅かされたくらいで泣くなんてどうかしてる。

 ごしごしと掌で頬をこすった私は、きっと尉匡を見上げた。

「さっきのは忘れろ。それとこのことは誰にも言うな」

「勿論他言はしませんよ。……忘れるのは、努力します」

 苦笑交じりに言うと、尉匡は私の頭をぽんぽんと撫でた。

「さて、それはそうと本当にどうしましょう。まさか棟将軍に将軍が女性だと申し上げるわけにもいきませんし……というか、そう申し上げた場合相手が変わるだけでしょうね」

「……」

 恐らく、尉匡の観測は正しい。

 もしも私が女だと知ったら、棟将軍は今度は一族の若者を見つくろって私に勧めるだろう。そんな結婚はしたくない私としては、相変わらず八方塞がりということになる。

「相手を変えて結婚しろとは言わないんだ?」

 家の事を考えると棟家との友誼を保ちたいだろうに、棟燐と結婚しないのかと勧めた時のような強引さを発揮しない尉匡を訝しむように見る。尉匡は苦笑した。

「さっきの泣き顔を見てなお意に染まぬ結婚をしろと言うほど、私は鬼ではありませんよ。また、その権利もありません」

 何とか解決策を見つけるように頑張りますよ、と言った尉匡に、私は礼を言った。


 その解決策は、意外な所から訪れたのだった。


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