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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之弐 業火
19/115

攻防

 まるでひたひたと寄せる黒い波のように進んできた昏軍が、城壁からの矢が届かないぎりぎりの位置で停止する。陣の中央が割れて、二乗の兵車が出てきた。一方は叡循貴、もう一方は黒零で間違いないだろう。

「城壁の上から失礼。循公子とお見受けする」

 私は叡循貴に向かって、礼儀正しく声を掛けた。車の上で彼が答礼するのが見える。

「そちらは鴻将軍だな」

「いかにも」

 互いの名を確認し、宣戦布告が始まる。

 戦いの前に将同士の対話をしなければならないというのは緊迫感に欠けるように思えるかも知れないが、いきなり攻撃をかけるのは非礼とされるのだ。

「我が国は昏に何の害を加えたわけでもない。何故このように大軍勢で我々を脅かされるのか」

 私が問うと、叡循貴が応じようとする。しかしそれより早く、鋭い声が空を裂いた。

「鴻宵!」

 私は内心嘆息する。世間知らずは相変わらずか。

「璃氏……!」

「鴻宵、何故吾を裏切った!」

 制止しようとした叡循貴の声も意に介さず、黒零が叫ぶ。これは勿論礼儀に外れている。しかも裏切ったとは人聞きの悪い。

「大陸王家の璃氏様ですね。お目にかかれて光栄です。敵陣に在るのが無念というもの」

 私は固い挨拶をすると、すっと目を細めた。

「裏切ったと仰いますが、私は己の在るべき場所へ戻ったまで」

 黒零の裏切り者呼ばわりを認めては、碧軍の中に疑いを生じる事にもなりかねない。私は自分が碧の人間である事を強調する形で、黒零をはねつけた。


 ちくりと胸が痛む。

 黒零、あんたは真っ直ぐすぎるよ。


「戦場での礼儀を学ばれた方がよろしいかと」

 感情を抑えた声で私が言うと、黒零は唇を噛みしめているようだった。それを叡循貴が促して、陣へ戻っていく。

「鴻将軍……」

「来るぞ。撃ち方用意!」

 何か訊きたそうな声を遮るように、私は指示を出した。

 今は説明している暇は無い。絃鞍の部下が、私達の前に盾を置いた。弓を持った兵が一斉に構える。

 昏軍が一足先に矢を放ち、城壁の矢よけや盾が音を立てる。進んできた昏軍が、防衛線を越えた。

「放て!」

 号令に従って、矢が飛んでいく。戦いの幕が上がった。


 門を破ろうと丸太を抱えて突き進む一隊の上に矢の雨が降る。城壁をよじ登ろうとする兵士達の上には、矢に加えて岩や煉瓦も降った。

「一人も通すな!」

 怒号が飛び交う。戦況を観ていた私は、不意に異質な空気を感じた。

 水精霊が騒ぐ。

「まさか……!」

 その瞬間。

 丁度私達の足下に位置する門の周りから、ざわめきが上がった。とっさに側の兵から小型の盾を借りて走り、城壁の下を覗く。


 門が、凍り付いていた。


「門に走れ!」

 私が部下達に叫んだのと同時に、凍てついた門扉は脆くも砕け散った。私はすぐに踵を返して走り、綱に手を滑らせて城壁から下りた。門の内側では、既に激闘が始まっている。下に居る兵を率いていた檄溪が、兵士を督励しながら矛を振るっているのが見えた。

「黒零……!」

 歯がみしながら、私は矛を振るって敵兵を沈めた。此処で何とかして食い止めなければ、砦を落とされてしまう。漣瑛も絃鞍も次々に下りてきて、戦闘に加わった。

「絃将軍!貴方は指揮を!」

 指揮を執る将軍が全員白兵戦に参加していては全体が動けない。私は絃鞍に指揮に戻るよう叫んだ。破られた門からは冷気が吹き込み、氷が少しずつ広がっている。黒零は城壁ごと崩すつもりだ。

「押し戻せ!一兵たりとも通すな!」

 兵を励まし、昏の兵を城門の外まで押し出す事に全力を注がせる。幸い門が狭いために昏兵が大量に雪崩込んでくる事態は避けられ、必死の碧軍が押している。このまま昏軍を押し出す事は可能だろう。問題は、破られてしまった門をどう塞ぐか。

「漣瑛!」

「はい!」

 混戦の中で叫ぶと、ちゃんと返事が返ってきた。

「南の楼に油壺がある!」

「は!?」

「絃将軍の所へ持って行け!火種もだ!」

「……わかりました!」

 漣瑛が戦闘から離脱して駆け出す。どうやら意味はあまりわかっていないようだが、とにかく持ってきて貰うしかない。指示のために一瞬気がそれた私に迫った刃を、いつの間にか傍に居た檄溪が叩き落とした。

「なるほど、考えましたね」

 すぐに向き直ってまた矛を振るいながら檄溪が呟いた言葉が耳に届く。彼には私の意図が読めたようだ。

 昏兵を一人突き倒したところで別の兵の振った刃が頬を掠める。それを門の方へ蹴り飛ばし、倒れている味方を助け起こした。

「もう一息だ。押し返せ!」

 わぁっと碧の兵が喊声を上げる。勢いに乗って、昏兵を猛然と押し返し始めた。


 九割方押し出したところで、漣瑛が何人かの兵士を使って城壁の上に大きな油壺を運び上げているのが見えた。

「檄溪!」

「はい」

「私は上へ行く。昏兵を押し出したら合図してくれ!」

「はい!」

 檄溪への指示を終えると、手近な綱をよじ登る。追ってきた昏兵を矛の柄で殴り倒して、城壁の上へ出た。

「鴻将軍、この油は一体……」

「門だ」

 私が答えると、絃鞍は怪訝な顔をした。私は意に介さず、漣瑛に油壺を門の真上まで運ばせる。兵士の一人には、下を見て檄溪からの合図を知らせるように命じた。

「いいか、合図があったら門の前に油を撒け」

 火種を受け取って吹きながら、私はそう指示した。首を傾げていた漣瑛が、ようやくわかったように手を叩く。

「なるほど!考えつきませんでした」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、合図が届く。

「撒け!」

 城壁の上から油が撒かれると、門へ再び押し入ろうとしていた昏兵は何事かと後ずさる。その油の上に、私は火種を落とした。

「これは……!」

 絃鞍が目を見開き、絶句する。油は瞬く間に燃え上がり、門扉の代わりに門を塞いだ。

「相手は氷だからな。これは一時凌ぎに過ぎない。急いで門を塞がなければ」

 私はそう言って、城壁の上の兵には攻撃を続けるよう指示した。

「鴻宵!」

 怒りと苛立ちを含んだ声と、水精霊の気配。私は反射的に矛を手放して剣を抜き、飛来した氷柱を斬った。

 下を見れば、黒零の車が城壁の側まで来ている。黒零は私を真っ直ぐに見上げていた。怒りに満ちた表情。なのにそれが、私には何故か泣きそうな顔に見えた。

 また氷柱が飛んでくる。それを斬り落とすと、続いて二本。一本を斬り一本を盾で受けた私は、黒零に視線を向けて首を振った。


 黒零、戦は感情でするものじゃない。



 炎を消そうとする昏兵と消させまいとする碧の兵が争っている間に、何とか急拵えの門扉が完成した。砦にあった木材と盾を組み合わせて煉瓦と土嚢で固定した有り合わせのものだが、兵士達の工夫で案外丈夫に仕上がった。

「何とか出来たな」

「しかし将軍、もしまた同じ手を使われたら……」

 漣瑛が不安げに言う。

「同じ轍は踏まない」

 私はそう言うと、腰に帯びた剣から佩玉を外した。鴻耀がくれた、あの佩玉だ。私はそれを、急拵えの門扉に掛けた。

「それは……?」

「知り合いから貰った土精霊の媒体だ」

 そっと佩玉に手を当て、力を籠める。

「土は水に克つ……少しは耐えられるだろう」

 方士でなくても、媒体をお守り代わりに持っている人はいる。これなら、方士だと名乗らずに門を護れる。鴻耀に感謝だ。




 土精霊に護られた門や城壁を黒零は破れず、昏兵は攻め倦ねて対峙が続いた。


 その間に、都から紅への侵攻が失敗したという知らせが届いた。やはり叙寧には無理だったようだ。敗兵は蒼凌がうまく纏めて退却したらしく、負け戦の割に損害は少なかった。

「さて、こちらの戦況をどうするか……」

 対峙したまま動かない昏軍を楼台から見下ろしながら、私は呟いた。戦局が膠着しているため私と絃鞍は交代で休んでおり、今は絃鞍が休憩中だ。

 眼下の弓を手にした兵士達も、壁の内側に座り込んで喋っている。漣瑛だけが生真面目に楼台の下に控えていた。

「士気もだれるしな……」

 独り言を口にした時、ばさばさという羽音と共に一羽の大柄な烏が欄干にとまった。

 ……ん?

「随分苦労してるみたいだな」

 烏が喋った。

「何だ、やっぱり蕃旋か」

「何だって何だ」

 むっとした声は、やはり蕃旋のものだ。

「久しぶりだな。相変わらず黒零を狙ってるのか」

「当たり前だ」

 ばさりと羽を動かして、烏……蕃旋は言った。

「お前は変わったな。将軍様かよ」

 鎧を嘴でつんつんとつつかれる。その動作が何となく癇に障って、私は蕃旋の羽を摘んだ。案外簡単に一枚抜ける。

「いてっ!何しやがんだ!」

 蕃旋が燕脂色の目を見開いて抗議する。私は黒々とした羽根を眺めながら、少し前から考えていた事を口にした。

「なぁ蕃旋」

「あ?」

「お前本当に黒零を殺したいのか?」

 私の手にある羽根を不満げに見ていた蕃旋が、その問いに一瞬身を強ばらせる。しかし、すぐに鼻を鳴らした。

「当たり前だろうが」

「だったら何で黒零はまだ生きてるんだ?」


 おかしいと思っていた。

 以前、最初に蕃旋が黒零を襲った時、私が赤鴉の一族を引き受けていたから黒零は蕃旋と互角に戦えた。それだって、虚廉と危謄が現れなかったら危なかったくらいなのだ。あの時あそこまで追い詰めたのだから、私も虚廉も危謄も居ない今、蕃旋が黒零を殺す事はたやすい筈。

 なのに、何度か赤鴉が黒零を狙ったという噂は流れてくるのに、黒零は健在だ。


「あいつが力を付けてんだよ」

 蕃旋はそう言って、私の肩に乗った。

「つぅかお前他人の心配してる暇が有んのかよ。苦戦してんじゃねぇか」

「別に苦戦はしていない」

 私は兜をこんこんとつついてきた蕃旋の嘴を摘んだ。

「むー!」

「戦局が動かないなら、苦戦しているのは向こうの方だ」

 膠着しているという事は、滞陣が長引くという事。こちらは砦の中にいて兵糧の運搬路がきちんと確保出来ているが、向こうは都から遠く離れて出陣してきている。余程きちんと兵坦を整備していない限り、こちらよりも現状の維持が困難な筈だ。

「ま、早く帰りたいのは確かだがな」

 早く片づけて帰らないと、またどんな陰口を叩かれるかわかったものじゃない。

 蕃旋が何か言いたげに首を振るので、嘴を放してやった。

「何しやがんだこら」

「いや、つい……」

 やってみたくなるんだよ。

 憤慨した様子で欄干に飛び移った蕃旋は、ふっと対陣している昏軍に目を向けた。

「あいつら、追い払ってやろうか?」

「え?」

 予想外の言葉に、私は目を瞬く。

「俺の一族を使って追い払ってやる。大将の叡循貴は俺達が黒零を狙ってるのを知ってるからな。黒零を守る為に退く筈だ」

 私はじっと蕃旋を見据えた。

 何故、そんな事を言い出した?

「……要求は?」

 私の口から出たのはそんな問いだった。わざわざ私の所へ来てこんな事を言うのだ。何か望みがあるに違いない。

 蕃旋は私の問いに少し羽を揺すると、真っ直ぐに私を見て言った。

「依爾焔に会わせろ」

 爾焔に?

「どういうことだ」

 言ってから、私ははっとした。

 蕃旋は朱雀の眷族だ。そして爾焔は先日まで、朱雀を宿していた。

「奴から引き離されたことで朱雀は神殿から出られなくなった」

 弱った朱雀は、強い加護を受けた方士が遠ざかってしまったことで行動力を大きく制限されてしまったのだと言う。

「会ってどうする」

「奴の思いを聞く。場合によっては…」

 朱雀を裏切ったのなら、爾焔も殺すという事か。

 私は軽く息を吐いた。

 以前言いそびれた事を、言っておかなければならないだろう。

「蕃旋……朱雀を傷つけた者を殺すというのなら、殺すべき相手は他にいる」

「あ?」

 私の言葉に、蕃旋が首を傾げる。

「朱宿だ」

「あぁ……確かにそうだけど」

 言われるまでもない、といった態度で、蕃旋は羽を一振りした。

「どうしようもねぇだろ。あんな素性も居場所も名前すらわかんねぇ奴相手に」

「……わかるさ。名前も…居場所も」

 私は蕃旋をじっと見下ろした。

「何だって?」

 蕃旋が不審げに私を見据え、視線が絡む。私は黙っていた。

「……お前、まさか」

 燕脂の瞳が見開かれる。私は敢えて視線を外し、昏軍を眺めた。

「この戦は多分黒零が起こしたんだ。俺の裏切りを責める為に」

 でなければ、こうも迅速に昏軍が動く筈が無い。

「だから黒零を説得すれば昏軍は退く」

 もうだいぶ疲弊している筈だから、間違いない。

「おい……」

「というわけで、お前には黒零の説得に行って貰いたい」

 不満げな蕃旋の声を無視して、私は続けた。蕃旋が復讐の矛先を変えた事を知れば黒零の気持ちはいくらか安らぐだろうし、それから碧の砦に落ちる気配が無いという事実を突きつけられれば意地で対陣を続ける事も無くなるだろう。

「ちょっと待てよ!何勝手に決めてんだ!」

「重大事項を教えてやったんだ。対価としてこのくらいはやって当然だろう」

 騒ぐ蕃旋に、私はしれっと言う。寧ろお釣りがくるくらいだ。

「……お前が朱宿だって証拠が無い」

 蕃旋が唸るように言う。私は肩を竦めると、片手を横に翳した。腕を取り巻くように、精霊達が集まる。

「試してみるか?」

 瞬間、蕃旋が飛んだ。

 とっさに風を起こして軌道を外すが、爪が掠って兜の留め紐が切れた。棟燐殿に貰った留め紐が、と、緊張感の無い思考が過る。

「……何で、朱雀を裏切った?」

「元々無理矢理器にされたんだ。軍を焼き払わされるなんて、嫌にもなる」

 私は正直に答えた。あの時の、偽らざる気持ち。

 再び襲ってきた嘴を、風で止める。

「朱雀の狂気は今や紅の国にも及んでいる…因みに、爾焔から朱雀を引き剥がしたのも俺だ」

 私がそう教えると、蕃旋の目つきは険しくなった。

「狙うなら俺を狙え」

 私は自分の胸を軽く叩いた。

「但し、簡単には殺されてやらない」

 そう宣言した私がにやっと笑うと、蕃旋は脱力したように肩を落とした。

「また手強い野郎を敵にしちまったな…今日の所は退いてやる」

 欄干に飛び乗り、羽を広げながら言う。

「情報料分は働いてやるよ…今度会ったら覚悟しとけよ!」

「ああ」

 捨て台詞を残して、蕃旋は飛び立って行った。大空を旋回した烏が、大きく羽ばたいて昏軍に向かって行く。

「また恨みを買ってしまったな……」

 苦笑しながら、私は楼台を降りた。


 間もなく、昏軍は撤退した。

 私は追撃を命じる事はせず、砦の修復が終わると兵を率いて都へ引き上げた。


 時は五月になっていた。


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