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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之弐 業火
18/115

急変

 着々と出陣の準備が進む。


 出兵が決まった時点で、私は北辺の砦に使者を出した。連絡を綿密に取り合い、守備隊とスムーズに合流出来るように手を打つ。

 同時に、南方へも偵諜を出した。紅の動き、碧軍との戦闘状況も出来るだけ自分で把握しておきたい。


 出立は明日に迫った。私は檄溪以下の属官と隊長達を集めて通る道や装備を確認し、全ての手続きを終わらせて家路に就く。

「昏は寒いだろうな」

「紫梗が新しい裘を用意してくれている筈です」

 漣瑛と言葉を交わしながら、城門を出た。

 何気なく空を仰げば、一面の星だ。星明かりと月の光が、松明が要らないほどに冴え冴えと地上を照らしている。

「今夜は明るいな」

「将軍」

 不意に、漣瑛が声をかけてきた。顔を戻して彼の視線を追うと、静かに佇んでいる少女の姿に行き当たる。私は目を瞬いた。

「棟燐殿」

「鴻将軍……よかった、ここでお待ちしていればお会いできると思いましたの」

 そう言って微笑んだ棟燐が、私に歩み寄る。白い手がすっと何かを差し出した。

「これを……私がお作りしたお守りですわ」

 それは美しい紫の石を縫いつけた飾り紐だった。兜の留め紐に使うものだ。

「御出陣なさると聞きました。どうかご無事で」

「棟燐殿……」

 戸惑いが先に立ってうまく言葉の出ない私を余所に、棟燐は優雅に礼をすると去って行った。

 私の手に、渡された飾り紐が残る。

「……どうやら大分本気のようですね」

 感心したような漣瑛の一言に、私はがっくりとうなだれた。




 とにもかくにも、南北に向けて軍が出発する時が来た。

 号砲と共に、まず叙寧が兵を率いて出ていく。蒼凌も鎧を着けて騎馬を率いていた。遠くなる背中を見ながら、頼む、と心の中で呟く。

「では」

 見送る棟将軍に黙礼し、私は馬に乗った。少し離れた堂の上からは春覇も見ている。彼女は今回都に残る事になったのだ。


 南への軍に続き、私の率いる軍が街道へ出る。

 昏との国境の砦まで約二十日。砦に着いたら、守備隊の兵と合流して警備に当たればいい。昏が攻めて来ない限りは、暇な役目だ。

 都の門を出て北へ進路をとった私は、まだ今回の出兵を楽観していた。




 昏の都、虚邑。

 一人の青年が、離宮に続く回廊を歩いていた。この離宮は一年ほど前までは閉ざされた空間だったが、今ではこうして行き来する人間も一定数居る。そして離宮に住まう人物も、外に出るようになった。

「璃氏、居ますか」

 青年は取り次ぎを待たずに声を掛けた。一拍の間があって、室内から声が返ってくる。

「その声は循貴か。入れ」

 循貴と呼ばれた青年は、自ら扉を開いて中に入った。叡循貴。昏王の末子である。

 循貴が部屋に踏み込むと、離宮の主は自分で茶を淹れていた。

「そんな事従者にさせればよいのに」

「吾はこの方が気楽で良い」

 離宮の主、璃黒零はそう答えると、循貴の分も茶を淹れた。

「もっとも、吾の淹れる茶は不味いが」

 などと言いながら、循貴に湯呑みを差し出す。礼を言って受け取った循貴は、茶を一口啜った。若干渋い。

「それで、わざわざここまで不味い茶を飲みに来たわけではあるまい?」

 自分も湯呑みを持って椅子に腰掛けながら、黒零が水を向ける。循貴は頷いた。

「碧が紅を攻めるようですよ」

 つい先程届いた情報だ。黒零はほぅ、と呟いた。

「一気に潰す気か。兵は?」

「八万。帥将はどうやら叙寧のようです」

 循貴が淀み無く答える。更に付け加えた。

「こちらにも、背後を警戒して軍を送り込むようです。こちらは一万と聞いています」

 黒零は循貴の言葉を聞いているのかいないのか、静かに茶を啜っているばかりだ。しかし循貴も慣れているのか、微塵も気にした様子は無い。

「こちらの隊の将は鴻宵のようです」

 ぴくり、と黒零の手が動いた。循貴は珍しい反応に目を瞬く。

「どうかしたのですか?」

 そう訊くと、かなり長い時間を置いてから、ようやく言葉が返ってきた。

「鴻宵か……。循貴、碧を攻めてみる気は無いか」

 循貴は目を見開いた。

「急に何を……」

 慌てる循貴に黒零は地図を見せた。

「碧の砦は此処、臨邑の郊外にある。ここを獲って、心泉まで領地を広げるのも悪くない」

「確かに、そうですが……」

 循貴は戸惑ったように瞳を揺らした。

「突然言い出したのには理由があるのでしょう。鴻宵……碧の大将軍に、何かあるのですか」

 循貴の問いに、黒零は静かに目を据えて答えた。左の手首に着けた腕輪を握る。

「鴻宵……あれは、以前吾の側にいた男だ。鴻宵は……吾を裏切った」

 窓の外で、吹き荒ぶ風の叫びにも似た音が聞こえた。




 そんな事とは露知らず、私は北へ向かっていた。

 今回は急ぐ必要は無いと考えていたので、兵士を走らせてはいない。通常の行軍速度で進み、都を出てから十日目を迎えていた。もう行程の半ばに差し掛かっている。

 平原を抜け、なだらかな丘陵地帯に足を踏み入れた頃、前もって北に放っていた偵騎が駆け戻ってきた。

「申し上げます!」

 偵騎の符丁を持った騎馬が中軍の中に入り、偵察兵が馬を降りて私の前に跪く。馬を飛ばして来たのか、息が少し乱れていた。

「どうした」

 手綱を絞りながら私が問うと、彼は報告を始めた。

「昏の都から兵が出ました。数は五万」

「何だと!?」

 五万もの軍勢がこちらへ来ると言うのか?

 こちらは私の率いてきた一万と守備兵を合わせても一万五千だ。

「何故……」

 碧が紅を攻めている今は確かに昏にとっては好機だ。しかし、こうも迅速に兵が出るだろうか。

「帥将は叡循貴。副将に璃黒零がついているようです」

「璃黒零……!」

 私の脳裏に、一人の少年が浮かんだ。

 離宮に軟禁され、無聊を託っていた少年。

 今は五国方士の一人に数えられる、水精霊の使役者だ。

「位置は」

「現在楮の南辺りです。半月程で、国境に達するかと」

 迷っている暇は無い。

「全軍、走れ!七日以内に砦に入る!」

 これまでの速度のままなら、砦まであと十日。そうすると昏軍が現れるまでに数日しか猶予が無い。砦の兵と息を合わせ防備を整えるまで、せめて七日は必要だ。

「翠へ早馬を出せ」

「はっ」

 一万人の兵士達が走り始める。

 私は都に知らせを出し、同時に騎馬の一部を兵糧の運輸経路確保に走らせた。五万の昏兵を相手に野戦をする愚は犯せない。当然砦に籠もって戦うことになる。その場合何よりも大切なのは兵糧だった。


 進軍しながら、私はこまめに偵騎を出し、昏軍の様子を探らせた。

 情報の獲得は、戦の行方を大きく左右する。



 そして、昏の出兵の知らせを受けてから七日目。

 私達は北を護る砦に辿り着いた。

「お待ちしておりました」

 私を出迎えたのは、守将の絃鞍だ。一年前、私が峰晋の私兵として碧に入った時もここを護っていた人物である。

「備えは」

「戦闘態勢は平時より整えてあります。今は城壁の補強と矢の補充を急がせています」

 私は砦の楼台に登り、砦全体を見渡した。二重になった城壁の内側に兵士達が石を積み、備えを堅くしている。

 私は絃鞍に武器や食糧、矢の在庫を尋ね、兵の配置についての打ち合わせに入った。


 慌ただしく、時が過ぎていく。


「絃将軍、兵を配置につかせよう」

 昏軍接近の知らせを受け、私はぎりぎりまで作業を続けていた兵士達に戦闘準備を命じた。兵士達が持ち場に走り、城壁の上の者は弓を持ち、その後ろに補佐、壁の内側には武器を持った兵士達が控えた。彼らの前には城壁から垂らされた綱があり、いつでも上り下り出来るようになっている。

 私と絃鞍も近しい部下を連れて城壁の上に居る。城壁の上の者を守るように取り巻く壁は大人が屈んで隠れる高さだから、立っている私と絃鞍は外の敵兵からよく見える筈だった。

「来ました!」

 楼台の上の兵士が叫ぶ。稜線と森の緑に縁取られた地平に、土埃が見え始めた。

「この戦、負ければ国を危険に晒す」

 何しろ、八万の兵士を紅攻めにつぎ込んだ碧の都には、満足な兵が残っていないのだ。

「国の命運が我らの双肩にかかっていると思え。何としても此処を守り抜くのだ!」

 私の鼓舞に、兵士達が喊声で答える。私は矛を握って、近づいてくる昏軍を見据えた。


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