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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之弐 業火
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降伏勧告

 目を開いた依爾焔は、自分が幕舎の中に居る事に気づいた。見覚えの無い幕舎だ。

「目が覚めたか」

 掛けられた声に目を向けると、漆黒の瞳が爾焔を見下ろしていた。

 懐かしくも憎らしくもある、端正な面立ち。

「朱宿……」

「鴻宵だ」

 訂正され、額に手を乗せられる。

「少し魘されていたようだが」

 そう指摘されて、爾焔は目を逸らした。

「少し……昔の夢を見ていたんだ」


 あれからもう、十五年になる。


 霞のかかったような頭でそう思い浮かべた爾焔は、はっと目を見開いた。思わず飛び起きる。

「朱雀……朱雀は!?」

 意識を失う前までは自分の中に居た筈の朱雀を感じない。

 どうして。

 引き剥がされてしまったとしたら、どこへ行ってしまったのか。


 突然の爾焔の行動に目を見開いた鴻宵は、宥めるような手つきをしてから溜息を吐いた。

「逃げられた。多分神殿に戻ったんだろう」

「戻った……」

 爾焔はほっと肩の力を抜いた。

 神殿に居るのなら、朱雀は大丈夫だ。神殿や朱雀の元の居場所である南霊山に居る限り、眷族や精霊が全力で守ってくれる。

「……どうやら、ただの守護神と方士の関係ではないようだな」

 鴻宵が呟く。爾焔はそちらに胡乱な目を向けた。

「君こそ、まさか青龍を引っ張って来るとは思わなかったよ。一体何者なんだい」

 暫時、鋭い視線がぶつかる。鴻宵は肩を竦めた。

「何者かなんてこっちが訊きたいくらいだ。青龍は俺と同じ目的の為に協力してくれてるだけだよ」

「同じ目的?」

 復唱する爾焔に、鴻宵が頷く。

「女神を連れ戻す事さ」

 爾焔は目を瞠った。

 女神を連れ戻す。

 それはこれまで誰も為し得なかった、根本的な解決手段だ。

「そんな事……出来るのかい?」

「とにかくやってみるしかないだろう」

 あっさりと言う鴻宵。爾焔は呆気にとられた。

 驚きで言葉が出ないなど、久々だ。

「……前向きだね」

「やってみれば出来るかも知れないが、やらなければ絶対に出来ないからな」

 水を入れた鍋を火にかけながら、鴻宵は言う。その横顔には楽観も驕りも無く、ただ静かな強さが湛えられていた。

「……よくわからない人だ」

 爾焔の口から、本心がこぼれる。

「女神を連れ戻す事が目的だと言うなら、朱雀だって同じだ。でも、君は朱雀を拒絶した」

 その身に負った傷のために自由に動けなかった朱雀が、依り代に出来る人間を見つけて行動可能になった。ようやく動けるというその喜びを、あの時爾焔も確かに感じ取っていた。


 朱宿に拒絶された時。

 神殿に戻された朱雀は怒り狂った。どうして、何故、と喚く朱雀を宥める術を、爾焔は知らなかった。そっとしておくという選択肢しか無かった。


 それから暫く経って、爾焔が王によって神殿に幽閉された時、朱雀は喚くのをやめてただ座っていた。

『お前も閉じこめられたか』

 そう言って暗く笑う朱雀を、爾焔は何とかして救いたかった。

『朱雀……私では駄目なのですか。私なら……私は、貴方を裏切らない』

 必死だった。

 炎精霊の加護の強い自分は朱雀を助けられる筈だと思ったのだ。

『……確かに、お前程の力があれば我の宿りになる事は出来る』

 暫しの沈黙の後、朱雀は言った。

『しかし、お前の魂は我の負荷に耐えられまい。精神が侵食される』

 長引けば精神が崩壊し、魂が朱雀と同化してしまうかも知れない、と言われた爾焔は、迷わず朱雀の前に膝をついてその手をとった。

『構いません』

 爾焔の声に、躊躇いは無い。

『貴方が私を見つけてくれなければ、私は今此処に無いのだから』

 爾焔は朱雀に、全てを差し出す事を誓ったのだ。


 それなのに、再び引き剥がされてしまった。

 同じ朱宿の手によって。


 爾焔の詰問するような視線を受けて、鴻宵は遠くに目を向けた。

「朱雀も女神の帰還を願っている。それは俺も知ってるよ。その想いが恐らく誰より強いだろう事も」

 鴻宵も嘗て朱雀を宿した者だ。朱雀の想いは十分に感じ取っているようだった。

「でも、朱雀のやり方じゃ駄目だ」

 鴻宵は断言した。

「武力のみで……しかも人ではない者の力を使って制圧しても、国を滅ぼす事は出来ても治める事は出来ない」

 たとえ一見統一したようであっても、必ず屈服しない人間達が多数出てくる。それは統治ではない。

「爾焔、あんたがもし朱雀の為を思うなら…」

 鴻宵は、爾焔に手を差し伸べた。

「俺達と一緒に来い」

「それがどうして朱雀の為なんだい?」

 問い返しながらも、爾焔には薄々答えがわかっていた。けれども、鴻宵に従えば朱雀に裏切ったと思われてしまう。それが、爾焔には耐えられなかった。

「女神を呼び戻す。朱雀のやり方よりは可能性が高い筈だ」

 人間の争いに人間として決着をつけ、穏やかになったこの大陸に女神を呼び戻す、と鴻宵は語った。

「爾焔……あんたもわかってるだろう」

 頷こうとしない爾焔に、鴻宵は静かに言った。

「朱雀は狂気に堕ちかけている……あんたが救ってやるべきだ」

 爾焔は拳を握り締めた。


 朱雀だけは裏切りたくない。

 爾焔にはもう、朱雀しか居ないのだ。


 しかし、これから何とかして朱雀の元に戻れたとして、朱雀の為に何が出来るだろう。結局、朱雀の渇望する事を叶えてやる力は自分には無い。せいぜい、朱雀と共に狂気に堕ちていくくらいしか出来ないのだ。


 俯いた爾焔は、長い長い沈黙を保っていた。




 黙りこくってしまった爾焔を見て、私は頬を掻くとそっと幕舎の外に出た。控えていた漣瑛に、爾焔が目覚めた事を告げる。

「覇姫様にお知らせせよ」

 そう命じて、使いに出す。幕舎の中に戻ると、さっき火にかけた湯が沸いていた。鍋を火から下ろし、湯を水差しに移す。

「……私は朱雀を裏切れない」

 ぽつり、と爾焔が呟いた。私は作業の手を止めずに言葉を返す。

「一緒に滅ぶとしても?」

「……裏切るくらいならそうする」

 私は溜息を吐いた。

「らしくないな、爾焔」

 薬を入れた湯呑みに湯を注ぎ、かき混ぜる。

「もっと打算的な男だと思っていた」

 立ち上がった私が振り向くと、爾焔は視線を自分の手元に落としていた。

「朱雀の事は……特別だ」

 陰の落ちた目元から、想いの深さがひしひしと伝わる。私はその視界に割り込むように湯呑みを差し出した。

「薬湯だ。飲め。あんたは大分消耗している」

 暫く微動だにしなかった爾焔が、黙って湯呑みを受け取る。じっとその中身を見つめた。

「……別に毒は入っていない」

 私が言うと、軽く首を横に振る。疑っているわけではないようだ。

「君は、私をどうしたいんだい」

 どうしたいのか。

 なかなか難しい質問だ。

「それは勿論、あんたが我々に降伏してくれるのが最良だ」

 しかし。

「それは出来ない」

「だろうな」

 実質紅の政治を牛耳っている者が敵国に降伏するなど、出来る事ではない。増してや朱雀を裏切りたくないと言うのでは尚更だ。

「降らなければ殺すか?」

 爾焔の問いに、私は首を振った。

「何故?私は紅の宰相であり碧の将兵を焼き払った極悪人だ。都へ行けばいずれにせよ処刑されるだろうに」

「俺が助命を願い出る」

 爾焔は目を瞬いた。その視線が、探るように鋭さを増す。私はその緊迫感を嫌うように手を振った。

「あんたは五国方士の一人だ。おいそれと殺したくはない」


 実の所、私は五国方士という存在が女神を呼び戻す鍵となるのではないかと考えている。五つの国にそれぞれ拮抗する力を持つ方士が存在する。聞けばこのような状態は初めてで、つい数年前に言われ始めた事だという。

 そして、私が喚ばれた事。

 私には、この二つの現象が、女神を呼び戻し混乱を収める為に天帝に仕組まれたもののように思えてならないのだ。


「なぁ、爾焔」

 私は真っ直ぐに目を上げた。

「どうしても碧には降れないと言うなら、俺と覇姫様に降ってくれないか」

「……何?」

 爾焔が不審げに私を見る。私は続けた。

「そうしてくれれば、他の連中を説き伏せてあんたを生かしておける。自由には出来ないが、あんたの国への申し訳は立つ」

 爾焔が碧軍に与えた損害を思えば、ただ命乞いをするだけでは処刑を止める事は難しい。しかし爾焔と春覇の方士間の契約があるとなれば、他の連中は手出し出来ない筈だ。

 暫く私を見つめていた爾焔は、深く息を吐いて首を振った。

「駄目だ……やはり朱雀を裏切る事になる。特に」

 爾焔の目が陰を帯びる。

「特に、相手が青龍の加護を受けた君や覇姫となればね」

「……どういう意味だ?」

 突然青龍の名前が出てきた理由がわからず、私は問い返した。爾焔は微苦笑を浮かべる。

「君は知らないのか……」

「何を」

 眉を寄せる私に、爾焔は言った。

「朱雀はね、青龍が大嫌いなんだよ。憎んでいると言ってもいい」

 私は目を見開いた。

 どうして、同じ守護神同士で……。

「朱雀のあの傷……あれは青龍のせいだそうだ」

「え?」

 朱雀と戦って破り、鎮めたのは白虎と玄武だと、過去に爾焔自身が言っていた筈だ。

「手を下したのは白虎と玄武だけれど……そもそもの原因は青龍にある」

 そう説明した爾焔は、朱雀に聞いたという事の顛末を語り始めた。



 事の起こりは五百年前。女神が身を隠す事になった、あの事件だ。


 当時四方の土地神達はそれぞれの山に棲んでいたが、出歩く事もしばしばあった。

 そしてその頃最も頻繁に中霊山に出入りしていたのが青龍だったのだと言う。

 それは彼が璃姉弟と友人関係にあったからなのだが、理由はそれだけではない。大陸王家には、元々それぞれの人間が受けた加護の属性を名前に反映させる習わしがあった。もっともそれは随分昔に形式化され、世代毎に属性が割り振られるようになっていた。事件の鍵となった璃姉弟は共に藍の字を持っているから、木の性質に属する世代だったわけだ。木を司るのは東方の青龍。従って、青龍は中霊山に出入りするこの二人を監督する義務があった。


 そして、あの事件。

 当然、青龍は責任を問われておかしくない立場にある。しかし、天帝はその処分を保留したらしい。


 朱雀は納得しなかった。


 青龍には罰を与えるべきだと主張し、聞き入れられないとわかると直接青龍の元へ向かった。自ら罰を与えようとしたわけだ。

 結果、止めに入った白虎と玄武によって傷を負わされ、今も不自由な思いをしている。



「朱雀は……」

 私は、嘗て感じた朱雀の心を思い出した。

 激しい憤り、恨み、そして哀しみ。

 朱雀が恨んでいたのは、青龍だったのだ。

「女神をとても大切に思ってたんだな」

 だからこそ、激しく憤ったのだ。女神を護れなかった青龍に。

「青龍を恨み、人間を憎み……自分の手で女神を取り戻そうと躍起になってる」

 朱雀の行動の動機がわかった気がした。多分想いが純粋だからこそ、そこに狂気が生まれてしまったのだ。

「だったら……だからこそ、止めなければ」

 私は呟いた。爾焔と視線がぶつかる。

 焦げ茶色に戻った瞳が、強い意志を持って私を見ている。爾焔が折れないことを、私はその眼差しから悟った。

「爾焔、あんたが頷こうと頷くまいと、表向きあんたは覇姫様に降ったことにする」

 私は決断を下した。説得出来なくとも手はある。

「私は朱雀を……」

「朱雀が人間の表向きの情報を信じると思うか」

 そんなに心配なら伝言でも頼め、と言って、私は手近な炎精霊を摘んで爾焔に投げつけた。

 きゃー、と明るく叫びながら爾焔の顔面めがけて飛んだ精霊を、爾焔が手を挙げて受け止める。

 ナイスキャッチ。

「……君は相変わらずよくわからないね」

 呆れたように言って、爾焔は肩の力を抜いた。

 従う気になってくれたらしい。

「勝算はあるのかい?」

 爾焔が炎精霊を掌で遊ばせながら訊いてくる。私は肩を竦めた。

「さぁ。朱雀が素直に説得されてくれればいいんだけどな」

 多分、それが最大の難関だ。

 あとは。

「軍隊についてなら、あんたを失った紅軍は簡単に敗れた。我が軍は現在失地を奪回すべく進軍している」

 私はばさりと地図を広げた。

「そのまま紅に攻め込むつもりかい?」

「いや、失地を回復したらあとは国境沿いの邑をいくつか奪って引き上げる」

 今回は攻撃が目的ではない、防衛戦だ。兵糧も足りなくなるだろうし、敵地に攻め入るには兵達も疲れすぎている。

「勝ちすぎると錫将軍に火を点けてしまうからな」

 ただでさえこちらは宰相である爾焔を捕らえている。この上紅の領土に深く攻め込めば、現在白に向いている錫将軍の目をこちらに引きつけてしまうことになる。

 それは得策ではない。碧の敵は紅だけではないのだ。

「君は慎重だね。普通若い将軍は血気に逸って大局を見失いがちだというのに」

 感心したように、爾焔は言った。私は肩を竦める。

「戦略の立て方は棟将軍に教わったからな」

 ごく最近、大将軍に任じられる直前まで、私は棟将軍の部下だった。神算と呼ばれる戦上手のあの人は、しばしば私を呼んでは地図を囲んで戦略を立てさせた。私が下手な戦略を立てればあの穏やかな口調で叱り、考え直させる。怒鳴るわけでも殴るわけでもないが、あの人の教育は厳しかった。勝てる戦略を答えられるまで、何時間でも考えさせる。

 ギブアップは許されない。

 その為に徹夜させられる事もしばしばだった。

 本当にきつかったが、お陰で今、私は将として過たず兵を率いる事が出来ている。

「そう……」

 爾焔が納得したように頷いた時、漣瑛の声が掛かった。

「覇姫様がお見えです」

 爾焔の肩がぴくりと動く。これまでの経過から見て、爾焔と春覇の関係は宿敵に近いものらしい。

「お通ししろ」

 私が答えると、幕舎の入り口の布を掲げて春覇が入ってきた。

「炎狂……」

「やぁ、覇姫」

 爾焔がにこやかに手を挙げる。春覇はそれを一瞥し、私に視線を寄越した。

「それで、こいつをどうする」

「とりあえず幽閉する」

 私は即答した。春覇は頷き、視線を爾焔に戻す。どうやら、私の意図をある程度理解したようだ。

「なら東方の角邑がいい。辺地で治安が落ち着いている邑だ」

 私は地図に目を走らせた。一度都に戻って角邑まで爾焔を護送するルートを目で辿る。

「それに、太子の御領地だ」

 私はなるほど、と目を細めた。あの太子の領地なら統治もしっかりしているだろうし、自由も効く。

「わかった。では一度都に戻って王に謁見させてから角邑へ向かう事にする」

 あとは処刑を主張するだろう高官達をうまく抑えることだ。

 私はこれからの行動を頭の中で組み立てると、爾焔に目を向けた。

「逃げようとは考えるなよ。助命出来なくなる」

 念の為に釘を刺しておく。爾焔はひょいと眉を上げた。

「私が逃げきるという可能性は考えないのかい?」

「逃げきれると思うか?」

 私は手を前に出し、掌を上に向けた。そこにふわりと風精霊が乗る。

 爾焔は黙って溜息を吐いた。

「わかったよ。君の決定に従おう」

 肩を竦めて降参する。

 爾焔は馬鹿ではないから、不利な状況は素直に不利だと認める柔軟さを持ち合わせているのだ。

「もう一人はどうする」

 春覇が口を開いた。もう一人というのは、言わずもがなもう一人の捕虜である錫雛のことだ。

「あれも殺さない方がいい。錫徹の息子だし、まだ子どもだ」

「ではやはり角邑に運ぶか」

「それがいいだろう」

 春覇の言葉に頷いて、私は地図を眺めた。

「とりあえず紅の井邑まで獲ろう。守備兵を配置したら帰還する」

「わかった」

 領土を侵犯された報復をしながらも、錫将軍を刺激しすぎない位置。私は新たな国境を引く場所を決めた。

「これで情勢がどう動くか……」

 呟いた私の周りで、炎精霊がしきりにくるくると踊っていた。


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