表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之陸 怨慕交錯
114/115

疑心

 王宮の奥では、顔色を蒼白に変えた碧王が拳を震わせていた。

「蒼凌めが……あの男が手を回したに違いないのに、詠翠は何故庇い立てする」

 吐き捨てるように王が呟くと、傍らの王妃がそっとその手を握る。

「あの子はきっとたぶらかされているのです。随分と太子に近付いていましたし、近頃はやけに熱心に兵法を学んでいました」

 そう言葉を並べてから、ふうと溜息を吐く。

「鴻宵に、何か吹き込まれたのかも知れませんわ」

 鴻宵を詠翠の兵法の師に任じた時には、この若く功績目覚ましい将軍をこちらの駒として取り込むつもりであった。しかしその結果皮肉なことに、詠翠は太子との距離を縮め、知恵をつけて父母のいいなりにならなくなった。

「鴻宵か……あれを詠翠に付けたのは失敗であったな」

 王は鴻宵の在り方を見誤ったと言える。そう簡単に長いものに巻かれてくれる人物ではなかった。

「心配要りませんわ」

 王妃は微笑んで、そっと王に寄り添った。

「きっと一時の気の迷い。あの子は私の子ですもの。余計なことを吹き込んだ太子や鴻宵さえ何とかしてしまえば、もとの素直なあの子に戻りますわ」

 王妃が囁くようにそう言った時、王の侍従が駆け込んできた。何やら動揺した様子で一礼し、小声で用件を述べる。

 それは、王に奏上したいことがあると言って謁見を望む者がいるという報せであった。問題は、その奏上の内容である。

「なに……?」

 王の顔が憤怒と疑念に染まり、王妃が口許を押さえる。

「連れて参れ。すぐにだ!」

 侍従が素早く踵を返して出ていく。王はわなわなと拳を震わせ、侍従の去った戸口を睨み付けていた。




 その頃、太子の居室では、紀蒼凌が黙々と執務を行っていた。幽閉とはいえ、あからさまに間近で見張るような無礼は行われていない。しかし東宮の周囲には近衛が目を光らせていた。その監視が声の届く近さにないことを確認してから、蒼凌は口を開く。

「雪鴛」

 部屋の隅に控えている、己の従者の名を呼んだ。

「昨夜――どこへ行っていた?」

 雪鴛が僅かに肩を揺らす。しかし表情は動かさず、何食わぬ顔で答えた。

「お気付きでしたか。少し家族に会いに……」

「毒酒を携えてか?」

 今度こそ、雪鴛の顔が強張る。

「何を……」

「誤魔化そうなどと考えるな」

 普段の柔和さが嘘のように鋭い眼光で、蒼凌は雪鴛を射抜いた。

「お前が思うほど私は暢気ではない。従者の身元くらい調べている」

 雪鴛はこの国の貴族の一員である雪氏の子息として太子に仕えている。しかしこの口振りからすると、その裏に隠された事実まで太子は承知しているということだろう。雪鴛は小さく息を吐いた。観念した様子である。

「つまり、私が絽涯二氏の意を受けて此処にいることは先刻ご承知というわけですね」

「そうだ」

 蒼凌が頷く。雪鴛は軽く首を傾げた。

「ならば、何故私をお側に?危険なのはわかっておられたでしょうに」

 何しろ絽宙も涯仇も、いずれは蒼凌を排除して都合の良い公子を太子とし、実権を握るつもりで雪鴛を送り込んだのである。そうした背景を承知した上で雪鴛を傍に置くということは、自ら暗殺者を近づけるに等しい。

 当然の疑問に、蒼凌は何でもないことのように答えた。

「下手に騒ぐよりは愚鈍を装って泳がせておく方が有益だ。それでうっかり殺されるようなら、私もそれまでの人間だったということ」

 雪鴛はぽかんとした。なんとも大雑把な割り切り方だ。こういう所業は、言うのは容易いが並の胆力でできることではない。

 驚愕に白くなった胸の内に、じわりじわりと感情の色が染みだしてきた時、雪鴛は己の口角が上がるのを懸命に抑えた。やはりあの二人よりもこの方は「おもしろい」。選択は間違っていなかった、と。

「それで、昨夜はどこに?」

 確信を持った問いが、再度雪鴛に突き刺さる。雪鴛は今度は誤魔化さず、正直に答えた。

「御察しの通り、私を利用する者達に退場して頂きに」

 自由が欲しかったのだと、言外に滲ませる。蒼凌は少し眉を動かしたが、詳しくは追及してこなかった。

「しかしあの炎は私の仕業ではありません。あの二人と決別することを決めた今、私はあなたに不利な状況を作るつもりなど毛頭無かったのですから」

「何故私についた」

 間髪入れず、蒼凌の問いが飛ぶ。雪鴛もまた、躊躇無く即答した。

「私は国の行く末を慮れぬほど頑迷ではありません。碧はあなたを失えば昏とは争えない。私はあなたを優秀な主君として認めているのです」

 刹那、強い視線がぶつかり合う。それが建前であることくらい、蒼凌には見抜けた筈であった。見抜かれることを前提に、雪鴛は敢えて言ってのけたのである。蒼凌は小さく息を吐いた。

「この期に及んで建前を語る者の言を信じろと?」

「ここでおとなしく本音を語る者などお傍に置くにはつまらないのでは?」

 見方によってはふてぶてしいほどに居直った雪鴛の言に、蒼凌は目を瞬かせる。それから、小さく苦笑した。

「これは一本取られた」

 軽く手を振る。もういい、ということであろう。

「あの炎に関して、何か知っていることはは?」

「道中、犯人と思われる者に話しかけられました。しかし背後から刃を突きつけられましたので、顔は見ておりません。声の感じからして、若い男です」

 記憶を手繰ってそう答えながら、雪鴛はふと疑問を覚えた。

 ――そういえば、あの声、どこかで聞いたような気がしないか?

「その男は、何と?」

「私の行動は想定外だが好都合、というようなことを言っておりました。あとは……」

 続く言葉が一体どういう影響をもたらすのか、皆目見当のつかないまま、雪鴛はそれを口にした。

「火を点けたのは緋色の瞳の小柄な男だ、と太子にお伝えせよと……」

「緋色?」

 蒼凌は眉を寄せた。緋色の瞳といえば、まず思い浮かぶのは朱宿である。そして小柄な男、という特徴まで述べているということはまさか、朱宿の容姿を知っているのか。


 ぞわ、と総毛立つ思いがした。


 無論、本当に朱宿が今回の件の下手人とは到底思えない。戦場ですら人を殺さない鴻宵に、そんな芸当はできない。問題はそこではなく、その男がそんな言葉を蒼凌に投げ掛けてきたというところにある。

 つまりその男は、朱宿の正体が鴻宵であることを知っているのみならず、それを蒼凌も知っていること、すなわち蒼凌と鴻宵が友人関係にあることまで把握しているということだ。

「……群臣の様子を見てきてくれ」

 蒼凌は内心の動揺を押し隠すように、雪鴛に用事を命じた。彼が一礼して退出すると、部屋の中には蒼凌ただ一人が残された。誰もいない中で、蒼凌は再び口を開く。

「――至急、報せを」

 鋭い指示が、窓の下に踞る小さな影に向かって、飛んだ。




 碧王は謁見を望んだ者達を庭に通し、見下ろしていた。一人は碧の貴族であろう男。もう一人は一歩下がった場所に控えており、ややみすぼらしい服装をしている。

「お前達の申すことはまことか」

 怒りを抑えるように言葉の端々を震わせながら、王が確認する。男達は平伏した。

「無論、偽りございません」

 貴族の男が、肯定を述べる。

「お疑いならば、この証人と対峙させてみればはっきりとおわかりになるでしょう」

 後ろの男を指し示しながら、きっぱりと言い切る。碧王は肘掛けを拳で撃った。

「鴻宵を呼べ!今すぐ!」




 将軍府の執務室で、私は軍備の書類に目を通していた。武器の消耗が思ったより激しい。民間の商人からの仕入れも取り入れているが、都でももう少し丈夫なものを作れれば改善出来るかもしれない。狐狼の居住区の工房で試してみようか。

 執務室には私の他に、漣瑛と汪帛が手伝いとして控えている。檄渓は別件の手続きのため、襄斉を連れて席を外していた。

 そこへ、王からの急使が訪れる。

「鴻将軍。至急正殿へお越しください。王がお呼びです」

「王が?」

 私は首を傾げた。私をわざわざ呼び出す用とは、一体何だろう。

「……承知した。すぐに参ろう」

 釈然としないながらも、王命を無視するわけにもいかない。私は後の作業を汪帛に託し、漣瑛を連れて王宮へ向かった。




 鴻宵が王宮へ向かって暫く後。将軍府の執務室に、小さな塊が飛び込んできた。慌てた様子でぐるりと辺りを見渡し、鴻宵の姿が無いことを確認すると動揺した素振りを見せる。

「遅かったか……!」

 その塊――子狼の口から、人間の言葉による呟きが零れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ