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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之弐 業火
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夜襲

 日がやや西に傾いた頃、軍の準備が整い、私も鎧を身につけて閲兵場に向かった。

「中軍。総帥、大宗伯大将軍鴻宵、騎馬五千」

 呼ばれた私は、台上に居る王に向かって礼をした。

 出陣前には、こうして軍の前で最終的な任命を受ける。これは兵士に指揮系統を周知させる意図もあるらしく、この国の軍事においては欠かせない事だ。

「副将、平夷将軍檄溪、歩兵七千。軍監、大司馬紀春覇、騎馬三千。右軍……」

 碧の軍は、全体的に騎馬の数が多い構成になっている。土地が豊かで馬が多いというのもあるが、春覇が騎馬による速攻戦術を得意とする為、ここ数年で急速に増えたそうだ。

 紅や昏では高官は兵車に乗っていたが、碧軍の中に兵車は滅多に見られない。あれはあれでそれなりに速いのだが、馬を駆るのに慣れてしまうと面倒にも思える代物だ。

「以上、中軍一万五千、右軍七千五百、左軍七千五百、計三万」

 点呼が終わり、兵数が読み上げられて締めくくられる。

 急使のもたらした情報によれば、紅軍は約五万。実質爾焔一人が手を下していると言っても、やはり宰相が率いる軍となれば規模もそれなりに大きい。錫徹が白攻めに率いて行った三万を差し引いてもそれだけの兵力があるということは、先の内乱では殆ど兵の損害は無かったということになる。

 今回の閲兵式の終わりには、宗伯府の神官による祈願も行われた。方士の能力を前面に押し出してくる炎狂に対するのだから、このくらいはしておかないと兵が怯える。

 祭祀が終わると、壇の上からこちらを見下ろした王が口を開く。

「健闘を祈る」

 王の言葉に頭を垂れ、私達は一斉に馬に跨った。

 私の乗騎は、先日嶺琥が見つけて来てくれた残雪だ。以前私が乗っていた馬に、今は漣瑛が乗っている。

 出陣の号砲が鳴り、隊列を組んだ軍が王城の門から続々と出て行く。沿道には都の住民が押し合いへし合いしながら軍を見送っていた。その後ろにひっそりと紛れるようにして立っている総華を見つけて、私は目を細めた。

 私の私臣で今回従軍しているのは漣瑛のみだ。総華は他の家臣たちを代表して見送りに来たのかも知れない。

 視線が合った事に気づいたのか、総華が微笑んで小さく手を振った。私は周囲にはわからない程度に頷き返し、視線を前に戻す。

 中央の通りを抜けた隊列は、やがて都の南門を出た。広大な平野を進んでいく。

「鴻将軍」

 私に馬を寄せてきたのは春覇だ。すぐ後ろには無論章軌が控えている。

「この戦、まずは炎狂を何とかしなければ勝ち目は無い。私の策を聞いて貰えるか」

「勿論。私も同じように考えております。覇姫様の策を是非お聞かせ願いたい」

 兵士の手前、それぞれの立場を踏まえた言葉遣いで会話する。最初の頃は妙な感じがしたものだが、今ではほぼ自動的に切り替えが出来るようになった。慣れとは恐ろしい。

「まず騎兵のみを三千騎ほど選りすぐって私と将軍とで率い、先発する。炎狂はこちらの兵を見れば焼き払おうとするだろうから、この三千騎には細工をしておく」

「細工?」

 聞き返す私に、春覇は一つ頷いた。

「水精霊による結界を張る。三万の軍勢となると難しいが、三千騎なら何とかなるだろう」

 その結界で炎から身を守りつつ爾焔捕獲の機会を狙うという。

 一考した私は、難しい顔を見せた。

「しかし、今の依爾焔の力は尋常ではない。仮に朱雀と同程度の炎を扱えるとしても、防げますか」

 私の指摘に、春覇が頷く。

「確かに、その懸念はある。私一人でその格の結界を張るのは至難の業だが、章軌の力を借りれば出来よう」

 狐狼は枷によって霊力を抑制されているが、それでも常人よりはずっと高い霊力を持つ。その力を春覇の結界に合わせれば強固な守りに出来る筈だと言うのだ。

「なるほど……それは良い策ですね」

 そう言いながら、私は春覇にそっと目配せをした。



 軍が都から出発して三経もすると、日が傾いて暗くなり始めた。私は宿営に適した平地で停止を命じ、各々幕舎を作らせる。本陣に位置する幕舎に、一師、即ち二千五百人以上の兵を率いる隊長達を集めた。

「明日、私の兵と覇姫様の兵から騎馬三千を選抜して先駆する」

 選抜は、既に檄溪に命じて終わらせていた。

 私が騎馬隊の先発を公表すると、何人かは動揺を見せた。檄溪と、左軍、右軍をそれぞれ率いている二人の軍吏はさすがに落ち着いている。

「僅か三千で五万の紅軍とどう戦うと仰るのですか」

 一人が、立ち上がってそう指摘した。何人かが頷く。

「炎狂が力を振るっている以上、三千も三万も同じだと言わざるを得ない」

「なっ……勝ち目は無いと仰るのか」

 簡潔に応じた私に、彼らは信じられないといった面もちをした。騒ぎかける彼らを手真似で静めて、私は言葉を続ける。

「覇姫様が加護を与えて下さる。大軍では難しい」

 私が春覇の策を説明すると、彼らは一応納得したが、まだ不安げだった。

「しかし三千では……」

「これ以上となると覇姫様の負担が大きい」

 反論を許さずに、私は言い切った。

 兵数が少ない事に不安を覚えるのは無理もないが、そもそも兵の数が意味を持つ戦いではない。

「それとも、何か有効な策が他にあるか」

 私がそう問いかけてぐるりと視線を巡らせれば、誰もが口を閉じて俯いた。

「明朝、私と覇姫様で三千騎を率いて先発する。後の指揮は檄溪、お前に任せた」

「はい」

 檄溪が立ち上がって礼をする。私はそれに頷きで返すと、軍議を解散とした。



 翌朝、選抜された三千騎は本隊を離れ、通常の行軍よりずっと速い速度で南へと向かった。定期的に偵察の兵を先行させ、紅軍の位置を探る。

「紅軍は呈を通過した模様です」

 紅軍の進軍も速い。進路上にある砦や邑の守備兵には、敢えて抵抗はするなと伝えてある。抗戦して炎に焼かれれば、犠牲が増えるばかりだ。

 紅軍は抵抗する者の無い砦に自軍の兵を入れて確保しながら進んでくる。私達はひたすらに駆けた。

「紅軍との距離、約二十里です」

 偵察の兵がそう報せてきたのは、駆け始めて三日目の夜。尾という邑を通過し、その郊外で兵士達が夕食をとっている時だった。

「明日、ですね」

「ああ」

 私は春覇と頷き交わした。互いの軍の速度を考えると、明日の昼には衝突することになる。

「警戒を怠るな」

 兵士達にそう命じて、私は地図を睨んだ。

 何処でぶつかれば得策か、地形を見ながら速度を計算する。兵力が劣っている以上、平地で正面から対峙するのは避けたい。丘陵地帯の分布と軍の位置を考慮すると、明日半日駆ければ丁度良い場所まで来ている。予定通りだ。

「交代で哨戒する以外は兵をゆっくり休ませておけ」

 指示を出した私は、鎧は解かずに座ったまま幕舎の柱に寄りかかって目を閉じた。



 夜半、騒がしさを感じて私は目を覚ました。

 辺りはしんと静まり返っている。

 何が騒がしいのか、数秒寝ぼけた頭で考えた私は、はっと飛び起きた。

 騒いでいるのは精霊達だ。炎精霊が活気付き、その他の精霊がおろおろと逃げ惑っている。

「きたー」

「きたー」

 跳ね回る炎精霊達は、興奮した様子でそう繰り返している。私は幕舎から飛び出した。


 一見、まだ何も異常は無い。

 しかし、確かに近くに迫っている筈だ。


 すぐ側の幕舎の入り口の布が不意に跳ね除けられ、険しい顔をした春覇が出てくる。私は声を張り上げた。

「全軍、起きろ!炎狂が来る!」

 言葉が終わるのとほぼ同時。

 軍を取り囲むように炎が燃え上がった。

 非常事態を告げる鐘が鳴り、兵士達が慌てて跳ね起きる。私は馬に飛び乗った。結界も間に合わない。

「覇姫様、脱出路の確保を頼みます」

 そう春覇に言い残し、矛を手に取って思い切り馬腹を蹴る。右往左往する兵士達の間を一直線に駆け抜けていく。

「将軍!」

 すぐ後ろに漣瑛が続いた。

「覇姫様が退路を開いて下さる。尾邑まで退け!すぐに体勢の整う者は私に続け!」

 駆け抜けながらそう叫ぶと、進むにつれて従う兵士が増え、紅軍が視界に入る頃には百騎程が集まっていた。

 炎越しに見えた紅軍の数は多くない。僅かな兵で先駆して奇襲をかけてきたというわけだ。動きを察知出来なかった事に歯噛みしながら、私は炎の手前で馬を止めた。

「おや」

 燃え盛る炎の向こうから、笑みを含んだ声が届く。

「なかなか優秀な将がいるようだね」

 炎が揺れ、対峙者の姿を私に見せた。

 言うまでもなく、依爾焔だ。

 束の間垣間見えたその姿に、私ははっと目を見開いた。夜闇の中であり、一瞬の事だったが、間違いない。


 焦げ茶色だった筈の爾焔の瞳が、緋色に輝いていた。


「自ら朱雀を……」

 冷水を浴びせられた心地がした。

 私に逃げられた爾焔は、自分自身に朱雀を宿しその力を使う事を選んだのだ。

 しかし、狂気に堕ちかけた朱雀が爾焔に扱いきれる筈が無い。力不足だ。

 私は馬を数歩後ずさらせた。炎を飛び越えるつもりだ。

「将軍!」

 意図を察したらしい漣瑛が諫めの声を上げる。私は気にせず馬腹を蹴ろうとした。

「鴻将軍!」

 その時、後方から駆けつけた兵士の声が私の動きを止める。

「退路が確保出来ました。直ちに退却せよと覇姫様より伝言です」

 私は舌打ちをして、数秒炎の向こうを睨んでから馬首を返した。炎を飛び越えても、兵力に著しい差がある以上勝利は難しい。

「退け」

 言葉少なに命じて、私は尾邑へ向けて馬を走らせた。

 紅軍は深追いしてこない。邑の城壁の中に兵を収容して堀の吊り橋を上げると、私はすぐに春覇に会った。人払いをして向き合う。

「朱雀だ」

 私は言った。

「炎狂は自ら朱雀を宿している。守備兵が易々と焼き払われたのも当然だ」

 脳裏に浮かぶのはあの緋色の瞳。そして私が朱宿だった時に感じた朱雀の狂気だ。

「炎狂は追ってこなかった……恫喝のつもりか?」

 奇襲の意図を計ろうとする春覇と共に少し考えてから、私ははっと顔を上げた。

「違う。足止めだ」

「足止め?」

 春覇は暫時怪訝な顔をしてから、同じように目を見開いた。

「そういう事か……!」

 すぐに地図を取り出し、広げる。

 私は駆け続ければ丁度丘陵地帯で紅軍とぶつかるように計算して兵を進めてきた。それが、この奇襲で後退を余儀なくされ、遅れを生じている。

 今の状態では、平地の真ん中で紅軍とぶつかる事になる。

 爾焔は兵力の差が最も生きる場所で私達を撃つつもりなのだ。

「これから全力で駆けても……」

「間に合わんな。あちらも我々の動きを注視している筈だ」

 私は額に手を当てて考え込んだ。

 紅軍五万、私達が率いているのは僅か三千。加えてあちらには朱雀が付いている。

 まさかこのまま邑に籠っているわけにもいかない。城壁ごと焼き払われかねない。

「速攻しかないな」

 少ない兵力で大軍に立ち向かうには、機動力で勝負するしかない。相手の不意を衝いて速攻を掛け、頭を潰すのだ。

「……頼むぞ、鴻宵」

「ああ。そちらもうまくやってくれ」

 私は春覇と頷き交わし、準備を整えるべく外へ出た。


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