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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之陸 怨慕交錯
109/115

橙と碧

 碧の軍隊が中軍、左軍、右軍の三軍に編成され常設軍となってから、一年近くなる。その間、それぞれに訓練したり実戦を経験したりと、それなりに忙しく動き回っていた三軍は、いつしかその特徴が噂されるようになっていた。


 曰く、精鋭揃いの中軍。

 また曰く、無難な左軍。

 そして。


「逃がしませんぞ鴻将軍!」


 曲者だらけの右軍である。


 そんな曲者ども相手に、目下私は鬼ごっこを強いられていた。

「しつこい!嫌だと言っただろう!」

「嫌だと言われて諦める我々だとお思いか!」

「何としても稽古をつけていただきますぞ!」

 一言叫ぶと十倍の叫びが返ってくる。当たり前だ。数が違う。

 私を追いかけている連中は、私に武芸の稽古をつけて貰いたいらしい。私が大将軍だった間は、さすがに身分差と私の執務が多忙だということに遠慮して我慢していたそうだが、今回私が降格されたのを期に攻勢に出たようだ。私の武術は人に教えるには向かないしそんな人数を相手にするなんて無理だから嫌だと断ったのだが、彼らも譲らず押し問答になり、挙げ句に追いかけっこになったわけだ。

「範蔵、荷物!」

 執務室の近くを通り過ぎざまに叫ぶ。今日の執務は終わっているので、範蔵に荷物を纏めてもらってこのまま逃げ帰るつもりだ。


 追いかけっこが始まってからはや数日。

 毎日訓練と執務が終わると兵士達が押し掛けてきて逃走が始まり、捕まらず邸に逃げ込めば私の勝ちとなる。勿論これまでのところ全勝中だが、これがなかなかきつい。


「逃げたぞ!右翼は道を変えて回り込め!」

 何故か追手の中に襄斉と汪帛までいて指揮なんかとっているのだから尚更だ。勿論右軍もこんな連中ばかりではないので、常識派の兵士達はいつも苦笑しながら我々の追いかけっこを見ている。と言いたいところだが、何だか日に日に傍観者が減って後ろの集団が増えている気がしなくもない。あ、ちょっと涙出てきた。

 兵士の一部が襄斉の指示で回り込む。私は建物の配置を頭に思い浮かべ、道を変えた。兵士達を撒くべく将軍府の建物に飛び込み、回廊から回廊へ飛び移りながら逃げる。

「あ、将軍。毎度お疲れ様です」

 途中通った右軍府の執務室には檄渓が居た。と言っても仕事は終わっているらしく、お茶を飲みながら書物を広げている。

「檄渓!あの連中どうにかしてくれ」

「無茶言わないでください。まあ、熱心でいいことでしょう」

 味方する気無し。完全に傍観態勢だ。その上。

「私も将軍と手合わせはしてみたいですね。兵士達に稽古をつけるなら、佐官は駄目なんて言いませんよね?」

 これだ。私は歯噛みしながら窓枠に足をかけた。

「薄情者!」

「あはは、頑張ってください」

 檄渓がひらひらと手を振る。今の私と檄渓は、軍の将と佐という上下関係があるだけで、身分上は同格だ。だから変に遠慮せずに対等に接してくれと言ったのは私だが、実際にそうしてみると檄渓は少々扱いにくい。飄々としていて、気まぐれなところもある。わかってはいたけれど、こうして見捨てられるとなかなかに忸怩たるものがある。

「ただいま!」

 なんとか逃げ切って自邸の門に駆け込んだ私を、衙楠がなんとも言えず生暖かい視線で迎えた。わかってるよ。どう考えても一軍の将の帰宅態度じゃないよ。

「また今日も逃げ回っていましたの?」

 黎翡に至っては呆れた顔を隠そうともしない。

「好きでやってるわけじゃない」

 むくれながら居間に入った私は、その場所に久々に存在している人物を見て目を瞬いた。

「漣瑛。動いて大丈夫なのか」

「はい。ようやく部屋から出して貰えました」

 苦笑する漣瑛は、未だ怪我人として総華の監視下にあるらしい。そろそろ三ヶ月経つからばっきりやられた肋自体はほぼ完治している筈だが、初期に無茶をしかけたこともあって治りが少々遅かった上、長い間絶対安静を強いられていたのだからそう簡単には私の従者としては復帰できない。何しろ現状、私の従者は私と一緒に走り回らないとならないわけだし。

「漣瑛……無理は禁物だが」

 私は追い回されて疲労した身でふらふらと漣瑛に近づくと、その顔を覗き込んで言った。

「やっぱり漣瑛がいてくれないと駄目だ。早く私の傍に戻って来てくれ」

 だって範蔵は完全に傍観主義だし。あの騒ぎを止めてくれるのは漣瑛しか居ない。

 そう思っての言葉だったのだが、言い切った瞬間に省烈に頭をひっ叩かれた。

「痛い!何をするんだ」

「お前こそ何てことしてんだ。あんまり誤解を生みかねんことを言うな。哀れだろうが」

 何の誤解が生まれて何が哀れなんだろうか。

 首を傾げながら漣瑛に目を戻したら、何故か尉匡に慰めるように肩を叩かれていた。何なんだ一体。



 そんな風にどたばたと過ごしているうちに、春覇が帰宅した。どことなく難しげな顔をしている。

「お帰り、春覇。どうした?」

 私が声をかけると、春覇は懐から何やら書簡らしきものを取り出した。

「私のもとへ通達が来た……橙が、黎翡を返せと言ってきているようだ」

「黎翡を?」

 私は書簡を受け取り、ざっと目を通した。

「なるほど……外軍の消滅に危機感を抱いたのか」

「そのようだ。今更黎翡が軍の中心であったと気付くなど、遅きに失したがな」


 黎翡の指示により、これまで妖魔と戦い続けてきた外軍は一時解散、潜伏している。内軍では妖魔の相手にならないという現状を目の当たりにして初めて、黎翡の存在の重要さに気づいたということなのだろう。橙は今回、妖魔対策の急を訴え、牧燕玉を碧に人質として預けているのだから戦のほとぼりも冷めた今、黎翡を返して欲しいという意向を伝えてきている。必要とあらば更に人質を送ってもよいと言っている辺り、かなり切羽詰まっているのだろう。


「どうする、黎翡」

 私達は話題の張本人に目を向けた。

「橙に帰るか、ここに残るか。私達は貴女の意思を尊重したい」

 春覇の問いに、黎翡は暫し考えるような間を空けた。それから、はっきりと宣言する。

「橙へ帰りますわ」

 現状から、一歩踏み出すことを。

「このままでは橙は妖魔相手に為す術もないでしょう。そうなれば苦しむのは民です。民の安全を守るのは、王族に名を連ねる者の義務ですわ」

 橙の政府と軋轢があっても、橙の民衆に罪があるわけではない。黎翡は上に立つ者として、民を守ることを選んだ。

「それに」

 黎翡は続ける。

「このまま放っておけば政府は力を求めて益々苛烈に轟狼を追うでしょう。これ以上醜態をさらさせるわけには参りませんわ」

 私はちょっと苦笑した。相変わらず言い方は刺々しいが、要するに黎翡は鴻耀の現状も気遣ってくれているのだ。

「ありがとう」

「礼を言われるようなことは何もありませんわ」

 少しだけ目を逸らして、黎翡はつっけんどんな言い方をする。それが照れ隠しにしか見えなくて苦笑していたら、頭を小突かれた。痛い。

「わかった。それではそのように動こう」

 春覇があまりにもあっさりとそう言ったので、私と黎翡は顔を見合わせた。

「そう簡単に行くのか。戦姫を帰すことに難色を示す連中もいるだろう」

 私の指摘に、春覇は首を振った。

「いや……そのことは問題にならない。今回我が国が橙に求める条件は決まっているからだ」

「条件?」

 戦姫の帰国と引き換えに、碧が提示する条件。当然何かあるだろうとは思っていたが、春覇のやけに断定的な言い方が気にかかる。私と黎翡の視線を集めた春覇は、まっすぐに黎翡の目を見つめながら、言った。

「橙王の王号放棄と橙政府の権限縮小」

 黎翡がはっと息を呑む。追い討ちをかけるように、春覇の声が響いた。


「実質的な属国化だ……橙は、碧の一部になる」





 慎誠は走っていた。かつて狐狼の頭領の右腕を務めた濠犀が口にした真実は、到底受け入れがたいものだった。嘘だ、と喚く慎誠に、濠犀は悲しげに告げた。

「信じられないのはわかります。私も信じられなかった」

 絶望と悲哀に満ちた声が、地に落ちる。

「ですが事実は覆せません……いつも頭領の居た天地崖をご存知でしょう。あの傍らの森にある神木の根本に結界の核があります」

 濠犀の言葉が示す場所へ、ひたすら走る。信じられなかった。信じたくなかった。

「結界に隔てられ触れることは叶いませんが、見るだけで結界を張った者が、者達が、わかります……わかってしまうのです」

 ざっ、と草むらを抜ける。天地崖と呼ばれる、山肌から中空に突き出した岩が見えた。その傍の森に聳える大樹が葉を揺らす。慎誠は乱れた呼吸を呑み込み、ゆっくりとそちらに歩み寄った。

 樹の根元が、視界に入る。そこにあるものを視認した瞬間、慎誠は走り出した。大樹に駆け寄り、結界にぶつかって止まる。

「あ……」

 結界に両手をあてがい、内部を覗き込んだまま、慎誠はずるずると地面に崩れ落ちた。その視線は、結界の核に釘付けになって離れない。

「なん、で……」

 喉の奥から、嗚咽が漏れた。

「なんで、なんでっ……なんでなんだよ!!」

 結界に拳を叩きつけ、叫ぶ。何者も応える者は無く、ただ彼の慟哭のみが霊山に響き続けた。


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