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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之陸 怨慕交錯
108/115

懸念はあれど

 数日もすると、碧の朝廷にも昏に関する情報が届いた。


 叡循貴は即位するとすぐに軍師絡嬰並びに束憐を大将軍と定め、内政の長である宰相をも絡嬰に兼任させた。そうして国の頂点を定めておいて、屈服しない王族の粛清と反対派の重臣の説得に当たっている。因みに冒溢は身の危険を感じたのか引退を申し出、許可されている。


 叡循貴の政権は実質、叡循貴と絡嬰の合議によって成り立っていた。


「やりにくい」

 正直な心境を呟く。

「つまり今後絡嬰は、考えた計略をお上にどうこう言われること無く迅速に実行することができるわけだ」

 あちらは殆ど制約無しに計略を実行でき、こちらは官位を貶とされた身。この状況で絡嬰と張り合うのは正直、荷が重い。

「棟将軍が居てくだされば……」

 思わずそう呟いて、私は首を振った。

「嘆いても仕方ありませんわ」

 ちょうど傍にいた黎翡が、厳しいことを言う。

「予め心配していてもどうにもなりません。備えは必要ですけれど、警戒のしすぎは隙になりますわよ」

「うん……わかってる」

 深く息を吐いて、私は目を閉じた。どうも昏の動きを考えると、警戒が過剰気味になってしまう。


 たぶん、怖いからだ。

 罠に嵌められ危機に追い込まれた経験が、私の昏への恐怖心を煽っている。


 冷静にならないと。

 その時、ぽんと後ろから頭に手を乗せられた。振り返る私の髪を、手の主である鴻耀がわしゃわしゃとかき混ぜる。

「わっ……」

「最近のお前は勝とうとしすぎだ」

 鴻耀にまで、諭される。

「もっと、前みたいに暢気に構えとけ。なるようになると思っときゃいい」

 負った責任に応じて、頑張ろうとした。それが私の余裕を奪っているのだと指摘される。

 そういえば、確かに前はもっと暢気だった。

 何か起こった時は起こった時のこと。精一杯、生き抜けばいい。

「うん……そうだな」

 私は少し口角を上げた。


 思えば、随分遠くへ来た。

 最初は右も左もわからずにこの世界に投げ出されたのに、今や大国の将軍だ。たくさんのことが変わったし、私も変わった。だけど、根本の心持ちまでは変わらなくて良いんじゃないか。


「よし」

 鴻耀が頷いて、私の髪を撫で付ける。

「落ち着いたところで、あいつらを労ってやれ」

「うん?」

 鴻耀の言葉を受けて目を向けると、戸口のところに範蔵と嶺琥が居た。私と目が合うと範蔵は軽く手を挙げ、嶺琥は目を潤ませて頭を下げる。

「戻ったのか。二人とも、ありがとう」

 私が駆け寄って礼を述べると、範蔵は目を逸らして頭を掻いた。

「礼は戦姫様に言え」

 ぶっきらぼうに言って、軽く私の肩を叩く。さては照れてるな。

「将軍様、ご無事で……」

 嶺琥がおずおずと私の顔を覗き込み、こめかみの傷に目を止めて眉を下げる。その肩を、私は数回叩いた。

「大丈夫だ。お陰様で無事だよ……あ」

 一つ、嶺琥に謝らなければならないことを思い出す。

「ごめん、嶺琥」

 首を傾げる嶺琥に、軽く頭を下げた。

「残雪のこと、私を助けてくれた友達にあげてしまったんだ」

 残雪は元々大将軍になった時の昇進祝いに嶺琥から貰った馬だ。気位の高い駿馬でとてもよく働いてくれたけれど、今回の件で黒零にあげてしまった。

 申し訳なくなって謝る私に、嶺琥はふわりと笑った。

「大丈夫、です。残雪が嫌がらなかったなら、それで。また、良い馬を探してきます」

「ごめん……ありがとう」

 私は嶺琥にもう一度頭を下げ、この話題を終わりにした。唐突に、範蔵が鴻耀に声をかける。

「轟狼殿」

「その呼び名はやめろ。鴻耀でいい」

「……では、鴻耀殿」

 心底嫌そうな鴻耀の言葉に従って呼び名を訂正してから、範蔵は彼に告げた。

「橙では既に噂になっています。貴方が碧へ向かったと」

 鴻耀が眉を寄せ、小さく舌打ちをする。どうやら橙政府は性懲りもなく鴻耀の行方を捜しているらしく、従って橙では鴻耀に関する情報に注目が集まるのだ。

「潮時か」

 鴻耀は呟いた。一ヶ所に留まっていると、いずれ居場所を特定される。故に、鴻耀は流離い続けなければならないのだ。

「行くのか」

「ああ。万一ここに居ることが知られたら厄介だ」

 私の問いかけに頷いて、鴻耀は旅支度を始めた。さすがに手慣れていて、すぐに出発できる状態になる。私は淵夫妻に頼んで保存食を包んで貰い、鴻耀に渡した。

「元気で」

「ああ。お前もな」

 背中越しに、軽く手を振って。

 笠を被った鴻耀は足早に歩き去っていった。相変わらずあっさりしたものだ。

「名があるってのも難儀なものだな」

 私の隣で見送っていた範蔵が、ぽつりと呟く。私は頷いた。

「轟狼の名は、鴻耀に安住を許さない……いつか、何とかできるといいのだけれど」

 ぽん、と範蔵に軽く頭を叩かれる。私達は誰からともなく踵を返し、屋敷の中へ戻った。




 中霊山の麓は、嘗ての清浄な趣が嘘のように穢濁した気に包まれていた。森の中にいた妖魔を樹の陰に隠れてやり過ごし、慎誠は中霊山に足を踏み入れた。

 山に入ると、麓ほど濁ったものは感じない。妖魔も居ないようだ。しかし女神の加護にくるまれていた頃のような柔らかな陽射しと爽やかな緑は無く、どことなく陰鬱な木々が影を作っている。

 そんな山道を辿って行くと、程なく結界に触れた。伸ばした指先が、ぱちりと軽い衝撃を伴って弾かれる。

「圭裳」

 届かないと知りつつも、呼び掛けた。

「俺だよ……帰って来たよ」

 長い時を孤独に過ごさせてしまった、愛しい人。

「ごめんね。辛い思いさせて」

 通り抜けられないとわかっていても、結界に手を当てる。痺れるような抵抗に耐えながら、ぐっと力を籠めた。

「君に……逢いたい」

 不意に、背後でがさりと音がした。慎誠は即座に振り返り、身構える。

 そこに現れたのは、人間で言えば初老よりは歳を重ねたと見える翁であった。首元と手首の枷が、彼が狐狼であることを教える。

 現れた狐狼は慎誠を見て目を瞠ると、泣き出さんばかりに顔を歪めた。

「誠藍様……ああ、誠藍様ではありませんか。何故此処に……」

 慎誠は身構えたまま、遥かな記憶を手繰り寄せた。

 五百年前、この狐狼はもっとずっと若かった筈だ。その面影を探る。

「……ひょっとして、濠犀(ごうさい)?」

 思い当たった名を、口にしてみる。狐狼は涙ぐみ、何度も頷いた。

「ああ、そうです、そうです。頭領の補佐をしておりました、濠犀でございます」

 当時頭領の右腕として控えていた若き狐狼は、今や見る影もなく痩せこけ、みすぼらしい身なりをしていた。しかし足取りはしっかりと慎誠に歩み寄ってくる。信じられないといった顔で頭から足の先まで視線を往復させる彼に、慎誠は苦笑した。

「亡霊でも幻でもないよ。俺は確かに誠藍だけど、誠藍じゃない」

 矛盾するようなことを言って、結界の先を見上げる。

「誠藍は死んだ。だけど俺には『彼だった頃』の記憶があって……多分、彼の魂を持つ生まれ変わりなんだ」

 圭裳にも聞かせるかのように、はっきりと話す。濠犀は納得したように何度か頷くと、慎誠の手を取った。

「わかりました。しかし貴方がこうして現れたというのも天の思し召しでありましょう」

 少し仰々しくも思える口調でそう言った濠犀は、次いで深々と頭を下げた。

「どうか、女神をお救いください」

 懇願が、胸に沁みる。慎誠は彼の手を握り返した。

「大丈夫だよ。この戦乱を収拾して皆で呼び掛ければ、きっと圭裳も出てきてくれるさ」

 敢えて、楽観を述べる。そう気楽に思わせるものが、今女神を呼び戻す為に足掻いている鴻宵にはあった。


 しかし、濠犀は悲しげに首を振る。その手が震えた。


「ああ、違うのです。違うのです、誠藍様」

「違う?何が」

 問い返す慎誠を見詰めて、濠犀は震える唇を開く。

「女神は……女神は、自ら閉じ籠っておられるわけではないのです」

「え?」

 それは大陸中の認識を塗り替えるような言葉だった。



「この結界は女神のものではない……女神は、封じられているのです」




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