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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之陸 怨慕交錯
107/115

叛逆

 慎誠が旅立ってから、数日。

 部屋に居た私の耳に、衙桐の弾んだ声が届いた。

「函朔殿と沃縁殿のお帰りです!」

 私は即座に駆け出した。居間の入り口で、丁度やって来た二人とかち合う。

「二人とも……」

 呼び掛けてから、私は言葉を詰まらせた。二人とも、満身創痍だ。函朔は額に包帯を巻いているし、沃縁も左腕を吊っている。それでも、生きて帰ってくれた。

「鴻宵」

 函朔が目を細める。

「ただいま」

 そう言って、両手を広げた。

 ……ここは飛び込むべきなのだろうか?

 私が戸惑っていると、沃縁が笑顔のまま函朔の頭を叩いた。すぱーん、と良い音がする。

「何さりげなく抱き締めようとしてるんですか、変態」

「変た……お前に言われたくない」

 いつもの調子で言い合いを始める二人を見て、肩の力が抜ける。良かった、元気だ。

 私は二人に歩み寄ると、背伸びしてそれぞれの首に片腕を回し、二人いっぺんに抱き締めた。

「お帰り……無事で良かった」

 無事、と言えるかは少々微妙なくらいぼろぼろだけれど。

 私の行動に、二人とも一瞬戸惑ったように硬直したが、すぐに私を抱き返してくれた。

「お前も無事で良かった」

「あなたにまた会いたいと思ったからこそ、僕らは生き残れたようなものです」

 そうして二人との再会を喜んでいた私は、ふと沃縁の後ろに女の子が居ることに気づいた。何だかちょっと睨まれている、気がする。

「沃縁、その子……」

「ああ、そうでした」

 誰からともなく体を離して、沃縁が女の子を私の前に連れ出した。

「この子は苫。怪我をした僕らを匿ってくれた子です」

「……お前まさか、ついに誘拐まで……」

「違います!わかってて言ってるでしょう、鴻宵さん」

 うん、冗談だけれども。

 私は女の子と目を合わせてみた。女の子と言っても、多分私より一つ二つ年下というくらいだ。ただ小柄なのと、じっと黙っている間の表情のせいで幼く見える。

「苫か。初めまして、私は鴻宵。二人を助けてくれてありがとう」

 私が言うと、苫はこくりと頷いた。さっきよりは視線が和らいだように思うが、何も言ってくれない。

「すみません、鴻宵さん」

 沃縁が苫の肩に手を置いて、詫びた。

「苫は喋れないんです」

 喋れない。私は目を瞬いて苫を見た。

「そうなのか……」

「それで、この子を当面この屋敷に置いていただいて面倒を見たいのですが」

 私はちらりと沃縁の表情を窺った。相変わらず、内心は読みにくい。けれども見る限り、その表情に妙な陰は無かった。この子に亡き妹の面影を重ねているわけではなさそうだ。

「わかった。構わないよ」

「勿論、使用人程度の仕事はさせます」

 沃縁の言葉に、私も頷く。ただ庇護するよりは、その方がこの子の為にもなる。

「総華の手伝いをさせてみたらどうだ」

 ここで、函朔が口を挟んだ。私達は一斉に視線を向ける。

「総華の?」

「ああ。苫は元々薬草問屋の娘だ。薬草には詳しい」

 なるほど、と私は一つ頷いた。総華はすっかり我が家の専属医師のような立場になっている。薬草に詳しいなら、確かに総華に付けるのが一番良い。

 但し、苫が狐狼に悪感情を持っていなければの話だが。

「大丈夫だとは思いますが……」

 沃縁が、こればかりは自信なさげに言う。私は近くに居た尉匡に頼んで、総華を連れてきてもらうことにした。その間、立ち話も何だし二人の傷も心配なので、居間に入って椅子に座る。

「そういや慎誠はどうした?また出掛けたのか」

 函朔が辺りを見回して言った。私は頷く。

「うん。また少し用事があるそうだ」

「落ち着きの無い奴だ」

 肩を竦めて、函朔は淵珪の淹れてくれたお茶を啜った。

「あらあら、二人とも駄目よ、そんな傷でうろうろしてちゃ」

 居間にやって来た総華は開口一番そう言った。本当に、骨の髄まで医者らしい。

「苫、この子が総華だ」

 私が紹介すると、苫は総華の枷に目を止めて一瞬びくりと肩を揺らした。

「怖いか?狐狼が嫌なら、無理は言わない。ただこの屋敷では暮らしにくいだろうから、離れを貸すよ」

 私は一息に言って、苫の反応を見た。苫は少しだけ困ったように目を泳がせていたが、総華の持っている薬草籠の中身を見て目の色を変えた。たたっと駆け寄って行って、その中から薬草を一株取り上げる。

「あら、知ってるの?それ、とても珍しい薬草よ」

 総華が言うと、苫は何度も頷いた。どうやら、薬草の話で総華と意気投合しそうな様子だ。

「心配ない、かな」

「そのようですね」

 そんな様子を見て、私と沃縁は頷き合う。最初は狐狼に対する戸惑いがあったようだが、仲良くなれたなら何よりだ。

 和んでいる私達のもとに、窓から白っぽい毛玉が飛び込んできた。

「あ、哀。慎誠達とは丁度入れ違いになったみたいだな」

 もういい加減慣れてきたので、ぽすっと受け止めてやりながら言葉を掛ける。衝突の瞬間丸まっていた哀は、すぐにがばりと顔を上げた。

「それは大したことじゃないわ。それより大変!」

「何?」

 首を傾げる私に哀が告げた言葉は、その場の空気を一瞬にして限界まで緊迫させた。

「昏王が死んだわ。大規模な粛清が起こって――新たに即位したのは、叡循貴よ」




 遡ること、十日余り。

 昏の都、虚。

 朝議を終えて休んでいる昏王に、叡循貴が謁見を願い出た。

「追い返せ」

 取り次いだ侍臣に向かって、王は億劫げに手を振った。

「新たに功を立てるまでは会わぬと伝えよ」

 侍臣は一瞬逡巡したようだったが、結局一礼して王の指示に従った。

 王の言葉を伝えられた叡循貴は、笑顔を見せた。なんとも不可思議な笑みである。諦めと憤りと憐憫をない交ぜにして、酷薄さにくるんだような。

「承知しました」

 素直に踵を返した叡循貴を、侍臣は気味悪げに見詰めていた。


 その、一刻ほど後であった。

 将軍府に不穏な動きがあるという報せが王宮に届く。ほぼ時を同じくして、宮廷の門番が飛来した矢に倒れた。立ち騒ぐ近衛兵を、将軍府から出た兵が囲む。

「降る者は殺さない」

 いっそ穏やかなまでの冷静さで指揮を執るのは、叡循貴である。

「命の惜しい者は道を開けよ。これは反乱ではない――無能者の、粛清だ」

 激しい戦闘になったのは、ごく一部だった。大半の兵は叡循貴に膝を屈し、投降する。抵抗を続ける僅かな近衛兵が、叡循貴の行く手を塞ごうと火を放った。

「王宮を守るべき近衛が宮殿に火を放つとはね」

 肩を竦めた叡循貴は、ひらりと窓から身を躍らせて迂路を取った。今は一将軍の身とはいえ、彼も王族の一員。王宮の造りは把握している。行く手を阻む者達を斬り捨てながら、叡循貴は王宮の深部へと向かっていった。

 報せを受けた昏王は愕然とした。叡循貴が、兵を率いて乱を起こしたと言うのである。

「馬鹿な!近衛は何をしている!」

 傍に居た嫡男も、狼狽えるばかりで役には立ちそうもない。とにかく脱出しようと立ち上がった時、部屋の扉が開いた。

「ああ、こちらにおいででしたか」

 にこりと笑うその顔は、元々年齢の割に幼い顔立ちなのも相俟って誠に無邪気に見える。しかしながらその頬には明らかな返り血が飛び、手にした槍も赤く染まっていた。

「循貴よ、愚かなことを……」

「愚かなこと?」

 叡循貴は槍を捨てた。腰に提げていた剣を抜く。

「愚かなのはさて、どちらでしょう」

 くるりと剣を舞わす手つきには全く危なげがない。彼が如何に武器を扱い慣れているか、その動作の一つ一つが示していた。

「無能は不要、力が正義。そう教えたのは父上、貴方です」

 王のその考え方が、昏の実力主義、もっといえば弱肉強食の国家理念を形作ってきた。ならばここで無能と見なした王族を淘汰することもまた理の当然であると、叡循貴は言うのである。

「馬鹿を言うな!」

 叡循貴にとって長兄に当たる男が喚いた。

「父であり王である方に刃を向けるとは、貴様はそれでも人か!」

「ならば問いましょう」

 叡循貴は揺らがない。

「大義名分の旗印を失っただけで狼狽して戦功を上げ続けてきた者を貶降し、一片の功無き者が罵るに任せる……そんな方に、王たる資格がありますか」

「貴様……!」

 王の嫡子である男は、二の句が継げなくなった。叡循貴に一片の功無き者と断じられたごとく、彼には叡循貴が上げてきたような功績は何一つ無いのである。

「循貴よ」

 さすがに王は、嫡男よりは落ち着いていた。

「私とてお前の功を認めぬわけではない。不満があるならば聴こう。そう、お前を太子に立ててもよい」

 嫡男が、ぎょっとしたように王に目を向けた。叡循貴を太子に立てるということは、彼を始めとする年上の公子達を不遇に追いやる結果になる。次の王位を与えても良いと言われた叡循貴は、またもやにっこりと笑った。

「貴方は誤解しています」

 一歩、二人に歩み寄る。また一歩。

「私は別に王位が欲しいわけではないのですよ」

 歩を進める叡循貴に気圧されたのか、嫡男が一歩下がる。それを気にも止めず、叡循貴は二人の前までやって来た。

「私はただ、空しくなったのです。貴方方のような小者の為に犬馬の労を尽くすのがね」

「つまるところ、王位が欲しいのであろう」

「違います。私は飽くまで武将なのですよ」

 若くして軍を率いてきた叡循貴には、相応の自負があった。

「それを、貴方は奪おうとした」

 今回の処分で、叡循貴は一軍を率いる資格を失った。それが、彼には我慢ならなかったのだ。

「もっと賢明で公正な目を持った王がいれば、私もこのような真似はせずに済んだのですが」

 ほんの少し、寂しげに言って。

 叡循貴は、剣を振り上げた。




「叡循貴が即位……?」

 私は困惑を露に哀を見下ろした。

「何故……確か叡循貴は王の末子だろう。順番から言えば……」

「王位は長男が継ぐとは限らないわ。特に昏ではね」

 そのうえ、と続けて、哀は少し顔をしかめた。

「今回のことに継承順位なんて関係無い。昏王は叡循貴に殺されたのだもの」

「え……」

 ぞくりとした。王の子が王を殺す。碧王が恐れてやまない事態が、昏で実際に起こったのだ。

「叡循貴は迅速に粛清を行って、服従する者、有能な者以外の王族を殺すか追放処分にしたみたいよ」

「……臣下の反応は」

 私は問いかけた。王族同士の争いが起こった時、結果を左右するのは民、直接には臣下だ。

「昏は実力主義の国。概ね容認する姿勢よ」

「そうか……」

 昏の頭が替わった。これから情勢はどう動く?

「……我が国としては、当面の小康を得た形だな」

 考えつつ、私は言った。

「昏は暫く戦を仕掛けてくることはない。内政が安定しないうちに外に手を出すほど、叡循貴は愚かではないだろう」

 但し、裏から何か仕掛けてくる可能性はあるが。

「とりあえず、春覇にも知らせてきてくれ。多分まだ宗伯府に居る」

「わかったわ」

 哀が駆けて行く。見送る私の対面で、二人が首を傾げた。

「宗伯府?」

「覇姫は大司馬だった筈ですが、何故?」

 そうか。この二人は知らなかったんだ。

 私はかい摘まんで状況を説明した。すなわち、私が位を落とされ、春覇まで巻き添えで官職を変更されたことを、だ。

 話を聞くうちに、沃縁の機嫌がどんどん下降していく。

「何ですかそれ。太子は何を手を拱いているんですか」

 いや、蒼凌は関係無いんだけど。

 返答に困る私の代わりに、函朔が突っ込んだ。

「なんかお前やたらと太子を目の敵にしてないか。前も私怨がどうとか……」

「鈍い人は黙っていてください」

「鈍っ……!?」

 沃縁にばっさりと切り捨てられて、函朔が撃沈する。私は苦笑した。

「いいんだ……私は、守られることは望んでいないから」


 この前、支え合うと約束してくれたし。それでいいんだ。今の情勢下で蒼凌が動けば、却って面倒になりかねない。官位くらい、またいつでも取り返せる。


 私が答えると、沃縁は何ともいえず嫌そうな顔をした。

「何だか無性に腹が立ちました。刺してきていいですか」

「何で!?いいわけないだろ!」

「俺も行く」

「函朔まで!?」

 同時に立ち上がる二人を、慌てて押し留める。あたふたする私の隣に、総華が並んだ。

「駄目よ、二人とも」

 腕を組み、厳しく言い放つ。

「怪我が治ってからにしてね」

「そこじゃないだろ!?」

 思わず全力で突っ込んでしまった。そんな風にわいわいと騒げるのが、嬉しい。

 お互いに、生きていて良かった。




 王座に着いた叡循貴が最初にしたのは、絡嬰と束憐の謹慎解除であった。

 自邸で報せを受け取った絡嬰は驚きも慌てもせず、淡々と着替えて王宮へ向かう。肩を並べた束憐が、目を細めた。

「これを予測してたのか、お前は」

 叡循貴が訪ねて来た時。他愛なく見えたあの時の対話が互いの行動を予告するものであったと、今にして束憐は理解していた。

「自然な動きだ」

 絡嬰は口角を上げる。

「使えない者が消え、使える者がそれに代わる。それだけのこと」

 相変わらず、酷薄な物言いであった。束憐は肩を竦めて、空を見上げる。

 煙の収まった王城は多少煤けてはいたが、大きな損傷は無いらしく、以前と変わらずに聳えていた。


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